「どうしよう。最近ガイが可愛くなってきた」
「ぶーッッッ!」
女の突拍子もない発言に、ルークは盛大に噴き出した。この女、今、何云った。
「かわいい? かわいいっつったか。あんなにイジメておいて!」
「いや、それがさぁ。監禁して軽く半年は過ぎた訳だが、俺が部屋に戻るのを忠犬ハチ公よろしくお
座りして待ってる姿が可愛くて、俺が戻れば目いっぱい鎖伸ばして足に頬ずりしてくるのが可愛くて、
俺が上に手を上げるとぴるぴる震えながらどこか期待に満ちた眼差しで頬を赤く染めるのが可愛く
て、股間踏み付けるとあんあん喘いで泣きながら「もっと強くして下さい」ってねだる姿が可愛くて」
「お願い黙って今すぐ黙れえええええええええ!」
悲鳴を上げながら、黒い地面に突っ伏した。
最近イジメ映像ばかりでその前座や事後などは見せられていなかったが、ルークの預かり知らぬ
所で女とガイの間に、のっぴきならない関係が育まれているらしかった。
ルークの中に生きるガイは、精悍な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべる好青年だったと云うのに。
女の話からすれば、最早尻軽な売女以外何者でもないではないか!
「オレのガイを返せ……!」
「おお、呪詛に満ち満ちた音声だな。お前も成長したもんだ」
「お前のせいだ! いやな方向に成長させるなよばかあああああああ!」
成長する事は喜ばしい事だ。だが、何が悲しくてこんな負の方向へ成長を遂げなければならない
のか。
目の前の女を今すぐ殴ってやりたいが、不可能な事は身にしみて分かっている。だから睨み付け
るだけで終わらせておいた。君子危うきになんとやらだ。決して腰抜けなどではない。断じて!
「オレのガイは優しくてカッコよくて強くて優しくて甘くて料理が上手で爽やかで優しくて理想の兄貴だっ
たのに……!」
「優しいが頻繁に出過ぎだろ。理想の兄貴ねぇ……あれがなぁ……」
ふへっ、と女が小馬鹿にしたような息を漏らした。
「どっちかっつーなら理想の雌犬だろ。随分と従順になってなぁ……、調教した甲斐があったっても
んだ!」
「輝かんばかりのいい笑顔で云うな! 親指立てるな! オレがお前並みに強かったらその指へし
折ってやんのにいいいいいい!」
「おいおい、怖い事云うなよ。誰の影響だまったく」
「お前以外有り得ねぇし! 他の誰がオレに影響与えるってんだ!」
「それもそうだな」
女は顎に手をやると、悩むような顔になった。何かを思索する時顎に手を当てるのは、女の癖だっ
た。カッコつけ、と云ってしまえばそれまでだが、妙に様になっているのが腹立たしい。
「……まだ、早いか……」
「? 何が?」
「うんにゃ。別に。じゃ、俺そろそろ帰るから」
「え、もう?」
うっかり口に出せば、女がニヤーと厭な笑みを浮かべた。自分が口に出した言葉を思い出し、瞬間
的に顔に血液を巡らせたルークは、積み木やぬいぐるみをぽいぽいと女へ投げつけた。
「ば、なんでもねーよばか! さっさと帰れ!」
「へへへ、また夜にでも来てやるよー。寂しがって泣くんじゃねーぞー」
「うっせばーか! 泣かねーよ!」
ケタケタ笑いながら、女が帰って行く。その後しばらく、ルークはぶつぶつ文句を云いながら怒って
いたが、気付けば、「早くこねーかな。何やってんだあいつ」などと云う言葉を呟いていた。
許す、許さない以前に、人と云う生き物は環境に慣れ、適応するものであると、知らず知らずのうち
に学んでいたルークだった。
− アニマルテラピー。
扉を開けた途端視界に飛び込んで来たのは、こちらに向かって土下座しているゼノビス中将とフィ
リン中佐だった。彼らだけではない。廊下はびっちりと、土下座している兵士達で埋め尽くされてい
