「ヴァン師匠はどうしてんの?」
ルークの言葉に、女は驚いたようだった。目を見開いている。
「……聞いてどうすんだ?」
「べつに……。ちょっと気になっただけ」
云って、足元の積み木を組み合わせる。どう云う原理かは知らないが、女がこの”世界”に持ち込
んだ物だ。女が居ない限り何もする事がなくて暇だったルークにとって、この色取り取りの積み木は
慰めになった。
どこまでも真っ黒な世界で、これと自分の髪だけは鮮やかだった。
「……どうもしてねぇよ。月に二度三度来て、役に立たねー鍛錬付けてくだけだ」
「役に立たない?」
「あんな子供騙し、実戦じゃ通用しねぇし、スポーツとしても半端だ。意味ねぇよ」
吐き捨てるように云って、女は前髪を掻き上げた。艶やかな黒髪が、さらさらと音を立てる。
「あの髭野郎、完全に『ルーク』を道具として見てやがるからな」
「……」
「……ムカツク」
ぼそりと呟かれた女の言葉に、ルークは顔を上げた。
「ふざけんじゃねぇ。目的は知っちゃぁ居るが、それにしたってお粗末すぎる。『ルーク』は只の人
形じゃねぇ。奴曰く、”世界を救う為”のキーポイントじゃねぇか」
此処の所良さそうだった機嫌が、一気に急降下している。
何に対して怒っているのか。何故怒っているのか。
(……師匠におこってる。師匠の、『ルーク』へのたいどに、おこってる?)
それは、ルークの為に怒っていると云う事だろうか?
「……何嬉しそうな顔してんだ?」
「そ、そんな顔してない……」
ぷいとそっぽを向いて、ルークはまた積み木を組み合わせた。
「……何作ってんの?」
「……おうち」
「ふーん……」
こん、こん、こん。真っ黒な世界に、積み木を組み合わせる音が響く。それだけが響く。
ルークの隣に座り、女はただ黙って組み上げられる積み木を見ていた。
それをルークは、少しだけ嬉しいと思った。
− 嗤う小悪魔。
ハルとルーは寝起きが悪い。惰眠は徹底的に貪る派だ。昼寝が出来ない体質なのが悔やんでも悔や
み切れないほど、睡眠取るの大好き人間である。
そんなハルであったが、初めての土地と環境ではよく眠る事が出来なかった。いや、そもそも護衛
も何もない屋敷の外で熟睡出来る訳がないのだが。
仕方なしにベッドから這い出、極力音を立てずに外に出てみれば、朝日も昇っていない。山の向こ
うから徐々に明るくなり初めてはいたが、太陽(レム)自体はまだ見えなかった。
(何と云う記録的早起き……)
――寝た気がしぬぇー……。
(実際ほとんど眠ってねぇしなぁ。くそ、ティアが羨ましい……)
全くと云っていいほど睡眠を取っていないハルらとは逆に、ティアは熟睡だった。初めての土地で
も、同室が男である事も気にせず、ぐっすりと気持ちよさそうに眠っていた。
(思わずデコに肉って書きたくなるくらいの快眠っぷりだったよな……)
――すっげ羨ましいよな……。てかニクって何。
(お約束ってやつだよ。……ん?)
朝靄で視界が烟る中、畑の間にある細い道を走っている人間が居た。
(ランニングか? 精が出るねぇ……)
――朝日が昇ってからでもいいと思うけどなぁ。
遠めの上、朝靄のせいでよく見えないが、走っている人間が随分と小柄なのは分かった。
――……あれ、あいつ、外に向かってねぇか?
(あ、本当だ。と云うか、見慣れない服着てんな……。法衣か、ありゃ?)
走るテンポに合わせてヒラヒラと舞う服を見、首を傾げる。
(ここいらでは見ない格好だが……)
――なぁ、止めた方がよくねぇ? 外って魔物が……。
(んー。でも、武器持ってるみたいだぞ)
走る小柄な影は、手に錫杖(しゃくじょう)らしき物を持っていた。先端が二股に分かれているの
で、槍かも知れないが。
(それに、あの方向にゃぁチーグルの森があったはずだし……。多分あれ、ローレライ教団の人間じゃ
ねぇかなぁ)
――……? 武器、は、分かるけど、なんでそこでローレライ教団?
