音を立てて積み木を組み合わせる。塔を作るために、真四角の積み木をいくつも積み上げた。
(あいつ、来ないなぁ……)
ここの所、女はルークの所へ来なかった。以前は間をあけて来ていたけれど、ここ最近は毎日来て
くれていたのに。
前は厭だったが、最近はそうでもなかった。
怒鳴る事も厭味を云う事もなくなって、積み木で遊ぶルークの隣に黙って座る事が多くなった。たま
にぽつぽつと外の話をしてくれるようになった。海の話をせがんだ時には、穏やかな笑みさえ浮かべ
ていた。
そんな女を、ルークは以前ほど厭わなくなっていた。
(べ、別に、好きって訳じゃないぞ。あんな奴……)
自分への云い訳をしながら、頭を左右に振る。その際手元がぶれて、塔がゆらりと不安定に揺れた。
慌てて、両手を使い塔を支える。倒れなかった事に安堵の息をついて、三角の積み木を探した。塔の
一番上に乗せるのに使うのだ。
後ろで、コツリと小さな音がした。振り返れば、女が立っていた。
やっと来たと気分がぱっと明るくなったが、それもすぐにしぼんだ。
女が、泣いていたからだ。
「ど、どうしたんだよ」
慌てて駆け寄るが、女はまるでルークを見ていなかった。ただ俯いて、滔々と涙を流し続けている。
この女が泣いている所など今まで見た事がなかったルークは、どうすればいいか分からなかった。
力なく垂れている女の手を、思わず握りしめる。体温を感じさせない、ひんやりとした指先に驚いた。
まるで長時間、氷水に手を浸していたかのようだ。
何を云えばいいか、まるで分からない。此処には女と自分しかいないから、どうすればいいのか聞く
事も出来ない。
女が突然、しゃがみ込んだ。ルークに握られた左手はそのまま、右手で顔を押さえる。
「私だって……!」
開かれた口からこぼれたのは、
「私だって、好きでこんな世界に来たんじゃない……!」
呪詛のような、嘆きのような、仄昏い声で。
「家に、……帰せよ……っ!」
ルークは何故か、胸をぎゅうと締め付けられたような気がした。
気付けば積み上げていた塔が倒れていたのだが、何も感じる事はない。
ただ目の前で泣く女を見て、泣きやめばいいのにと思った。またあの穏やかな顔で、海の話をして
欲しいと思ったのだ。
けれどそれとと同時に、ずっと泣いていればいいのにと暗い想いを抱いた。
前の自分のように、泣き続ければいいのにと、思った。
− 動物愛護と人間虐待。
「足跡があるな」
「……子供と大人と、二人分ですね」
しゃがみ込みながら云ったハルの言葉に、アニスが同意を示す。
ゆるい土の上には、大小二つの足跡があった。それは森の奥へと向かっている。
「一つはイオン様だとして……もう一つは誰のでしょうか?」
ティアの質問に、ハルは肩を竦めた。
「さて。そりゃ分からないけど、少なくとも、無理矢理連れて行かれたんじゃないな。足取りに迷いが
ない」
「暴れた形跡もありませんしぃ……。とにかく、後を追いましょう」
イオンの無事を確かめるのが先決だと云うアニスに、二人は頷き歩き出した。
「と、待った」
「え?」「どうかしましたかぁ?」
一歩踏み出した所で、待ったを掛ける。宿屋から持ってきた荷物をあさり、白い細身の瓶を取り出
した。アニスが「あ」と声を上げる。
「ホーリーボトルですかぁ?」
「あぁ。この森に居る魔物は弱いみたいだけど、一々相手にしてたら日が暮れるからな。ほら、固ま
れ二人とも」
素直に寄って来た二人と己に、瓶の中身を振りかける。液体とも粉末とも云えない、不思議な光の
粒が全身を包み込んだ。
――昨日、見かけた行商人とっ捕まえて締め上げた時は何事かと思ったけど……。
(だってあの野郎、もろに足元見やがったじゃねぇか。いくらなんでも千三百ガルドはぼりすぎだ)
いくらエンゲーブに常備されていない商品とは云え、基本価格の四倍以上は許せなかった。締め上
げて脅してはったりかまして、三百五十ガルドで買ってやったのである。