た。
本当にびっちりだった。足の踏み場もない。と云うか、身動きが出来ない。
「誠に、誠に、申し訳ありません、ルーク様、ティア様!」
震えに震えた声が、合唱した。見事な息の合いようだ。気持ちは分かるが。
ハルはため息を一つ着く。
確かに、あの馬鹿の態度からすれば当然の行動だ。だが、あの馬鹿を呼んで来いと云ったのは紛
れも無くハル自身なのである。
貴族の傲慢を持ってして謝罪を受け入れてもいいのだが、ハルはそれを良しとはしなかった。
「……あー、とりあえず、頭上げろ。つーか、身動きがとれんから、立ってくれ」
云えば彼らは戸惑いながらも立ち上がった。だが、視線は下げたまま、ハルらの顔を見て来る者は
いない。
「おい、そこの」
「は、はい?!」
適当な兵士を呼び付ける。彼はガチガチに緊張しながら、数歩前に出た。周りの兵士たちも、似た
ような顔をしている。
(……断頭台に上がるような顔してんなぁ)
――お前が怖いんじゃねぇの。
(おいおい、酷い事云うなよ。こんな優しい人間を捕まえて)
――あっはっは。……そのジョーク笑えない。
(思いっきり笑ってたじゃねぇか! ……まぁいいや)
背後に居たティアを引きずりだし、その兵士へ向けて軽く押し出した。
「悪いが、ティアを甲板に――クイーン達の所へ案内してくれ」
「ど、どうしてです、ハル様! 私はお側に……!」
泣き腫らした赤い目と瞼、頬を隠す事なく、ティアは必死な表情で云った。それに小さく笑って、頭
を撫でてやる。
「これからちっとばかし、上絡みの話をするからな。悪いが、先に行って待っててくれ」
「……ハル様が、そう、仰るなら……」
渋々ながら、ティアは了承した。それから兵士に向かって、「お願いします」と頭を下げる。兵士は
恐縮しきった様子でティアに礼を返し、ハルに向かって最敬礼を取った。
最早上司の了解を取る必要は無いのだろう。ハルから視線で許可を得ると、そのままティアを案
内して行った。当然、それを咎める人間もいない。
今や彼らの全権を、『ルーク』が握ってしまったような物なのだから。
「ゼノビス中将、フィリン中佐は部屋に入ってくれ。……話したい事がある」
「はっ」「はっ」
*** ***
遠慮する二人を半ば無理矢理着席させ、ハルは話を切り出した。話をする時、相手にずっと立っ
ていられても首が疲れるし、”所有物”でもない人間を跪かせ続けるのも趣味ではなかったからだ。
「率直に聞こう。……カーティスは、”何なんだ?”」
その言葉に、二人は無礼にならない程度に困惑を顔に滲ませる。それを見て、ハルはさらに言葉
を続けた。
「あいつが『皇帝の懐刀』と呼ばれている事は知っている。だが、それにしたって、何だってあぁも”高
飛車”になる? 軍人としてもって当然の素養が全く見当たらない。あれは本当に、士官学校を卒業
しているのか?」
云えば二人は顔を見合わせ、それから心得たとばかりにゼノビスが話し出した。
「そうでしたね……。一佐官の来歴など、ルーク様がご存じな訳ありませんでした……。申し訳ありま
せん」
「いや、謝罪はいいよ。で、どう云う事だ?」
「……カーティスは元々研究者畑の人間なのです。……フォミクリーと云う、技術の」
フォミクリー。
その言葉に、ハルもルーも反応を示した。彼らとは切っても切れない、縁の深い技術である。
「……確か、マルクトでは無機物・有機物含め、フォミクリー研究は禁止されていたはずだが?」
「えぇ。彼が軍部に入ったのは禁止されてからなのです。それまでは、生体フォミクリーについて研究
していたと聞いております」
「ふぅん。じゃぁ、士官学校は飛び級か?」
「はい。元々譜術面に関して飛び抜けた才覚があったので、入学試験はパス。すぐに卒業試験を受け、
