今日も外は良い天気。
 僕は朝も早くから、考え事をしつつ廊下を歩いていた。
 朝食前の時間。毒虫の世話は終わったから、残りは自分の時間だ。
 だから毒虫小屋から近くて、あまり人の居ない空き部屋が固まってる周囲を、歩き続ける。
 僕って何かを考える時、じっと動かないで居るより、歩いていた方が考えがまとまるんだよね。


 考えてる内容は、勿論、あの阿婆擦れの殺し方。
 どうやって殺すのが一番いいかなってずっと考えてるんだけど、中々答えが出ないんだ。


 動物性の毒殺が一番得意だけど、それだと僕がやったってすぐバレちゃうし。
 逃げた毒虫のせいにしたら、その子達が処分されてしまうかも知れないし、生物委員会に迷惑がか
かっちゃう。それは駄目だ。
 植物性となると、にーにや保健委員の得意分野。すぐに見破られてしまう。
 少しずつ盛って行っても、途中でばれちゃうだろうし。
 事故に見せかけたいんだよね。
 だから、毒殺は駄目なんだ。

 階段から突き落とす?
 確実とは云えない。頭から落ちたらなんとか……。
 でも失敗したら二度目が難しい。絶対怪しまれちゃう。
 これも確実じゃないから駄目かぁ。

 侵入者の仕業に見せかけるのも、小松田さんが居る限り無理だし。
 いや、本当に侵入者が入るのを待って……いつになるか分からないのに?
 ドクタケはよく来るけど、あいつら変に善人だから学園で殺しはしないんだよね。
 いっそ学園長の命を狙ってくれたらいいのに。
 そしたらそれに乗じてあの阿婆擦れ殺せるのになぁ。
 とにかく、此れも却下。


 そもそも、あの女一人にならないから、誰にもバレずにってのが難しい。
 偶然に見せかけるにしたって、上級生相手じゃ誤魔化し切れる自信はない。
 虫獣遁については上級生並みだって云われてるし、動物性の毒についても詳しいけど。
 僕より上の人なんていっぱいいるし、あくまで僕は下級生。
 上級生に勝てる訳がない。

 バレてもいいなら、笑顔で近づいて心臓一突き――でいいんだけど。
 バレたら困るんだもん。

 あの女殺したのが僕だって知れたら、それこそにーにや生物委員会に迷惑が掛かっちゃうんだから。
 僕がにーにを好きなのは周知の事実だし、にーにが阿婆擦れに興味なしって事は皆だんだん分かっ
て来てるし。
 ここで僕があの女殺したら、にーにの為だって皆に分かっちゃう。
 それは困る。
 僕は罰せられるだろうし、にーにだって責任取らされるかも知れない。
 あんな女のせいで、此れ以上にーにの手を煩わせるのは絶対に厭だもん。
 だからバレちゃいけない。
 誰にも知られないように、始末をつけなくちゃいけないんだ。

 ……にーにへ知られるのはいいんだけど。
 そしたら褒めて貰えるし。


「……どうしよう、ジュンコ」


 ため息交じりに、首元へ巻き付いたジュンコへと呟いた。
 ジュンコも困った顔。
 そうだよね、ジュンコもにーにの事好きだもんね。にーにを困らせるような女、早く始末してやりた
いよね。でも上手い方法は中々ないんだよね。

 困ったねぇと、ため息を一つ。
 相談出来る相手もいないし。
 上級生でもいないかなぁ、あの阿婆擦れを殺したいくらい嫌いな人。

 下関先輩は……あれは興味がないだけだな。
 僕と同じく、自分の好きな者しか興味のない人だから。
 備前先輩は阿婆擦れを「嫌いじゃ」って公言してるけど、駄目だ。
 あの人、にーにの事殴るもん。嫌だ。殺したい、とは思わないけど。関わりたくない。
 他の六年生は全滅だもんなぁ。役に立たないったら。

 五年生……は、どうだろう。よく知らないんだよね、五年生って。
 竹谷先輩とは仲良いけど、あの人はいい人だから、巻き込むのはちょっと……。罪悪感が。
 鉢屋先輩は備前先輩に従ってるけど、敢えて攻撃はしたくないみたいだし。
 鳴瀧先輩は君子危うきになんとやら状態。尾浜先輩も同じ。
 五年生も頼りにならない。駄目だ。

 どうしよう、どうしよう。
 一人で悩むって限界がある。
 此れ以上あの阿婆擦れの勝手にさせてたら、にーにが参ってしまうし。
 手段を選んでる場合じゃないのかも知れない。
 やっぱり、此処は備前先輩に……

 嫌いな先輩だけど、後輩には優しいしと考えていた所で、つんつんと、頭巾を引っ張られた。
 ジュンコが、牙を立てないように気にしながら、僕の頭巾を咥えていた。

「? どうしたの、ジュンコ」

 問いかければ、ジュンコの視線が外へと向けられた。
 それを追いかけて、驚く。


 あの阿婆擦れが居た。……一人で。


 胸に歓びが湧きあがる。
 珍しい! あの阿婆擦れが一人で歩いてるなんて!
 都合のよい事に、この辺りは学園の端の方で、あまり人が来ない。だから僕も、考え事をする時は
此処を選んでいた。

 素早く、周囲を見回す。
 僕とジュンコと阿婆擦れ以外、誰もいない!