ちなみにホーリーボトルの原価は三百ガルドだ。
(せめて五百ガルドなら文句云わず買ってやったっつーのに)
――でも、今度はオレらが悪人だよな。いくらなんでも値切りすぎだろ、三百五十って。
*** ***
チーグルの森は人の手が入っていないにも関わらず、木々の合間から日の光が程良く差し込んで
いる。こんな事態でなければ、森林浴にかこつけたい所だった。
「確か此処も、教団が定めた聖地の一つだったか」
「はい。今は無き”誕生の地”ホド、セントビナーの象徴”聖樹”ソイルの木、”希望の先駆け”レムの塔、
そして”聖獣”が住まうチーグルの森の四つですね」
「……全部が全部、他国にあるってのも微妙な話だよな」
「……ですよね〜」
レムの塔はキムラスカ王室の直轄区。ホド、セントビナー、チーグルの森はマルクト帝国の領地だ。
ローレライ教団はこれらの地を、喉から手が出るほどに欲しがっている。だが彼らは、ダアトと云う
領地を持ち、便宜上国扱いをされているのだが、所詮は宗教”自治区”に過ぎない。
よこせと云った所でキムラスカ、マルクト両国が頷く訳もなく、かと云って力付くでもぎ取るなどと云う
事も当然出来はしない。
これについては過去から相当もめたらしく、マルクトとダアトの関係はよろしくない。ダアトが未だに
自治区扱いなのも、マルクトがダアトを正式に国家にする事を認めていないからだ。キムラスカが賛
同しても、マルクトが頷かなければ自治区から脱却は出来ない。
(今の皇帝、ピオニー陛下の代になって、ようやく話が先に進みそうだって話だが……)
――じゃぁもしかして、それについてマルクトに来てんのかな、導師って。
(可能性はあるだろうが……。それなら尚更、黙って外出なんてありえないだろ。もしダアトの独立を
認めるってーんなら、歴史が動くんだから)
「あ」
ティアが突然声を上げた。ハルとアニスが会話をする中、先頭に立ち足跡を追っていたのだ。
「どうしたティア?」
「あの、此処なんですけど……」
指し示す部分をアニスと一緒になって覗き込む。
直進している二対の足跡。一部それに重なりながら、別の方向へ向かっている二対の足跡。
「……つまり、このまま直進したが、行き止まりだかなんだかで引き返して、こっちに向かったって事
か」
「どうしましょう、ハル様。一度行ってみます?」
「……いや、その必要はないだろ。こっちに向かってるのを追うぞ」
「そうですね。ハル殿の云う通り、こちらへ行きましょう。引き返していると云う事は、イオン様はいらっ
しゃらないでしょうしぃ」
二人に云われ、ティアは心無ししょんぼりと肩を落とした。恐らく、「また余計な事を云ってしまった」
と思っているのだろう。だが直ぐに気を取り直すと、また足跡を追い始めた。
(少しは耐性が付いたか)
――付いたっつーか、付けざるを得なかったって云うか。
(難しい言葉使うじゃねぇか)
内心で笑っていると、アニスが遠慮がちに声を掛けてきた。
「何だ?」
「あの……、ハル殿とティアさんって、どう云ったご関係なんですかぁ?」
その言葉に、前を歩くティアをチラと見た。声量を押さえていた為か、聞こえていなかったらしい。
真面目に足跡を追っていた。
「……さて。どんな関係に見える?」
質問に質問で返すのは卑怯だが、アニスは文句を云わなかった。素直にうーんと悩み、少し意地悪
そうな笑みを浮かべる。
「スパルタ上司と、ドジな部下って感じですぅ」
その言葉に、ハルは盛大に噴き出した。抑えきれない笑い声を、口を押さえる指の隙間から洩らす。
ティアが何事かと振りかえったので、何でもないと空いた手を左右に振った。
「間違ってますかぁ?」
「いや……うん、いいトコ突いてるよ」
クックックッと笑いながら云えば、アニスがやったぁと年相応にはしゃいで見せた。その様を穏やかな
気持ちで――ハルは基本的に、子供が好きだ――眺めていると、ふと、ある匂いに気付いた。
(……ん?)