実技、筆記合わせて当期の首席で合格し、軍部入りしたと聞いております」
「はーん。なるほど。天才の名は伊達じゃねぇってか。なら、それなりに長いはずだよな、軍役。マルク
トがフォミクリー研究を禁止したのって、十年も前の話だし」
「えぇ。彼は十年軍部におりますが……その……彼の個人的事情により、大分”甘やかされて”おりま
して……」
まるで家庭の恥部を話すかのような顔つきで、ゼノビスが云った。
「甘やかすぅ? 何でまた」
「……皇帝陛下の、幼馴染なのですよ」
ぽんと、ハルは手を打った。
「あぁ! なるほど! それで! ……ん、そう云えばピオニー陛下は、ご幼少の砌(みぎり)ケテルブ
ルグで過ごされていらしたな。その時のか?」
「はい。その際に交流が出来たと聞き及んでおります」
「なるほど。……ん、ケテルブルグ……カーティス……ジェイド……フォミクリー?」
ふと、気になった単語を指折り数える。
――どうした?
(いや、ちょっと待て、俺の記憶の引き出しを今開けてる所だ……)
――何だそりゃ。
随分前に必要に駆られ読んだ本の内容を、懸命に思い出す。父が領地でフォミクリーを研究してい
るからと、ガイに申し付けて持って来させた書籍の数々。その多くに記された、名前。
(ジェイド――そうだ、ジェイド・バルフォア!)
思い出せた事に、パチンと指を鳴らした。
「あいつ、旧姓バルフォアか!」
「! は、はい、元はケテルブルグの名家バルフォアの出で、カーティス家へは養子で入ったと……」
「フォミクリーの産みの親じゃねぇか! ……なーる、だから和平の名代に選ばれたってか」
皇帝の幼馴染兼『懐刀』、名家バルフォアの出、名門カーティス家の養子、フォミクリーの発案者と
くれば、確かに地位が大佐であっても皇帝名代として事足りる。
それ程までに、フォミクリーと云う技術はキムラスカに密着しているのだ。公爵家が力を注ぎ、研究
するくらいに。
彼が名代で来たならば、キムラスカは諸手を上げて受け入れるに違いない。
最も、あの馬鹿がまともであったならの話であるが。
――そーいえば、父上の領地だと有機物フォミクリーの研究が盛んだったっけ。
(そうそう。無機物系のフォミクリー研究が盛んなのは、別の公爵家領地な。よく覚えてたじゃないか)
――へへー。そりゃフォミクリーに関しちゃぁな! ちゃんと知っとかないと!
得意げに語るルーに、内心笑みをこぼす。こうやってたまには良い気分にさせておかないと、鬱憤
が堪ったままになってしまうのだ。ハル流の飴と鞭の使い訳である。
「あ、いえ、違うのです」
「え?」
ふいに云われた言葉に、顔を上げた。
「カーティス大佐が名代に選ばれたのには、他に訳が」
「フィリン中佐!」
「あ」
ゼノビスが顔色を変え、叱責する声でフィリンの名を呼んだ。それに伴い、フィリンの顔色も青くなっ
た。
その様子を見て、どうやら、カーティスが名代に選ばれた理由を知られたくないのだなと悟る。
此処で気のよい大人なら、流してやるのだろう。だが生憎と、ハルは現在大人でもなければ、気も
よろしくない、むしろ碌でもない部類の若者だった。
にっこりと、極上の笑みを浮かべてやる。
「へぇ、どんな訳があって奴が選ばれたのかな?」
「いえ、その、あの!」
「当然、教えて貰えるよなぁ? なぁ、ゼノビス中将?」
敢えてゼノビスを指名する辺り、性格の悪さが前面に出ている。
二人は顔を青くし、ダラダラと冷や汗を流していたが、もう一度促せば観念したかのように両肩をがっ
くりと落とした。
――おい。他国の軍人虐めるな。
(いじめてねぇ。いじってるだけだ)
――どっちも変わらねぇよ! このドエス! ドエス!
