「ほらね! 僕たちの云った通りだったでしょ!」

 えっへん、と胸を張りながら云っているのは、三治郎だった。
 その隣で虎若も、似たような顔をしている。

 云われているのは、一平と孫次郎の二人。
 一平は下唇をとがらせて拗ねた顔を。
 孫次郎はどこか安堵したような顔をしていた。

「ふんだ。二人だって乱太郎たちから聞いてただけなのに、えらそうにしないでよ!」
「僕らはちゃんと信じたもーん。一平はうたがってたでしょ!」
「う、うぐぐぐぐぐ……!」

 頬を赤くして、目にうっすら涙まで浮かべてまで、一平は悔しそうな顔をしていた。

 ……一体、何があったんだろう?

 確かには組とい組は事あるごとに競い合ってはいるが。
 信じるだの疑うだの、なんの事だ?

「おーい、喧嘩かー?」
「あ、竹谷先輩だー!」
「竹谷せんぱい……」

 声をかければ、虎若と孫次郎が足にまとわりついて来た。
 うん、凄く可愛いし嬉しいんだけど、あんまり袴引っ張んないでくれな。
 脱げる。
 先輩ふんどしぽろりしちゃうから!


「喧嘩じゃないですぅ。じまん大会です!」
「自慢大会?」

 えっへんと、三治郎が輝かしい笑顔で云う。
 けど、自慢、ねぇ。
 云ってはなんだが、は組がい組に誇れるものと云えば、実戦経験の豊富さくらいだと思うのだが。
 それを自慢する機会が、つい最近あったろうか?

 あの阿婆擦れの事以外で、特に学園に問題はなかった気がするけど。


「僕らの方が千草先輩を信じてたから、じまんしてるんです!」

「何?」


 三治郎、今、聞き捨てならない事、云ったな?

 思わず硬くなりそうな自分の表情を、すぐさま甘いものへと崩す。
 いかんいかん。
 私情で怖い顔をして後輩を怖がらせるなど、あってはならない。
 千草先輩の事ならば一つとて聞き逃せないが、それはそれ。
 可愛い一年生をびびらせるなんて事、いくら俺でもしたくはなかった。

「千草先輩を信じてたって……一体なんの事だ?」

 なるべく柔らかい表情を作って、さも軽い興味を覚えているかのような、明るい声を出す。
 忍たま五年生ともなれば、本心を隠すなんて簡単な事だ。

 先輩に聞かれた事が嬉しいのだろう。
 三治郎は笑顔を浮かべると、少し得意げな様子で語り出した。

「ほら、今変な噂があるでしょ?」
「噂?」
「そうです」

 こっくりと大きく、三治郎は頷いた。


「千草先輩が花都さんを好きだって云う噂です!」


 三治郎に、悪気はない。
 けれど、心臓の辺りで軋む音がした。

 大丈夫。
 大丈夫だ。
 分かってた事、知っていた事。
 だから傷付く必要なんてまったくない訳だが。

 続いた言葉に、


「それ、嘘だったんですよ!」


 呼吸が止まった。


「……え?」


 ようやく絞り出したのは、その一声だけ。
 三治郎達は俺の薄い反応に、揃って首を傾げる。
 だが細かい事を気にしないタチである三治郎は、またケロっとした笑顔で続きを喋り出した。

「昨日、乱太郎達が千草先輩のお手伝いに行ったんですけど、その時云われたんですって。千草先
輩が、花都さんの事が大嫌いだって!」
「何で千草先輩が夢さんを大嫌いなんて云うのさ! あんなに優しくていい人なのに!」
「そんなの知らないもん。千草先輩に聞いてよ」
「うぐ……!」
「それに、さっき千草先輩が花都さんより孫兵先輩の方が好きだって云ってたのは見たでしょ!」
「み、見たけど……」
「なら花都さんが好きなんて嘘って事じゃんか! 本当に好きな人だったら、孫兵先輩より花都さん
の方が好きだって云うもん!」
「ううううう……」

 自慢げな三治郎とは対照的に、一平はとても悔しそうな顔をする。
 い組はあの女に懐いていたからな。
 自分の先輩がその女を嫌ってるなんて、認めたくないのだろう。
 とても、子供らしい単純な思考。
 時には好意に値する、可愛らしい衝動。


 けれど、今の、俺は。


「……」
「竹谷先輩?」
「どうしたんですか……?」

 虎若と孫次郎が、不安げにこちらを見上げて来る。
 よしよしと、二人同時に頭を撫でてやれば、くすぐったそうな、嬉しそうな顔。


「なぁ」

 にこりと、いつも通りの、先輩然とした笑顔を浮かべた。
 四人の視線が、一斉に俺の顔へと集まる。


「今から、確かめに行こうか――?」


 そう云えば一年生たちは、きょとんとした後、すぐにはしゃぎ出した。
 そうしましょうと三治郎が歌うように云えば、確認を取る事は大事ですと一平が拳を握る。
 どうやって確認するの? と孫次郎が聞けば、そんなの簡単だよと虎若が笑った。


