「戦うと云う事の定義は人によってまちまちだ」
 女が訳知り顔で語る。
「俺にとっては戦う事と生きる事がイコールだ。戦いの無い生には意味がない」
 それがどうだ、と云って、女は両手を広げた。芝居がかった仕草だった。
「今や戦う術を取り上げられ、理由さえ取り上げられ、籠の鳥だ」
「……だれがかごの鳥だよ。あつかましーな」
「ははは! 確かにな。籠の小鳥はお前の方だ」
「……わざわざ小さいって付けるな」
 女よりずっと身長が低い事を気にしているルークの声が、自然と尖る。それすらも愉快だと云わん
ばかりに女は笑った。
 ここの所、女の機嫌はずっといいままだ。ルークに直接当たり散らす事は無くなった。けれど、そ
れをルークは喜ぶ事が出来ない。
「お前が小鳥なら、俺は差し詰め虎ってところかな」
「にあってるよ」
 ぶっきらぼうに口にする。もちろん一切褒めてなどいないし、それは女も分かっているだろうに、わ
ざわざ明るい声で「ありがとう」などと云う。
 腹立たしい事この上ない。
「と、なるとぉ、あいつは犬だな。あはは、ぴったり」
 馬鹿にしきった声に、ルークの細い堪忍袋の緒はあっさりと切れた。叫び声を上げながら女に飛び
かかる。
 だが、ルーク渾身の攻撃を、女はあっさりと避けた。重力に従い、ルークは勢いのままに落ちた。
顔面から床に落ちたルークは転がって悶絶するが、それは女の笑いを誘うだけだった。
「俺を殴ろうなんざ五百年早いんだよ」
「……そんなに生きてられっか!」
「つまり一生無理って事だよ。そんくらい分かればぁか」
 けらけらけら。喉を転がせて女が笑う。がさつで乱暴でまるで男のような所作なのに、こう云う笑
い声は女のそれだった。
 ふいに、女の笑い声が途切れた。顔を上げれば、あまり見た事のない真顔でルークを見ていた。
「……そんなにあの犬が大事かぁ? お前を裏切ってるんだぞ、あいつは」
 少しの呆れと、大部分の哀れみを込めながら云われた言葉に、ルークは俯いた。
 裏切られている事は、この女から教えられた。知った時はショックだった。悲しくて、辛くて、どう
しようもなくなって、自分から”此処”へ逃げ込んだ。
 だが、今ならば思う。
「……それでも、ガイは、オレを一人にしなかった」
 その言葉に、女は曖昧に笑った。その笑顔の意味が「同情」だったと気付いたのは、大分後に
なってからだった。



 − 暴れん坊っちゃま。



「遅い」
 ――遅いよなー。
 とにかく宿を取って一息ついた『ルーク』、もといハル一行。夕食まで時間があるため、ティアを
”お使い”に出したのだが、一時間経っても戻ってこない。
(そんな難しい事は云ってないけどなー。髪の毛を隠せる布か帽子、それと動き易い黒服を買っ
てこいって云っただけなんだが)
 ――市場で迷子になってたりして。
(まさか……いや、有り得るか。駄目っ娘だからなぁ)
 ぼりぼりと頭を掻く。全く持って公爵子息らしくない仕草だが、それを咎める人間はこの場にい
ない。
「しゃーねぇ、迎えに行くか」
 ――さんせーい。
「またハル様の手を煩わせた……」と落ち込むティアの姿が安易に想像出来た。だが、ルーの云
う通り市場で迷子になり、おろおろしながら泣いている姿の方が一層哀れに感じたのだから
仕方がない。