――どうした?
(……血の匂いだ)
その言葉に、ルーが驚きの声を上げる。
――血?! ま、まさか導師の……?
(いや、人間の血の匂いじゃないな。獣臭いから)
アニスも何かに気づいたらしい。声を出したり妙な仕草はしていないが、視線だけは四方に向けてい
た。ハルのように人間かそうでないかまでは分からないらしく、目には不安と困惑の色があった。
近くに狩られた魔物が居るだけだと思うのだが、妙に気にかかる。
(獣にはどうもご縁があるんだよなぁ……)
脳裏に浮かぶのは、”護衛獣”として常に周りをうろちょろしていた、三人の子供たち。おとぼけと気
の強いのと臆病者の三人組で、てんでバラバラに見えて妙にバランスが取れていた。
「……」
遠い”故郷”を思い出し、小さくため息をつく。それと同時に、気付く。
(……近づいて来てる)
――え……?
腰に差した剣を、左手で抜き取る。一拍遅れ、アニスも腰に下げた二振りのダガーを手に取った。
彼女は人形士(パペッター)であり、本来なら背中に負ったぬいぐるみを巨大化させて操るのだそう
だが、森の中では小回りの利くダガーを選んだようだ。両手に構えた姿は堂に入っている。
ティアはと云うと、ハルたちの警戒態勢に気付かずひたすら足跡を追っていた。
一度舌を打ち、名を呼ぼうとしたところで、
「グオオオオオオオオオオンッッ!」
「―――ッ!」
「きゃぁ?!」
大きな獣の咆哮が響く。その陰に草木を掻き分ける音があるのを、ハルの耳は拾った。かなりのス
ピードでこちらに近づいて来ている。
(拙いっ!)
手負いだと侮った。獣は真っ直ぐにティアへと向かっている――!
「ティアアッ! しゃがめエエエエェッ!」
云われたティアは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。その前に駆け込み剣を構えると同時に、木々
の間から四肢で走る獣が躍りかかってくる。
真横に振りぬいた剣は首を確かに抉ったはずなのに、硬質な音を立てただけだった。ジンと響くよ
うな痛みが、手に走る。
「――つぅっ……?!」
――何だぁ?!
ルーまでもが驚いた声を上げた。脳髄に響く様な痺れが、全身を走る。
首は抉れなかったが、それでも軌道をそらす事は出来たようだ。獣はハルもティアも傷付ける事無
く、斜め後ろへ着地した。追撃を予感し、すぐさま振り返ったハルだったが、その心配は杞憂に終わっ
た。
「――リミテッド!」
ハルが迎撃している間に詠唱を終えたのだろう。アニスが第六音素(レム)を使用した中級譜術を
唱え、追撃を行う。光の鉄槌が獣を貫き、長く細い咆哮が上げられた。
光に焼かれた獣の体が揺らめき、重い音を立てて倒れる。
こちらを攻撃する事はもう不可能だろうと判断して、ふっと小さく息を吐いた。それでも剣を納める事
はせず、右手に持ち替え酷く痺れた左手をふりふりと振る。
「ハル殿! ティアさん! ご無事ですかぁ?!」
「あぁ。助かったよアニス。……ティア、もう立ちあがっていいぞ」
「あ、は、はい……」
よろよろと、ティアが立ち上がる。顔色は漂白した紙のように白く、表情は怯え一色になっていた。
それでも、
「は、ハル様、お怪我は……?」
「……ないよ。大丈夫だ」
ハルの身を案じる事は忘れなかった。その様がまたいじらしくて、小さな頭を少し強く撫でる。
「……ハル殿ってぇ、ティアさんに甘甘なんですねぇ」
「はははは。お恥ずかしい」
なんとなく図星を刺された気分になったので、ティアの頭を撫でる手につい力が入ってしまった。
哀れっぽい声で、「痛いですハル様……」とティアが云う。
その声に笑おうとした所で、ぞわりと背筋を悪寒が駆け抜けた。
反射的にティアを背後に引き入れ、剣を構えれば。
「……フー……フー……」
――ひっ……!
