なんて事を!
 大治郎、貴様、赦される事ではないぞ!

 握りしめた拳が震える。
 怒りのあまり、動く事もままならない。
 目の前が真っ赤に染まりそうなくらい、頭が熱い。
 それも仕方のない事だ。
 何故ならば。


 大治郎が、夢さんの頬を引っ叩いたのだ!


 信じられん。
 あのように美しく、可憐で、繊細な女性を叩くなど。
 男の風上にも置けない、暴挙だ。
 いいや、何より、私が愛する夢さんを叩くなど、許せる事ではない。

 あぁそうだ、奴には借りがあったな。
 あの時は後れを取り、こちらが一方的に攻撃を受け、さらには可愛い後輩から説教を受けると云う
憂き目にあった。
 だが今回は違う。
 間違いなく、非は奴にある。


「仲良くなりたいの!」と健気に慕う夢さんを無下に扱い、果ては一方的な暴力を働いた。
 罰を受けるべき、所業だ。
 私が奴を痛めつけた所で、誰も文句など云わないだろう。


 嗚呼、可哀想に夢さん。
 そんなに泣かれて。
 大丈夫、私がすぐに大治郎を凝らしめて差し上げましょう。
 だからまた笑って下さい。
 あの可憐な笑みを、太陽の如く明るい笑顔を、私に見せて下さい。
 泣いている貴女も美しいが、やはり笑顔が一番なのですから。


 するりと、懐に手を入れる。
 常備されている焙烙火矢に指先が触れた。

 その時だ。
 私の横を、小さな影がぱたぱたと駆けて云ったのは。

 え、と硬直し、何とか視線だけを動かせば、一年は組の子らが大治郎の元へ駆け寄って行く光景が
目に入る。
 嗚呼、あの子達が傍に居ては、焙烙火矢が使えないではないか。
 たまにしめりけ共に向かって投げてはいるが、怪我はさせないようにしてはいるのだ。
 だが、あのように大治郎に密着されては、投げられない。
 離れなさいと注意しなければ。
 お前たち子供の出る幕ではないと、大治郎の咎を罰するのは、私の役目なのだと。

 云おうと、口を開いた所で、



「我ら一年は組、大治郎先輩にお味方します!」



 私の時間が、静止した。

 何と、何と云った、あの子は。
 誰よりも冷静沈着と名高いは組の委員長は、今、何と。

「ど、どうして?! だって、その人、私を叩いたのに!」

 夢さんの仰る通りだ。
 奴は許されざる暴力を働いたのだ。
 それなのに、何故味方をするなどと云う?
 夢さんの、我々の敵に回ると、宣言するのだ。

 どうして。

「『下関大治郎先輩に無断で触れるべからず。破った場合、鉄拳制裁を覚悟すべし』、学園の常識で
す。貴女は学園に来て日が長い、とは云えませんが、それでも先輩は「触るな」と拒絶していらっしゃ
いました。その意思を無視したのは貴女ですから、それは自業自得です」

 真っ直ぐ前を見たまま、庄左ヱ門が云う。

 あぁ、そうだった。
 確かに、学園の常識だった。
 奴と付き合いのある上級生だけでなく、下級生にまで浸透していた学園の常識。
 例外扱いされている面々を、私達はどれだけ羨んでいただろう。
 大治郎に触れる事が出来る連中を、どれだけ、羨望の眼差しで見ていただろう。
 自分たちも例外になりたいと、どれだけ望んでいただろうか。

 そうだ。
 そもそも何故、あの時私は、夢さんを止めなかった?
 無邪気に笑いながら、大治郎に触れようとするあの人を。
 大治郎が夢さんに興味が無いのは分かり切っていた。
 彼女が例外に含まれていない事を、分かっていたのに。


 私達の特別が、大治郎の例外に適応される事など、無いと、知っていたのに。


 何故私達は見過ごした?
 夢さんなら許されると、何故思い込んだ?