 腰かけていたベッドから立ち上がり部屋の外に出、受付に居る宿屋の主人に一声かけて表に出
た。
 途端、
「は、放して下さい! 私、そんな事してません!」
「いいからとっとと来い!」
 ティアがガラの悪い男達に絡まれている姿を目撃した。
 明らかに、「か弱い少女が悪漢に連れ去られんとしている」図である。
「―――天誅うううううううッ!
「ぐはぁっ?!」
 その光景を見た瞬間、ハルはティアの腕を掴み、強引に連れ去ろうとしている男の顔面に膝蹴り
をかましていた。考えての事ではない。脊髄反射だった。
 ――おま……っ。下手したら死ぬぞそいつ!
(こいつなんざ死んでも構わん! 俺の連れにこ汚ぇ手でさわりやがって!)
 鼻血を流しながら地面に倒れ、ひくひくと痙攣する男を見てルーが引き攣った声を上げるが、ハ
ルの知った事ではない。
「お、おい! しっかりしろ!」
「な、何だてめぇは! いきなり何しやがる!」
「ル、ルー……じゃなかった、ハル様!」
 他の男達が慌てた声を上げ、ティアが安堵と驚きがない交ぜになった声を上げる。
 そのどちらの声にも答えず、ハルは無言でティアを自分の方へ引き寄せ背後に庇った。只でさえ
陰険な目付きを剃刀の如く鋭くさせ、男達を睨み付ける。
「……人の連れをどこぞへ連れ去ろうとした悪漢に天誅を喰らわせただけだが?」
 何か文句でもあんのかコラ、と言外に付け加える。腕を組み、見下し視線で見渡せば、男達がい
きり立った。
「うるせぇ! 泥棒のくせに偉そうに!」
「泥棒……? ……ティア、どう云う事だ」
 まさかティアが泥棒行為を働く訳もないだろう、と思いながら聞く。確かに人の師匠に襲い掛かり、
本人の意思ではないとは云え公爵子息誘拐をやらかした大犯罪者ではあるが、意味のない泥棒
行為を働くとは思えない。金だって持たせていたのだし。
「わ、分かりません。ハル様に云われた通り買い物を済ませて、宿屋の前まで来たら突然……。あ、
ハル様、これお釣りです」
「あー、いいよ。御駄賃だ。それでお菓子でも買いなさい」
 頭を撫でてやりながら子供相手のように云う。十六歳相手の対応ではないが、ティアは少し嬉し
そうにしていそいそと”御駄賃”を自分の財布にしまっていた。その財布が何だかファンシーなパ
ステルカラーの動物
であった事に、ほんわりと心が温まる。
 ――……ほのぼのしてる場合じゃなくね?
 ささやかなルーの突っ込みが入る。確かに、悪漢に囲まれている中、萌えてる場合ではない。
「ふ、ふざけてんじゃねぇぞ!」
 ――ほら、怒られたー。
 見れば確かに、男達が肩を怒らせ、今にも飛び掛かって来そうなほど殺気立っている。
 だが、こちらとしては意味が分からないのだ。泥棒を行為をしていないのに泥棒と呼ばれる事も、
こうして絡まれている事も。
「別にふざけちゃいないけどな。そもそも、あんたらこそ何なんだ? 突然人を泥棒呼ばわりするな
んて、失礼だとは思わないのか?」
「ごちゃごちゃうるせぇな! いいから黙って付いてきやがれ!」
 怒声と共に、男が腕を振り上げた。咄嗟に反撃の構えを取るハルだったが、その前に、
「ハル様っ!」
「! 馬鹿っ!」
 ――ティア!
 ティアが飛び出して来てしまった。このタイミングでは庇う事も出来ない。
 案の定、ハルに向かって振り上げられた男の拳は、ティアを殴り飛ばした。そのまま木の柵に激
突し、ティアの細い体が崩れ落ちる。
 ――ティア! おい、ティアが!
 ルーが悲鳴を上げる。それに答える余裕もない。
 気を失ったティアを見た瞬間、ハルの堪忍袋の緒はぶっちりと音を立てて盛大にぶち切れ。
 目の前が真っ赤に染まった。