 なんて都合のいい!
 優しい毒蛇の神様が、僕に与えてくれた好機に違いないよね!
 そのまま真っ直ぐ、そう、歩いて行って!
 その先は、人があんまり来ないからって、結構えげつない罠が練習用に仕掛けてあるんだ!
 僕ら忍たまならば下手な引っ掛かり方しないでかすり傷で済むけど、お前なら馬鹿な引っ掛かり方
して死んでくれるかも!
 あぁそれで死ななくても、引っ掛かるだけでもいい!
 死に損ったら僕が殺すから!


 そんな事を考えながら、わくわくして見ていたのだけれど。
 阿婆擦れは罠の範囲外ぎりぎりで立ち止まってしまった。

 思い切り舌を打つ。
「はしたないわ」とジュンコが僕を咎めるように見た。
 あぁ、御免よジュンコ。ジュンコの云う通りだ。
 こんなお行儀の悪い真似してたら、あの阿婆擦れを馬鹿に出来やしない。


 阿婆擦れが、何事かぶつぶつと云っている。
 よほど独り言に熱中しているのか、こちらに気付く気配もない。
 一体何を云ってるんだろうと、聞き耳を立ててみた。


 聞こえて来たのは。


「どうしてどうしてどうして、どうして私の思い通りにならないの何でなのどうしてだって此処では私の
思い通りになるんでしょう、神様が云ったのよ神様にお願いしたのよ神様が叶えるって云ったのよ、
なのにどうして、なんで千草は私を好きにならないのよ、何でよ、どうして、何で、思い通りにならな
いなんておかしいじゃない、詐欺よ、騙された私騙されたんだわ酷い酷い酷い酷い酷い酷い何で私
が、どうして、私何も悪くないのに、あんな、あんな事云われないといけないの、何で私が、何で、何
で、あんな――」


 怖気がするような。


「作り物なんかに……!」


 呪詛の言葉。


 背筋を駆け抜けたのは嫌悪か、寒気か。
 得体の知れない物を前にした時人間が感じる、原始的な恐怖だったかも知れない。

 だが、それ以上の怒りがあった。

 作り物、と云った。
 誰、誰が? 今の言葉の流れならば――……にーにの、事?


 態と足音を立てて、前へと歩み出、廊下から地面へと足を付けた。
 阿婆擦れが、ハッとした顔でこちらを見る。
 だが僕の姿を認めると、その見てくれだけは良い顔に、歪んだ笑みを浮かべた。


「なぁに、貴方も私に酷い事云いに来たの? そうよね、食堂で云ってたものね、私の事見た目だけ
の雌って云ったものね、そうなのねそうなのねそうなのね! 酷い酷い、二人して私を馬鹿にして!
どうせ見た目だけよ見た目だけよ良い所なんてそれだけよそれの何が悪いって云うの、人より優れ
てる所を上手く使って何が悪いって云うの!」
「別に悪いなんて云ってないし。にーにへ付き纏わなきゃそれで」
「にーに? にーにって呼んでるの? 仲がいいのね! そう、そうなの、千草、男の子が好きなの
ねそうなのね、男同士で出来てるなんて気持ち悪い! 女の方がいいじゃない、女の方が男なんか
より色々出来るんだから何より自然に逆らってないわよ、BLなんて作り物の世界でだけでやってれ
ばいいじゃない!」
「……意味分かんない。どうでもいいから、にーにへ近づかないでよ。迷惑なんだから」
「迷惑って何よ! 私が好きになってあげてるのよ! 私が私が私が! 私が好きになってあげた
んだから喜ぶのが当たり前じゃない! 何よ、いっとう大嫌いって何よ! 意味分かんない!」
「意味分かんないのはこっちだよ……」

 何この女。本当に意味分かんない。
 意味分かんないって云うなら四年の綾部先輩もだけど、この女、その上を行くな。

「あんたの事なんてどうでもいいんだけど。喚かないでよ五月蠅いなぁ」
「どうでもいいって何よ! うるさいって何よ! 私、皆に愛されてるのよ! 私は、私は、私は!」
「……お前、自分の事ばっかり。鬱陶しい。そんな女をにーにが好きになる訳ないじゃん。諦めて
適当な男捕まえてよね」