「きゃっ……!」
ルーとティアが、同時に息を飲む。
死んだと思っていた獣が、立ちあがっていた。四肢に力を込め、口腔で荒い呼吸を繰り返しながら、
死にかけとは思えない強い眼差しでハルたちを見据えていた。
「ガッ……グ……」
音を立てて血を吐いた。ぐらりと大きく身体が揺れたが、大地を踏みしめ倒れる事はない。内臓を
やられているだろうに、獣の意思は揺るがない。
そこで初めて、ハルは獣の姿を正確に認めた。
「ライガ……」
鉱物を思わせる、頭から首を覆うような形の角。
微弱な電撃を纏わせた、木の枝のように広がった尾っぽ。
こう云った扇状の角は、女王の後継である者の証しだ。つまり雌であり、彼女らは「ライガ・プリン
セス」と呼ばれる。
「こんな大物が、なんでチーグルの森なんかに?」
若干、上ずった声でアニスが云う。前のプリンセスを警戒しながら、周囲にも気を配っていた。
ライガは集団で生活する魔物だ。昆虫で云えば蟻に近い社会を築いている。
クイーンを頂点とし、後継ぎとその護衛であるプリンセス、プリンスが居り、獲物を狩ったり周囲
を警戒する兵士であるライガス、ライガー、ライガン、ライガルが存在する。プリンセス以下、全て
クイーンの子供だが、生まれた時点で後継ぎとなるか、兵士となるかが決まっていると云う。
そのように集団で生活する魔物の後継者であるプリンセスが居ると云う事は、他のライガ族も居
て当然と云う事だ。アニスが気にしているのは、プリンスや兵士の存在だろう。集団で襲い掛から
れたら、無事では済まない。
だが、不思議と周囲にその気配はない。ライガ・プリンセスに怯える雑魚の気配はあるが、本来
彼女の側に常に控えているプリンスがいないのだ。
「……」
「……フー…………フー……」
殺気には満ち満ちているが、飛び掛かってくる気配はない。いや、余力がないと云うべきか。
それでも倒れる気配も見せない。このまま――立ったまま、息絶えそうだと思った。
(……武蔵坊弁慶かよ)
――誰だそれ?
(えーっと、源義経つー武将に仕えたお坊さんでな、その義経を守るために薙刀振るって戦って、
体に矢を受けまくって立ったまま死んだっつー人)
――うわぁ。そんな人がいんのかよ……。
(まぁ実在を疑われたりもしてるけどな。……なんか、そんな感じだな。このライガ)
弁慶のように、立ったまま――大事な物を守るために。
「……」
「……ハル殿?」「ハル様?」
考え込みだしたハルをいぶかしむように、アニスとティアが同時に名を呼ぶ。
ため息を、一つ着いて。
「獣にはホント……縁があるんだよなぁ」
剣から手を放した。乾いた音を立てて、剣が地面に倒れる。そのまま前に足を踏み出せば、ライ
ガ・プリンセスの目に強い戦意の色が宿り、アニスからは制止の声が飛ばされた。
右手を上げ、二人に「何もするな」と示す。武器を持たず、詠唱すらせず歩み寄った。
低く唸るが、飛び掛かっては来ない。横から腹を覗き込み、その惨状に顔をしかめた。
(内臓が三割方吹っ飛んでるな。後ろ足の肉も削げてるし、ただ治癒術を掛けただけじゃ意味がな
い)
――な、何、どうすんの? 助けるの?
(まぁな)
――何で? つかどうやって? 治癒術って、欠損した部分を再生は出来ないんだろ?
