「おめーは何やってんだ」
「見て分からねぇのかよ。眼球死んでんじゃねぇの」
「ほんっっとに可愛くねぇなおめーはよぉ!」
 うるせぇ黙れ色情狂。俺は餌をやるのに忙しいんだよ。
「……この前熊拾って来たと思えば、次は鴉かぁ。モノ好きな野郎だよ」
「獣が好きなだけだ」
 畑で捕って来た青虫を、必死になって口を開く雛へ与える。餌が虫で済むのは有難い。熊は肉を食
うから捕って来るには手間がかかるし、買うには高い。
 それでも、見捨てる気はないが。
「あの熊ぁ手懐けてどうすんだ? 俺にけしかけんのか?」
「んな事するか。あのままだと死んじまうから世話してるだけだ」
 どうせなら俺の手で殺したいしなこの糞野郎。
「へっ、慈悲深ぇこった。自分の面倒みるのに手一杯の餓鬼が、何守るってんだかねぇ」
「うるせぇなさっきから。てめぇに迷惑なんざ掛けてねぇだろ。口出すな糞が」
 手当ても餌も自分でやった。飼育小屋だけは技術が無かったから用具委員会に頭を下げたが、木
材は自分で持って来たのだから文句を云われる筋合いもない。
「へぇ、云うじゃねぇの。本当に迷惑かけてねぇって思ってんのかよ?」
「……」
 よくよく考えれば、用具委員長から余計な仕事をさせるなと、こいつに苦情が来たのかも知れない。
ならば、迷惑を掛けた事になるだろうが。
 そんな細かい事を一々気にする奴だったか、この糞は。
 ふんと鼻から息を吐いて、委員長が胸を張った。
「俺に足開く回数減ってんじゃねぇかよ。ふざけんなよ糞餓鬼」
「お前本当に死ねばいいのに」
「止めろその犬の糞を見るような目は止めろ! 委員長命令だ!」
「うぜ」
 二文字で吐き棄てて、二羽の雛へと目を向ける。ギョロロロロロ、ギョロロロロロと奇怪な鳴き声を
上げているが、此れは恐らく甘えているのだろう。箸で摘み上げた青虫を与えれば、またギョロロロ
ロと鳴く。
 どれくらいで腹がいっぱいになるのだろうか。そろそろ手持ちが少なくなって来た。また畑へ行かな
ければならない。
「餓鬼ぃ、手伝ってやろぉか?」
「何を」
「鴉の世話」
「いらねぇから出てけ。うぜぇんだよいい加減」
 何だってこの野郎は俺に構うのか。本当に稚児趣味か。女に興味ねぇってか。こんな糞野郎が女
に手ぇ出したら出したで即孕ませそうだから、孕まない男の餓鬼やってる方が世間の為かも知れねぇ
が、俺にはいい迷惑だ。
 かと云ってダチに手を出されても困る。同組は良い奴らばっかだから、こんな糞の餌食にされたら
可哀想だ。他の組の連中はよく知らないが、見ず知らずの連中が餌食になるのも後味が悪い。
 なら俺が咥え込むしかねぇってか。……不愉快だ。
「本当に口減らせよ餓鬼ぃ」
 ひょいと、手の中にあった青虫入れと箸が取られた。またこの展開か。何だってこいつは本当に俺
の邪魔しやがるんだ。この前月子(つきこ)――熊の名前だ――と遊んでた時も突然来て邪魔して来
やがった。本気うぜぇ。実力差が無けりゃ殺してんのに、こんな野郎。
 肩を掴まれて引き倒される。前と同じ展開。いい加減飽きて来た。
 口を吸われ舌を入れられるのも、上から順に忍び装束を脱がされるのも、歯型付けられるのも一
緒。ならこの後の展開も一緒だろう。
 もっと別の事しようと思わねぇのかね。変化のねぇ野郎だ。
 面倒臭くなって目を閉じようとした所で、鴉の雛達が騒いでいる事に気付いた。甘えた声ではなく、
まるで威嚇しているかのような声。
 目を向ければ、二羽が必死に俺を見ながら、鳴いていた。



 − ささやかな幸せ



 そうだ、名前は、八汰(やた)と八逆(やさか)にしよう。
 かっこいいだろ。大事にしろよ。
 お前らの名前だからな。
(欲を向けて来ない獣との触れ合いだけが、唯一の)



 加藤千草(十歳)



