縁側にて師範から頂いた菓子を食べていたら、食満がやって来た。
 無断で人の隣に座り、ぶちぶちと同室者の事を愚痴り出す。
「伊作の奴、すっかりしょげ返っちまって」
「そうか」
「仕方ねぇじゃんかなぁ。こんなご時世だし、此処は忍術学園だし」
「あぁ」
「保健委員だっつっても、全部を救える訳じゃねぇし。どこの仏様だよって話じゃねぇ?」
「そうだな」
「やっぱあいつ、忍者向いてねぇよ。何で五年生になったんだか……」
「さぁな」
「……大治郎」
 じっとりとした目付きで、食満がこちらを見る。
「何だ」
「適当に聞いてないか? 俺の話」
「適当ではない。適切に聞き流している」
「うっおおおおおおおおおおいッッッ!」
 大声を出しながら、食満が胸倉をつかみ上げて来る。
 だから、つい脊髄反射でぶん殴ってしまった。
 俺は師範と山田家ご一家と兵助以外に突然触られるのは厭なんだ。
 だから此れは食満が悪い。
「……相変わらず容赦ねぇなぁ大治郎よ……」
「俺に気安く触るな」
「もう四年以上の付き合いになるんだから、そろそろ俺にも慣れようぜ?!」
 そう云われても困る。
 俺にだって譲れない一線と云う物が存在するのだから。
「一つ聞いてやってもいい」
「は?」
「お前は善法寺の親なのか?」
 俺の言葉に、食満はきょとりと間の抜けた顔を晒した。
 それでも精悍な面構えの男前に見える辺り、こいつは大分顔で得をしている。
「親って、そんな……。俺は別に、友達として……」
「友と云うのは、友の人生にまで口を出す者を云うのか?」
「そりゃ、違うと思うが。こんなに長く一緒に居ると、もう他人なんて云えないだろ?」
「忍びになるのにか」
 一言告げれば、ぐぅと妙な声を上げて食満は黙った。
「お前は忍びになるのだろう」
「そりゃまぁ、その為に此処に入った訳だし」
「善法寺も此処まで残ったと云う事は、忍びになる気はあるのだろう」
「……まぁ、そう、みてぇだけど」
「ならばそれでいいだろう。放っておけ」
「放っておけって!」
 何故か傷付いたような顔をして、食満が俺を見上げて来る。
 当然だろう。何を傷付く?
「お前は所詮お前の人生以外に責任は持てない。善法寺の人生の責任まで負えない。他人なのだ
から」
「……」
「……食満、お前は駄々をこねているだけだ。善法寺を心配だと云いながら、ただ単に、お前自身が
善法寺に人を殺してほしくないだけだ。綺麗な保健委員で居て欲しいだけなのだろう?」
「……だって、あいつは本当に、人殺しなんて……」
「他人事なんだ。入れ込むな。お前まで潰れるぞ」
「……」
 食満は下唇を噛みしめて、俯いた。
 こいつが、必要以上に善法寺に入れ込んでいる事は知っていた。
 何度も何度も俺や己の不運に泣かされる善法寺を慰め、宥め、慈しんで来たのだ。
 誰もが匙を投げた善法寺の不運に、自分から巻き込まれ続けてもいた。
 その行為に善法寺は救われただろうし、こいつ自身も救われていたのだろう。
 立派な依存関係だ。
 此れでも長い付き合いだから、一緒に潰れるなと忠告してやった。
 善法寺はともかくとして、食満は忍びとして溢れんばかりの才覚がある。
 師範も褒めていたのだから間違いない。
 だから仏心を出してやったと云うのに。
「……そうか。分かった」
 何か決意したような顔で、食満が俺を見る。
 やっと踏ん切りがついたかとため息をついた所で。
「俺、伊作に求婚してくる……!」
 思い切りずっこけた。
 う、生まれて初めてだぞこんな事!
 俺が何も無い所でこけるだなんて!
「食満、お前、何云って……」
「要は他人で無くなればいいんだろ?! それならもう夫婦(めおと)になるしかないじゃないか!」
 そこで何故夫婦なのか。
 義兄弟でもよくないか?
「有難うよ、大治郎。お前のお陰で踏ん切りがついた!」
「おい、け」
「俺、一生涯を懸けて伊作に尽くすよ! あ、勿論お前の面倒も見るからな!」
 いらん。
 そう云ってやりたかったのだが、食満は爽やかに笑うとまた俺に礼を云って去って行った。
 ……。
 何だったんだ、一体。