(根性が気に入ったから助けるよ。それに、プリンセスを殺すなんて真似、恐ろしくて出来ないしな。
で、どうやって治すかっつーとだ……)
ウェストポーチを漁る。念のためにと一つだけ持っていた物を、着替える前の上着のポケットから
こちらへ移しておいたのだ。
(此れを使う)
――はぁ?! お前、それ……!
取り出したのは細身の瓶。中には透き通る赤い色の液体。
獣の目が、ジィとハルを見つめていた。
*** ***
全速力で走る。隣には四肢で大地を蹴るライガ・プリンセスがあり、その上には少女二人が騎乗し
ていた。
「信じられない……!」
「喋るなアニス。舌ぁ噛むぞ」
巡礼者が多く訪れるため、自然と舗装されたようになっている道だが、獣に乗っているのだ。上下
の揺れは馬の比ではないだろう。現にティアは歯を食いしばって耐えている。
「だって、『エリクシール』を魔物に使っちゃうなんて!」
だがアニスは、プリンセスの角を掴みバランスを取りながら、器用に喋った。
「内臓欠損の上、足の肉が削げてたからな。治癒術じゃどうにもならないだろ?」
「だからって使っちゃいますか『エリクシール』! あれ一つで七代先まで遊んで暮らせるお金になる
のにぃ!」
きぃと喚きながら、アニスは顔を毛皮にうずめた。それからすぐに顔を上げて、「……貴方が助かっ
た事、嫌がってるわけじゃないよ」と呟いていた。その言葉へ答えるように、プリンセスは小さく吠え
る。
ハルがウエストポーチから取り出した赤い液体。あれは『エリクシール』と呼ばれる”古代遺産(ロ
スト・テクノロジー)”の一つだ。ただ傷口を塞ぐだけの治癒術とは違い、欠損した部位を再生させ
る事が出来る”神の霊薬”。遺跡などから稀に発掘される類の物で、古くから研究対象になってい
るが、未だに精製法すら分かっていない。
”エリクシール”を持つ事が許されるのは王族・皇族・上位貴族のみだ。国家機関でなく一般人が
発見した場合強制的に提出を求められる。だがその際に、莫大な富を授けられるのだ。
アニスが口にしたように、七代先まで遊んで暮らせるような莫大な富を。
それをハルは、魔物であるライガ・プリンセスに使用した。
勿論、全てではないが、半分は使ってしまった。陛下と父上にバレたら懲罰物だなと、こっそり舌
を出した。
――どーすんだよ、ほんとに……。
(仕方ねぇだろ。見殺しに出来なかったんだから。……つーか、お前も黙ってろよな)
――誰が好き好んで喋るかっつーの。お前こそ、云い訳考えとけよ。
確かに云い訳は必要だと、ハルは頷いた。適当に、腕がもげたとでも云う事にする。
それからチラリとアニスに視線を流す。視線をよこされた事にアニスもすぐ気付いたようで、顔を
こちらへと向けてきた。
「アニス。念のために云っておくが、俺たちがここに居るのは純粋な”事故”だ。出来れば見逃して
欲しい」
「……あっれぇ? 何か見逃す必要のある事、ありましたっけぇ?」
アニスは唇を突き出しながら、すっとぼけたように云った。
「私は今ぁ、イオン様の事で頭がいっぱいですからぁ、余計な事なんて覚えてられませぇん」
「……恩に着とく」
彼女自身も、此れ以上の厄介事はごめんなのだろう。見て見ぬふりをしてくれるらしい。流石に
ハルが髪の色までさらしていたら、黙ってはいられなかっただろうが。
――……バレてるよな? 俺らが貴族だって事。
(もろバレだろ。ダアトの≪導師守護役≫だぞ? 流石にキムラスカ人とまでは分かってないだろ
うが、上位貴族(公爵)なのは”エリクシール”使った時点で分かってるさ)
最高指導者行方不明の時に、よその国の事情にまで首を突っ込みたくはないのだろう。賢い選
択だと、ハルは思った。
「……ガゥッ!」
「ん? ……あぁ、あれか」
プリンセスが吠えたので前を見れば、大きな木の根元に空洞が見えた。どうやら、目的地につい
たらしい。二つの足跡も穴の中へと続いていた。
「お姫様が匂いたどってくれたお陰で、早く着きましたねぇ」
「全くだ。ありがとう、プリンセス。ここからは歩かせるよ」
云いながら角を撫でれば、プリンセスはゆっくりと四肢を折り曲げ座り込んだ。危なげなくアニス
が飛び降りて礼を云い、ティアはもたつきながら降りて――途中、つい手を貸してしまった――同
じく礼を云った。
「君はここで待っていた方が……」
「ガウ!」
「……だよね。着いて来るよね」
ハルの考えが正しければ――と云うか、ほぼ間違いないが――この先、ライガ・クイーンの住処
に、導師イオンはいる。それに加え、イオンと共に行動をし、ハル達より先にプリンセスを傷付けた
人間も、まず間違いなく。
その人間に再度プリンセスが挑まないかと云うのも心配だが、それよりも心配なのは。
(……無事だといいんだがな)
――導師が? それとも、クイーンが?