(法衣着てるし、チーグルは聖女ユリアが定めたローレライ教団の聖獣だからな。……ま、どっちに
しろ、俺達にゃ関係ねーよ。余計な事に首突っ込んで面倒事に巻き込まれたくねぇしな)
――珍しいの。
(今はバチカルに帰る事が最優先だ。他の事に構ってられっか)
そう云い捨て、ハルは宿屋へ戻った。睡眠はとれそうに無いが、横になっていれば少しは疲労も取
れるだろうと思ったからだ。
だが戻って一時間もしないうちに、外が騒がしくなった。ばたばたと走り回る音と、カチャカチャ
金属が擦れ合う音、焦った声と怒鳴り声。
――……うるっせーな、もー……。
(……何だっつーんだこの野郎)
苛立ちと共に寝返りを打つ。安眠できないどころか、休息まで邪魔されるとは。
相変わらずティアはぐっすりと眠っている。本気で額に肉書いてやろうかと思った所で、外に人の
気配を感じた。
急いで髪を結い上げ、ティアに云い付け買って来させた帽子をかぶる。黒色のハンチング・キャッ
プは中々ハルの好みに合っており、一緒に買ってきた白色の上着にも良く似合った。
己の準備を整えティアを起こそうとした所で、扉が叩かれる。舌を打ち、「朝早くに何だ」と声を
かければ、硬い声が返って来た。
「お休みの所申し訳ありません。お部屋を検(あらた)めさせて頂きたいのですが」
「……不作法だな。こちらに拒否権は」
「ありません。緊急事態です」
チッと舌を打ち、ティアを叩き起こす――文字通りに――。目を白黒させるティアに髪だけでも梳
かせと声を掛け、ベッドから降り扉へ向かう。開けば予想通り、軍服に身を包んだマルクト軍兵士が
五人立っていた。
「……物々しいな。まぁいい、さっさとしてくれ」
「はい。失礼致します」
二人が部屋の外に残り、残りが頭を下げて入室する。ベッドに腰掛けたままのティアを見て一瞬動
きを止めたが、そこはプロ、すぐに謝罪と説明をし部屋を検めにかかる。
検めるとは云っても、人が入れそうな大きさのクローゼットを開き――当然、ハンガー以外何も無
い――、洗面所を覗き込み、ベッドの下を見ただけだった。
数少ない荷物を開かれる事もなく、兵士曰くの「緊急事態」が人探しである事は容易に知れた。
ティアは相変わらず目を白黒させていたが、兵士の一人に声を掛けられると慌ててベッドから降り、
壁際に立つハルの側へと控えた。
「な、何事ですか、ハル様?」
「さて? 緊急事態としか説明されてないな」
肩を竦めて云う。
見るべき所を見終わったのか、兵士三名がハル達の前に並び、丁寧にお礼と謝罪をした。出て行こ
うとする兵士に、ハルは声を掛ける。
「人探しかい?」
「……極秘事項でして」
ふぅんと呟く。兵士らはもう一度頭を下げ、部屋を出て行く。
(やんごとなき身分の方でも居なくなったかね)
――何で? 犯罪者の方かも知れないじゃん。
(それにしちゃ態度が丁寧だ。捕縛っつーより保護の雰囲気だしな)
そこでふと思い出したのは、先ほど外に出た時に見た小柄な人影。
「まさかあの子供か……?」
ぽつりと小声で呟く。途端、最後尾に居た兵士が勢いよく振り返った。
「ご存じなのですか?!」
「はぁ?」
叫ぶように問われた。他の兵士たちも踵を返し部屋に戻ってくる。
「今、あの子供と……!」
「ん、あぁ。さっき外の空気を吸いに行った時、街の外へ走っていく子供を見たんだ。手に錫杖だか
槍だか持っていたから気にしなかったんだけど」
音でも立つのではと云う勢いで、兵士達の顔色が青くなった。
「カーティス大佐とタトリン奏長に急ぎお伝えしろ!」
「はっ!」
この中の隊長格らしき兵士――主に喋っていた人物だ――が怒鳴り、一人が敬礼をしてから走って
行く。
――……ビンゴ?
