初めて人が死ぬ所を、見た。
 人が殺される所を、見た。
 降りかかった血潮は生温かく、生臭く。
 零れ落ちた臓器からは排泄物がはみ出ていた。
 嗚呼、こう云う所を見たら、子供は吐くものなのだろうか。それとも、泣くべきか。
 そう考えながら、茫然と、死にたての人間達を見つめた。
「……泣かないね。君」
 人を殺した男が、呟く。
 精悍な顔立ちの壮年。
 ふと、学園に居る年若い教師を思い出した。欠片も似ていないのに。
「人が死ぬのを見るのは、慣れているのかな?」
 首を傾げながら、男が云う。
 責める色も惑う色も無い、純粋な疑問の声。
「……初めて見たのぉ」
 するりと、言葉が出た。
 男はそう、と云って目を細めた。
「君、もしかして男の子?」
「男(おのこ)じゃ」
「そう。……ついてないねぇ、顔が可愛いかったばっかりに」
「未遂じゃからの」
「それもそうか。でも、厭でしょ? こんな男達に姦(おか)されかけたなんて」
「そうじゃな」
 汚らしく死んだ汚らしい男達を見る。
 下卑た笑みを浮かべ、私を押さえ込んだ男達。
 厭な記憶を掘り起こされて泣き叫ぶ私を見て、嗤っていた。
 不愉快だこと。
「死んで当然じゃ。嗚呼、そう思うと惜しい事をしたのぅ」
「惜しい?」
「私が殺せばよかったわ」
 ふふ、小さく笑めば、男が目を見開く。
「人を勾引(かどわ)かして姦そうとする男共など、私が皆殺しにしてやれば良かったのぉ」
 惜しい惜しい、本に、惜しい。
 何故あの時の私は恐怖に震えていたのだろう。
 殺せる力は、もう充分にあると云うのに。
 惜しい、惜しい。
 私の手で殺しておけば、悪夢は終わったかも知れないと云うのに。
 本当に、惜しい。
 喉をころころ転がして笑えば、男の目が細くなった。
 笑っていると気付いて、こちらもますます笑みが深くなる。
「壊れたかと思ったけど、正気だね」
「ほほほ……。この程度で壊れるほど軟な心は持っておらんよ」
「それは頼もしい。……ところでね」
 男がしゃがみ込み、私の顔を覗き込む。
 血で汚れているだろう顔に触れ、にぃと唇で三日月を描いた。
「私は悪い大人でね。君を善意で助けた訳じゃぁないんだ」
「ほ、ほほ、自己申告するとは殊勝じゃの。……何が望みじゃ」
 扇子が手元にあれば、広げて口元を隠している所だ。
 その代わり、着物の袖で口元を隠す。
 さて、何が望みか。
 もしや私を備前の子と知っての事やもな。
 下心の無い善意など、腹の足しにもならぬからな、その方が気分が良い。
 男の手がすりすりと、私の頬を撫でた。
「君の顔、とても私の好みでね。私を慰めちゃぁくれないかな?」
 云われ、きょとりと目を瞬かせる。
 あれあれ、この男も、死んだ連中と同じ目的か。
「……無理矢理でないだけ、良心的かの」
「あはは、そうだね」
「まぁ良いわ。助けて貰った礼じゃ。好きにせい」
 笑いながら云えば、今度は男が目を瞬いた。
「どうした? 致さぬのか?」
「いや……最初は拒否されるかなぁ、と思っていてね」
「抵抗する方が好みか?」
「そう云う訳じゃないけど。抵抗される方が好きだったら、こいつらと同じ事してるしね」
「それもそうか」
「……そこまで淡々とされちゃうとねぇ、驚くって云うか」
「萎えたか?」
「いや、逆に興奮してるよ」
「変態め。踏んでやっても良いぞ」
「それは御免こうむるよ」
 困ったように笑いながら、男が私の口を吸った。
 いきなりとは、無礼な男よ。



 − 舞い降りる花、一片(ひとひら)



 申し訳程度の窓から、桜が舞い込む。
 血溜まりに落ちた花弁が、とても綺麗に見えた。
(だから私は、自分は狂ってしまったのかも知れないと、思った)



 備前鶴ノ丞(十三歳)