 生徒らの私への反応は、綺麗に分かれた。
 まずは媚びて来る者。備前の財力や学園経営の根本に関わっている事を考えれば、まぁ当然と云
えるだろう。
 甘い汁が吸いたい、御こぼれが欲しい、コネが欲しい、そんな思惑が透けて見える顔は滑稽で、思
い切り馬鹿にしてやったものだが。
 親戚どもの馬鹿面に一番近いのがこいつらか。
 次は悪意を向けて来る者。金持ちのお坊ちゃんが何しにきやがった、此処は遊び場じゃねぇと、自
分らが抱くちっぽけな矜持を掲げ悪態をつく。それもまた滑稽。
 金持ちお坊ちゃんだからどうした。私の抱く覚悟も何も知ろうともせず、知ったかぶり貶めようとする
輩の濁った正義感に失笑すらした。
 まぁ、侮って掛かって来るならば足元を抄ってやるのは簡単だ。
 最後は、無関心な者。私自身に無関心、私の家に無関心。
 こいつらと付き合うのが、今の所一番気が楽だった。
 媚も無く、悪意も無く、ただ私個人を見る者は好ましかった。だから、自然と友になった。
「備前、何してんだ」
「置いて行くぞ」
 ぼんやり窓の外を見ていた私に、友となった二人が声を掛けて来る。
 潮江文次郎。
 立花仙蔵。
 少年らしい幼い顔立ちの童と、少女のように愛らしい顔立ちの童。
 今のお気に入りはこの二人だった。
「すまんな。次の授業は何だったかのう?」
 謝って立ち上がり、側へと駆け寄るついでに空っとぼけた風に聞く。すると潮江は「またお前は……」
と呆れたようにため息を着いた。
「火縄銃の授業だろ。昨日あれだけ楽しみにしてたくせに、忘れたのか?」
「おぉ、そうじゃったそうじゃった」
 待ちに待った火器の授業。忘れる物か。予習とてしてある。
 私の家は交易商。基本は南蛮渡来の装飾品や宝石類、布などの扱っているが、最近は武器関係に
も手を付けている。私が火器について学べば、家にとっても有益となろう。
 いくら文献を読み漁った所で、実際使ってみなければ武器の性能は分からぬ物。ならば私が使いこ
なし、それを家に伝えれば利となる。
 やはり忍術学園に入って正解だった。これから火縄銃だけでなく、様々な火器を扱う事になるのだろ
うから。
「……鶴ノ丞、それ、脱いで行かないのか?」
 立花に云われ、それ――忍び装束の上に羽織った打ち掛けを見る。今朝届いたばかりの新作だ。淡
い緑色に桃色の花々が愛らしい一品。
「何故脱ぐ必要があるのじゃ?」
「火薬で汚れるかも知れない」
「汚れたら洗えば善いわ」
 ほほほと、開かぬままの扇子を口元に当て笑えば、それきり立花は口を閉じた。
「……お前が洗う訳じゃねぇだろ」
 ぼそりと呟いたのは、潮江だった。
 首を傾げる。
 そりゃそうだ。自分には家から付けられた世話役が居る。学園長から許可と取り、身の回りの世話
をさせている男が二人。幼い頃から共に居る、信における者たちだ。
 それがどうかしたのだろうか。
「潮江」
「何だ」
「私が洗わない事に、何か不都合でもあるのかの?」
 疑問に思って聞いたのだが、潮江は答えなかった。ただぽつりと、呟かれた言葉。
「……これだからお坊ちゃんは」
 その言葉に、つきりと、胸が痛んだ。



 − 親愛なる友へ



 何故お主が怒るのか、私には分からない。
(だって、此れが当たり前だったから)



 備前鶴ノ丞(十歳)