(みたいだな。うっわ、やな予感……)
顔が引き攣るのを止める事が出来ない。
案の定、と云うべきか。
「大変申し訳ありません。詳しいお話をお聞きしたいので、御同行願えますか?」
慇懃ながら、決して拒否させないと云う凄味を持って、兵士は云った。
(……巻き込まれた)
――あーぁ……。
がっくりと肩を落としながら、「……分かった」と返事をする。
隣でおろおろしながら、こちらの顔を見上げるティアが癒しだった。
*** ***
兵士に案内された先の広場では、佐官クラスの男が兵士らに指示を飛ばしていた。こちらに気付く
と、彼は慇懃に頭を下げた。
「ご足労、感謝致します。私はマルクト軍所属、フィリン中佐です」
「ご丁寧にどうも。俺はハル。こっちはティアだ」
紹介されたティアが、ぺこりと頭を下げる。
「このような朝早くに申し訳ありません。こちらも緊急事態でして」
「それは聞いてる。で、一体何があったんだ? それが分からなきゃ何を話していいか分からんよ」
中佐は少し戸惑ったものの、誤魔化しは効かないと判断したのだろう。意を決した様子で口を開い
た。
「我々が護衛していた、とある高貴なお方の行方が知れないのです。失踪か誘拐かは今の所分かりま
せんが、大事なお役目を担っていたお方です。もしや悪漢に浚われたのではないかと……」
「ふぅん……。俺が見た子供は浚われたって感じじゃなかったな。一人だったし」
「お、お一人だったのですか?」
「あぁ。手に錫丈だか槍だか持ってたな。そんでチーグルの森に向かってた」
そこまで云うと、中佐はなんとも微妙な表情を浮かべた。ハル達の前で無かったら、頭を抱えてい
たのではないだろうか。
(どうやら、その高貴なお方とやらは自由奔放らしいな)
――何で?
(だってそうだろ? この中佐の話じゃぁ、大事なお役目とやらがあるっつーのに、周りに無断で外
出したんだぜ? 自由奔放っつーか、いっそ馬鹿だな)
――そっか。オレらも無断で家の外出れないもんな。
(そうそう。高貴な身分の人間が勝手な行動を取れば、被害をこうむるのは周りの人間だ。……こい
つら、正直首が危ないんじゃないかなぁ?)
思わず同情したくなる話だが、所詮は他人事だ。見た事を話す以上の事をしてやる気はない。
「……もういいかな、中佐殿?」
「……。えぇ、ご協力、感謝致します。……トニー二等兵! 宿屋までお送りしろ」
呼びつけられた二等兵が傍まで来て、ハル達に向かって敬礼をする。促され歩き出すと同時に、気
付かれないほど小さくため息をついた。
(断ったら妙な勘ぐり受けそうだし、仕方ねぇか……)
――妙な勘ぐりって?
(俺ら失踪に関わってるだとか、誘拐犯だとか、そう云う難癖系勘繰り)
――えぇ? 受けるかなぁ、そんなの。
(一昔前まで、軍人が民間人に罪かぶせるだの、冤罪でしょっ引くだのはマルクトじゃぁ当たり前だっ
たんだよ。今の皇帝になってから変わったみたいだけどな)
――へぇ……。
(……此れは歴史の授業で習ったはずだけどなぁ?)
意地悪く云ってやれば、ルーは口笛を吹きながら知らんぷりをした。こいつ、復習さぼりやがった
なと叱りつけてやろうとした所で、
「きゃん?!」
「――っ?!」
曲がり角から飛び出してきた小柄な影と、接触した。体格差があったためか、相手はそのまま後ろ
へこけ、尻もちをついている。
ぶつかった相手は、まだ十二、三歳程度の幼い少女だった。
もし此れが、ティアに、もしくは同行の兵士にぶつかってのものならば、ハルはすぐに手を差し伸
べていた。だが、驚きのあまり普段通りの行動がとれなかった。
(俺が、ぶつかっただと……?!)
”職業病”とでも云うべきか。ハルは常に空気を、他人の気配を読んでいる。人が自分へ向かって来
ても、ほぼ無意識のうちに避けられるように訓練されていた。例え人ごみの中を歩いても、行き交う
人々と肩の接触すらしないくらい、避けるのは上手い。
その自分が、”突然””人とぶつかった”。
これが驚かずにいられようか。
「いったたぁ……」
「大丈夫?」
硬直したハルに代わり、ティアが少女へ手を差し伸べた。少女が礼を云って、ティアの手を掴む。
――何固まってんだよ?
(…………いや)
注意深く、少女を観察する。
一見、普通の少女だ。ふわふわとした黒く長い髪を、頭上で二つに分けて結っている。少し垂れ気
味の目は丸っこく、鮮やかな紅茶色。日に焼けた肌は少々手入れ不足だったが、活発そうな印象を与
えてくれる。ピンクと白を基調とした見た目重視の軍服は、ローレライ教団『神託の盾』騎士団所属、
≪導師守護役≫の物だろう。
今は愛らしい顔に困ったような笑顔を浮かべ、ティアに礼を云っていた。
「あ、アニス奏長?!」
「ほえ? あ、トニー二等兵! 一体どうしたの? 何で民間の人と一緒に?」
「えぇっと、この方々は情報提供者でして……」
「……! イオン様が見つかったの?!」
「イオン?」
つい、声に出してしまった。
彼女の軍服は≪導師守護役≫の物。口にした名前はイオン――ローレライ教団最高指導者の名前。
つまり、今行方不明になっているのは、
「……導師イオンが行方不明なのか!」
「えぇ?!」
「あっ!」
「は、はわわっ! しまった……!」
ほぼ決まりだと思い口にすれば、ティアが驚きの声を上げ、トニーとアニスは揃って「しくじった!」
と云う顔をした。
――導師イオンって、ヴァン師匠が云ってた?
