「面白い事をしておるようじゃの」
「は」

 後ろから突然声を掛けられ、全身が硬直した。
 いや、硬直した理由は、それだけじゃない。

 だって、”相手が悪すぎる。”


 足音も布ずれの音もしない。呼吸すら、聴き取れない。
 男にしては高く、けれど女と云うには少し低い声は、遠くから聞こえて来るようでもあり、耳元で
囁かれているようでもある。
 距離を測る事が許されない。
 あぁ本当に、性格に似合わず優秀な人だ。……タチが悪い。

「まぁ……”あの子ら”を巻き込むなとは云わぬが……」

 静かに、肩へと手を置かれた。
 初めから近くに居て語りかけていたのか、それとも音を立てず近づいて来ていたのか判断出来
ず、呼吸が止まった。


「伊助たんを泣かせてみろ、私がお主らを潰すからの。覚えておくようにな」


 そう云って、学園全忍たまを統べる学級委員長委員会総括備前鶴ノ丞先輩は、僕の横を通り過
ぎて行った。
 今度は、足音も、布ずれの音も聞かせてくれながら。

 嗚呼、今日も綺麗で高そうな打ち掛けをはおっているなぁ、などと考えながら。
 僕はぺたりと廊下に座り込んでしまった。


 本当に、タチの悪い人だ。
 よりにもよって、”今日”僕にそんな事を云うだなんて!

「……反対、されなかっただけ、マシ、かなぁ……?」

 備前先輩は味方であれば心強いが、敵に回れば凄まじく厄介な人だ。
 六年生は誰も彼も敵にしたくない人達ばかりだが、その中で特別敵対したくない人である。

 戦闘能力も高くて、技量もあり、財力もある上に人脈も豊富で性格が悪いなんて、最高に最悪の
相手じゃないか!


「……おお? どうしたんだ、雷蔵? そんなトコで座り込んで」
「ハチ……」

 友人の顔を見て、僕はほっと安堵の息を吐いた。
 いやもう、本当に……あの人やだなぁ、僕。

「ちょっと……備前先輩に、絡まれてさ……」
「あー……。そいつぁご愁傷さまでした……」

 備前先輩の名前で全てを悟ったらしいハチは、僕に対して同情しきった顔になった。ついでに、
手を貸してくれる。……いい奴だよね、ハチって。

「”今日は僕の番”なのを知ってて僕に云ったんじゃないかって、勘繰っちゃうよ、ほんと……」
「う、う〜ん? まぁ、あの人ならその可能性も無きにしも非ず、だけどさぁ。……ばればれって事ぁ
無いと思うぞ?」
「だよねぇ……。でも、油断は禁物って事はよく分かった。うん。バレたらって思うと凄い怖い。気を
つけようね、ハチ」
「おうよ。油断大敵火がボーボーってな!」

 うんうんとお互いに頷いてから、僕らは互いの健闘を祈って別れた。
 向かう先はそれぞれの委員会。
 ハチは先日の件で気が立っている千草先輩を宥めに。
 僕は、”作戦遂行”の為に図書室へ。

 今の所、驚くほど上手く事は運んでいる。
 こんなに簡単でいいの? と誰かへ向けて聞きたくなるくらいだ。


 胸にもやもやとした、やな気持ちが湧きあがって来る。
 気付かれちゃ困るけど、気付いて欲しいと云うか。”そこまで腑抜けてない”事を証明して欲しい
と云う期待も少なからずあったのだけれど。

 全然、全く、これっぽっちも、気付いていない。


 失望と安堵。
 嘲笑と悔しさ。
 馬鹿にしたい気持ち、馬鹿にされたくない気持ち。


 矛盾する思いが、胸で渦巻く。
 むざむざと騙されて、嵌まって行く人達を見る度に、「それでいいの? 変に思わないの? くの
たまに馬鹿にされてるって気付いてよ!」と叫びたくなったりもする。
 そう思うくらいには、忍たまの仲間たちも大事だからだ。

