千草が大暴れして、四年生が三人医務室送りになったそうだ。
 ……うわぁ、マジか。マジでやったんか。凄いな伊作。腹くくったんだなぁ。

 じゃぁ俺も、頑張ろうかねぇ。


「留三郎……」


 後ろから声を掛けられ、振り向く。まぁ、気付いていたけど、さも今気付きましたって顔しとこう
かな。

「どうした仙蔵。死にそうな声出して」
「その、な……。少し、相談があって……」

 歯切れの悪い様子に、内心驚く。
”此処まで上手く行くものなんだなぁ”。やっぱ怖いわ、あいつら。

「廊下で話すには向かなそうな話だな。んー……俺の部屋来るか? 茶ぐらいなら出せるし」
「……すまない」
「気にすんな。仙蔵に頼られるのは悪い気しねぇし」

 ホッと息を着いた顔に、軽い罪悪感。

 ――軽い、か。……俺って自分で思ってたよりも薄情なんだな。

 まぁ正直なところ、今は、六年苦楽を共にしたけど”天女様”に骨抜きにされた同輩より、”天女
様”のせいで殺されかかった後輩の方が大事だしな。
 そんな訳で、許せとは云わんが、”恨むなら俺だけにしてくれ”な、仙蔵。


 部屋へ招き――伊作はずっと保健室に詰めてるから、現在は一人部屋に等しい――、茶を淹
れてもてなす。茶菓子を切らせている事を詫びれば、気にするなと微笑まれた。
 うーん、本気で調子狂ってるんだな、仙蔵。重症だ。普段のお前なら、「買って来い」って笑顔で
云うだろうに。


 さて、と。
”分かっちゃいるけど”、聞かないとな。

「で、仙蔵。相談ってのは何だい?」
「あぁ、その……、千草が暴れたと云う話は聞いたか?」
「少しだけな。四年生三人医務室送りだって? 『若旦那』が入学してから、大人しかったのになぁ」

 あいつ無茶苦茶気性が荒いから、扱いが難しいんだ。
 怒る理由は妥当でも、怒り方がまずい。言葉より先に、殴る蹴る頭突きする、だもんなぁ。
 お前の馬鹿力で殴ったら後輩死ぬぞと云ったら、「この程度で死ぬなら糞以下じゃねぇの」とか真
顔で云いやがるし。それでよく俺と流血沙汰になったもんだ。
 あいつの大事な『若旦那』が入学して、あいつの暴虐っぷりを叱り付けた後は、結構大人しくなっ
ちゃぁいたんだが。

「その中の一人が、うちの喜八郎だったんだ」
「あぁ……なんだ、仕返しでもするのか?」

”そんな話ではないと知ってはいるが”、普段の俺ならこう返すだろう言葉を云っておく。
 仙蔵は縄張り意識が強いから、自分の後輩に手を出されると俺並みにキレる。そんな外見に似
合わない情の厚さが、仙蔵の良い所だ。

「いや、違う。今回は……喜八郎達にも非がある。やりすぎだとは思うが……それで千草を責める
のは、どうも、な……」
「そもそも、喜八郎達は何をやったんだ? 俺ら六年ならともかく、四年は千草の怒りを買う事は早々
ないだろ?」

 これも”知ってはいる”が、敢えて問いかける。”仙蔵の口から事件背景を語らせる事が必要だ”
からな。

「……一年は組の皆本金吾が、夢さんの持ち物を隠し、破壊していたと云う事は知ってるな?」
「まぁな。晴次の義弟がやらかした事だし」

「晴次の義弟」の部分に、仙蔵の顔が少し歪む。
 そこは”重要な部分”なんだ、ちゃんと覚えて置いてくれ。

「それについて、……どうも喜八郎達が口を出したらしくてな……。割って入った加藤団蔵を田村が
引っ叩きおったんだ」
「あぁそれで……。そりゃ千草は盛大にキレるよなぁ」