 大きくため息をついて、ジュンコを撫でる。
 あぁ、ジュンコは本当に綺麗だなぁ。
 目の前の泣き喚く阿婆擦れとは大違い、比べる事すらおこがましい。

 僕の言葉にまたぎゃんぎゃんと阿婆擦れが喚き出す。
 本当に、五月蠅い。
 と云うか、そんな大声で喚いてたら、朝早いとは云え人が来るかも知れないじゃないか。止めて
よね。凄い迷惑。
 お前を泣かせたとか云って目の敵にされたらどうしてくれるの。
 あぁ、それにしても、本当に皆見る目がないよね。


 こんな、自分本位な女の、どこが良いって云うの。


 とにかく、突き飛ばすなりして罠の範囲内に入れてやろうかと思った所で、女がぴたりと言葉を止
めた。
 どうしたのかと顔を上げれば、歪んだ笑みでは無く、心の底からの笑みを浮かべた阿婆擦れの姿。
 とうとう気が狂ったのかと身構える僕へ、阿婆擦れが云った。


「そっかぁ。これ、イベントなのね!」
「はぁ?」
「そうよね、逆ハー小説でも、本命相手だと上手く行かなかったりするものね。障害がある方が恋は
盛りあがるんだから! 問題なく想いが伝わる話なんて、読み手も退屈よね! 神様ったら変な所
で気を使うんだから! そうなのね、そうなのね! 孫兵君は障害だったのね! 貴方をどうにかす
れば、私と千草は結ばれるんだわ!」
「ちょっと、何云って」

 阿婆擦れが、着物の懐から何かを取り出した。
 ……棒手裏剣、かな?
 でも、それにしては細いし……桃色だし。先端は尖ってるけど……何だろう、アレ。
 どうしよう、この場合反撃して、正当防衛って認められる、のかな?
 あぁでも、アレが武器じゃなかったら――


「うあああああああああッッッ!」
「え?!」


 桃色の物体――棒手裏剣らしき物を握りしめて、阿婆擦れが飛び掛かって来た。
 思わず避ける事を優先する。しまった、反撃すれば良かった!

「貴方さえ居なければ貴方さえ居なければ貴方さえ居なければ居なければ居なければ!」

 血走った女の目。
 まずい、気が違ってる。


「千草は私の物なのよ!」


 その言葉に、一瞬で頭に血が上った。


「――ふざけるなッッ! にーには、お前物になんてならない! にーには、ずっと、ずっと昔から――」


 そうだ、ずっと、ずっと昔から。
 ぼくと会う、ずっと前から。


『――若旦那』


 脳裏に蘇るのは、聞いた事もなかった、優しく甘い声。
 蕩けるような笑みと共に紡がれた、愛おしむ声。
 僕には決して向けられない、全身全霊の想いをこめた声。

 どうして、なんて、疑問に思う事すらおこがましい!



「団蔵の物なんだよッッ!」



 叫ぶと共に、涙が出て来た。

 思い知らせないでよ。分かってるのに、理解してたのに、また、傷を抉らせないで。
 大好きな人が、もう、他の誰かの物になってるなんて!
 自分と結ばれる事がないなんて!
 お前なんかが、思い知らせないでよ!


 懐から苦無を取り出す。
 払うように腕を切ってやれば、悲鳴がこぼれた。
 背後へ回り足払いを掛ければ、いとも簡単に阿婆擦れは倒れ込んだ。
 背中へ馬乗りになって、両手で苦無を構える。
 阿婆擦れの片目が見開かれた。もう片方は、地面へ押しつけているから分からない。
 必要以上に大きな、長い睫毛に縁取られた、黒目がちの目。
 そちらでは無く、白いうなじへ向けて、苦無を振り降ろした。



「ペンを脳髄に刺して殺してやるッ!!」



 その行為は大事なあの人の為ではなくて。
 耐えがたい憎しみによる、衝動でした。

(決して許されない、私怨による、殺意でした)



 了


 これは、ちょっと時間軸の説明を……。
「コラ!!」で千草に振られた天女さん。めそめそ泣きつつ自分の部屋へ。気分が悪いを理由に
夕食の支度はサボり。そのまま一晩眠れる夜を過ごして朝。何で自分がこんなに哀しい思いをし
なくちゃいけないの、と気付く。こんな、自分たちを楽しませるために存在する、”漫画”の世界で。
その漫画から作られた、”ドリーム小説の世界で!”となりました。
 そんな訳で、この話は「知らない人に付いて行ってはいけません」の時間軸です。千草が食堂へ
向かうちょっと前ですかね。

 しかしこうして見ると……千草……お前……となりますね。我が息子ながらなんと罪作り……。
 ちなみに、天女さんの武器は便利だからと持ち歩いていらした、ご自身の持ち物であるシャープ
ペンです。……いつ使ってたんだろう。(おいおい)
 さて、次回いよいよクライマックスです! こうご期待……出来、ねぇよな、これ……。孫兵……!(滝汗)


 配布元:Abandon