念入りに煮詰めて、でも、やりすぎないように。
 味が濃すぎてはいけない。僕は薄味が好みなんだから。

 だけど、今回だけは、少し、濃い目に味付けを。
 仕上げをやらせて貰えないのが口惜しいけれど、仕方が無い。
”僕には出来ないと判断された事なのだから。”

 だから、出来るだろうと信じて貰えた部分を、僕は頑張るんだ。

 一切手を抜かず、けれど、不自然さは出ないように。
 やってみせる。
 僕は優秀な二年い組の生徒なんだ。


 出来ない事は確かに沢山あるさ。
 まだ僕は二年生。優秀と云われても、しょせんは下級生に過ぎない。出来る事より出来ない事の方
が多くて当たり前だ。
 けれど、”僕が出来ると思った事は出来るんだ。”

 だから、大丈夫だ。
 今回だって上手くやってみせる。
 先輩、見ていて下さい……は、変だな。あの人はまだ保健室で寝付いてるんだから。
 ここは、……うん、そうだ。



 僕らに任せて、安心して休んで居て下さい――晴次先輩。



「お前らヘコみすぎ。何なんだ? すっごい鬱陶しいんだけど」
「左近……」「酷ぇ……」

 同組の友人たちへ半ば本気で辛辣な言葉を投げつける。

 いやだって、本当に鬱陶しいんだけどこいつら。
 部屋の隅っこで膝抱えて人魂飛ばすなよ。一年ろ組より酷いぞ。
 並んでいられるのも鬱陶しいが、部屋の四隅のうち半分を使い、別々になられても鬱陶しい。
 だから、まぁ、云わせてもらうとだ。


「僕の大事な本や薬草にまで影響が出たら困るから、かびるなら外でかびてくれ」
「かびてねぇよ!」「かびてないぞ!」


 おお、同調。こんな時でもお前ら気が合ってるな。
 まぁ、普段はぼくもいれて三人で気が合ってるんだけど。


 今のお前らには同調できそうにないね。


「いつまでも膝を抱えて鬱鬱しやがって」
「う、」「だ、だってさ」
「人前で見せつけるように落ち込むなよ。僕に慰められたいとか思ってるなら、お門違いだからな」


 持っていた本をぱしりと閉じて、部屋の外へと向かう。
 二人が慌てたように僕を見た事を気配で感じ取り、肩越しに背後を見やる。

 感じた通り、二人はすがるような目で僕を見ていた。

 普段の僕なら、確かに慰めてやるし喝を入れてもやるさ。
 けど、”今の僕には無理なんだ。”


「……悪いけど。お前らを構う余裕、ないから」


 その言葉に、三郎次は怪訝そうな顔になってからすぐに顔を青くさせ、久作は己の失態に気付い
たらしく、目を大きく見開いた。

 二人の反応に対し、ふんと鼻から息を吐いて、僕は部屋から出る。
 また慌てた気配がして、二人が僕の後ろをついて来た。


「ご、ごめんな、左近……。お前だって大変なのに……」
「その……悪かった。ごめん」
「……別にいいけど」


 そう云いながら、僕は二人の顔を見ない。

 迷いなく歩を進める僕の後ろを、二人が遠慮しがちについて来る。
 何で付いて来るんだよ、とは云わない。突き放さないで、側に居る事は許す。
 言葉が無い時は、空気が雄弁に語るんだからな。


 そう、僕は――”二人より余裕のない人間だ。”

 三郎次は、学園防衛の要、焔硝蔵に”部外者”を連れ込み、先輩方にしこたま怒られただけ。
 久作は、仲良しな委員会が崩壊する切っ掛けを感じ取ってるだけ。

 それに対して僕は、”尊敬している大事な先輩が死にかけている”。


 僕の方が二人より大事(おおごと)って訳だ。


 二人は今、きっと、自分の事ばかり考えていた己を恥じてる。
 僕を気遣わないといけない時なのに、逆に気遣わせようとした自分を情けなく思ってる。


 わかるさ。言葉にしなくても。
 だって僕ら、友達だからな。


 はぁと、大きくため息を一つ。
 それだけで後ろの二人がビクつくのが分かった。

 顔に、いつも通りの皮肉気な笑みを浮かべ、僕はまた肩越しに二人を見た。


「……まぁ、お前らがヘコむ気持ちもわからないでもない。部屋にこもっててももっと腐るだけだろ?
少し散歩でもしようぜ」
「! あ、あぁ!」「……おう」


 久作は少し嬉しそうな顔で頷いて、三郎次はバツが悪そうな顔で肯定を呟く。

 自然な流れ。
 自然な流れだ。
 僕らは三人揃って、憂鬱な事があったんだ。
 気分転換に散歩したって、不自然じゃぁない。
 散歩は当ても無く歩いたって当たり前。
 悩み事があるから、普段歩かない所を歩いても構わない。気分転換ってのは、そう云う物だろ?