(どっちも。どっちが死んでても傷付いてても、厄介な事になる)
導師イオンは世界に必要な人間。クイーンもまた、マルクトの平和の為に無事で居て貰わなけれ
ばならない。
「よし、全員、足元に注意してな。もしもの際には間に入る事になるだろうから、武器も手にしとけ」
「了解です!」
「はい!」
「がう!」
「……いや、プリンセスは出来るだけ穏便に頼みたい」
――同感。
やる気になるアニスとティアは頼もしいが、プリンセスはお控え願いたいハルとルーだった。
ハルを先頭に、穴の中へと入る。天然の穴を、これまた自然に生えた樹木が支えている洞窟らし
く、崩れる心配はなさそうだった。それに、随分と広い。
顎で残りの二人と一頭に入るように促し、黙々と穴を進む。所々地上へ続く隙間があるらしく、洞
窟の中とは思えないくらい明るい。松明がないので譜術で光を生み出そうと思っていたのだが、そ
の必要は無さそうだ。
しばらく進み人の声が聞こえ始めた途端、
「ガアアアアアアアアアアアアッ!」
「おわ!」
――うわぁ?!
「きゃん?!」「きゃふぁ?!」「ガゥ?!」
先程プリンセスが上げたものよりも大きく激しい、咆哮が洞窟全体を揺らした。
「――走るぞ!」
云うよりも早く、ハルは駈け出していた。プリンセスもそれに続き、ハルの隣に並ぶ。
最下層へと駆け込み、最初に視界に入ったのは、プリンセスより一回りどころか二回りも大きい
優美な獣――ライガ・クイーンの姿。一族を取りまとめる女王らしい、屹然とした立ち姿に見惚れそ
うになるが、そんな余裕はない。
彼女の前に立つ青い軍服を着た男が、上級譜術の詠唱をしていたからだ。集まる譜力を見れば、
どの程度の威力を持つのかわかる。――この男、クイーンを殺す気だ!
「ガウウッ!」
プリンセスが吠え、背後から男に飛び掛かる。襲撃に気付いた男は、詠唱を中断させ、プリンセス
の攻撃を紙一重で避けた。そのためプリンセスは、クイーンと男の間に入る形となる。
クイーンは突然現れた娘に驚いたようで、若干上ずった声を上げた。その隙に、男は再度詠唱に
入る。今度は中級の譜術だ。クイーンより先に、プリンセスを仕留めるつもりらしい。
(させるか!)
