嗚呼腹立たしい。
 こちらはあんなにあんなに焦がれて居たと云うのに。
 声を掛けたらにっこり笑顔を向けられて。
 期待が胸いっぱいに膨らんだ瞬間、「初めまして」と云われたこの気持ち。
 僕は君の一言に、酷く、酷く、傷付きました。
 どう責任を取ってもらいましょうか。
 頭の中の冷静な部分が、「今は目を閉じているのだから仕方がない。彼は僕の目は鮮烈に覚えてい
ても、姿かたち全部まで覚えてはいないだけだ」と宥めて来るのですが。
 鳴瀧の血筋ゆえでしょうか。
 そんな「正論」、鼻息で吹き飛ぶくらい軽いです。
 嗚呼、やはり僕もお母様の息子。
 色恋に関してこんなに激情するとは、知りませんでした。
 鳴瀧の人間って、何故こんなにも色恋が絡むと駄目なのでしょうか。
 やはり人間如きに恋した龍の神様と、人間で無い者を受け入れた女の人の血筋ゆえなのでしょうか、
お祖父様。
 目の前で無防備ににこにこ笑う子供が、堪らなく愛おしく、堪らなく憎らしいです。
 愛憎一体とはこの事でしょうか。
 その笑顔をもっと深めてみたいとも思いますし、涙で濡らしてやりたいとも思います。
 相反する感情がせめぎ合います。葛藤します。
 ですが一つだけ、すんなりと決意出来ました。
「尾浜くん、少々こちらへ」
「なぁに?」
「大切なご用事があります」
 とりあえずこの子供が、よそ見をしないようにしなければ、と云う事です。
 僕に気付かないと云う事も腹立たしいですが、気付かないまま他の誰かに盗られるなどと云う事に
なったら、僕は耐えられる自信がありません。
 しかし目を開けてやるのは癪です。お祖父様とお母様との約束で、目は開けてはいけない事になっ
ておりますし。
 何でも、この青い目を下賤な民草に見せてはならないとか。僕にはよく分かりませんが、神様の御
血筋である僕らは特別な人間なのだそうです。
 何が特別なのか、僕には分かりませんが。
 手を握ればお互い温かいですし、流れる血は赤いのに。
 皆同じ人間です。
 ですがお祖父様とお母様のお云い付けを破る訳には参りません。閉じたまま、六年間を過ごして見
せましょう。
 適当な部屋に彼を連れ込み、奥へと誘います。
 灯りのない部屋は薄暗く、尾浜くんは不安そうな顔を隠しもしません。
 今なら獲物を前にした獣の気持ちがわかります。
 これは、楽しい。
 まるで生殺与奪権を掴んだと錯覚してしまいそうです。それはちょっと倒錯的ですね。
「ね、ねぇ、鳴瀧くん? 此処に何の用があるの?」
「ご用があるのは貴方の体です」
 え、と目を見開く彼を突き飛ばせば、ころんと畳みに転がりました。あっさり倒れてくれますね。少し
くらい抵抗していただいても宜しいのですが。
 倒れたまま目を白黒させている尾浜くんの上にのしかかり、着物を脱がしにかかります。彼はまだ
状況が分かっていないのか、無抵抗のままです。少し罪悪感がありますね。
 袴の手を入れれば、ようやく尾浜くんが慌て出しました。混乱しきった様子で喚くものですから、誰か
来たら面倒だと思い彼の頭巾を口へ押し込みました。
 それでもまだ暴れるので、両手も縛ってしまいましょう。こちらには自分の頭巾を使います。
 涙を流しながら必死な表情でこちらを見る尾浜くんを見下ろして、僕は思わず首を傾げてしまいまし
た。
 此処までしておいてなんですが。これで正解なのでしょうか?
「相手の心を掴みたいなら、まず体を貰って御仕舞いなさい」、と晴実(はるざね)お姉様も仰っていま
したから、これで間違いないはずなのですが。
 お母様にして頂いていた事を彼にもして上げれば善いのでしょうか。失敗しました。体の貰い方につ
いてもご教授願うべきでした。
 鳴瀧の人間は早熟ですから、僕はもう精通しておりますが、彼もそうとは限りませんし。
 まぁ、後でお母様に御手紙でお聞きすれば善い事です。
 とりあえず、致してしまいましょうか。