 *** ***

「ローズさんよぉ。あんたに云っても仕方ないとは思わないでもないよ? でもなぁ、こちらとしちゃぁ
意味の分からない冤罪をかぶせられた上、大事な大事な連れを殴り飛ばされてね? 正直な話、
あんたら全員くびり殺してやりたい衝動をやり過ごすのに手いっぱいな訳でな?」
 怒りに震えながらハルは云う。云われているのはエンゲーブの責任者、ローズ夫人だ。夫人の後
ろには騒ぎを聞きつけた人々が集まっており、怒り狂うハルを見て怯えている。
「……弁解の言葉も無いよ。でもね、あんたもやりすぎじゃぁ……」
「ほほーう? 俺の可愛い可愛いティアはあんたの所の悪漢に可愛い顔を殴り飛ばされ気絶しちまっ
た訳だが? 農作業をする屈強な男がか弱い少女を殴り飛ばしておいて被害者面かオォイ?」
 ――……まぁ、確かに許せないけどさぁ。お前もやりすぎじゃね?
(骨は折ったけど内臓は無事だぜ?)
 ――そう云う問題じゃねぇし!
 ティアを殴り飛ばされた後、ハルは怒り狂った。どのくらい怒り狂ったかと云うと、普段はある程度
聞いてやるルーの制止を一切聞かず、男達を完膚なきまでに叩きのめしたくらいの怒りようだ。的
確に急所を打ち抵抗を封じ、足を折って逃亡防止、その後はひたすらヤクザキックだ。
 騒ぎを聞きつけた周りの人々は恐ろしさの余り止めに入る事が出来ず、”偶然”駐屯していたマル
クト軍が呼ばれたらしい。彼らもハルの所業と怒り狂う様に腰が引けていたらしいが、国民の平穏
を守るためにと懸命に職務を執行。何とかハルと男達を引き離し、エンゲーブの責任者であるローズ
夫人宅へ連れて行き、今に至る。
 ちなみにティアはローズ夫人宅のベッド――ハルの目に入る所にある――に横たえられている。
既にハルの手によって回復術を掛けられて傷は治っているが、まだ目を覚まさない。
 男達は床の上で治療を受けている。ベッドに寝かせる事はハルが頑として許さなかった。
「……で、ローズさんよ。一体エンゲーブで何があったんだ? いきなり人を泥棒呼ばわりするって
事ぁ、何かあったんだろ。話してくれよ」
 くれよ、と云いつつ、滲み出る空気が「話さないとどうなるか分からねぇぜ?」と脅している。
「……分かってるよ。ちゃんと話すから、その怖い顔をやめておくれ。皆怯えちまってるよ」
 堅気でないどころか、明らかに極道系のハルを前にローズ夫人は気丈な態度を崩さなかった。
街一つを背負う責任者だけあって、肝が据わっている。
「実はね、此処数日、うちの食糧庫が荒らされてんのさ」
「世界の食糧庫が? ずいぶん豪胆な泥棒が居たもんだな」
 エンゲーブは只の農業地域ではない。肥沃な大地を抱えるマルクトの中でも特に農業生産が多
い地域だ。マルクト国内だけでなく、キムラスカ王国、宗教自治区ダアトへ輸出する食糧も大半が
此処の農作物だ。
 もしエンゲーブで不作などが起きれば、世界中が食糧不足に悩まされる羽目になる。それを解
決するため、キムラスカも様々な研究を行っている訳だが。
「量としては全体から見れば微々たるもんだよ。けど、汗水垂らして作った作物を盗まれたとあっ
て、男共が殺気立っちまってねぇ……。余所者に絡んだのも、あんたらが初めてじゃないんだ。止
める様に云ってはおいたんだけどねぇ……」
 それでこの様である。
「ふん。じゃぁますます自業自得じゃねぇか」
 ――おい。云いすぎだろ。
(何だよ、やけに絡むじゃねぇか)
 ――だってさ、確かにこいつらは気に入らないけど、こいつらの家族はどうなるんだよ。
(……)
 ――働き手潰されて、エンゲーブも困るんじゃねぇの?
 ルーの云う事は最もであった。確かにこの男達は許せない。だが、かと云ってその家族に類が
及ぶ事は本意ではないのだ。
 ティアの形見のペンダント事件からこっち、ルーは「家族」について敏感になっている節があった。
どうやら、ハルの言葉にやたらと絡むのはそれの発露だったらしい。
 ――こいつらにだって、心配してくれる家族はいるんだろ。可哀想じゃん。
(……あー、分かった分かった。俺が遣りすぎたよ。ったく……)
 コキコキと首を鳴らし、手当てを受けている男達へと歩み寄る。
 ローズと手当てをしていた兵士が驚きの声を上げ、男達は掠れた声で悲鳴を上げた。どうやら、
ハルが止めを刺すものだと思ったらしい。そう思われても仕方がない言動ではあったのだが。
「……大気に舞し精霊達よ、清浄なる調べを奏でよ――フェアリーサークル」
 詠唱が終わると同時に、巨大な譜陣が展開する。身構えていた兵士達はハルの詠唱した譜術が
回復術であった事に安堵のため息を漏らし、男達は突然癒えた怪我に驚いていた。集まっていた人々
からも、「あれ、腕の怪我が」やら「腰痛が治った!」など感嘆の声が上がっている。どうやら譜陣の
効果範囲に入っていたらしい。
「第七譜術士(セブンスフォニマー)でいらっしゃいましたか……」
「まぁね。……てめぇらの事ぁ許せねないが、養う家族はいんだろ。その人らにまで迷惑掛けんのは
本意じゃねぇからな」
 またもや男達が驚いた顔でハルを見上げる。中には涙を流している者まで居た。
「ただ」
 ひんやりと、冷たい声を出す。
「次同じ事やりやがったら……どうなるか分かってんだろうな? 俺の仏顔は一度きりだからよぉ……」
 低い声で脅してやれば、男達は震えながら何度も頷いた。此れで旅人が絡まれるなどと云う騒動は
無くなるだろう。
「そんじゃ、お暇しようかね」
「……何だかすまないね、色々と」
「いいよ。何か頭も冷えたし。泥棒事件が早く解決するよう、祈ってるよ」
 まだ気絶しているティアを抱き上げ、ハルはローズ邸を後にした。自分を監視するかのような視線
が追っかけてきている事に気づいてはいたが、立て続けに騒動を起こす訳には行かないだろうと自
制した。