 武家の子は強くなければならないと、泣く事は禁じられていました。
 けれど僕は弱虫でしたから、よく鎮守の森へ入っては泣いていました。
 此処は鳴瀧家の祖先が暮らした森として神域扱いになっていて、直系以外入る事を禁じられてい
たので好都合だったのです。
 お祖父様とお母様、お姉様様方はあまり御外へ出ない方々でしたし、お兄様は鎮守の森を嫌って
いらっしゃいました。
 だから此処は、僕だけの場所です。
 御社様にお参りをして、お邪魔しますと御声をかけて、それからしくしくしくしく静かに泣く為の場所
でした。
 なのに、今日は違います。
 御社様の所に、人が居ます。家の者ではありません。服は粗末ですし、裸足です。鳴瀧家の者な
らば、そのような格好は致しません。神様の御血筋ですから、いつも上等な着物を着せられます。
 年は僕と変わらないようです。その子はいつも僕が座る場所を陣取って、いつもの僕と同じように
しくしくしくしく泣いていました。
 もしや、物の怪の類でしょうか。どうしましょう、今は武器を持っておりません。
 いいえいいえ、物の怪にも善き者はおりましょう。人間で無いからと云って断じてしまうのは、早計
と云えます。まずは御声を掛けるべき。
「何者ですか?」
「?!」
 びくんと大きく肩を跳ね上げてから、その子は顔も上げました。
 人間に見えます。
 まぁるい御目目の、人間の御子です。ただ、眉毛の形が少し変わってます。眉尻の方が太いので
す。
 まんまるの御目目から涙を流して、鼻水まで垂らしています。凄い泣き方です。
「もう一度聞きます。貴方は、何者ですか?」
 重ねて聞けば、その子は小さな声で名乗りました。次いで住んでいる場所を聞けば、知っている村
の名前が告げられました。
 何の事はない。鳴瀧が治める村の子だったのです。
 村人も此処に入る事は禁じられていますが、子供がした事。家の者に密告するのはよしましょう。
それよりこの子を早く森の外へ出さねばなりません。
「付いておいでなさい」
「え……?」
「森の外まで案内します」
 その子はぽかんと呆気に取られた顔をしていましたが、直ぐにパッと顔を輝かせると「ありがとう!」
と大きな声でお礼を云ってきました。お礼を云うには気が早すぎると思います。後、案内役を買って
出た僕が云うのもなんですが、もう少し人を疑う事を覚えた方が善いですよ。
「ね、ねぇ」
「何でしょう?」
「あなた、かみさま?」
 その言葉に驚いて振り返れば、彼はキラキラと目を輝かせて僕を見ていました。
 神様? 僕が?
「……違いますよ」
 僕は、只の人間です。非力な、人間です。
「そうなんだ……」
 彼は心無ししょんぼりした様子でしたが、すぐに僕の目を見てにこりと笑いました。
「おそらみたいにきれいな目だから、かみさまかとおもったのに」
 そう云われた瞬間、心臓が高く跳ね上がったのは何故でしょう。
 涙でかぴかぴの真っ赤な頬と、ふんにゃり細くなったお目目と垂れた眉毛と、間抜けに開いたお口
がとても愛らしく見えたのは、何故なのでしょうか。
 教えて下さい、お祖父様。
 このような気持ちは初めてです。



 − 透き通るほどの空の色



 胸とお顔が熱くなるのは、どうしてですか。
(生まれて初めて、他人様から、きれいだと云われてしまいました!)



 鳴瀧晴継(九歳)



 ――じい様。
 そう呼ぶと、柔らかに微笑む人だった。
 ――おお、なんじゃ、お鶴。
 そう云って、しわくちゃの手で、私の頭を丁寧に撫でてくれる人だった。
 両の親も店の者たちも、皆皆兄さんに掛かり切りになる中で、唯一、私だけを見てくれる人だった。
 じい様が居たから、私は寂しくなかった。悲しくもなかった。
 でも、じい様はもう居なくて、離れには誰もいなくなって。
 じい様とばかり一緒に居た私は、気付けばじい様と同じような話し方をするようになっていて。
 その言葉で喋ると、皆いたたまれないような、悲しむような顔をして。
 それが、煩わしくて、鬱陶しくて。
 悲しくて。
 でも、味方はもう居なくて。
 どこに逃げていいかも、私にはわからない。
「はっ……はっ……!」
 短い呼吸を繰り返しながら走る。
 先程の言葉が、頭を回る。
 くるくる、くるくる。
 ――別に、ダチじゃねぇし。
 私は友だと思っていたよ。
 ――気に入らんが、あいつが悪い訳ではない。
 何が駄目だった? どこが気に入らなかった?
 ――あぁ育っちまったんだろ。親が悪ぃよ。
 両の親を悪く云わないで。(二人とも私を大事に育ててくれたのに!)
 ――無駄に甘やかされたのだろう。
 無駄に? じい様は、無駄だったの?
 ――……庇ってねぇよ、別に。
 私は庇われるにも至らない存在だった?
 ――どうせすぐに辞めるだろう。
 辞めないよ。店のためだから、最後まで、卒業するまで居るつもりだよ。
 ――気にするだけ、損だ。
 私は、損なのか?
「はぁ……!」
 裏裏山のいっとう大きな木まで走った。
 呼吸が荒い。木の幹に手をついて、肩で息をする。汗をぐっしょりと掻いていた。衣服がべたつい
て気持ちが悪い。吐き気がする。大きく開いた口から、涎がぽたりと一筋落ちた。
 いっそ涙が出ないのが不思議だった。
 友と信じていた二人に、陰口を叩かれたのだ。裏切られたと云うのに。悲しむべき事なのに。
「……いや、違う、か……」
 裏切り。忍びには付き物だと、教師が云っていた。
 ならばこれは、この場所では当然の事か。信じた私が、愚かだったのか。
 店じゃ、こんな事、なかった。
 兄さんはただ一人の弟と、慈しんで下さった。溢れんばかりに愛してくれた。
 両の親はまるで放っておいた時間を取り戻すかのように、愛してくれた。甘やかしてくれた。
 店の者たちもそうだ。子供にも分かりやすい愛情表現を沢山してくれた。
 幼馴染もだ。鶴兄さま鶴兄さまと、慕ってくれた。
 親戚たちは欲を向けて来たが、悪意を向けてはこなかった。
 愛される事が当然だった。
 悪意も敵意も、向けられた事など無かった。
「……そう、か……」
 ははと、小さく自嘲する。
 彼らは悪くない。何も悪くない。忍びになるのだ、他人を裏切るなど当然だ。それでも悲しいと思
うのならば。
 愛して貰えなかった私が駄目だったと、思うしかないのだ。
 守る至らない、庇う必要も無い。彼らの中で蔑むしか価値のない人間になっていた、私が駄目だっ
たのだと。
 けれど、何が駄目だった? 分からない。
 勉強は真面目にやった。実技も手を抜いていない。私生活も家と変わりない。組の者たちに悪
意をぶつけた事も無い。
 何がいけなかった? 何が君らの気に障った? 嫌われたのはどうして? 分からない、分から
ない、分からない!
 打開策が見つからない!
「……じい様」
 呼べば応えてくれた声は、もう無い。分からない事を教えてくれた人は、もう亡い。
 ぽたりと、涙が落ちた。



