僕は自分の顔が大嫌いでした。
 家族には「可愛い」と褒められたけれど、実際はそうではありません。不細工ではありませんでし
たが、決して可愛くも美しくもありませんでした。田舎っぽくイモ臭い、そんな顔です。
 村に居た頃は気になりませんでしたが、学園に来てからは急激に自分の顔が大嫌いになりました。
 すぐ上の先輩方は――性格はともかく――輝くような美貌の持ち主。同学年にも美形が多くて、自
分の顔立ちがとても惨めに感じたのです。
 女装の授業は毎回毎回憂鬱でした。同室者は美人で器用ですから、完璧な美少女になれたと云う
のに、僕はかろうじて女に見えなくもない、みっともない姿になったからです。

 そんな僕が自分の顔を好きになれたのは、鳴瀧晴次先輩のお陰でした。


 初めてお会いした時から、僕は晴先輩をお慕いしていました。いわゆる、一目惚れと云うものです。
 一目晴先輩のお姿を見て、僕は恋をしてしまいました。

 そう話すと友人達は、「あの地味が服着て歩いてるような人に、何で一目惚れなんてするんだ?」
と大層失礼な事を云います。
 地味で何が悪いと云うのでしょうか。派手であれば良いと云うのであれば、彼らは皆四年生の先輩
方に恋でもしてれば良いと、少しばかり腹黒い事を考えてしまいます。


 確かに、晴先輩は地味なお方です。
 特に目立つ所も無く、ご容姿は十人並みと云った所。性格も穏やかで、突飛な行動などしようはず
もない、柔らかな人です。

 ですが、初めてお目にかかった時、僕は晴先輩の周りだけ、まるで空気が違うように感じられまし
た。


 どこまでも澄み切った水に、その身を浸しているかのように。
 水面越しの光に、その体をさらしているかのように。
 僕には、先輩が輝いて見えたのです。

 こんなに綺麗な人が、この世に居るのかと、思わず泣いてしまったくらいに。
 晴先輩がまとわれる空気は清浄で、心が洗われるようでした。


 そんな晴先輩が、ある日、僕にこう仰って下さったのです。


「数馬君のお顔は、とても可愛らしいですね」


 家族には云われ慣れた言葉でした。
 ですが、他人には云われた事のない言葉でした。

 初めてのその言葉を、初恋の人に云って貰えた僕は、なんて幸せ者なのでしょうか。


 晴先輩が微笑みと共にそう云われた時、僕は確かに「この顔に生まれて良かった」と思ったのです。
 仏様に、両親に、深く感謝したのです。
 晴先輩に微笑みを浮かべて貰える己の顔が、とてもとても、誇らしい物に感じられたのです。

 毎日毎日、事ある毎に、晴先輩から「可愛い」と云って貰える事が嬉しくて、幸せで。
 それだけで、この不運な身の上でも生きていけたと云うのに。



 僕の幸福を、奪った人がいるのです。


 それは――許せない事でしょう?


 そう、だから僕は悪くありません。
 どうしても僕が悪いと云うならば、それは友達を泣かせた事だけです。
 他には何ら、悪いことなどしていません。

 していないのです。


「僕ね、許さないよ」
「か、数馬……」
「許さない、から」
「落ち着け、落ち着けって!」


 左の頬を真っ赤に腫らして、鼻血まで出してる左門が、ぽかんと僕を見上げてる。
 その側にしゃがみ込んだ三之助は、厳しい目で僕を睨み上げて。
 藤内は壁際まで逃げて、涙目で僕を見つめ。
 必死な様子で背後から僕を抱きすくめるのは、作兵衛で。
 騒ぎに付いて行けない孫兵は、唖然として棒立ちになっていた。


「あのね、みんなが誰を好きになったっていいよ。だって僕には関係ないもの。相手が誰であっても
祝福してあげる。だって友達だから」


 我ながら、無機質な声で外道な事を語るものだ。
 自分も大概下衆だなぁと思いながら、痛む右手を軽くさする。

 人を殴るって、結構痛いんだ。肉を肉で打つから、どうしたって反動がある。よほど上手く殴らな
いとね、こっちも痛い。
 だから僕、徒手空拳とか大嫌いなんだけど。友達と痛みを分け合ったと思えば、まぁ、悪くはない
かなぁ。

 関係あるようで関係ない事をつらつらと考えながら、僕は左門に向かって微笑みかけた。
 びくりと大袈裟に肩を揺らす左門へ、云い聞かせるような声音で語りかける。


「でもね、晴先輩を悪く云う事は赦さない」
「か」
「晴先輩に不利益な、有害な存在は、赦さないよ」

 名前を呼ばれそうになったのを遮って、僕は云い切った。


「僕の友達が晴先輩の悪口云うなんて、赦さないから」


 千草先輩にでろでろに惚れ抜いている孫兵と、どうしてだかまともな作兵衛はともかくとして。
 左門も三之助も藤内まであんな阿婆擦れにでれでれしちゃって。
 別にいいけどね? 三人が誰に惚れようが、どうだっていいけどね?
 でもあの馬鹿女を出汁にして、晴先輩の悪口を云う事は赦せないなぁ。

 晴先輩の事を「死にかけようが自業自得」だなんて、「夢さんは鳴瀧先輩に惑わされただけ」だな
んて。
「夢さんが間者な訳がない。何かの間違いだ!」までなら赦してあげたんだけど、なぁ。
 わざわざ晴先輩を引っ張り出して罵倒するのは、赦してあげない。