 でも、そう云った幼稚な思いに蓋をして、僕らは”指示通りに動く。”
 大勢を犠牲にしてでも、守りたい人が居るからだ。


 保健室で床(とこ)に伏せる親友と、その傍で泣き続ける親友を、守りたいから。
 そのためなら、多少の犠牲も厭わない。自分たちの保身も、二の次でいい。

 また二人が、笑いあってる姿が見たいよ。
 あの優しい光景が、見たいんだ。


 だから、心を鬼にします。
 ごめんなさい。僕で良ければ、幾らでも謝ります。土下座してもいいです。
 でも、あの二人には、何もしないで下さい。


 そう願いながら、図書室の引き戸を開いた瞬間、


「――きり丸……ッ!」


 滅多に聞けない切羽詰まった先輩の声と共に、足へと軽い衝撃が。
 視線を下へ向ければ、”予定通り”の存在。

「きり丸? 一体どうし……」
「……失礼しますっ!」

 大事な後輩の一人、摂津のきり丸が、”涙をぬぐいながら走り去って行く。”
 図書室の中には、唖然とした残りの後輩二人と、顔色を青くした先輩二人の姿があった。
 そして先輩の足元には、床に叩き付けられただろう本が一冊。


”予定通りの現状”に、僅かな戦慄を覚える。
 だが、そんな心情など微塵も見せず、普段通りに迷って見せた。
 きり丸の後を追うか、先輩へ状況を確認するか。
 後者を選ぶように”指示をされていた”けど、普段の僕なら迷い迷った後、前者を選ぶ。
 さて、そこに違和感を与えずに済むかどうかは――僕の力量次第、か。

 しばし追うべきか残るべきか迷って見せた後、僕は意を決した顔で、中在家先輩へ向かって云った。

「い、ったい、どうしたんですか? きり丸……泣いて……」
「……っ」

 先輩らから見たら今の僕は、「今すぐきり丸を追ってやりたいけど、状況把握を優先した冷静な存
在」になっている、かな? 六年生を騙しきる胆力はあるつもりだけど、演技力は……くのたまや三
郎には遠く及ばないからなぁ。
 そう思うと、僕を”この役”に抜擢したのって、結構な博打なんじゃ……。

「……泣かせ、た」
「え?」
「……私が、泣かせた……」

 そう云って項垂れてしまった中在家先輩へ戸惑いの目を向けてから、その隣に居たもう一人の先
輩へと目を向ける。
 顔から血の気を引かせた――潮江文次郎先輩に。

「潮江先輩、一体何があったんです? 説明して下さいっ」
「その……」

 柄にも無く云い淀む潮江先輩に、内心驚いた。
 嗚呼、本当に――”上手く行っているのだ”と。

 二人の様子を見て、此れは敢えて”追及”しなくとも良いと考えた僕は、踵を返した。
 思い知ってるじゃないか。二人とも。それはもう、深く。
 此処で僕が詰問するより、放置した方が”効率が良さそうだ。”
 此れくらいの変更なら許して貰えるだろう。

「すいません、僕、きり丸を追います」
「不破……っ」

 止めるように、中在家先輩が僕の名を呼んだ。
 振り返った僕に向かって、血の気の引いた唇を震わせて――俯いた。


「……頼む……」


 たった、一言。
”連れ戻せ”とも、”謝っておいてくれ”とも云わず。たった、一言。


 その一言に込められた想いは、どれほどのものか。


「……はい」


 ふいに零れそうになった涙に耐え、僕は一言そう答えて、きり丸の後を追った。

 此処まで来て、同情心を湧かすなんて。――それは、”裏切りでしょう?”