 どうして――

「……っ! だって! 仲良くなりたいのに、私は好きなのに、ちっとも振り向いてくれないんだものっ!」
「……気持ちは分かります。結局は、貴女の「仲良くなりたい」も大治郎先輩の「拒絶」もお互いの我
が侭でしょう。どちらが悪い、良いなんて、本当は無いと思います」

 激昂する夢さんに、庄左ヱ門の冷静な声が続く。
 その言葉一つ一つを聞く度に、耳の奥がチリチリと焼けるような気がした。

 私達は、とんでもない過ちを、犯しているのでは、ないかと。
 そんな考えが、胸を焼く。


「けれど僕らは、貴女より大治郎先輩が好きです。だから先輩の意思を無視する貴女を、僕らは許す
事が出来ません!」


 びりびりと、庄左ヱ門の言葉が頭に響く。
 体が動かない。
 目の前の光景を凝視し、言葉を静聴する事しか、出来ない。


「此れ以上大治郎先輩に付き纏うならば、一年は組全員を敵に回す覚悟をしていただきましょう!」


 そう、庄左ヱ門が断言した瞬間。
 かちりと、何かが切り替わった。
 世界が、色を戻した。
 あれだけ輝いて見えた美しい世界が、元通りの、何でもない、当たり前の世界に戻った。


 涙を流す天女は只の少女になり、無表情な仇は長き付き合いのある友へ、姿を変える。


 ……あ、れ。
 私は、どうして。
 何故、あの少女に、深い愛情など、抱いたのだ?
 忍びのたまごとして、色恋の情を抱くなど、愚かしい事だと知っていたのに。分かっていたのに。
 天から降って来た少女など、有り得ない。
 私自身目撃したが、そんな非科学的な事、ある訳が無い。
 ならば、幻術使いかそれに類似する何者かと云う事になる。
 だと云うのに、何故、私は。


 頭から、彼女を天女だと信じ、愛していたのだ?


 思い出せば、確かに天真爛漫で、今の世に有り得ない、清い少女ではあった。
 けれど普段の私ならば、その様を憎々しく思うはずだ。
 平和ボケなど、許せるはずもない。存在を許容する事すら出来ない。
 我等の世は戦乱の時代。
 優しさや美しさに、何の価値がある?
 価値があったとしても、それは保護したり慈しむものであって、溺れるものではないと云うのに。

 ――だってあの人、幻術使いじゃないですか。

 脳裏に蘇ったのは、可愛がっている一年生の言葉。
 あの子は少し得意げな顔をして、云っていた。

 ――ぼくらはまだ本音を隠して近寄るなんて出来ないですから、先輩方のお邪魔にならないように近
づかないんです。

 そう云ってあの子は、「偉いでしょう?」と云わんばかりの笑みを浮かべて。

 嗚呼、そうだ、普段の私なら、褒めていた。
 流石私の作法委員だと、異質な者に警戒を緩めず、さらに先輩の動向まで窺って己らの境遇を決め
ていただなんて。
 頭を撫でまわして、抱き上げて、頬ずりするくらい、褒めてやらねばならない事だったのに。

 私は、あの時、私は――


 ――なんて事を云うんだ! 夢さんが幻術使いな訳があるか!


 何て事を!
 私は、あの子に、何て言葉を投げつけたのか!
 正しかったのに、兵太夫が正しかったのに、私達がおかしかったと云うのに!
 湧き上がる怒りに身を任せ、なんて言葉を吐き出したのか!


 兵太夫。
 兵太夫、すまない、赦してくれ、愚かな私を、赦しておくれ。

 ふらふらと彷徨わせた視線は、一人の子供に注がれる。
 彼はこちらを見向きもせず、己が大事な物を背後に庇いながら、鋭い眼差しで敵を睨みつけていた。


 その凛々しい横顔に、一筋涙が頬を伝い落ちた。



 − 誰でもいいから昨日の私を絞め殺してよ(立花仙蔵)



 誰でもいい。誰でも、いいから。

(謝ったって許されない。私はあの子を傷付けた!)



 了


 世界がリセットされてよかったね、立花様!(お前……!)
 まぁ、世界がリセットされた後も、謎の罪悪感が残ってその後兵太夫にゲロ甘でしたよ、って云う。←

 神様の強制力の恐ろしさと、一はの影響力の凄さを書きたかった話ですが、何だか凄く立花様が可
哀想になってしまったような……。(でももうちょいへこませても良かったかも)(おい)
 立花様の涙は真珠の如く美しいに違いない。少なくとも私は信じてる……!←