「……ちーちゃん、何それ」
 俺の背中にくっ付いた一年坊主を指さして、小平太が云う。
 あぁ、これか。
「何か懐いた」
「そこは私の特等席なのに!」
「初耳だぞおい」
 俺の背中をてめぇにくれてやった覚えはねぇ。
 だが、小平太はぎゃーぎゃー喚く。
 ちーちゃんのおっきい背中は私のだの、無断でこの一年生がだの。
 おい、誰か長次を呼べ。小平太がご乱心だ。
「にーに」
 背中のちびが呼ぶ。
 何で俺が「にーに」なのか今一わからねぇが、一応返事をしてやった。
「何だ?」
「その人だれ」
「同じ組のダチ」
「ふーん」
 よじよじと人の背中を登り、ちびは俺の肩に自分の顎を乗せた。
 ぴたりと小平太が口を噤み、ちびと睨み合う。
 ……おい。入学したての一年生と、マジで睨み合うなよ。
「お前うるさい」
「な、何だとぉ?!」
「にーには僕のだから、お前どっか行け」
 おい、人の背中に張り付いたまますげぇ事云うなちび。
 つーか、何なんだこいつら。勝手に人の所有権主張し合いやがって。
 俺は若旦那の物だっつーの。
「ちーちゃん! こいつ超生意気なんだけど!」
「あー、そうだな。でも俺にはそうでもないからどうでもいいわ」
「ひどい! 私が詰られたのに! ちーちゃん冷たい!」
 四年生にもなってぴーぴー泣くな。
 本当に誰か長次呼べよ、と思った所で、耳元でぺっと云う音。
 それと同時に、小平太の頬にぺちゃと付いた液体。
 え?
 おい、ちょっと待て。
「うるさいばか。ふゆかいだからあっち行け」
 その言葉を聞くと同時に、ちびが小平太に唾を吐きかけた事実を悟った。
 まずい。
「……」
「だ」
「……う」
「誰か長次呼べええええええええええええッッ!」
「――があああああああああああッッ!」
 ブチ切れた小平太の相手なんざ、俺一人で務まるかよ!
 獣同然の声を上げながら、俺の背中に張り付いたままのちび目掛けて襲い掛かって来る小平太を避
ける。
 視界に入った文次郎を引っ張り無理矢理盾にすれば、雑巾を切り裂いたような悲鳴が上がった。
 許せ文次郎。こっちもちびの命が掛かってる。
 とにかく周囲を犠牲にしつつ逃げているうちに、長次が血相を変えて駆けて来た。
 助かった。
 ブチ切れた小平太にゃぁ長次の声しか効かないからな。
「……小平太……!」
「……っ、ちょーじいいいいいいいいいっ!」
 それまでの悪鬼羅刹の如き顔を一瞬で棄てて、小平太は子供のように泣きながら長次の元へすっ飛
んで行った。
 長次に抱きしめられたまま、びいびい泣いてこれまでの経緯を話す姿は、とても四年生とは思えない。
 お前、上級生の仲間入りしたんだから、もうちょい泣き虫な所治せよ。
 委員会じゃぁ既に「暴君」の綽名(あだな)を貰ってるくせに。外弁慶め。
 さて、小平太は長次に任せるとして。
「おいコラ、ちび」
「なに、にーに」
 ……ブチ切れ小平太に殺されかかったのに、平然としてられる神経は褒めてやっていい。
「あぁ云う事は相手選んでやれ。後、俺のダチに悪態つくな。不愉快だ」
 云えばちびはしょんぼりと眉尻を下げた。ついでにちょっと泣きそうだ。
「……ごめんなさい。もうしないから、きらわないで」
 ……何で俺相手には大人しいかね、こいつ。
 小平太に唾吐きかけるようなじゃじゃ馬の癖に。
「でも、にーにの背中はゆずらないよ。僕のだもん」
「へぇへぇ、勝手に云ってろ」
 耳を小指でほじりつつ適当に云ってやれば、ちびは頬を擦り寄せて来た。
 本当に懐かれてんな、俺。何でだ。特に何もしてねぇけど。
 あ、そう云えば。
「ちび、名前はなんつーんだ」
「伊賀崎孫兵」
「ふーん。じゃぁ孫、飯食うか?」
「たべる!」
 食欲がある事はいい事だ。
 さっさと食堂行って飯食おう。
 周りに死屍が累々となっているが、まぁいいや。長次に丸投げしてやれ。



 − 未来のわたしに



 中々前途多難な新学期だよ。面倒くせぇ。
(とりあえず伊作と留三郎に説教喰らうだろうこの後の俺、頑張れ)



 加藤千草(十三歳)