(そうだ。ローレライ教団最高指導者、事実上ダアトの君主、”平和の象徴”導師イオン。行方不明
だか公務だかで国を出てるって話だったが……、何でマルクトに?)
「そんな……! 導師イオンが行方不明ってどう云う事なの?!」
「え、えぇっとぉ……」
元教団員として黙っていられなかったのか、ティアがアニスに食ってかかる。それを頭を押さえ込
んで黙らせ、アニスの幼い顔を覗き込んだ。
「先程は失礼した。怪我は無かったかい?」
「あ、は、はい。あの、私こそすみません。急いでいたので……」
「構わないよ。……聞かせてくれ。今マルクト軍が必死になって探しているのは、導師イオンなんだ
な?」
「……」
「……俺が見た子供は、穂先が二股に分かれた長物を持っていた」
ぴくり、とアニスの肩が動く。極、小さな声で――普通の人間には聞こえない声で――、「イオン
様だ……」と呟いたのを、ハルだけは聞き逃さなかった。
「……導師イオンは今の世界に必要な方だ。その捜索であれば、協力もやぶさかではない」
「え?」
「捜索人員は多い方がいいだろう?」
アニスはじぃとハルの目を見つめた。真偽を、と云うか、こちらの申し出に何か裏があるのではと
勘繰っての事だろう。
――そんな事してる暇あんの?
(導師イオンの捜索とならば話は別だ。今導師の身に何かあったら、教団のパワーバランスが崩れち
まう)
――えっと、つまり?
(……ダアトと友好関係にある、うちにまで悪影響が出かねないって話だ)
しばし見つめあった後、アニスはふぅと息を吐いて肩の力を抜いた。そして、こちらに向かって教
団式の敬礼――左胸に右手の握り拳を当てる――を取った。
「ご協力を、宜しくお願いします。私は『神託の盾』騎士団≪導師守護役≫所属、アニス・タトリン
奏長です」
「こちらこそ、宜しく頼む。俺はハル。こっちは旅の連れのティアだ」
「よ、宜しいのですかアニス奏長?!」
「私が責任を取ります。……私はこの方々と行きます。トニー二等兵はフィリン中佐かカーティス大
佐へ連絡を」
トニーが焦った声を出すが、アニスは凛とした顔と声で答えた。その顔を見て、トニーはぐっと息
を飲み、次いで「了解しました」とマルクト式の敬礼――ピンと伸ばした右手を、額に当てる――を
した。
ハルとティアにも同じく敬礼をし、元来た道を走って行く。
「……いいのか? 俺達だけで」
「貴方の技量くらい、見れば分かります。……頼りにしていますよ、ハル殿」
「……光栄だね、≪導師守護役≫殿。……ところで」
未だ頭を押さえ付けたままのティアに、視線を落とす。ティアは抵抗する気もないのか、妙な姿勢
で固まったままだった。
「此れは士官学生レベルの第七譜術士だ。あんまり頼りになんねぇぞ?」
「回復が出来れば上等です」
「あそ」
年齢の割に冷めた口調で話すものだと、ハルは感心した。
導師イオンの身にもしもの事があったら大変だから――ルーに話した事に偽りはない。だが、ハル
は導師の安否よりも、この少女に興味があった。
自分に突然接触した少女。この幼さで≪導師守護役≫。そして、現職兵士を黙らせる気迫。
充分に興味をそそられる対象である。
「それで、イオン様はどこに?」
「俺が見たのは一時間前だ。チーグルの森へ向かってたぞ」
「ではそちらへ向かいましょう。……準備は宜しいですか?」
「いや、一度荷物だけ取りに行かせてくれ。グミもそっちにあるからな」
「分かりました。急いでくださいね」
了
アニス登場〜。今回はちょっと目立たせたいなぁと思ったので、一話使ってみました。
やっぱりと云うか……。イオンとジェイドは困った子設定になりそうです。(笑)
執筆2009/09/05