 怯えた作兵衛が手を緩めた隙に、一歩踏み出す。
 また拳を振り上げて、硬直している三之助の頬を打った。
 重い肉を打つ音と共に、三之助の体が傾いたけど、それだけ。流石に、左門みたいに吹っ飛んだり
しないかぁ。

 作兵衛が慌てて、また僕を押さえ込む。
 ……味方だって分かってるけど、ちょっと邪魔だよ作ちゃん。まだ藤内殴ってないんだから。


「い、て……」
「痛い? 晴先輩はね、そんなものよりずっとずっとずーっと痛いんだよ?」

 呻いた三之助に云ってやる。
 恐る恐ると云う風に顔を上げた三之助に向かって微笑んでから、僕はまた語りかけた。


「お腹切られたんだ。横にぱっくり。内臓まで傷付いてて。血がいっぱいいっぱい出て。半死半生ど
ころじゃないよ。九死に一生を得たんだよ。どんだけ痛かったと思うの。まるで切腹みたいに切られ
て。刃で。綺麗にばっさり。あんなに血が。内臓が食み出して。肉を縫う音がどんなだか知ってる?
ねぇ、血と肉が混ざり合う音って、どんなだか知ってる? 内臓の色がどんなだか知ってる? 血で
染まった内臓ってね、赤と桃色が混じってね、それでね」

「数馬ッッ!」


 耳元で作兵衛に怒鳴られた。うるさいなぁ、人が話してる最中なのに。


「もういいから! 其れ以上はやめてやれよ!」


 云われて三人を見れば、顔から完全に血の気を引かせて今にも吐きそうな表情をしていた。
 失礼だなぁ。人の話を聞いて嘔吐感を覚えるなんて。育ちが知れるよ?

 耳元に、作兵衛が囁きかけて来る。


「下手に追い詰めんなっ。ヤバイ方向に爆発したら、目も当てられねぇぞ。特に藤内!」
「……作ちゃんがそう云うなら」


 本当は全く云い足りないんだけど。
 嗚呼、でも、そうだね。此れ以上追い詰めるといけないかも知れない。
 何事もほどほどに、中庸が一番、って晴先輩も云ってたもの。


 だけど、これだけは云っていかないと。


「晴先輩を悪く云わないで。僕の目の前で、二度とあの女の名前出さないで」

 三人を上から目線で睨みつける。



「もし云ったら――友達、やめるよ。二度とお前らの存在、認識しないし、話もしないし、手当ても
してあげない。他人以下になるから、云うつもりなら覚悟してから云ってね」



 ひぐ、と藤内が妙な声を出した。涙が一筋、頬を伝う。
 そんな藤内を睨みつけてから、僕は微笑んで見せた。


「あぁ、こんな言葉、もう無意味かもね。三人とも、僕や晴先輩より、あの”天女様”が大好きで大事
なんだもんね。仕方ないよね。僕は地味だし影も薄いし、いいトコないし、晴先輩は素晴らしい人だ
けどみんなは嫌いみたいだから。あんなポッと出の間者疑惑がある人の方が、僕らなんかより大事
なのは仕方ないよね。ごめんねみんな、今さらな事云っちゃって。僕が晴先輩を大切に思うように、
みんなも”天女様”を大事に思ってるんだもんね。例え間者疑惑があったって、仕事してなくたって、
色んな委員会に顔を出して問題起こしてたって大好きなんだもんね。仕方ないよね」


 三之助と左門の顔から、血の気が引いた。それを横目で見ながら、僕は部屋から出る。
 孫兵が僕を追って来た。作ちゃんはそのまま残ったらしい。お人好しだなぁ、作ちゃんは。


「数馬」
「なに、孫兵」
「……やりすぎだと思うよ」
「そうかもね」


 歩みは止めず、保健室へ向かう。
 今日はまだ五回しか晴先輩のお顔を見てないんだ。だからもう一度見に行こう。


「でも本音だよ。晴先輩を害する奴なんていらないんだ。それが友達であれ”天女様”であれ、ね」
「……ま、僕もにーにがあんな目にあったらそう思うよ」
「でしょ? 流石孫兵、分かってるなぁ」


 そう云ってにっこり笑った僕に、孫兵も微笑んだ。



 ―――さぁ、此れで決定打は打ちました。
 個性派でありながら仲良く結束していた三年生を崩壊”させました”。
 この話は学園中を駆け巡るでしょう。
 そうしてその理由が鳴瀧晴次先輩であり、そもそもの根本的な原因が”天女様”であると云う事も
知れ渡るでしょう。

”天女様”は今とてもとっても微妙で不安定な立場に居るのです。
 その彼女のせいで、仲の良い者達が仲違いをしたらどうなるか、お分かりいただけるでしょうか?
 学園の生徒でもない、問題ばかり起こす部外者がどうなるか。
 しかもその部外者に間者であると云う疑惑があったら?

 さぁ、”学園へ”の決定打は打ちました。
 僕の仕事はこれで区切りです。
 後は愛しい人の側で、静かに終わりの時を待つばかり。



「黒は好きだよ、汚いものを上手く隠してくれるから」



 愛しい人の為ならば、僕らは、魂さえもかけましょう。
 あらゆるものを利用してでも、守っておみせいたしましょう。


(この黒くどろりとした愛情を持ってして、あの汚物を愛しい方から見えぬようにするのです)



 了


 えっれぇ時間がかかってしまいました。あれ、本当にどんだけ時間かけたんだろ……?
 数馬が意外と難しい子でした。わーぉ。

 三年の喧嘩は書いていて哀しいと同時にすっげぇ楽しかったです。←