 学園長の庵にて、俺は大川平次渦正先生と膝を突き合わせていた。
 障子を閉め切っているせいで、庵の中は薄暗い。
 出された茶にも菓子にも手を着けないまま、俺は学園長の言葉を待っていた。
 かこんと、鹿威(ししおど)しが鳴った。
「……先日行ったテストの結果じゃが」
 それに釣られたかのように、学園長が口を開く。
 固唾を飲んで、次の言葉を待つ。
「実技、教科共に満点じゃった。……よく頑張ったな、大治郎」
 強張っていた体がほぐれる。内心で、安堵の息をついた。
 そうか。出来ていたか。
 ならば。
「では、お約束通り」
「うむ……」
 大仰に、学園長は頷いた。
「四年生より、授業は全て免除じゃ。だが、テストは必ず受けるようにな」
「はい」
「委員会については、お主に一任しよう。だが、火薬委員会が学園にとって無くてはならない物だと
云う事を、重々承知しておくように」
「はい、学園長先生。有難うございます」
 畳に手を付き、深々と頭を下げる。
 やっと此処まで来た事を思うと、感慨深い。
 だがこれは終わりでも区切りでもなく、始まりでしかない。
 ようやく俺は、出発点に立てたのだ。
「やれやれ……。本当に五年生用の進級テストで満点を取りおるとはな」
「……? 奥様に教わった事ばかり出題されましたので、特に問題は……」
「そうじゃったな。お前さんは特別だったわい」
 そう云って学園長は、いつものようにぶふぉと謎の笑い声を出した。
「あの山田夫人の直弟子だからのぉ。お前さんにとって忍術学園など、ままごとに過ぎんか」
「……いいえ。そのような事は、決して」
 確かに山の中で学んだ事に比べれば、ここはぬるま湯のよう。
 幼子は守られ、庇われ、血を見る事はなく、健やかに育つ。
 だがぬるま湯は徐々に冷えて行く。
 年を重ねるにつれ授業は過酷さを増し、人に生き死にに直接関わるようになる。
 冷え切った水に浸かる者達は、今の俺と変わらぬ存在。
「俺は皆より早く学んだだけに過ぎません。皆、行く末は俺と同じです」
「……そうじゃな。何、年寄りの戯言じゃ。忘れてくれ」
「はい」
「して大治郎。この件は、半助にも伝蔵にも伏せる、と云う事で良いのだな?」
「はい。無用な心配を掛けたくはありませんし、元は俺の問題です。お二人を巻き込む事は、本意で
はありません」
「そうか……。では、わしとお前の秘密、と云う事にしておこう」
 どこか楽しげに、けれども悲しげに、学園長は笑った。
 庵から出た後、真っ直ぐ委員会へと向かう。
 焔硝蔵へ出向けば、師範も兵助も、先輩方も既に居た。
 目敏い兵助が俺を見つけ、笑顔で駆け寄って来る。
 飛びついて来た兵助を受け止めれば、ぎゅうぎゅうとしがみついて来た。
「先輩! 大治郎先輩! 俺、今期も火薬委員です!」
「そうか」
「はい! 今年もお願いします、大治郎先輩!」
「あぁ、宜しく」
 楽しげに笑う兵助と手を繋いで、笑っている師範と先輩方の元へ向かう。
 見慣れた光景。
 自分には似合わない、優しい世界。
 繋いだ手の温度は分からないが、優しさだけは痛いほど分かって。
 そこでふと、涙が出そうな事に、気が付いた。



 − 夢幻泡影



 結局流れ出なかった、それは。
(此処は優しい夢なのだと、俺は分かっていたのに)



 下関大治郎(十三歳)