 そう、だから。


”此れ”を見てしまったのは、”偶然”で片付けていいって事だ。


「……っ! 二人とも、隠れろ!」
「?」「え」


 僕の小声の指示に、二人は戸惑いながらも従う。こう云う時、無意味に騒ぎ立てるような馬鹿じゃ
ないからな、こいつらは。

 木陰に隠れながら、様子を窺う。
 見えた光景に思わず口元に笑みが浮かびそうになったが、必死になって耐えた。
 万が一二人に見られでもしたら、何もかも全ておしゃかになってしまうのだから。


「左近……?」
「何だ……?」


 戸惑う二人に向かって、口元に人差し指を立てる。
 察した二人は黙り込み、僕と同じように木陰から少しばかり顔を出し、僕が見ていた光景へと目を
向けて――

 あからさまに、ギクリと、体を硬直させた。


 僕らの視線の先にある光景。
 それは、食堂のお手伝いさん――”天女様”が、濃紺色の忍び装束を着た男と会話している姿。

 濃紺色の装束。
 その色は、”今の学園”にとって、不吉の象徴。


 そう。僕ら保健委員会にとっては不吉どころか、許し難い色。
 その色を纏った連中に、晴次先輩と一年達が殺されかけたのだから。


 此処では本来ならば――”天女様”が曲者に浚われかけていると思う所かも知れない。
 だが、その推測は出来ないだろう。
 
 曲者の目元は優しく綻び、”天女様”は――とても楽しそうに笑っている。
 互いに気を許し合い、微笑み合う仲睦まじい姿。


 ――穿った見方をしなくとも、それは、逢い引きの光景だった。


 視界の端で、三郎次の手が震えているのが見える。
 その事に今度こそ笑いそうになって、慌てて口元を手で覆った。

 少し前の三郎次なら。
 きっと、今すぐにでも飛び出していた。
”天女様”に向かって、「そいつは曲者です、離れて下さい!」と叫んでいた。

 どこまでも純粋に、愚かに、”天女様”の潔白を信じて。
 自分が盾になるとばかりに、”天女様”と曲者の間に割って入っていたと思う。


 けど、今は、そうじゃない。


 火薬委員長と補佐役の先輩に喝を入れられ。
 学園を巡る様々な”噂”を耳にして。
 軋むような空気の中に身を置いて。

 ようやく――目が覚め始めている。


 だから三郎次は震えるだけだ。
 目の前の光景をただそのまま受け入れて、でも、信じたくない気持ちでいる。

 此れ以上此処に居ると、思考の容量限界を超えた三郎次が飛び出してしまいそうだ。
 さっさと撤退しよう。

 震える三郎次の腕を掴み、目前にある光景に硬直している久作の腕も掴む。
 静かに、悟られないように。
 そんな事、二年生の身では難しいが、別に完璧で無くともいい。


 ようは、”天女様”に気付かれなければ良いだけなのだから。


 充分に距離を取ってから、混乱しているだろう二人へ畳みかけるように告げた。


「……とにかく、今見た事を先輩方に報告しよう。いいか、見た事をありのまま、先輩へ話すんだ。
自分の主観はなるべく云うな。よけいな混乱を招く。誤魔化そうなんて考えんなよ。”何かあった場
合、僕らの立場が悪くなる。”素直に、ありのまま、話せ」
「さ、こ……」
「落ち着け。いいか、僕らは二年生なんだ。”二年生なんだよ。”あんな所を見て、何か出来るよう
な力は無いんだ。先輩方に任せるのが一番いい。先輩方なら、絶対に判断を誤ったりしない」


 縋るような声を遮って、僕は云い切った。
 力強い僕の言葉に思う所があったのか、二人はこくりと無言で頷く。

 操られた人形のように諾々と頷いたのは、混乱ゆえか、僕の言葉ゆえか、それとも、先輩たちへ
の信頼ゆえか。

 どれでもいい。構わない。
 ただ、”この事を伝えてくれればいい。””それだけでいいんだ。”


 お互いの顔を見合わせ、もう一度頷いて、それぞれの目的へ向けて走り出す。

 僕は保健室へ、三郎次は焔硝蔵へ、久作は図書室へ。
 それぞれが信頼し、信奉する先輩が居る所へと。


 大丈夫。大丈夫だ。
 怪しまれる事はない。怪しまれたとしても、大丈夫。
 冷静な人達は皆こちらの味方。”敵”は、”天女様”の色香に惑った馬鹿な人達。
 僕が多少失敗した所で、先輩達は揺るがない。


 大丈夫。大丈夫。大丈夫――自分へ云い聞かせながら、先程の光景を思い出し、歯噛みをする。

”分かってる。分かってるさ。”
 でも、それでも――


 あの女の尻軽具合に、反吐が出た。



「地獄へ堕ちろクソッタレ。テメエが死ねよ。返せよ。早くあの人を返せ!!!」



 死ぬべきなのは、あの人じゃない。


 お前が死ねばいいんだ。雌豚。


(歪んだ思いを否定する良心は既に亡く、咎めてくれる人は、――側に居ない)



 了


 左近は設定上、かなり晴次の事が好きです。尊敬以上恋心未満、くらい。
 結構キちゃってる左近たんでした。