舌を打ちながら詠唱に入る。自慢ではないが、詠唱速度には自信があるのだ。
「終わりの安らぎを与えよ――」
「荒れ狂う流れよ!」
「?! ――フレイムバースト!」
「スプラッシュ!」
男が第五音素(イフリート)の譜術を唱えていたため、ハルはそれを消し止めるべく第四音素(ウン
ディーネ)の譜術を放った。狙い通り、男の繰り出した火の塊を水の流れが掻き消す。
だが、男の譜力も強かったらしい。完全に消す事は出来ず、蒸発させられた水が大量の水蒸気を
上げた。視界が一気に白く染まったがハルは気にせず、中へ飛び込んだ。
すぐさまプリンセスを見つけ、その斜め前に立ち、抜いていた剣を構える。
案の定、水蒸気を掻き分けて、槍を構えた男が飛び掛かってきた。予測はしていたため、持ってい
た剣で冷静に受け止める。
「何……?!」
逆に男は驚いたらしい。小さいながら上ずった声を上げた。
力比べをするつもりはない。ハルはすぐに足を上げ、男の腹を蹴り飛ばした。男の姿が、再度霧の
中へ消える。次いで咳き込む声が聞こえてきた。相当の力で蹴り飛ばしてやったのだが、吐かなかっ
たらしい。咄嗟に腹に力を入れたようだ。そこは褒めてやっても良いと思う。
まずはこの鬱陶しい水蒸気をどうにかするかと、第三音素(シルフ)を操り一陣の疾風を吹かせた。
辺りを埋め尽くしていた霧は一瞬で吹き飛び、視界が一気に晴れる。
しゃがみ込み、腹を押さえている男――予想外に美形だった。好みではないが――。耳のでかいぬ
いぐるみ――いや、動物か?――を両手に抱えている法衣をまとった少年。ぬいぐるみを巨大化させ、
その背に乗ったアニス。そして、目を白黒させ事の成り行きを見守るしかないティアがいた。
背後から半端ではない威圧感が伝わってくるが、襲い掛かってくる気配はない。恐らく、彼女の娘が
側に居るからだろう。それでも警戒心は緩めていなかったが。
顔を見て挨拶でもと思ったが、男を完全に無効化していない状況でそれは危険行為だ。前を向いた
まま、ハルは口を開く。
「……クイーン。挨拶も出来ない非礼を許していただきたい」
背後の気配が、かすかに動く。だが、やはり襲っては来ない。
「貴女の娘の名誉に誓い、俺は決してライガ族に危害を加えない。どうか、この場を俺に預けてはい
ただけないだろうか」
数秒、沈黙があった。クゥゥと小さく、プリンセスが鳴く。その後にまた、しばらく沈黙があり、突然威
圧感が消えた。土を踏みしめる音がし、次いで、彼女が腰を降ろしたらしき音がした。
小さく安堵の息を吐き、隣に居るプリンセスに礼を云った。彼女がいなければ、女王はハルを信用
してはくれなかっただろう。
――……い、生きた心地がしなかった……!
(俺もだ。背中見せるってのは落ち着かねぇよな)
体の主導権がルーにあったなら、この体はぐっしょりと冷や汗をかいていた所だろう。
「……一体なんのつもりですか?」
復活したらしい男が、立ち上がりながら云う。手には槍を持ったまま、ハルへ遠慮なく敵意をぶつけ
て来た。
確かに、戦闘の邪魔をし、腹まで蹴り上げた相手に友好的な態度は取れまい。だが、ハルは”何も
分かっていない”男の態度がこの上なく腹立たしかった。
こいつ、マルクト軍人の――しかも佐官のくせに、何も分かっちゃいない。
「何のつもりだぁ? そいつぁこっちの台詞だ馬鹿野郎」
「何をおっしゃるやら……。”ライガ討伐”の邪魔をした挙句、私に手を上げたではないですか」
「上げたのは足だけどな」
――揚げ足とるなよ。……って、うわ、今オレダジャレ云った! 最悪!