 − 楽園という名の



 何かもう色々面倒くさい、と俺は焔硝蔵へ昼寝しに行ったのだった。
(翌日から、さらに酷くなった食満と善法寺の過干渉に悩まされる事など、知る由もなく)



 下関大治郎(十四歳)



「増えたよなぁ……」
 そう呆れたように呟いたのは、現生物委員長の六年生だ。
 今日も首に毒蛇のジュンコさんを巻いて連れ歩いている。
 仲睦まじい事だ。
「何がだよ」
 人のペット小屋の前に仁王立ちになるな。鬱陶しい。
「お前のペットだよ。今全部で何匹だ?」
「七匹だな。……あ、いや、違うな」
 は? と云う顔をする委員長を無視して、笛を吹く。
 ばさばさと大きく羽ばたく音がして、上げた右腕に一羽の鷹が舞い降りた。
「こいつ入れて八匹」
「まだ増えてんのか! いつ加わったんだそいつ?!」
「一昨日」
 山で果樹園の世話してたら、いつの間にか側に居た。
 果物をやったら懐いた……と云うか、「いいカモだ」とでも思ったのか、付いて来た奴だ。
 どうせ今さら一羽増えた所で変わりゃしねぇし。
 鷹なら八汰や八逆達と同じく、手紙だの小さな荷物だの運べるから便利そうだと思ったのだ。
「……名前は?」
「浄(じょう)」
「鷹の浄ってか。……ダジャレか!」
 何もない場所へ向かって、委員長が裏拳突っ込みを入れた。
 以前俺に裏拳を入れて殴り返された事を覚えていたらしい。
 まぁあの時は俺も大人げなく本気になって、ついでに月子をけしかけてしまったりしたが。
「覚えやすくていいだろ?」
「まぁそうだけど……。はぁ、これじゃぁお前にジュンコさん任せられねぇじゃんか」
 そう云って委員長は、ちろちろと舌を出しているジュンコさんの喉を撫でた。
 気持ち良さそうに目を細めるジュンコさんは、本当にべっぴんさんだ。
 何だ、委員長の奴。
 俺にジュンコさん任せるつもりだったのか。
「それならそうと早く云えよ」
「うっせ、俺だって悩んでたんだよ。そもそもお前、お鍋さんの世話役もやってるし、その上個人的
なペットまで大量飼育してるし……。あー、どうすっかなジュンコさんの嫁ぎ先!」
 どうやら委員長は今、生物委員会伝統の”姫様の世話役引き継ぎ”に悩んでいるようだ。
 まぁ確かに、ジュンコさんはお鍋さんと違って毒持ちの上愛情表現が激しく、しかも脱走大好きと
云うじゃじゃ馬姫様っぷりだからな。
 俺のようにあちこち手を出してる野郎より、ジュンコさん一筋になれる奴に任せた方がいいと思う
が。
「八はまだ生物委員歴が短いから無理だし、となると孫兵か? でも孫兵もまだ二年生だし……!」
「孫でいいんじゃねぇの?」
 ぶつぶつ云う委員長に、軽く告げる。
 勢いよく顔を上げた委員長が、俺に掴みかかって来た。
「馬鹿云えこの千草め! 千草め!」
「俺の名前を罵倒文句にしてんじゃねぇ!」
「ジュンコさんが愛情表現過激なのは知ってんだろーが! 孫兵がうっかり死んだらどうする!」
 ……あぁ、そう云えばこいつ、孫兵の事異常に可愛がってたっけ。
 俺も俺なりに可愛がっちゃいるが、こいつのように甘やかしてはいない。
 なのに何故か、孫兵は俺にべったり。
 それについてぶちぶち愚痴られたりもしている。
 何だこいつも稚児趣味か。生物委員は稚児趣味が多いのか? 俺の周りだけか?
「云っておくがな、孫はそんな軟な奴じゃねぇぞ。俺が鍛えてんだから」
 俺の背中に始終張り付いてるんだ、当然鍛えてやってる。
 少なくとも、同学年相手なら三対一で圧勝出来る程度には。
「……最近やけに孫兵がぼろぼろになってると思ったら! やっぱお前のせいか!」
「はぁ?! あんだけ虐められててあの程度で済んでるのは俺のお陰だっつーの!」
 一年の頃は只の孤立ッ子であり、俺と云う名の印籠がったお陰でいじめとは無縁の孫兵だったが、
一つ学年が上がった途端、やはり標的にされた。
 俺は怖い先輩として名を馳せているが、無意味に下級生脅したりしねぇし、個人の諍いに口を出す
性分でもねぇ。
 同級生だろうが上級生だろうが物おじせず悪態を付き、俺達生物委員の先輩にばかりべったりな
孫兵が標的にされるのはまぁ自明の理と云う奴だろう。
 ただ孫兵はそれで泣き寝入りしたり、俺らに泣き付いて来るような可愛い性質(たち)ではなく。
 俺に鍛えられていたのをいい事に、きっちり仕返ししているのだった。
 そんな孫兵を、俺はかなり気に入っていたりするが。
 じゃなきゃ誰が四六時中背中に張り付く事を許すかっつーんだ。
「あ、丁度いいじゃねぇか。やっぱジュンコさん孫に嫁がせろよ」
「お前まだ云うか!」
「ジュンコさんが傍に居れば、孫に余計なちょっかいかける奴なんざいなくならぁ」
「む、確かに……。孫兵もジュンコさん好きだし、此れは良縁か……?!」
 また悩みの渦に飛び込み、ぶつぶつ云い出した委員長。
 ……このでけぇ独り言を云う癖がなければ、いい男なんだけどな、こいつ。
 独り言を云いまくる現伴侶に飽きたのか、ジュンコさんがするすると地面に降り、こちらへ向かっ
て来た。
 その細長い体を左手で掬い上げると、右腕に居た浄が逃げるように飛び去った。
 あいつ、蛇が怖いのか? 鷹としてどうなんだ……。
 まぁ、それは置いといて。
「どうよ、ジュンコさん。孫はかなりの優良物件だと思うけどよ」
 毒生物好きだから、あんたに参っちまうのは火を見るより明らかだと思うぜ?
 どうよ、ともう一度聞けば、ちろちろと舌を見せる。
 ……これは、脈あり、か?