「僕らと花都さん、どっちが好きですかって聞けば一発だよ!」


 その言葉に、心臓が大きな音を立てた。
 鼓動が早まり、汗が噴き出しそうになる。
 それを必死に押さえ込みながら、早く早くと急かす一年生たちへ困ったような微笑を浮かべた。
 そんなに焦ると転ぶぞ、なんて言葉を掛けて。
 心臓は、痛いくらいに高鳴った。


 すぐに見つかった千草先輩へ、は組の二人が突撃をかます。
 本当に、一年は組は怖いもの知らずだ。
 その無謀さを、眩しい思いで見つめてしまう。

「千草先輩千草せんぱーい!」
「おう、何だ三冶、虎……って、袴引っ張るな! 脱げる! 褌見えちまうだろ!
「きゃー」「きゃー」

 きゃっきゃとじゃれるは組と、大きい声を出しながら怒ってる訳ではない千草先輩。
 微笑ましい先輩後輩の図。
 だが、俺が微笑んだのは、別の理由だった。


 嗚呼、先輩、俺が思った事と同じ事、云ってる。

 そんな、ただの偶然が、堪らなく嬉しい。


 まだは組ほど千草先輩に慣れてない一平と孫次郎だが、それでもおずおずと近寄って行く。
 そんな二人へ向けて、「おう、どうした」なんて豪快な笑みを浮かべる先輩。


 いいな。
 いいなぁ。
 俺も一年生の頃から、先輩の側に居れば良かった。
 そうしたら、あぁ云う笑顔を向けて貰えたかも知れない。
 もっと近くにあれたかも知れない。

 そんな「もしかして」を考えても、虚しいだけだとは分かっているけれど。

「お前ら、揃いも揃ってどうしたんだ?」
「あのですねー」「えっとですねー」

 えへへーと、照れたように三治郎と虎若が笑う。
 二人の小さな両手が、千草先輩の左右の手を取った。


「先輩は、僕たちと花都さん、どっちがお好きですかー?」「ですかー?」


 二人の言葉に、千草先輩がゆっくり二回瞬きをした。
 きょとんとした幼い顔付きに、体温が一気に二度三度上がった。

 先輩、そんな表情もされるんですね。
 可愛いです。

 口に出したら、即殴られそうな事を、心の中で呟く。
 顔にも出ないように気を付けていたら、千草先輩が小さくため息をついた。

「お前らに決まってんだろが。変な事聞くなよ」
「ほ、本当ですか?!」
「あ?」

 千草先輩の言葉に歓声を上げようとしたは組の二人を遮るように、一平が叫んだ。
 普段は一定の距離を取っているのに、すぐ傍まで駆け寄って、ぐいぐいと上着を引っ張っている。
 常とは掛け離れた行動に、さしもの千草先輩も驚いているようだった。
 上着を引っ張られても怒らず、目を軽く見張っている。

「本当に、夢さんより僕らの方が好きなんですか?!」
「あぁ、好きだが」
「本当ですか?!」
「本当本当」

 嘘なんか云わねぇよ、と笑う千草先輩。
 その言葉に、一平は普段は見せない無邪気な笑みを見せた。
 傍から見ても分かるご機嫌な様子に、少し驚く。

 先程は三治郎の言葉を否定していたと云うのに。
 まぁ、一平達い組はは組に対して素直になれないようだからな。
 本音では嬉しくとも、建前としては反発しておきたかったのかも知れない。

 それにしても。
 一平は孫次郎同様、ずいぶんと千草先輩に怯えていたように思っていたが、ちゃんと懐いていたん
だなぁ。
 そう考えて、頬が緩むのを感じた。

「僕らも先輩の方が好きですー」
「千草先輩大好き!」
「何だ何だ。腹でも減ってるのか?」
「おやつがほしくって云ってるんじゃないですー!」
「そーかそーか」

 微笑ましい先輩と後輩の姿。
 自分も混じれたら、もっと嬉しいのだけれど。
 それは分不相応の望みと云うものだろう。

 眺めているだけの俺の手を、孫次郎が引いた。
 どうした? と聞きながら、目線を合わせるためにしゃがみ込めば、孫次郎は笑顔で云った。

「千草先輩……、僕たちの方が、好きって、ゆってくれました……」

 普段怖い怖いと云っていたって、相手は自分の所属する委員会の長。
 好かれていると分かれば嬉しいのだろう。
 しかも比べた相手は、周りが”天女様”と持て囃す女。
 その女に勝てた優越感も多少はあるのかも知れない。
 普段は青白い顔に、赤みが差していた。