 ふと、他人様の気配が致しました。
 屋根の上でのお昼寝はお家では安全でしたが、忍術学園では見つかってしまいますね。
 さて、どなたでしょう。
 あまり覚えのない気配ですけれど。
 つらつら、そんな事を寝惚けた頭で考えていましたら、唇にむにゅと柔らかな感触。
 あれ?
 今、僕、もしかして、接吻されましたか?
 そろそろ、目を開きます。
 嗚呼どうしましょう、あまり覚えのない気配ですから、見知らぬ方でしたら怖いです。
「あら、もう起きちゃったのね」
「シナ、先生?」
「うふふ、晴次君、寝顔も無防備で可愛いわね」
 そう云って妖艶に微笑む女性に、引き攣った笑みが浮かびます。
 女性は皆さん好いておりますが、この方だけは別です。
 底が知れないと云うか、得体が知れないと云うか。
 お母様とは別の意味で、”怖い女性”そのものだと思うのです。
「えっと、おはようございます、シナ先生」
「はい、おはよう」
「……あの」
「なぁに?」
 赤い唇が弧を描くように、笑みを作ります。
 とても、とてもお綺麗なのですが、やはり、その、怖いです。
 蛇を前にした蛙って、こう云う気分なのでしょうか。
「……何でもありません」
 先程の感触の正体を確かめようと思ったのですが、怖いので止めておきます。
 三春さん方に口付けられたならば素直に喜べるのですが、シナ先生相手は怖いです。
 あれは指だったんだと思う事にしておきましょう。
 その方が僕自身の為です。
「あらあら、何だか元気がないわね?」
「そのような事ありませんよ……。ただ……」
「ただ?」
 にこり、また、お美しい笑み。
 ……貴方が怖いとか、云えませんよね、はい。
「……シナ先生がお美しすぎて、緊張しております」
「あら、お上手」
 口元を手で隠されながら、鈴を転がすような声で上品に笑われるシナ先生。
 えぇ、本当にお綺麗ですよ。
 たとえ年齢不詳でも。
 得体が知れなくとも。
 此処まで自然にお美しいのは、素晴らしい事です。
「……貴方が来てから、うちの子達変ったわ」
 突然のお言葉に顔を上げれば、シナ先生は変わらず微笑んでいらっしゃいました。
 けれど、何故でしょう。
 この、底冷えするような、鋭利な、――殺気は。
「男は弄ぶ物、操る物、欺く物……そう教え込んできたのに、貴方はあっさりそれを壊してしまった」
「……」
「貴方の存在って、私達にとっては危険ね。ただでさえ女は恋に惑うと云うのに、貴方のように女を
惹き付ける存在がいたら、仕事にならないわ」
「それは……」
「分かってる。貴方のせいじゃないの。貴方は悪くないわ。……でもね」
 ひんやりと、冷たい物が首に当てられました。
 あの、これ、短刀、ですよね。
 これって、僕、かなり不味い状況ですよね。
 ……生命の危機ですよね?
「貴方が居ると、くのたま達が駄目になってしまうの。だから……」
「僕に死ねと、仰るのですか?」
 それは、あんまりな気がしますけれど。
「……ふふ、そうね。最初はそのつもりだったのだけれど」
 わぁ。さらりと怖い言葉を告げられたのですが。
 誰でもいいから助けて下さいませんかね。
 正直泣きそうですよ僕。
「やっぱり、止めておくわ」
「……有難う御座います」
「あら、お礼云われちゃったわ」
 くすくす、シナ先生が笑います。
 止めておくと云いつつ、まだ短刀は僕の首元。
 いつ刃が引かれ喉が裂かれるか、気が気ではないのですが。
「その……」
「なぁに?」
「……止めた理由を、お聞きしても宜しいですか?」
「あら、聞きたい?」
「えぇ、まぁ、一応は」
 今後また、シナ先生が僕を邪魔だと判断した時の為に。
 逃げ道は確保しておきたいのですが。
「……貴方の可愛い顔に免じて、としておくわ」
「……左様で」
 うん、一つも参考になりませんでした。
 次に命を狙われた際、僕は逃げ切れるのでしょうか。
「それともう一つ」
「はい?」
 すいと、シナ先生の顔が近づき、ちゅ、と音を立てて。
 僕に接吻なさいました。
「死んだ貴方と接吻しても、つまらなそうだからかしらね」
「……左様で」
 それ以外、僕は何も云えません。云えませんとも。
 嗚呼、やはり、やはり、先ほどの感触は。
「またしましょうね、晴次君。私、貴方の唇も好きだわ」
「……光栄です、シナ先生」
「あら、こんな時に先生なんて、無粋ね」
「光栄です、シナさん」
 呼び名を変えて繰り返せば、シナ先せ……シナさんは満足げに微笑んで短刀を仕舞われました。
 ……僕の命って、結構、綱渡りだったんですね。



 − 女神のくちづけ



 唇にべったり赤い紅を付けたままでうっかり教室に戻ってしまい、それなりの騒動になりましたが。
 それはまぁ、別のお話と云う事で。
(あの方の口付けは、柔らかくも冷たいように、思えました)



 鳴瀧晴次(十二歳)