 − 旅の果て



 せっかく見つけたのですから、手に入れなければ勿体ないでしょう?
(だって初恋なのですから)



 鳴瀧晴次(十歳)



 子供は面倒な生き物だ。
「う、ひっく……うう……」
「泣くな」
「うぇぇ、……ひっく、……ごめんなさ、ごめんなさい……」
「怒っていない、泣くな」
「ふぇ、ふえぇぇぇ……」
 どうして泣く。怒っていない、俺は、何もしていないのに。
 突き飛ばした訳でもない、殴った訳でもない。
 なのに、何故泣く。
 騒ぎながらやってきた一年生の集団。
 焔硝蔵は俺と師範の場所だったから、酷く煩わしかった。
 けれど、学校行事の一つだからと我慢した。蔵の梁の影に隠れて、やり過ごした。自分とて入学した
て頃、あぁして教師に率いられ同じ組の奴らと学園の施設を巡ったのだから。
 ようやく喧しい声が遠のき、ほっと一息ついた所で、一つだけ気配が残っていた。
 何だろうと思い、梁の影から下を覗き込んだ瞬間。
 今こうして泣いている生き物と、目が合った。
 睫毛の長い、白い肌の生き物。
 あ、と思った瞬間、その生き物は顔を真っ青にさせて、小便を漏らした。
 それから、ずっと泣いている。
 何故泣く。意味がわからない。
 確かに、湿り気厳禁の焔硝蔵で小便を漏らしたのは悪い事だ。だが、地べたに置いてある火薬壺を
避難させた後、裏の井戸から汲んで来た水で洗い流したから、問題はない。そのうち乾く。
 汚れた服は脱がせた。普通の子供は、濡れたままの服を着ていては風邪を引くらしいから。俺の上
着だけでは寒いかも知れないが、袴まで貸す訳には行くまい。汚れた服は洗濯して干してある。今日
は天気も良く風もあるから、すぐ乾くだろう。
 何が悪い。きちんと、対処したはずだ。
 なのにこの生き物は泣く。
 どうしてだ。
 困り果てて、「師範を呼んで来る」と云って立ち上がれば、袴をぎゅぅと握られてしまう。動けない。袴
を脱いで行けばいいだろうが、褌一丁で歩き回ると師範が怒るに違いない。
 それも困る。
 仕方なしに、ずっと泣いている生き物の側に座る羽目になった。
 もう少しすれば、委員会活動にと師範が来るはずだ。それまでの辛抱だと、己に云い聞かせた。
 生き物は泣き続けている。
「う、うっく……ひぅ……」
「……何故泣く」
「う、だ、だって、せんぱいに、めいわく、かけて」
「俺は気にしていない」
「ぼく、ぼく、一年生なのに、おもらし、して」
「子供は垂れ流す生き物だと奥様が仰っていた。気にするな」
「みんなに笑われちゃう……」
「何故。みんなとやらは此処に居ないだろう」
 どうして笑われると云うのか。意味が分からない。
 泣いている生き物は恐る恐る顔を上げた。
「……せんぱい、云いふらさないんですか?」
「? 何をだ」
「ぼくが、ここで、おもらししちゃったって……」
「云う必要性が分からない」
 わざわざ他人に云う事なのだろうか。いや、一応師範には報告するが――焔硝蔵での粗相だから――、
云う触らすには当て嵌まらないだろう。
 子供が、ぽかんと間の抜けた顔でこちらを見ている。長い睫毛に、涙の滴が光っていた。



 − 小さな手のひら



 こちらの手を握って来た手は小さい。
 その手よりさらに小さな声で、「ありがとうございます……」とお礼を云われた。
(子供はよく分からないが、小さな手の平は、悪くない)



 下関大治郎(十一歳)