 − 凛と輝く光の導(しるべ)



 ジュンコさんのキラキラ光る目が、東を見る。
 確かあの方向には、下級生の校舎があったはず。
(あれ、マジで脈ありなんじゃね? 孫の奴)



 加藤千草(十四歳)



 目を開いたら見慣れない天井。
 けれど覚えのある匂い。
 ああ、ここは医務室ですか。
 おかしいな、僕、自害したはずなんですけれど。
 切腹するのは変な気がして、手首を切ると云う間抜けな方法で自害をしたはず。
 そうそう、裏庭にあるちょろちょろと申し訳程度に流れる滝もどきの落下点に桶を置いて、その中
に切った手首を突っ込んで。
 部屋も掃除して見られたら困る物は焼き捨てて、遺書も書きました。
 そうして自害したはずなのに、何故生きているのでしょう。
 あれ、そう云えば体が重いような。
 特に胸、苦しいんですけど。
 何か乗って……?
「うわ……」
 思わず、声が出てしまいました。
 僕が寝かされている布団を囲むように、濃紺と桃色の忍び装束。
 皆さん寝入っていらっしゃるようですが……。
 うぅ、苦しいと思ったら勘右衛門が僕の胸の上に頭を乗せていらっしゃる。
 頭ってスイカ約一個分の重さに相当するんですが。
 ちょ、肺が痺れたらどうしてくれるんです?
 動かそうにも両手が握られて……、三春さんも千夏さんも僕以外の忍たまの前で無防備に寝るな
んて。シナ先生に叱られてしまいますよ?
 ああ、秋桐さんも冬菊さんも、そんな隅っこで丸まって。お布団で寝ないと御風邪を引かれてしまい
ます。
 それにしても皆さん、酷いお顔。
 泣きはらしたような顔で、頬は赤いのに顔色は悪い。
 僕が自害したから……いえ、自害未遂をしたから、泣かれたのでしょうか。
 おやおや、案外僕、好かれていたのですね。
 死にかけて、泣いてもらえるくらいには。
 有難い事です。感謝、すべき事です。
 こんなに、他人様から愛されるなんて。
 でも僕は、とてもしょうもない人間なんですね。
 人としての根本的な部分が、欠けてしまっているのでしょうね。
 どうしてでしょうか。
 助けて頂いたのに、泣いて頂いたのに。
 どうして生かしたなんて、怒りを覚えるだなんて。
 そんな自分が、少し悲しいです。
 ただ、ただ僕は。
 家族の皆様に愛して欲しくて。
 優しい言葉を、かけて欲しくて。
 それだけだったのに、それだけの願いすら叶わないと知って、絶望して。
 どうしてでしょうね。
 こんなに、皆さんに愛されているのに。
 どうして僕は、生きるのを諦めてしまったのでしょうね。
 どうして、今も、嬉しいと思えないのでしょうか。
 やはり根本の部分が欠けているのですね。
 どうしようもない、壊れた人間なのですね。
 きっと、生まれた時から欠けていたのですね。
 欠陥品だったのですね。
 それならば仕方のない事。
 ゴミはゴミ箱へ、壊れた人間は墓穴へ。
 それで宜しいじゃありませんか。
 きっと今なら舌を噛んで、死ぬ事が、