 泣かないで勘右衛門。
「止めて止めて晴次もうやめて死んじゃうその人死んじゃうよぉ!」
 泣かないで勘右衛門。
「止めてよ! 誰か! 誰か来て!」
 僕、貴方の泣き顔はとても好きですが。
「誰か晴次を止めて!」
 他の男に泣かされた顔は。
「誰か!」
 いっとう、大嫌いです。
「ねぇ、先輩。貴方、何をされたか理解されてますか?」
 だから貴方もいっとう嫌いです。
「僕の勘右衛門に勝手な事をして」
 ねぇ、何をしましたか、貴方、僕の勘右衛門に何をしましたか。
「挙句泣かせるなんて」
 縄の跡が痛々しい、赤い頬が痛々しい、まぁるいお目目に溢れた涙が痛々しい。
「死ぬ覚悟はおありですか?」
 未遂だなんて、云い訳にもなりません。
「先輩? おや、もう”いけません”か?」 
 勘右衛門を泣かせて良いのは。
「……なら、もう、いりませんよね?」
 くのたまのお姉様方と、僕、だけなんですから。
「さようなら、先輩。名前も知らぬ方」
「……! 誰か来てよおおおおおおおおおッッ!」
 嗚呼、そんな大声を上げては、喉が擦り切れますよ、勘右衛門。
 ばたばたと忍術学園に似合わない足音が聞こえます。
 手に持った苦無を振り上げます。
 勘右衛門の泣き声が響きます。
 襖が勢いよく開かれる音がします。
 数人の方々が息を飲む音が聞こえます。
 喉元目掛けて苦無を振り降ろします。
 甲高い悲鳴が聞こえました。
「馬鹿!」
 喉を切り裂く寸前で、腕を掴まれてしまいました。
 嗚呼、どなたですか、邪魔をされるのは。
「目ぇ覚ませ! 何やってんだ晴次!」
「バカタレ! 殺す気か?!」
 おや、留三郎先輩、潮江先輩。
「邪魔しないで下さい」
「あ゛ぁ?!」
「この人はいけない事をしました。だから殺さなくてはなりません」
「お前、何云って……!」
 あ、伊作先輩、どうしてその人連れて行ってしまうのですか。
 まだ殺してませんのに。
「家の掟です」
 殺さなくては。
「自分のいっとう大事なものが傷付けられたら」
 お云い付け通りに。
「危害を加えた者を殺しなさいと」
 始末を付けねばなりません。
「でなければ、また傷付けられてしまいます」
「……おま、え」
「どうかお放し下さい。あの人に情けは無用です」
「……放せるか、バカタレ」
「お放し下さい。あの人を殺さねば、掟が守れません」
「……此処はてめぇの家じゃねぇ! 忍術学園だ! 生徒なら、学園の作法に従いやがれ!」
 おや、加藤先輩。貴方まで。
「学園の作法ならば、あの人はどうなります」
「……反省室行きだ。反省の色が見えれば条件付きで解放、無ければ退学だ」
 なんて生ぬるい対応。
 それで許されるのならば、傷付けられた勘右衛門はどうなります。
 僕のこの憤りは、どこへ行くのです。
「……とにかく、殺すのは止めろよ」
 泣き出しそうな声で、留三郎先輩が仰います。
「お前がやんなきゃならねぇのは、あの馬鹿殺すこっちゃねぇ。……そいつを慰めてやる事だろ」
 そう云って潮江先輩が示されたのは、泣き崩れている勘右衛門でした。
 云われるまま近づけば、勘右衛門は僕にしがみついて来ました。
 どうしたのでしょう。
 今まで一度も、貴方から僕に触れた事など無かったのに。
「ふ、ふぇ、うえぇ、はる、はるつぐ、はるつぐ……」
「泣かないで下さい、勘右衛門」
 あんな男に、泣かされないで。
「おれの、おれのせいで」
「勘右衛門?」
「はるつぐが、人殺しになっちゃ、いやだ……」
「……」
 だから泣いているのですか? だから泣いていたのですか?
 僕の手が汚れる事を厭って?
 嗚呼、良かった。
 あの男に泣かされたのではないのですね。
 貴方は僕に泣かされているのですね。
 良かった。
 良かった。
 貴方の涙は、まだ、僕だけのもの。



 − 戻れない日常



 勘右衛門の頭を撫でながら、うっそりと微笑んだ。
(きっとこれは、日常の延長線)



 鳴瀧晴次(十二歳)