(二回も云うなよ)
――後十回は云ってやりたいわ!
ルーの罵声を大人しく聞いていると、ゼノビスが至極云い辛そうに口を開いた。
「あの……、このような事を云える立場ではないのですが、王室の方々と、公爵の皆様には、ご内密
に願えるでしょうか……」
「なんだ。そんなに不味い理由なのか?」
「えぇ……。その、我が国の尊厳に関わるのです……」
「そいつぁーまた……」
どえらい理由の元、選ばれたもんだと、感心してしまう。まさか、国家の尊厳に関わるとは。
「……まぁ、元を云えば俺の我が侭だしな。いいよ、黙っといてやる」
「有難うございます」
二人同時に、深々と頭を下げる。ハルが席を勧めていなかったら、土下座していたかも知れない勢
いだ。
――優しいじゃん。珍しく。
(まぁ口約束なんてどうとでも出来るし)
――最低! お前最低! オレの褒め言葉返せよ今すぐに!
(何を云う。大人の駆け引きと褒め給えよ)
――誰が褒めるか! 悪徳人間!
酷い云い草だが、概ね真実であるためハルは口を噤んだ。
無言で顎を動かし、先を促せば、今にも舌を噛み切りたいと云う雰囲気でゼノビスが語り出す。
「預言(スコア)、です」
「……何?」
「預言で、カーティス大佐が名代になる事が、詠まれたのです」
がたりと、音を立ててハルは立ち上がった。
ゼノビスがびくりと肩を竦め、フィリンが観念したかのように深いため息をついた。
「――正気かお前ら! マルクトが……預言に頼っただと?! 冗談も大概にしろッッ!」
唾を飛ばす勢いで怒鳴り付ける。
二人は沈痛な面持ちで、その怒声を受け入れていた。
「いえ、冗談では、ないのです。……我が国は、預言を頼り、カーティス大佐を、名代に」
ハルの拳が、強くソファーの背を殴った。本気で殴っていたら、その馬力によりソファーは粉砕し
ていただろう。それが無かったと云う事は、まだ頭は冷静だと云う事だ。
顔を空いた左手で押さえ、どっかりとソファーに腰を降ろす。
ゼノビスもフィリンも、無言だった。
――お、おい。何でそんなに怒るんだよ。別に、預言なんてうちだって……。
(そりゃ、うちはいいよ。うちはな。だがな、マルクトは別だ)
キムラスカは古来よりダアトと懇意にし、預言に頼った生活をしている。勿論、全面的ではない。
だが預言を重視し、尊んではいる事は事実だ。
だが、マルクトはそうではない。
彼らは預言を嫌い、預言からの脱却を謳いキムラスカから独立したのである。云い方を変えれば、
預言に頼るキムラスカを蔑視し、預言を掲げるダアトとの敵対を宣言したとも云える。
後付けではあったが、憲法でも「預言をマルクト国内で詠む事を禁ずる」とまでしたくらいなのだ。
それだけ、徹底的に預言を排斥してきた。それが、マルクトと云う国家の大本だったからだ。
だと云うのに、大事な和平の名代を預言で選んだ。
此れが知られれば、マルクト国内における賢帝ピオニーの名は地に堕ちるだろう。
(非核三原則のある日本で核弾頭作ったようなもんだぞ……!)
――? ひかく? にほん? かく?