 *** ***

 ――あんがとな。
(何でお前が礼云うよ)
 ――あいつらの怪我、治してくれただろ?
(……元を云えば、俺がやったんだけどなぁ。それで感謝されるってのも妙な話だろ。……そう思うと、
放生会(ほうじょうえ)並みに本末転倒だな)
 ――ほーじょーえ?
(えーっと、とある宗教の不殺生の思想に基づいてだな、それ用に捕まえた動物をわざわざ買って野
に放すっつーとある時代で盛んだった本末転倒行事だ
 ――本当に本末転倒だなー。
 けらけらとルーが笑う。
「う、ううん……」
「あ」
 ――目ぇ覚ました?!
 下らない話を繰り返している内に、気絶していたティアが目を覚ました。
「あ、あれ……、私……?」
 ――ティア、大丈夫か?
「此処は宿屋だよ、ティア。傷は大丈夫か? どこか痛むとか、吐き気はしないか?」
「だ、大丈夫です。えっと……」
 虚ろだった目の焦点がぴたりと合った瞬間、ティアはがばりと身を起こした。
「ハル様お怪我は?! お怪我はありませんか?!」
 云われたハルはきょとんとしてしまった。”彼”にしてみれば至極珍しい表情である。
「……大丈夫だよ。お前が庇ってくれたからな」
「そうですか……。良かった……」
 ティアは安堵の息を吐き、笑みを浮かべた。それを見たハルは無言で握り拳を作り、軽く――最初
の暴力が嘘のように――優しく、ティアの頭を殴った。
「え、は、ハル、様……?」
 ――ちょ、どうしたお前?! 手加減なんて高等な真似出来たのか?!
 ティアがぽかんと口を開き、ルーが失礼極まりない言葉を叫ぶ。
 ルー、後で覚えてろよと胸中で呟き――ルーが「げ」と口にした――、ティアの名前を呼ぶ。
「……お前が自分なりに俺を守ろうとしてくれてる事は分かる。必死なのも分かるよ。けどな、無茶は
しないでくれ」
 自分で殴った場所を、丁寧に撫でてやる。これも本末転倒かと、ハルは口の端で笑った。
「ティアに何かあったら、俺は悲しい」
「ルーク様……」
 ティアは戸惑ったようだった。呼び方が『ルーク』に戻っている。
 組み合わせた両手をもじもじと動かした後、軽く俯き、小さな声で「ごめんなさい」と云った。



 了


 ティアは雲麻の萌えキャラ道を突っ走ります。(実は駄目っ娘萌えです)
 苦手な方、ご容赦下さいませ。

 いや本当に、遣る事成す事空回りで裏目に出まくっても、必死になる女の子ってのは可愛い。
 原作ティアも駄目っ娘なんだが、自覚もなく自分は何も間違ってない、私は何でも出来るって態度
だから萌えなかった。残念過ぎる……(お前だけだよ)

 執筆 2009/08/26