「……うん。良かったなぁ、お前ら」

 笑って、頭を撫でてやる。

 良かった。
 それは、本音だ。
 でも、その「僕ら」の中に自分が入っていない事は、寂しかった。

 分かっては、いるけれど。
 改めて現実を見せられると、切なくはある。

「竹谷先輩は……、千草先輩と夢さん、どっちが好きですか……?」
「……」

 これは、正直に答えるべき、かな。
 しかし、下級生なら可愛くとも、俺だと気持ち悪いのではないだろうか。
 特に、千草先輩にとっては。

 だが、嘘でもあの阿婆擦れの方が好きなんて、云える訳がない。
 俺は小さく笑うと、孫次郎にだけ聞こえるように「千草先輩のが好きだよ」と耳打ちした。

 何だか、妙に照れ臭い。
 思えばこの想いを言葉にした事は、初めてだった。


 本当は、云いたかった。
 兵助達のように、素直に先輩への好意を口にしてみたかった。
 けれど、俺は度胸がなかった。
 臆病者なんだ。


 俺の言葉を聞いた孫次郎が、にこりと愛らしく笑った。
 そしてその笑顔のまま、

「千草先輩」
「なんだ、孫次」


「竹谷先輩も、千草先輩の事が好きだってゆってます」


 こちらの心臓を止めるような言葉を、云った。


「はブんッッ!」


 動揺のあまり、妙な声と共に噴き出してしまった。


 ちょ、ま、ちょっと、孫次郎おおおおおお?!
 何云っちゃって、ちょ、先輩こっち見てる超見てる!
 うわやっぱりカッコいい、正面から見るとマジ男前やばい。
 って、違っ! そうじゃなくて、下手に動揺するな俺!
「そうですよー、千草先輩の事尊敬してますからー」とか云って軽く笑え!
 そしたら笑い話になる! 何も気持ち悪くない! 先輩に不快な思いさせずに済む!
 微笑ましい先輩後輩の延長線大丈夫!
 あ、でも、あんまり喋った事ない後輩に尊敬されてても嬉しくないかも……。
 お前何勝手に見てんだよ、きめぇとか思われたらどうしよう。
 先輩を不快な気分にさせるくらいなら今この場で舌噛んで死にたい。
 でも目の前で死なれた方が不愉快だよな落ち着け俺!
 まだ間に合う大丈夫誤魔化せ!


「そうか。ありがとな、八左」


 混乱しかけた俺の上に、ひょいと、軽く掛けられた言葉。
 顔を上げれば、平素通りの顔をした先輩。
 嫌悪感も不快感もない顔で、俺を見ていた。
 口元には、笑みさえ、浮かべていて。


 今の言葉。
 俺に? 俺に向けて、仰ったんですか、先輩。
 ありがとう?
 俺に、向かって?
 俺の、好意に向けて?


 じわりじわりと、視界が歪んで行く。
 滲んだ眼が、驚いた顔をする千草先輩を見る。

 俺を見ている、先輩を、見る。


「せんぱい」
「な、何だよ。つか、どうしたマジ。何で泣いて――」
「俺と花都、どっちが好きですか」


 聞けば、先輩は怪訝そうな顔をして。


「だから、お前らの方だっつってんだろ?」


 涙が溢れると同時に、俺は、千草先輩に抱き付いていた。
 背中に手を回してぎゅうぎゅうとしがみつけば、先輩が硬直した。
 一年生達がきゃいきゃいと騒ぎ出す。

「あー! 竹谷先輩ずるーい!」
「僕らもー」
「先輩僕らもだっこ!」
「あぁ?! だっこって何……ってコラ袴にしがみつくな脱げる! てか八左! おめぇも五年にま
でなって甘えてんじゃねぇ暑苦しいんだよボケッッ!」

 そう怒鳴られたけれど、引き剥がされる事はなかった。



「若さだけが恋の条件じゃないのだから」



 せんぱい。せんぱい。
 少しだけ、自惚れても良いですか。

(あなたのせかいにそんざいできていると、よろこんでも、ゆるしてくれますか)



 了


 ヤンデレ竹谷終ー了ー。(えぇー?!)
 いや、最初からその予定だったんですけどね。
 だって千草はフラグクラッシャー! どんなイベントフラグもへし折ります! なので、ヤンデレフラ
グもへし折って貰いました。←

 千草は情に厚いので、ちゃんと竹谷も必要な他人の一人に数えてます。が、分かりにくい。必要最
低限の会話しかしないし、よく殴ったり蹴ったりして虐げてるから。
 今さらながら酷いな千草……。←
 竹谷は千草の事を信じていないのではなく、単純に、自分の存在を卑下してるだけです。自虐的な
竹谷……いいじゃなーい。(良くない)


 配布元:Abandon