(こっちの話だ。悪い。それにしたって……)
深く重いため息を、一つつく。
「なんつー、事を……」
「議会で、反対意見は多数、出ました。けれど……」
「『預言を重視するキムラスカへ使者を出すならば、その使者は預言で選ぶべきだ』と……」
「……うちへの礼儀を重視するあまり、自国を疎かにしたとでも云うのか?」
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てれば、二人は深く俯いてしまった。
ハルは細くため息をつくと、顔を押さえていた手を外す。
「……了解した。俺とて、マルクトの崩壊を望んでる訳ではない。これは俺の胸に秘めておこう」
「……ありがとう、ございます」
「……ただ、二つ聞かせろ。――まず、その預言を詠んだ場所はどこだ」
「宮廷の、ピオニー陛下の私室です」
「プライベート扱いにしたかったって事か。まぁどっちにしろ憲法違反だな」
宮廷の外、いや、マルクトの外で詠ませていればまた違っただろう。宮廷、それも皇帝の私室とな
れば云い逃れも出来まい。
それが分からない男ではないだろうに。
「次、……預言師(スコアラー)は誰だ。まさか、そこら辺の教会にいるような、低レベルの奴じゃな
いだろ」
「名前までは聞き及んでおりません。ただ、詠師職にある方であると」
「詠師、ねぇ」
現詠師は七名のうち、二名は第七譜術士の素質がない。となると、残りの五人に絞られるが、そ
の程度の情報では指定は出来無さそうだとハルはため息を吐いた。
(さて、私腹を肥やすのに熱心なあいつか、それとも、過激派のあいつか……。誰にしろ、キナ臭い
話になって来やがったな)
――……何、結構、まずいの?
(まずいな。一部とは云え、ダアトに弱み握られたんだからな)
チッと鋭く舌を打つ。
別にマルクトに対して思い入れはないが、此れ以上ダアトが幅を利かせるのは勘弁願いたい所だ。
それに密偵の話では、詠師数名と大詠師が今年に入ってから大きく動き始めていると云う。
恐らく、『秘預言(クローズド・スコア)』の年に入ったのだろうと容易に想像がついたが、一体何が
起こるのかが明確には分からない。
あのボンレスハムがダアトを放ったらかしにし、キムラスカに入り浸り、王に何度も戦争を唆すよ
うな言葉を口にしている事から、十六年前の「ホド戦争」に近い事が起こるのだろうと予測はしてい
るが。
(ほざけ豚野郎が……。前のでけぇ戦争からたった十六年だぞ? 両国民がどれだけ疲弊してると
思ってやがる……!)
腹の底を、怒りの炎がじっとりと舐めた。
文献で知ったダアトは、いつもそうだった。人間を預言通りに事を進めるための駒としか見ていな
い。
現導師イオンの代に入って、少しはマシになったかと思いきや、これだ。
「おい、今すぐ帝都へ連絡入れろ」
「はっ。何とお伝え致しましょう?」
「今すぐ、カーティスに代わる名代を立てろ。理由は、俺への不敬で事足りるだろ? 何でもいいか
ら、カーティスを名代から降ろすんだ。此れ以上ダアトに付け込まれる隙を与えるな!」
多少でいい、預言から外れる行いをすれば良い。いっそ無かった事にしてしまえ。
その意図が伝わったのか、フィリンは立ち上がり敬礼を取ると、すぐ様部屋を出て行った。残され
たゼノビスが、再度深々と頭を下げて来る。
「勘違いするな。俺は俺の思惑で動かせて貰ってる。……罷り間違っても、てめぇらマルクトの為じゃ
ねぇ」
「承知しております。……それでも、感謝の意を捧げたく、存じます」
「……そうか。それじゃぁ、まぁ、素直に受け取っておこうか」
斜に構えたような笑みを浮かべるハルに、ゼノビスは疲労を感じさせるが、それでも穏やかな笑み
を見せた。
*** ***
一通り話終わり、今後の事も決めたハルは甲板に来た。此処まで案内してくれた兵士に一言礼を
云い、中央にこんもりと出来あがった”毛玉”の塊へと近づけば、思わず笑みがこぼれる光景がそこ
にあった。
「おーおー、微笑ましい光景じゃねぇの」
――あー! ティアいいな! いいなー!