(……良い子だからちょっと黙ってろ)
緊張感のないルーに気が抜けるやら、何やら。
ハルの言葉にルーは良い子の返事をし、黙った。それからハルは口を開く。
「……てかてめぇ、本気で分かってねぇのかよ。って、あぁ、そうか。分かってたら最初から一人でライ
ガ・クイーンの住処に来て攻撃なんざしねぇよなぁッッ!」
腹の底からの怒声に、少年とティアがびくりと震えた。見ず知らずの少年――いや、彼こそが導師
イオンだろう。以前会った時と大分印象が違うが、間違いない――を怯えさせる事に多少申し訳ない
気持ちになるが、仕方がない。
「……階級を述べてみろ」
「は? 何です、いきなり」
「いいから階級を云ってみろ!」
思い切り人を小馬鹿にした顔をする男に向かって、怒鳴りつける。男は不愉快な顔をしてから、さ
も迷惑だと云わんばかりの声音で「大佐の地位を賜っています」と答えた。
胸にある階級章でそれは分かっていた。だが、本人の口から聞いて、ますます怒りが煽られた。
「大佐の地位にありながら、貴様一人で何をやっている!」
「ですから、”ライガ討伐”を……」
「……。クイーン、プリンセス。今から貴女達にとって不愉快な言葉を口にするが、許して欲しい」
事前に謝罪を口にしてから、ハルは喋り始めた。
「”ライガ討伐”と一言で云うが、それが何を意味するか分かっていないな」
「酷い侮辱ですね。そのような無能者に見えますか」
「あぁ、無能にしか見えねぇよ。”ライガ族”を”一人”で”討伐”するってんだからな!」
持っていた剣を、感情に任せ地面に突き立てた。
「ライガ族はクイーンを頂点とし、集団で生活する種族だ。一つのファミリーで最低百頭は居る。今、
この森に軽く考えても百頭のライガ族が居ると云う事だ」
「それが何か? クイーンさえ仕留めてしまえば済む話でしょう」
男がそう口にした途端、アニスが盛大に顔を歪めた。「信じられない」と声に出さずに云っている。
全く持って、アニスと同感なハルだった。
「馬鹿かてめぇは」
魔物討伐に本来関わりを持たない≪導師守護役≫でさえ知っている常識を、この男は”大佐”の
地位に居ながら知らないと云う。馬鹿だ。馬鹿としか云いようがない。
「ライガ族は身内の結束が固いんだ。全員が血の繋がった家族だからな。人間以外で唯一”葬式”
をする生き物としても有名だろうが。何で知らないんだ」
「何ですか、さっきからまどろっこしい」
「ライガ族は女王を害した”種族”を許さない。誰が傷付けたか、殺したなんて関係ない。”同じ種族
は全て対象になる”。だからライガ族を討伐する時は一個師団投入して、末端から一斉に駆除する
んだよ! 一頭たりとも打ち漏らさないように、”復讐”をさせないためにな!」
云えば男は、驚いたように目を見開く。その間抜け面に、唾を吐きかけてやりたくなった。
「てめぇ、この森に入って何頭ライガ殺した」
「……」
「数えてねぇだろうが、百頭には足らないだろう。お前が今この場で女王を殺してみろ! てめぇは
退けられるだろうが、エンゲーブは無事じゃ済まねぇ! ライガは兵士でさえ並みの魔物よかよっ
ぽど頭が切れるんだ! ここら一帯、国軍が来るまでに血で染まるぞ!」
云い切って、ハルは大きく息を吐いた。それでも怒りは収まらない。軍人でありながら、無自覚に
自国の民を危険にさらした男が、許せなかった。
「何か云い訳はあるか。”大佐殿”」
男は軽く俯き、無言で眼鏡を直した。ズレているようには見えなかったが、何か意味でもあるのか。
「……ならば」
男が、口を開く。
「この森を焼きましょう。そうすれば、ライガも全て死ぬでしょう?」
一瞬の沈黙があり。
気付けばハルは、思い切り、渾身の力を込めて、男の綺麗な面を殴り飛ばしていた。
了
ハルはどっちかっつーと人間より動物が好きな人種です。
なんかジェイドが馬鹿と云うよりアレな人化してしまいました。すいませんww←謝ってねぇ
色々俺設定が入りました。今さらですがすいません。そう云うお話です。
ちなみに、アビスに「エリクシール」は登場しません。確かファンタジアとかレジェンディアには
出てたはずですが……。本来は青色ですが、鋼の錬金術師を思い出したので赤色です。精製方法は……
なんでしょうね?(おい)
執筆 2009/09/23