 − 世界の片隅



 誰か教えて。
 おんもの皆にも、愛される方法を。
(その頃の私は、自分の異端さに気付かなかったのだ! 私の全てが皆の気に障るだなんて、気
付きもしなかった! 金持ちの無神経な悪意を振りまいていたなんて、分からなかったのだ!)



 備前鶴ノ丞(十歳)



 触れられた瞬間の、あの、耐えがたい感覚。
 大量の蛭の中に放り込まれたかのような嫌悪感。
 首筋や心臓に刃を突き立てられたかのような忌避感。
 全てが綯い交ぜになり、頭は一つの命令を下す。
”ソレ”を引き剥がせ、と。
 振り降ろした拳。
 食満が目を見開き、善法寺がか細い悲鳴を上げる。
 俺に殴り飛ばされ頬を赤く染めた奴が、尻餅をついたまま、こちらを見上げている。ただでさえ丸
い目がさらに丸くなっていた。
 間の抜けた面を見下ろして、口を開く。
「気安く、触るな」
 貴様なんぞが、触れて善い場所ではない。
 じわりと、丸い目に浮かぶ水分。
 あぁ、こいつも泣くのか。子供は本当に、よく泣く生き物だ。
「ふ、ふえぇ、ふぁ……ふああああああああああああんッッ!」
「小平太!」「こへーた……!」
 泣いた生き物と同じ組の生き物が二人、駆け寄って来る。
 一人が――目付きの鋭く、八重歯の鋭い生き物が、こちらを睨み上げた。
「てんめぇ……、いきなり何しやぁがる! 小平太が何したってんだ!」
 食満が、最初に同じような事を云っていたな。
 何をしたか? 分かり切った事を聞くな。
「無断で他人の頭にさわるような無礼者を、打ち払って何が悪い」
 人が寄るなと云っているのに抱きついて来て、果ては頭部に触れた。
 殴るだけで済ませた事を、褒めて貰いたいくらいだ。
 此処が山の中だったら、殺していたのだから。
「野郎ぉ……!」「……!」
 殺気立つ生き物らを睨み付ける。
 そこまで敵意をぶつけられて、黙っていられるほど腰抜けではない。
「文句があるなら掛かって来い。相手になってやるぞ」
「吠えやがったな! 上等だ糞野郎がああああああああああッッ!」
 飛び掛かってくる血の毛の多い生き物らに応戦する。
 一対多数で戦う事は、初めてではない。
 上手く戦(や)れる。
 大丈夫だ。
 奥様が訓練をしてくださったのだ。
 山賊相手にだって、一歩も引けを取らなかった。
 だから俺は、勝てる。



 − そばにいるよ



 勝ちはしたが傷は負った俺を抱きしめて、師範が泣いた。
 心配させるんじゃない、悪い子だ、と云って、泣いた。
(でも貴方は優しいから、悪い子でも側に置いてくれるのでしょう?)



 下関大治郎(十歳)