 団蔵を池で寝かせた文次郎を、ご自慢の戈(か)とペット達を使って追い回していた事は記憶に新
しい。そうそう、それまでの比でないキレっぷりに小平太と長次まで怖気づいて、先生方も顔色青く
してたもんなぁ。そんな千草を怒鳴りつけて引っ叩いて謝らせた団蔵はすごい。
 で、三木ヱ門はその凄い団蔵を引っ叩いた、と。そりゃ千草はキレる。まぁ、”本当の所”を知った
ら、俺らにキレるかも知れねぇけど。


「喜八郎は巻き込まれたと云えなくもないが、三木ヱ門と共に金吾に対し責め句を口にしていたなら
同罪と考えていいだろう? この件については、私も口を出すつもりはない」
「じゃぁ、一体何だってんだ?」


 意地の悪い事を聞く。
”知っているよ。”あぁ、”知っているとも。”
”俺はお前の悩みを知っているよ。”


「……兵太夫の、事、なんだ……」


”思った通りの言葉”に、内心で苦笑とも不快ともとれる感情が湧きあがる。
 あぁ、だがそれは横に置け。今必要なのは、”騙し通す胆力だ。”
 いくら本調子ではないとは云え、相手は学園最優秀生徒の一人に数えられる立花仙蔵。
 一瞬の油断、慢心が容易に失敗を招く。

 侮るな。恋に腑抜けた男と、見縊るな。
 己の全てを使って、”騙し通せ。”


「どうしてそこで兵太夫が出て来るんだ? まぁ、確かに無関係、とは云い切れないだろうが……」
「そうだ。無関係じゃないんだ。あの子は……」

 細いため息をついて、仙蔵は組み合わせた手を目元へ当てた。
 参っている事が一目で分かる仕草だ。……本当に、らしくない。


「からくりが好きで、悪戯が好きで……輝かんばかりのドエス気質を持ってる子なんだが……根本
的には友達想いの良い子なんだ」


 けなしているのか褒めているのか。……十割褒めてるつもりなんだろうな。仙蔵の事だから。


「金吾があのような事をしたのは……夢さんを狙った曲者に、義兄である鳴瀧が斬られたからだ。
逆恨みと云えるだろうが……周りがもっと気遣っていてやれば、良かっただけの話だ。あんな幼い
子を追い詰めて、陰湿な真似をさせてしまった我々こそ責められるべきだろう」
「そうだな。俺も、それについては同感だ」
「だと云うのに、喜八郎達は金吾を責め……その結果団蔵に手を上げた。兵太夫が怒るには、充
分過ぎる理由だよ」
「怒ったのか」
「あぁ、怒ってる。だが、あの子は本当に怒ると……面と向かってぶつけては来ないんだ。ものすご
く遠回しに――陰湿になる」

 仙蔵が深くため息をついた。


「夢さんの周りに、色々なからくりを仕掛けて回ってるんだ、あの子は」


 そう告げた仙蔵の顔には、疲労の色が濃かった。
 あぁまったく、”普段のお前ならばそんな事にはならないだろうに。”

「からくり自体は単純な物だ。転ばせたり、水を落としたり……だが中には、石を投げつけるような
危険な物もある」
「そいつぁ……また、……凄いな」
「今の所かすり傷で済んでいるし、夢さんは鈍い人だから……故意による物だとは気付いていない。
周りもいぶかしんではいるが、兵太夫の仕業だと分かってる者はまだいないだろう。だが、それも
時間の問題だ」

 仙蔵が力無く、俺の名を呼んだ。


「留三郎、私はどうするべきなんだろう? 夢さんを傷付ける行為は許せない。だが、兵太夫の気
持ちも、分かる。兵太夫を叱れば……あの子は私を敵と見なすだろう。かと云って、宥めすかしが
利くような子でもない。例え自分が追い込まれようと、最後まで戦い抜く胆力を持つ子だからな。そ
れに、周りの人間が兵太夫の仕業だと気付いて……それで兵太夫を傷付けられるような事になっ
たら、私は千草と同じ事をするに違いない。だが……それは、兵太夫の行為を、夢さんへの害意を
容認したと云う事になってしまう。それは……夢さんを傷付けてしまう。だから……だから、私は……」