 善良ぶるのも、親切ぶるのも、もう遅い。
”引き金”は当の昔に引かれて居て、放り投げられた石は転がり始めている。
 止めようと思えば止められる石を蹴り飛ばし、”加速させるのが僕の役目”なのだから。


 中庭へ来れば、そこには泣いているきり丸と、懸命に慰めている浦風藤内が居た。
 恐らく、彼の身上である「予習」をしていたのだろう。側には手裏剣が散らばっていた。
 なるほど。だからあの人達は、”此処を選んだのか。”


「きり丸……っ」
「……っ、雷蔵先輩!」


 呼びかければ、きり丸はぱっと泣き顔を上げて、僕へと駆け寄って来た。
 しゃがみ、両手を広げ抱きとめれば、わんわんと大声を上げて泣き始める。
 抱きしめて頭を撫でてやりながら、困った顔をしている藤内へ声を掛けた。

「ごめんね藤内。うちの子が迷惑を掛けたみたいで……」
「あ、いえそんな! 俺、何の役にも立ってないですし!」

 顔を赤くして云う藤内に向かって、僕は微笑んだ。
 優しい子だ。
 この子を”利用”するのは良心が痛むけど……他の皆が腹を括ったのに、僕だけがいつまでもご
ねる訳にはいかない。
 ごめんね、藤内。”巻き込むよ。”

「きり丸、ほら、泣かないで? 一体何があったの?」

 一定の律動で背中を優しく叩く。まるで赤子でもあやすように。
 きり丸は声を徐々に小さくして行き、しゃくりあげる程度になってから、言葉を紡いだ。


「せん、ぱいたち……夢さん、の事、ばっかり……!」
「え……」


 呟いたのは、藤内だった。
 顔を青くして口元を押さえながら、きり丸を見ている。


「オレ達の事っ、なんて、もう、どうでも、いいんだ! 夢さん、方が、大事なんだ!」
「……ぁ……」


 きり丸の言葉は、彼の傷を刺激する。
”数日の間に起こした事件”は、間違いなく彼の心を抉っているからだ。


「大、嫌いだ……!」
「きり丸……」
「みんな……夢さん、も、先輩達も……みんな、大嫌い!」
「――っ!」


 藤内は硬直し、きり丸を凝視している。
 うん。分かるよ、藤内。君の心情が、今すごく分かる。


 自分が所属する委員会で、連続して起きた揉め事。
 それは真面目な彼の心を、相当に揺さぶっていたはずだ。

 すぐ上の先輩は、”天女様”の持ち物を隠した一年生を虐めて、その結果、『百獣の帝王』を怒ら
せてしまい大怪我を負った。
 尊敬する委員長は、”天女様”へ厭がらせした一年生を一方的に責めて、仲違いをしてしまった。

 哀しかっただろう。怖かっただろう。辛かっただろう。
 仲が良い、結束が固いと評判だった、作法委員会が崩壊して行く様を見るのは、とても。
 そして、怯えていただろうね。
”次は自分の番かも知れない”と。
 自分が何かをしてしまい、崩壊の決定打を与えてしまうのではないかと、震えていたに違いない。


 可哀想。可哀想に。
 でもごめん。”此れは三年生にしか出来ない事なんだ。”
 四年生でもいけない、二年生でも駄目。”三年生が一番適任なんだ。”

 だから、頼むよ、藤内。



「なぁ、苦しい?悲しい?死んでしまいたいか?」



 その恐怖を、広めておくれ。三年生へと、蔓延させておくれ。
 そうすれば、もう、止められなくなるから。

(逃げ場を無くしたのは、僕らか。それとも、君たちか)



 了


 雷蔵書きづらい……。(おい)優しいには違いないのだけれど、甘い人ではないから難しいのだと
勝手に思ってます。結構えげつない手を使ったりするもんね、雷蔵さん。

 きり丸と長次、文次郎の仲違い理由は特に書きません。この話では重要な事でもないのですっ飛
ばしました。裏メインは藤内なので。

 さぁ、下準備もそろそろ終わりですよー。(また下準備だったのかよ! と突っ込みが聞こえる)