 寒い。
 寒い。
 どうしてだろう。
 もう春も中頃で、此処の所御天気が続いている。
 私は忍び装束の上に打ち掛けを羽織っているから、他の皆より温かい、はず。
 なのに。
 寒い。
 どうしてだろうか。
 寒いな。
 人肌恋しくなるとは、こう云う時に使うべき言葉だろうか。
 嗚呼、人と云えば。
 最近、立花と潮江と話していない。
 どうしてだろう。
 別に、避けてなどいないのに。
 どう思われたって構わないって思ったのに。
 信頼なんて無くても、側に居られればそれだけで。
 嫌われていても、疎まれていても、別に、私は。
 気にしないのに。
 どうしてだろう。
 上手く、行かない。
 家ではちゃんと、出来ていたのに。
 君たちの事は、分からない。
 分からない。
 どうしてだろう。
 人の心を読むのは、得意なのに。
 嗚呼、もしかして。
 顔を見るのも厭になるくらいに、嫌われたのだろうか。
 これでも、頑張ってみたのだけれど。
 勉強も、実技も頑張って、君らの手を煩わせないように、したけれど。
 移動授業の前に、わざと声を掛けて貰っていたのも、煩わしいかも知れないと、止めたのだけれど。
 人前で世話役達を使うのも、控えてみたのだけれど。
 どれも、意味は無かったのか。
 なら、仕方がない。
 好かれないのなら、避けられても仕方がない。
 私も嫌いな親戚らを避けているのだし。
 仕方がない。
 嫌われているのだから。
 嫌われた、私が悪いのだろうから。
 仕方がない。
 それにしても、寒い。
 どうしてだろう。
 寒い。
 寒い。
 ……寒い。
「おつるせんぱい」
 呼ばれ振り向けば、狐のお面を被った一年生。あぁ、今年の一年生は濃紺色だったか。深緑より闇
に溶け込みやすそうで、羨ましい。
「おぉ、三郎君。私に何ぞ用かえ?」
「いいえ、特にご用はありません」
 そう云いながら、一つ下の後輩は足音を立てずに近寄って来る。生まれた家が忍びの家系らしく、入
学した当初から忍び歩きが出来る子だった。
「でも、せんぱいがお寒そうでしたので。ぼくのお手手を貸して差し上げます!」
 明るい声でそう云って、小さな手の平を差し出して来た。
 おやおや、傍から見ても寒そうに見えたのか。何だか気恥かしい。
 だが嬉しい申し出だ。可愛い後輩の頭をよしよしと撫でてから、その両手を取った。子供らしい温度
に自然と顔が緩む。
「三郎君の手は温かいのぉ」
「せんぱいのお手手は冷たいです」
 悲しげな声で云われた。何だか申し訳ない気持ちになる。
「せんぱい、寒くなったらぼくにいつでも云ってくださいね。あたためて差し上げます!」
「ありがとう、三郎君」
 優しい後輩を持ったものだ。学園の通例で、一年と二年は仲が悪くなるものだと聞いていたのだが。
私は運が良いのだろう。
 自然と頬は緩み、手は温かさを取り戻していく。
 けれど、体の芯は冷えたままで。



 − 氷柱石(つららいし)の迷宮



 この寒さはどうした事だと思いながら、ふるりと一度、体を震わせた。
(まるで、氷を抱いているかのようだ)



 備前鶴ノ丞(十一歳)