「こ、これは、ルーク様!」
ティアへの案内に就かせていた兵士が、素早く敬礼を取る。それに片手で答えて、ハルは”毛玉”
へ向かって頭を下げた。
「申し訳ない、クイーン。うちのが、お世話になって」
云えばクイーンは、「気にするな」とでも云う風に、軽く鳴いた。広い心に感謝すると同時に、くすぐっ
たさと恥ずかしさを感じてしまった。
そう思うのは、恐らく、ティアと云う存在をハルが受け入れ始めている証拠だろう。
甲板にどっしりと横たわったクイーンの腹に背を預け、ティアが熟睡している。その膝の上にはミュ
ウは体の全てを、プリンセスは頭を預け、これまた熟睡していた。
ぷぅぷぅと幼子のように妙な寝息を上げている年頃の娘を前に、ハルは小さく苦笑した。
(あーあー、油断しきった様だなおい。……本当に、軍人に向いてない奴)
――軍人なんて向かない方がましな人生歩けるって云ってたの、お前じゃん。
(ははは。まぁな。……そうだな、軍人になんて、向いてない方がいい)
オールドラントは小競り合いの方が多いとは云え、争いの絶えない世界だ。
かつてあった大小様々な国は吸収合併、または淘汰され、残されたのは巨大な二大国家と、一
つの宗教自治区のみ。
元は同国であった二大国家は、お互いに引く事が出来ない。”親”は”子”にでしゃばるな、大人
しくしていろと恫喝し、”子”は”親”を越えるべく挑み続ける。引けば国(オノレ)の尊厳を守れ
ぬと意固地になりつづけ、千五百年もの時を経た。
幾度も国境争いを続け、幾度か総力戦を繰り広げ、名ばかりの休戦協定が結ばれては破られ
て。
(”この世界”で軍人になるっつー事は、「人を殺します」と宣言するようなもんだからなぁ)
――……うん。
それほどまでに、争いの多い世界なのだ。戦争を経験してない世代などいないくらいに。
戦争をすれば、民は疲弊し、大地は傷付き、国が弱る。無い方が良いと、皆分かっているのに。
それでも争いを止められないのは人の業ではなく、生き物の本能なのだろう。同格の力を持つ二
つの種族が存在すれば争いが起きるのは、人間だけの話ではないのだから。
『貴方は哀しい事を仰いますのね』
ふと、婚約者の言葉が思い出された。
哀しげな顔で「何故戦争など起きるのでしょう」と云った彼女へ、「本能だからだろう」と答えた自
分。この世から戦は無くならないよ、と言外に云った自分へ、彼女は語った。
『人も所詮は動物。そうですね、貴方の云う通り、いがみ合い争い奪うのは、本能なのでしょう。け
れど人間は、ケダモノではありませんわ。その知恵を持ってして文明を築き、理性を持ってして国
と云う巨大な集合体を纏め上げ、歴史を紡いできたのです。人間は、人間だけは、殺し合わなくて
済む世界を、作る事が出来るのではないでしょうか』
高尚なお言葉だと、馬鹿にする気にならなかったのは何故なのか。普段の自分ならば、吐き気が
するような綺麗事。
それを、真摯な思いで聴き続けたのは。
『私(わたくし)と作りませんか。そんな、夢のような世界を』
彼女の目が、あまりにも凪いでいたからだろうか。
駄目になって行く世界に絶望せず、静かに夢を見ていたからだろうか。
正義感も情熱も無く、ただひたすら願う、幼子の如き純粋さを視たからだろうか。
『ルーク』とは違う、深緑の瞳に、ひたすら魅せられていた。
(……あれで惚れたのかなぁ、今思うと)
――? 何の話だ?
(いや、なんでも。……俺らもちょっと休もうか?)
