「もういや! どうして私の思い通りにならないの?!」

 目の前の女が喚く。
 女の頬は赤い。
 俺が平手打ちをしたからだ。

 馴れ馴れしくすり寄って来て、勝手に人の手に触れて。


 俺は他人の肌が嫌いだ。断りもなく触れられるのも嫌いだ。
 俺に触れて良い人間は、俺が認めた人間のみ。


「触るな」と云ったのに、それでも触れて来たのはこの女だ。
 だから頬を平手で打った。
 流石に、くの一でも何でもない女を拳で殴るのは憚られたからだ。

 そうしたらこの女、茫然とした後で、意味のわからない事を喚きだした。
 意味は分からない、が、人としてアレだと云う事は、わかる。
 そんな言葉の、羅列。

「どうなってるのよ神様! 私の思い通りになるんでしょう?! 皆私を好きになるんでしょう?!
話が違うじゃない!」

 女が喚く。
 周りを見てみれば、生徒らが俺達を囲んでいた。

 極少数の生徒は、夢から覚めたような顔をして、嫌悪の表情で女を見ている。
 だが、ほとんどの生徒は、俺を憎々しげに睨みつけていた。
 女を殴ったからだろうか。ならば、女のあの言葉はどうなのだろう。
 聞こえて、いないのだろうか。
 それもと理解出来ていないのだろうか。……する事を、放棄したのだろうか。

 僅かばかりの失望が胸に湧き上がった時だ。


 ぱたぱた、ばたばたと、多数の軽い足音が聞こえて来た。


 振り返れば案の定、庄左ヱ門を筆頭に一年は組の生徒らが集合していた。
 庄左ヱ門が後ろの仲間を見、一つ頷くと、金吾、虎若、団蔵が、俺の手をぐいぐいと引っ張って女
から距離を作った。
 そして出来た間に、庄左ヱ門、乱太郎、きり丸、しんべヱ、兵太夫、三治郎が入る。
 俺のすぐ目の前に、今まで手を引っ張っていた三人が立ち、喜三太と伊助が俺の両脇を固めた。
 しゃがんで、と云う喜三太に素直に従えば、背中から云った本人が飛びつき、伊助が前から俺を抱
きしめた。

 何だこの最強の陣形。俺に喜びで死ねと?


「我ら一年は組、大治郎先輩にお味方します!」


 何とか首を動かせば、庄左ヱ門が胸を張り、女に宣言している所だった。

「ど、どうして?! だって、その人、私を叩いたのに!」
「『下関大治郎先輩に無断で触れるべからず。破った場合、鉄拳制裁を覚悟すべし』、学園の常識で
す。貴女は学園に来て日が長い、とは云えませんが、それでも先輩は「触るな」と拒絶していらっしゃ
いました。その意思を無視したのは貴女ですから、それは自業自得です」
「……っ! だって! 仲良くなりたいのに、私は好きなのに、ちっとも振り向いてくれないんだものっ!」
「……気持ちは分かります。結局は、貴女の「仲良くなりたい」も大治郎先輩の「拒絶」もお互いの我
が侭でしょう。どちらが悪い、良いなんて、本当は無いと思います」

 冷静な庄左ヱ門が、正論を云う。
 確かにそうだ。
 俺の「拒絶」も女の「親しみ」も、結局はお互いの我が侭だ。
 周りがとやかく云うものではなく、お互いで折り合いを付けねばならぬ話。
 それは、一年は組とて分かっているだろう。

「けれど僕らは、貴女より大治郎先輩が好きです。だから先輩の意思を無視する貴女を、僕らは許す
事が出来ません!」

 そう断言する庄左ヱ門に続き、他のは組も揃って頷いた。

 あぁくそ。
 俺の表情筋が死んでなかったら、喜びで泣いている所だ。


「此れ以上大治郎先輩に付き纏うならば、一年は組全員を敵に回す覚悟をしていただきましょう!」


 そう断言した庄左ヱ門に気圧されたのか、女が一歩後ずさった。
 だからと云って一年は組は踏み出す事はせず、ただただ俺を後ろに庇ったまま。

 ……六年生として、一年生に庇われるのは恥ずかしい話だが、正直なところ、嬉しさが勝る。

 だが、このまま任せっぱなしはいかんだろう。男が廃ると云うものだ。

「伊助、すまんが離れてくれ」
「……大丈夫ですか?」
「あぁ」

 頷けば伊助が離れ、その際によしよしと頭を撫でてくれた。
 それに頷く事で答え、背中に居た喜三太を腕に抱くと、一年は組の壁から前へ出る。
 心配げにこちらを見上げて来る子供らに、一つ頷きを返せば、安堵の笑みが返された。

 女を見据える。
 天女と呼ばれた女は、期待と不安が入り混じった顔で、俺を見ていた。

「貴様、俺を好いていると云ったな」
「……! そう、そうです! 私、大治郎さんが好きなんです! 他の誰より一番好きなんです!
だから、だから大治郎さんも私を好きになって! いえ、好きにならなきゃおかしいんです! だっ
て私は愛されるんです、そう神様にお願いして叶えて貰って此処にいるんです! そうならなきゃ
いけないんです! 私を好きにならなきゃ駄目なんです! さぁ、だから私を愛して! 私だけを
愛して下さい! 今すぐに!」

