「千草君、夢ちゃん何処に居るか知ってるかい?」
「はぁ?」

 今日も朝早くから食堂に顔を出せば、挨拶もそこそこにおばちゃんがそんな事を云った。

 あれ、なんか既視感。
 似たような反応を俺はこの前もしていたような。
 ……まぁいいや。

「何処って、来てないんですか」
「そうなのよぉ。最近、早く来てくれてたのに……」
「寝坊でもしてんじゃないんすか」

 まぁ俺が昨日、こっぴどく振ったせいかも知らんが。
 あの程度の事で仕事を放棄するようなら、本当に見下げ果てた阿呆だと云う事だ。
 気にする必要もないだろう。

「もう、千草君ったら冷たいわねぇ! あんな可愛い子に好いて貰ってるのに!」
「今そう云う事に興味ねぇんで」
「そんな事云ってると、婚期逃しちゃうわよぉ」
「若旦那が嫁さん貰うまでは俺も要りません」
「何年先の話だい?!」
「十年以内の話じゃないですかねー」

 婚儀云々は置いといて、若旦那の御子を産む女(ひと)はもう決まってんかんなぁ。

 それがかつて自分が惚れた女だと思うと微妙な心境だが。
 若旦那に対してではなく、その女に対して。
 まぁ上が決めた話だから、俺なんぞが口を挟める訳ねぇしなぁ。


 おばちゃんのお小言を右から左へ流しながら野菜の皮をむく。
 しかし、本当に来やがらねぇなあの女。
 無断欠勤とかしやがったらマジ最悪だろ。
 まぁそれで、おばちゃん達の目が覚めてくれりゃぁいいんだがよ。


 そんな事をつらつらと考えていたら、パチリと何かが弾ける音がした。


「……?」

 今音がすると同時に、一瞬目の前が真っ暗になったような……。
 貧血か?
 まぁ、確かに此処の所ちょいと忙しかったが……。


 ぱちり、ぱちり、また音がした。
 其れに伴って、視界が暗くなったり明るくなったり。

「……何だ?」

 流石に手を止め、周囲を見回す。
 驚いた事に、おばちゃんも頭を押さえてきょろきょろと周りを見ていた。

 これは、何か不味い事が起きているのでないか。
 薄く冷や汗を掻いて立ち上がろうとした瞬間。


 ばちんと一際大きな音がして、世界が完全に黒くなった。



 10.知らない人に付いて行ってはいけません



 気付けば俺は、食堂の外に居た。

 手には鍬、首には手拭い――思い切り、畑に向かうための格好である。
 空を見上げれば、太陽は昼を示す位置に。


「あ、……れ?!」


 待て、待て待て待て!
 俺は朝早く、そう、日が出て少しした頃、食堂に行って、常の手伝いを……。
 して、いて、……あれ?
 いや、俺は今から畑に行く所、だった、か?
 いやいやいや、待て、違う。
 俺は食堂で野菜の皮をむいていて、そうだ、突然眩暈がして……。


「にーに? どうしたの、ぼけーとしちゃって」
「?! ま、孫?!」


 いつの間にか、すぐ側に孫が立っていた。
 なんたる失態!
 この俺が、思考に気を取られるばかりに、他人の接近に気付かねぇとは!

「顔色悪いよ? 大丈夫?」
「ん、あ、あぁ……」

 相も変わらず、首に毒蛇のジュンコさんを巻いた孫が、「良かった」とにっこり笑う。
 ジュンコさんもどこか満足げな顔だ。

「……なぁ、孫兵」
「なぁに?」
「……」

 何と聞くべきか、迷った。
 俺は今まで何してた、なんて聞くのも妙な話。
 だが、変な違和感の正体を解明したくもある。
 何か、何か確かめる方法は無いか。
 何か――


 そこでふと脳裏に過ったのは、「花都夢」の顔だった。


 そうだ。
 あの女は学園における”非日常”の象徴だ。
 あいつについて聞けば、何か分かるかも知れねぇ。


「……花都の奴、今、どうしてる?」


 ぱちりと、孫がゆっくり瞬きをした。
 それからことりと、小首を傾げる。


「……にーに、それ、誰の事?」
「え」



「そんな名前の人、学園に居ないよ?」



「はぁ?!」


 いや、待て!
 お前この前食堂で、「自分と花都どっちが好きか」なんてブチ上げたじゃねぇか!