 項垂れた仙蔵は、まるで異国の神へ祈るかのように手を組み合わせ、そこへ己の額を押し当てた。
 薄い肩が震える様を、どこか、他人事のような思いで見つめる。


「私は……どうしたら、いいのだろう……?」


 仙蔵。
 それはお前、とても贅沢な悩みだよ。
 なぁ、ことわざにもあるだろ? 二兎追う者は一兎も得ずだ。どちらも救いたいなんて、”この場合
は無理なんだよ”。”許されない”んだ。どちらかを選ばないといけない。

 あぁでも、今のお前さんは、花都を選ぶのだろうな。
 必要に迫られれば後輩を見捨て、恋する女を選ぶんだろう?
 それはとても、”お前らしくないよ”仙蔵。


 心が冷える。この感覚は、任務を前にした時と同じだ。

 すまない、仙蔵。何度でも謝るよ。すまない。ごめん。申し訳ない。
 今のお前は恋を選ぶだろうけど、俺は情を選ぶよ。
 お前は俺を信用して、こうして相談してくれたんだろうけれど。ごめん。ごめんな。


 俺はお前を裏切るよ。


「……話し合う前から決めつけてしまうのは、お前さんの悪い癖だよ、仙蔵」
「留三郎……」
「自分の気持ちを兵太夫に話せばいい。お前さんお墨付きの良い子なんだろう?」

 そう云って微笑めば、仙蔵は絆されかけた顔になる。
「でも……」と迷う言葉を口にしているが、その目には希望が宿り始めていた。

 さぁ、にこりと笑みを浮かべて、”追い打ちを。”


「信じてやれよ、仙蔵。可愛がってる後輩が、お前の気持ちを裏切るなんて在り得ないさ」



 笑顔を取り戻した仙蔵を、同じく笑顔で見送る。
 友人の背中が遠く遠くなって、見えなくなってから部屋へと戻り、喉で小さく嗤った。

 なぁ仙蔵。考えないのか? 思い付かないのか? 少し考えれば、分かっただろう?
 お前が後輩を信じているように、”後輩もお前を信じているのだと。”
 自分の気持ちを、先輩は分かってくれると、裏切らないと、愚かなほど純粋に信じていると、考え
つかなかったか?
 お前の言葉が、後輩より”天女様”を取ったお前の一言が、幼い後輩を傷付けるだろうと、想像
はつかなかったのか?


 そこまで腑抜けたか、立花仙蔵よ。


 嗚呼でも、謝る、謝るよ、仙蔵。俺はお前に謝罪しよう。
”俺は知ってる。分かっている。”
 お前が向かった先で……”お前と後輩の仲がこじれる事を、俺は知っているよ。”知っていて、黙っ
ていたんだ。黙ったまま、お前を騙して、唆して、裏切った。
 でもお前は気付かずに、「自分の云い方が悪かったのだ」と己を責めるのだろうな。お前は性根
の優しい男だからな。俺を責める事もせず、俺が気に病んで見せれば逆に慰めの言葉を口にする
んだろう。

 そんなお前が本当に好きなんだけれど、今は嗤わせてくれよ。



「誰の入れ知恵だ?」



 後日、立花仙蔵と笹山兵太夫が仲違いしたと云う話が、学園中に広まった。
 己の後輩には甘い冷血な男と、自分の先輩には素直な意地っ張りの仲違い。しかもその意地っ
張りは「あの一年は組」の一員だ。話題性としてはかなりの高品質だな。

 あぁ案の定、予想通り、想定通り、計算通り。
 俺は嗤い出してしまいたいのを我慢して、嘆く仙蔵へ慰めの言葉を吐きかけた。

(なぁ知ってるか? 例え忍者でなくとも、人と云う生き物は、騙し唆し裏切るのだと云う事を)



 了


 食満を性格悪く書いてみたかった。←