「加藤君」
 呼び止められて振り返れば、あまり馴染みのない教師が立っていた。誰だったか。あぁ、そうだ。
一年担当の教師だ。組は忘れたが、実技を教えていたような気がする。
「何か?」
「君、あの子と仲が良かったね?」
「あの子……?」
 誰かと首を傾げれば、忘れたくとも忘れられない男の名を告げられた。
 今年の春に卒業した、生物委員会委員長の名。
 顔が感情のままに歪みそうになったが、耐える。教師の前でしかめっ面をする訳にも行かない。
 だが、これだけは云っておかなくては。
「同じ委員会でしたが、親しく付き合っていたつもりはありません」
「そうか……。だが、あの子たっての望みらしくてね。受け取ってやってくれ」
 そう云われ手渡されたのは、見覚えのある根付けだった。鮮やかな色合いの紐に、緑色の石が付
いたそれは、あの男が常に身に着けていた物だ。
 厭な感覚が、脳を走り抜けた。
 まさか。
 そんな。
 だって、――あいつは。
「本当は、下級生に告げてはいけないのだけれど」
「……」
「それを届けてくれたのは、あの子の同僚だと云う人でね。詳しくは教えて貰えなかったけれど、些
細な小競り合いの際に――」
 云うな。
 聞きたくない。
 いや、俺は、聞くべきなのか。
「巻き込まれそうになった子供を庇って、亡くなったそうだよ」
 云われた瞬間脳裏に浮かんだのは、大口開けて下品に笑うあの男の顔だった。
「……――」
 何だ、それは。
 子供を庇った? 何の冗談だ。
 あの糞が付くほど最悪だった男が、子供を庇って死んだ?
 嘘だろう、それは。
 そんな訳がない。
 そもそも、あの男がそう簡単に死ぬわけがない。
 こちらが本気で抵抗しても捩じ伏せた男だ。性格は最悪でも、強い男だったのだ。
 それが、死んだと、云うのか。
「それを届けてくれた人、あの子の最期を看取ったらしくてね。あの子から「忍術学園に居る加藤千
草に渡してくれ」って託されたそうだよ」
「……本当、に」
 死んだのか。
 そう云いたかったが、声が出ない。
 教師は少しだけ泣きそうな顔をした。
「それは、あの子の御母上の形見でもあったから……大事にしてあげてくれ」
 こちらの肩を軽く叩いて、教師は去って行った。
 今思い出したが、あの教師はあいつの担任だった。だから、か。
 手の中にある根付けを見る。
 下品な癖に品の良い物を持ってるな、と詰ってやった事を思い出した。
 その時、あの男はどんな顔をしていたか。思い出せない。
 紐の部分に、赤黒い染みを見つけて―――戦慄する。
 あの男は、強かったのだ。
 少なくとも、俺よりはずっと。
 俺の中であの男は、ある意味「絶対者」だったと云うのに。
 死んだのか。
 あんなに強くても、……死ぬのか。
 あの男ほどの強さでも死ぬならば、俺とて容易く死ぬだろう。
 ならば、俺よりさらに弱い、若旦那は?
 俺は、この乱れる世の中で、若旦那をお守り出来るのか?
 容易く人が死ぬ、世界で。
 守り抜く事が、出来るのか?



 − 天に託した贈り物



 胸に湧き上がったのは、紛れもない、恐怖だった。
(男が何を思い、俺に形見を託したのか、考えもせずに)



 加藤千草(十一歳)