 − 瑠璃色の目覚め



 それが出来なかったのは、きっと僕が、クズだからですね。
(貴方がたを泣かせるのも忍びないと、思ったのは、本当ですよ)



 鳴瀧晴次(十三歳)



 何やら最近、潮江君と立花君に付き纏われているような。
 何故だろう?
 世話役らを家に帰した事についても、あれこれ聞かれたし。
 同室者とは上手くやっているのに、心配されるし。
 夜間訓練に出ると必ず付いて来るし。
 伊作君と留君の過干渉がうつったのかえ?
 私は今、一人の良さと云う物を満喫していると云うのに。
 邪魔されるのは少々困る。
 今も大きな木の上に登り、気配を消し、ぷらぷらと両足を振っている所。
 眼下には潮江君と立花君が居て、周囲をきょろきょろ見回している。
 私を探しているのかな? と思うが、それは自意識過剰な気がした。
 だって私は彼らにとって、その他大勢でしかない。
 もしくは一際厭な奴か。
 少なくとも、好かれる対象ではない。
 それが分かっているから、二人の干渉に首を傾げてしまう。
 確かに二人には世話焼きな部分があった。
 なんのかんの云いつつ、他の組である伊作君らに構うのがその良い証拠。
 後輩を可愛がっている事も知っている。
 けれど、私が構われるのはよく分からない。
 幼い頃は気を引きたくて、道化を演じていた時もあったが、二年生になる前からその道化は止めて
いるし。
 手間をかけさせるのも世話役ら相手だけにしていたのだけれど。
 どうして今さら、私に構うのだろう。
 分からないな。
 昔から、あの二人の事はさっぱり分からない。
 人の心を読むのは、得意だと云うのに。
 あの二人の言動は予測も推測も出来やしない。
 やれやれ、ちょっと昼寝をしたら学園に戻って、三郎君達とお菓子を食べようと思っていたのに。
 予定が狂ってしまった。
 まぁ、三郎君達とも約束をしていた訳ではないから良いけれど。
 あ。
 しまった。
 枝を蹴っ飛ばしてしまった。
 あぁ、立花君に気付かれた。
「――鶴ノ丞ッ!」
「何?! ……あ、お前そんな所に!」
 立花君が鋭い声で私を呼び、潮江君がぷりぷり怒りながらこちらを指さして来る。
 あれあれ、やはり私を探していたのか。
 何かしたかな、私。
 学園長の庵に仕掛けた罠がバレたのか、それとも体育委員を狙った悪戯がバレたのか。
 もしかして教室に罠仕掛けたのが私だってばれたかな?
 怒られるのは面倒だ。
 逃げようか。
「あ、コラ! 逃げんな!」
「待て鶴ノ丞!」
 え、何で追って来るの。
 本当に悪戯がバレたかな? なら尚更捕まる訳にはいかない。
 逃げるが勝ちよ。
「待て! どこに行く気だ?!」
「何で俺らの事避けんだよ!」
 だって怒るじゃないの、君達。
 世話役らを帰したら、「あの人達はお前を実の子のように思ってるのに!」と怒って。
 同室者に金を叩き付けたら、「金で解決しようとするな! 言葉で分かり合え!」と怒って。
 夜間訓練に出れば、「一人で行って何かあったらどうする?!」と怒って。
 分からないな、どうして怒るの?
 放っておけば良いだろうに、私の事なんか。
 嗚呼、でも、こうやって逃げるの、少しだけ楽しいんだよ、実は。
 内緒だけどね。



 − 黎明の宴



 まるで鬼ごとをしてるみたいだろう?
(小さい頃ね、本当はね、憧れていたのだよ。混ざって、みたかったんだ)