「……からかってんのか? 花都だよ、花都夢。食堂の手伝いしてる――」
「? 食堂にお手伝いさんなんて入ったの? さっき行ったけど、誰もそんな事云って無かったよ?」
「はぁー?」

 待て、待て、頼むから!
 あんなに目立つ女だっただろ!
 お前だって、何か妙に気にしてただろうが!

「……やっぱり、にーに、変だよ。具合でも悪いの?」
「……」

 本気で云ってる。
 いや、そもそも、孫は俺に嘘をつかねぇ。
 からかう事はたまにあるが、虚言を吐く事ぁない。

 って、事は。


「夢、だった、ってか……?」


 あの騒動の全部が。
 あの女に付き纏われた事も、小平太や長次と喧嘩した事も、若旦那にご忠告を頂いた事も、孫に食
堂で妙な事云われた事も、後輩達の様子がおかしかったのも、あの女に告られた事も。


 あの女そのものが、夢だったってのか?
 夢っつーか、白昼夢?

 え、何であんな不愉快な事夢に見てんだ、俺。
 何の深層意識の表れだ?
 いや、そもそも、夢にしちゃぁ長いし、いやに生々しかった、ような。


「……」
「にーに? にーに、大丈夫? 保健室、行く?」
「ん、あ、いや、大丈夫だ。……悪かったな、妙な事云って」

 そう云って頭を撫でてやれば、心地よさそうに目を細められた。
 ついでにジュンコさんのノドも撫でると、チロチロと舌を出される。

「そう云えばにーに、これから畑に行くの?」
「ん、あ、あぁ。そのつもり、だが」
「そう云えば、そろそろ芋が収穫出来そうって云ってたよね。手伝うよ!」
「お前、毒虫の世話は?」
「もう終わってるもーん」

 はしゃぎながら、孫が俺の腕に己の手を絡め、引っ張って来る。
 こいつがこんなに強引なのも珍しい。
 だが、厭な気分にはならなかった。


 あの女にさわられた時は、嫌悪感すら芽生えたって云うのに。


「……」

 軽く頭を左右に振る。
 あの女は、いない。存在しない。
 いつまでも考えていても、仕方ないだろう。

「おら、そんなに慌てると転ぶぞー」
「平気だよ!」

 にっこり、また、孫が笑った。


「僕が転んだら、にーに、助けてくれるでしょ?」


 どこか勝ち誇ったような声音で孫が云った。
 俺はその様に苦笑を浮かべ、自分の気持ちを告げる。


「そりゃ、お前がこけたらなぁ」


 お前が目の前でこけたら、地面に接触する前に、抱え上げてやるよ。


 俺の言葉に満足げな笑みを浮かべた孫に、こちらも笑みを返した。
 いつも通りの世界に、満足して。



 了


 千草編終了!
 綺麗に終わってしまった。あれ?(おい!)
 本当に孫兵と竹谷視点で補完しないとな此れ! 天女さんがどうなったかとか!

 おかしい……。天女さんが身体的に可哀想なのは晴次からの予定だったのに……。孫兵と竹谷
が暴走しやがるからああああああああ。
 しかしそう考えると孫兵ってイイトコどり。竹谷なんて出番すらも無かったのに! 可哀想!(おい、
書いた張本人!)

 と云う訳で、孫兵・竹谷視点へ続きます。それ終わったら、……どうしよう。(え)
 つい気持ちが逸って、捏造生徒vs忍たまシリアスの御題先にあげちゃったけど、晴次編先にやっ
た方が……うーん。
 まぁとりあえず、孫兵・竹谷視点編書いてきまーす。←


 執筆 〜2010/01/11