「だって、あたし、この子に酷い事、出来ないわ……」
 両手で口を押さえ、潤ませた目でこちらを見ながら、一つ上の少女が云いました。
 それを聞いた方々が、示し合わせたように僕の方を見ます。
 しかし、僕はなんと云えばよいのでしょうか?
 今日は組の皆さんと一緒に、くの一教室へ訪れました。新入生歓迎会をして下さるとの事で、皆さ
ん浮足立っていらっしゃいました。僕も同じ年頃の女性と会うのは初めてだったので、とても楽しみだっ
たのです。
 僕たちを迎えてくれたのは、一つ上のくのたま――くの一のたまご、の事です――の皆さんでした。
最初の御挨拶を済ませ、一人の忍たまにつき一人のくのたまが連れ添い、くの一教室を案内して下
さったのです。
 わざわざお時間を割いて下さって、有難い事だと思いました。
 僕を案内して下さったのは、三春さんと云う方でした。ふわふわした淡い色の髪と笑顔が愛らしい
お姉様です。
 三春さんは僕をお部屋へ案内し、お菓子とお茶で持て成して下さいました。
 この時、どこからか悲鳴が聞こえたような気がしましたが、三春さんは気のせいだと仰っていまし
た。
 学園の事や先生の事、これからの事、一年長くいらっしゃった分、とても物知りで、僕は静かに拝
聴させて頂いたのです。
 とても楽しい時間でした。断言出来ます。
 その後御庭を見て回り――この時は、池に何か落ちる音がしたような気がします――、くの一教室
が育てる花々を見せて頂き――この時も、悲鳴を聞いたような気がします――、最後は三春さん方
が勉強していらっしゃる教室を見せて頂き――この時は、がたんばたんと慌ただしい音がしたような
気がします――、楽しい時間は終わりました。
 そして集合場所へ戻ってみれば、組の皆さんが変わり果てた姿でそこに居たのです。
 ある方は怪我を負い、ある方はずぶぬれ、ある方はお腹を押さえて苦しみ、ある方は気絶していま
した。
 何事かと目を白黒させる僕に向かって、くのたまのお姉様が叫びました。
「ちょっと三春! どうしてその子無事なのよ?!」
 そして冒頭に戻る訳です。
 えぇと、とにかく、この状況がどう云う事なのか知らねばなりませんか。
「先生……、あの、状況がつかめないのですが……、皆さんは何故、このような御姿に……?」
「あ、あぁ。そのな、今日は「くの一の怖さを知る」って云う授業だったんだが……」
 先生も困惑しきった様子で、僕と三春さんを交互にご覧になります。
 何気なく三春さんに顔を向ければ、彼女はぽっと頬を赤らめて俯いてしまわれました。
 何故?
「ちょっとあんた! 三春に何したの?!」
 最初に声を上げたお姉様が――緑がかった美しい黒髪に強気な眼差しの綺麗な方です――、僕に
掴みかかって来ます。
 何をと云われましても、普通にお話してお散歩していただけでして。
「だめよ千夏ちゃん!」
 胸倉を掴まれる寸前、僕の前に三春さんが滑り込みました。
 これは……女性に守られてますよね、僕。
 一応武家の出として、情けない気がします。
「み、三春?」
「晴次君をいじめたら、あたしが許さないわ!」
「三春?!」「どうしたって云うのあんた?!」「熱でもあるの?!」
 ざわざわ、くのたまのお姉様方がざわめきます。
 千夏と呼ばれたお姉様が、僕を睨み付けてきます。凛々しい眉と切れ長な瞳が、とても美しいです。
 あまりに美しいので見つめていたら、千夏さんの頬が、ぽっと赤くなりました。
 あれ?
「そ、そうね。あ、あたしも、この子、いじめられないわ……」
「千夏ぅ?!」
 すすす、と僕の隣に歩み寄り、頭を抱き寄せ頬ずりをしながら千夏さんが仰います。
 えぇと、つまり。
 僕、今、どうなってるんですか、これ。
「千夏ちゃんなら分かってくれると思ったの!」
「あたしが馬鹿だったわ三春……! この子、滅茶苦茶可愛い……! 虐めちゃダメよね、守らなきゃ
いけないわ……!」
「ええええ……」
 今のは僕です。
 可愛い? 僕って、可愛いんですか?
「三春も千夏も! どうしたって云うのよ! くのたまの矜持、忘れたの?!」
「忍たまは等しくいじめるべきよ! 忍たまに手玉にとられるくのたまなんてくのたまじゃないわ!」
 なるほど。くのいちの怖さとは、忍者の三禁、色の事ですか。
 つまり、組の皆さんはくのたまのお姉様方の色香に惑わされて、痛い目に遭ったと。
 女に惑うと痛い目に遭うぞ、と云う実習でしたか。なるほど。
 じゃぁ、何故僕は無事なのですか?
「だって秋桐(あきぎり)も冬菊も、この子を見て御覧なさいよ! ぜえええええったい、いじめたり出来
ないわ!」
 云われた二人のお姉様――茶色の髪を三つ編みにした睫毛の長い方と、黒い髪をざっくばらんに切っ
た丸い御目目の方です――が、僕に歩み寄っていらっしゃいます。
 先程の千夏さんと同じようにしばし見つめ合い――ぽっと、二人の顔が赤くなりました。
 ……あれ?
「そ、そうね! たまには例外があってもいいわよね!」
「た、確かに、例外も認めるべきだわ! だってこんなに可愛いんだもの!」
「ええええええ……」
 今のも、僕です。
 あれ、あれあれ。
 何でしょう、これ。
 何故僕は、四人のお姉様方に囲まれて、頭を撫でられたり手を握られたり頬を突かれたり頬ずりされ
たりしているのでしょう?
 助けを求めるように先生の方を見れば、困惑しきった顔をされるだけ。
 もうお一人の先生――くの一教室のシナ先生を見れば、あらあら、と苦笑していらっしゃいます。
「色の怖さを教えるつもりが、こちらが教えられちゃったかしら?」
 いえ、あの、えっと?
 つまり、どう云う事なんですか?



 − 永遠(とわ)の恋歌



 とりあえず。
 後で先生の部屋に遊びに来ない? との御誘いは、何故か怖いのでお断り致します。
(僕を囲んで、お姉様方が微笑む。まるで、恋しているかのような、甘い笑顔で)



 鳴瀧晴次(十歳)