 備前鶴ノ丞(十四歳)



 泣き疲れた勘右衛門が、私の肩に頭を預けて眠っています。
 僕は、胸に溜まっていた澱がすっかり無くなって、とても清々しい気分です。
 今なら全ての人に優しくなれる気がします。
 今の時期、夕方は肌寒いのですが今はあまり感じません。
 心があったかくなってるからでしょうか?
 甘美な妄想って奴ですよね、これ。
 何だか幸せな気持ちです。
 意味も無く勘右衛門の鼻を突くと、むにゃむにゃと言葉になってない寝言が返ってきます。
 そんな様が、堪らなく愛しいのです。
 さてさてところで、
「覗きは無粋だとは思いませんか?」
「うお」「げ」「ばれてたか……」「あはは……」
 問いかければ、後ろの茂みががさがさ動いて、お顔がひょっこり。
 さぶ君、はち君、へい君、らい君、お揃いで。
 よほど僕らが心配だったのでしょうか。
「ごめんねごめんね。悪いとは思ったんだけど……」
「お前が勘ちゃん道連れにしないか心配だったんだ」
「ちょ、兵助、おま」
「あははは、厭ですねぇ。もう自害したりしませんよ」
 僕の言葉に、びくりとらい君はち君の肩が跳ね上がりました。
 素直なお二人ですね。
 他のお二人は、じっとり顰め面です。
「……家族は家族で特別ですけれど、貴方がたも特別なのだと、気付いたので」
 手に入らないものに絶望するよりも、今手にしているものを愛そうと、思ったのです。
「……遅いんだよ、気付くのが」
「すみません」
 さぶ君に頭をこずかれますが、甘んじて受けましょう。
 本当は顔面を力いっぱい殴られて、鼻の骨やら歯やら折られても良いくらいですので。
 まぁ、そこまでやったら、くのたまのお姉様方お嬢様方が黙っていないでしょうけれど。
 有難い事に、愛されていますので、僕。
「……勘ちゃん、よく寝てるなぁ」
「本当だ」
「最近寝不足気味だったからなぁ、誰かさんのせいで」
「お耳の痛い話です」
 ぷぅぷぅと寝息を立てる勘右衛門の頬を、へい君が突いています。
 普段なら起きるはずの勘右衛門は、眠りについたままです。
 よほど眠りが深いのでしょうかね。
「もう勘ちゃんの事虐めるなよ」
「厭ですね、最初から虐めてませんよ」
「どの口がそれを云うか!」
「いひゃいれす」
「晴次変な顔っ」
 へい君に両頬を思い切りつねられてしまいました。さぶ君がけたけた笑っています
 本当に、虐めてなんていないんですけど。
 へい君からすれば、僕の愛情表現は重すぎて虐めの域なのだそうで。
 それは分かりませんでした。今後気を付けなければいけませんね。
「……もう勘ちゃんの事泣かすなよ。泣かしたら俺、本気で怒るからな」
「それは怖いですね。気を付けます」
「怒った兵助怖ぇもんな〜」
「陰険い組の本領発揮するからな!」
「誰が陰険だこらー!」
 ぷりぷりと怒り出したへい君から、きゃーきゃー叫んではち君さぶ君が逃げ回ります。
 おやおや、幼い頃に戻ったようですね。
 らい君は一人僕のお隣に座ったまま、どこかほのぼのとした笑顔で皆さんを眺めています。
 そんな皆さんを眺めて、まだ眠ったままの勘右衛門を見て、僕は少し泣きたくなりました。
 お家は特別です。
 家族の皆様は愛しいです。
 きっと、それは変わりません。
 家族の皆様を忘れる事など、僕には出来ません。
 でも僕はもう、あの家に戻る事はないでしょう。
 帰る場所は、あの広くて寒い御屋敷ではなく、勘右衛門の隣なのだと思い知ったので。
 彼らの側に居る方が、幸せなのだと知ったので。
 僕は二度と、皆様の所へは戻りません。
 親不幸と、恩知らずと、誹らば誹って下さいませ。
 ただ僕は、自分と勘右衛門の幸せの為に生きてみたいと、そう思ったのです。



 − ロマンチストの横顔



 初めて自分で考えた生きる理由は、とてもとても、甘美なものでした。
(僕のような人間を、ろまんちすとと云うのでしょう)



 鳴瀧晴次(十三歳)