――さんせーい!
ルーの明るい声に対し、ハルは小さいながらも楽しげに笑った。
「申し訳ない、クイーン。俺もお邪魔していいかな?」
問えばクイーンは楽しげな声を小さく上げ、顎でくいと自分の腹部を示す。枕にして良し、と云う
事だろう。心の広い女王に感謝の言葉を捧げ、ハルは直立不動のままでいる兵士へ声をかけた。
「すまない。えーっと……トニー二等兵、だったな?」
「?! は、はい! 自分はトニー二等兵であります!」
――あれ、自己紹介されたっけ?
(何云ってんだ。エンゲーブで会った事あるだろ?)
――……?
(アニスと会う前に、途中まで送ってくれた人だよ)
――あ! あー! あの人か!
すげー、よく覚えてんなー、と感心された声で云われ、ハルは少しばかりくすぐったい気持になる。
昔から、の顔と名前を覚えるのが得意なだけなのだが、褒められると悪い気はしない。
「俺も此処で休むから、何かあったら遠慮なく起こしてくれ」
「よ、宜しいのですか? 甲板なので、風がお強いかと……」
「クイーンがお腹を貸して下さるそうだから。君も寒かったら戻ってくれて構わないよ」
「いえ、自分は護衛として此処におります! ……あ、お邪魔でしたならば、その……」
「はは、邪魔なんてとんでもない。それじゃぁ、宜しく頼もうか」
「はっ! お任せ下さい!」
まるで見本のようにきっちりとキムラスカ式敬礼をするトニーへ向かって微笑んでから、ハルはティ
アと並んで座り、クイーンの腹へ背中を預けた。
動物の体温は高く、心地良さを覚えるが、眠気はやはり訪れない。”敵中”で訪れても困るのだが。
――……オレ、眠いかも。
(マジかよこのお子ちゃまめ! ……まぁいいや、何かあったら叩き起こすから、寝ていいぞ)
――おー。おやすみー。
ハルほど鍛えられてはいないルーは、獣の体温にあっさり睡眠欲を刺激されたらしい。間延びした
声を最後に、本当に寝入ってしまった。
それを少し羨ましいとおもいつつ、ハルは半眼の目で空を視る。
天全体を染め上げる青色を見て、マルクトの皇帝の事を思う。青は、マルクトを象徴する色だから
だ。
(穏健派、希代未聞の賢帝、狂乱の炎帝の息子――、一体何を考えている?)
彼はたった三年前に即位したばかりの新米皇帝だ。だが、その政治手腕は素晴らしく、前代皇帝
時代の悪しき風潮を、確実に払拭して行っている。マルクト全体の生活水準も、確実に上昇傾向に
あるくらいだ。
あの伯父――現国王インゴベルトすらも、彼を認める発言を公式にしているのだから、信用に足
る相手だと思っていた。
だと云うのに、この件に関しての杜撰さは何なのだろうか。
(初の外交に焦ったか? それとも、今までの功績は彼のものでなく、臣下の物だったか。……有り
得るには有り得るが……、それにしても、違和感があるな……)
とかく、この件を己の独断で行うのはまずそうだと判断したハルは、後でフィリンかゼノビスに頼み、
国境の砦カイツール宛てに手紙でも出すべきかと考え始めた。
確かに自分は、外見より少々”長生き”であるし、”前にも”政治へ関与した経験があるが、父と伯
父には遠く及ばないのだ。こう云う時は年長者の意見を窺うべきだろうと考え、軽く肩の力を抜いた
のだった。
了
ごめんなさい。ジェイド出てきませんでした!←
まぁ、これは閑話的な物と思って下さい……。
ジェイド調教は必ずやりますのでえええええ……。
私はジェイドをまともにしたいのではない。犬にしたいのだから!←
書き易い方へ書き易い方へと流れていく私は本当に駄目な人間だと思います。すんません。
執筆 10/01/25