 頬を真っ赤に染めて、期待に満ちた目で俺を見て、大きく両腕を広げる女。
 まるで、今すぐ抱きしめろとでも云うように。

 俺は、女の言動に目を細めた。
 それくらいでしか、不快を顔で表現する事が出来ない。


 これのどこが天女なのか。
 己の欲に満ちた、哀れで醜い、ただの女ではないか。


「俺の想いは、俺自身が決める」
「え」
「神にだとて、勝手に決められてなるものか。俺の想いは、俺だけの物だ」
「だ、って、神様、が」
「俺の愛は、喜三太だけの物だ」

 情は、いくつか振りまいている。
 けれど愛は、喜三太だけの物だ。
 貴様にくれてやる物など、何一つない。


「俺は、喜三太しか愛さない」


 はにゃぁ、と愛らしい声があがった。
 腕に抱いた喜三太が、喜びの笑顔を浮かべて、赤い頬を擦り寄せて来る。柔らかな感触が心
地良い。
 後ろからきり丸の「兄(あに)さんかっこいいっす!」とか、虎若の「ご立派です!」とか、金吾の
「何か見てる方が照れちゃうね……」とか、そう云う声が聞こえた。
 彼らに向かって親指を立てながら、目は女へ向けておく。

 女は茫然としていた。
 だがすぐに顔をくしゃりと歪め、わぁと泣きだした。
 両手で顔を押さえながら、どうして、どうして、どうして、そう繰り返して、嘆いている。


「俺達はお前の人形でもなければ、都合のよい道具でもない。……自分の意思持つ、人間だ」


 ばつんと、何かが途切れる音がして。
 世界が真っ暗になった。



 − 自分のことすら無関心だったかもしれない。



「お帰りなさい先輩! 任務、お疲れ様です」
「うむ……?」

 何だ、この既視感。
 前にも同じやり取りをしたような……?

「お疲れでしょう? 今日は座っていて下さっていいですよ、確認だけお願いします」
『それで先輩、聞いて下さい、凄いんですよ! 天女様が学園に来たんです!』

 ……んん?
 何か、声が被ったような、気が……。

「先輩? どうなさったんです?」
「……兵助、今の季節は、まだ、夏、だな……」
「えぇ、残暑と云った所ですか。早く涼し季節になるといいですよね」

 あれ。
 俺はこの前、乾燥する季節が来た、と思って気を引き締めていたような。
 いや待て、俺は今まで任務に出ていたのだから、あれ。

 あれ?

「……」
「先輩? 大治郎先輩、大丈夫ですか?」
「どうしたの〜?」
「下関先輩?」
「やっぱりお疲れなんじゃ……」

 後輩が俺の周りに集まり、顔を覗き込んだり着物の裾を引っ張ったりして来る。
 いや、別に、今回の任務はそう難しい物でなくて。
 あれ、いや、この任務は随分前に終えて……

「……三郎次、布団を敷いて」
「はい!」
「タカ丸さんは食堂のおばちゃんに、栄養のある物を作って貰って来てくれ」
「え、僕今お財布持ってないよ。長屋に取りに行って来ていい?」
「俺のを使え、持ってけどろぼー!」
「兵助君カッコいい!」

「先輩、ぼくはどうしましょう?」
「伊助は子守唄を唄ってくれ。俺は抱き枕になる!

 兵助、お前は本当に妙な所でボケた子だ。

 いや、違う。そうじゃなくてだな。
 俺は別に病気でも疲れ過ぎて頭が働いてない訳でもなくてだな。

「はい先輩寝て下さい先輩お疲れなんです先輩さぁ早く早く横になって先輩!」
「いや待て兵助、俺は別に何とも……」
「先輩の何ともないは信用なりません!」

 酷い云い草だ。

 結局布団に寝かされ、伊助に子守唄を歌われる。
 だが、兵助と同衾するのは拒否しておいた。
 悲しげな兵助の顔を見てチクリと胸が痛んだが、万が一喜三太に見られたら死にたくなるか
ら勘弁してくれ。

 伊助と並んで座った兵助は、仕方なさそうに帳簿を確認している。
 布団を敷き終えた後、三郎次は「全く下関先輩と来たらいつもいつも……」と文句を云いながら
仕事をしている。
 遠くから、呑気なタカ丸の声が聞こえて来る。
 伊助の手は優しく、子守唄は穏やかで。

 うとうとと、眠りがやってくる。

「……先輩、全部夢だったんですよ」

 降って来る、慈愛に満ちた声。

「目が覚めたら、全部忘れてます。元通りですから」

 触れて来る手に宿るのは、慈しみだけ。

「おやすみなさい……――」

 ……おやすみ。



 了


 大治郎編、終了〜! 何か大治郎が永眠しそうなEDだな……(縁起でもねぇな!)あ、しません
よ、しませんから! 目が覚めたら伊助ちゃんが云った通り、完全に「前の世界」を忘れて普段通
りに戻るだけです。
 そもそも大治郎は天女さんへの関心が低かったので、リセット後の記憶が捏造生徒の中でも特
別薄い感じです。他の生徒はもうちょい覚えてます。
 え? 一年は組? さて、それはお客様のお心次第、と云う事で^^^^

 後五話、一年は組視点を書いて、大治郎編は完全終了。千草編へ移ります。
 天女さん視点は書かない、と云う自己ルールがありますので、彼女視点は書きません。が、一年
は組以外のキャラでリクエストがあり、ネタがあれば書きますので気になるキャラがいたらお気軽に
どうぞ^^
 リクエスト閉め切りました!\(^O^)/


 執筆 〜2009/12/02



配布元:Abandon