――ガーイー! ガイだー! ガイが来たーっ!
(えぇいやかましい! 喚くな頭に響く!)
 ――ガイがかっこいいんだから仕方ねぇだろ!
(えぇぇー……?)

「――ガイ様、華麗に参上」

(俺にはただのアホにしか見えない)
 ――何てこと云うんだよ馬鹿! 馬鹿! ガイはかっこいいんだぞ!
(いや、高所からの飛び降りでイオン取り返しーは、まぁカッコイイが。華麗に参上はないだろ、華
麗に参上は。痛い奴だぞ。しかも目ぇ超虚ろだから相手さん方もイオンもすげぇビビってるし)
 ――目ぇ虚ろなのは晴佳のせいじゃん?!



 − 底なし沼は青色を湛えて。



 戦闘要員の半数であった魔物が不参加だった事、第三師団が戦闘のトップクラス軍人の集まりだっ
た事、ジェイドが『死霊使い』の力を遺憾なく発揮した事でタルタロスを襲撃した神託の盾はすごす
ごと撤退して行った。
(あぁ……カスデコのパンツを脱がし損ねた……)
 ――まだ云ってんのか!
(残念には違いないじゃん? ……つーかさぁ)
 ――なんだよ?
(アリエッタ一人に戦力の半数任せるなよって話だよな……。絶対うちで引き取ろう、うん)
 これで一件落着、バチカルへ向かえると思った二人だったのだが。
 今回の和平における最重要人物の一人導師イオンが神託の盾側に拉致されたと聞き、唖然とした。
両手でジェイドの胸倉をつかみ上げ、思い切り怒鳴りつける。
「何やってんだゴルァジェイドォォォォオッッ! つーか導師守護役ぁどうした?!」
「それが……イオン様とアニスを先に逃がしたのですが、……その先で神託の盾に囲まれて、アニス
は甲板から転落したと……」
 げぇ、と晴佳は思い切り顔を顰める。ルークもまた、う……と息を飲んだ。
 この高さから落とされたら、まず命は保障できない。晴佳やジェイドのように譜術に特化しており、落
下する自分を風の音素で受け止めるとか、何かクッション代わりになるものでもない限りは。
 晴佳は、ため息を一つ。
「……で、導師は? リグレット女史たちに連れて行かれたか」
「いいえ。兵の報告では、イオン様は別の場所へ連れて行かれた様です。タルタロスに戻る、との事だ
そうですが仲間達が撤退したとなれば、彼らもダアトへ帰還してしまう可能性が高いでしょう」
 兵を派遣するよう命令したと云うジェイドに、晴佳は首を振った。
「その命令は撤回しろ。タルタロスの人員をこれ以上減らすな。まだ警戒は解かない方がいい。……
俺が行く」
 ――云うと思った。
(厭なのか?)
 ――まさか! ……早く迎えに行ってやろうぜ。
(おう)
「そんな……、危険ですルーク様! 此処は私が……」
 ティアの申し出を、また首を左右に振る事で遮る。
「お前の申し出は正しい。が、音律士であるティア一人で行かせる事は出来ないからな」
 反論は許さんと云うと、ティアは心配そうな顔をしながらも頷き、ジェイドは自分も行くと申し出た。
「艦の指揮はいいのか大佐?」
「私の部下は優秀ですから。副官に任せておけば大丈夫です」


 *** ***


「お」
 晴佳が片眉を器用に吊り上げ、剣を抜き払い。
 ――おわ。
 少し間の抜けた声を上げたのはルークで。
「みゅ?」
 きょとんとした声を『ルーク』の頭の上でミュウは出して。
「あっ!」
 ティアは小さく叫び、ナイフを手に取る。
「おや」
 顔はとぼけながら、ジェイドは素早く槍を取り出し。
「あ……!」
 イオンが嬉しそうな声を上げて。
「なっ……?!」
 緑色の髪の少年が驚愕して固まり。
「む……?」
 巨漢がいぶかしむ様な声とともに大鎌を構えた。
 六神将『黒獅子ラルゴ』と『烈風のシンク』が、イオンを連れてタルタロスの前に居た。
 出る前に外を確認しとけばよかった……と思っても後の祭。人数が少なすぎてブリッジからは確
認出来なかっただろうなと結論付け、晴佳は長い朱色の髪を背中に流した。
「お早いお帰りですこと。……命が惜しかったら大人しくイオン渡せコラ」
 ――こっちが悪役みたいだぞ。
 晴佳の言葉を、シンクが鼻で哂う。
「……冗談でしょ? 僕らはマルクトに誘拐された導師イオンを保護したんだから」
「へぇぇぇ〜? で、目的は果たしたのになぁんでタルタロスに戻ってきてんだ?」
「……っ、それは……」
「そうですねぇ。導師イオンの保護が目的だとほざ…云うのであれば、身柄確保後、直ちにダアトへ
帰還すべきでしょう。わざわざタルタロスに戻る必要は全くありません。いえ、それ以前に、こちらに
通達もなく攻撃を仕掛けて来たのですから――」
「……タルタロスを強奪するつもりだったのかしら?」
 ――そうなのか?
(ま、そうなるかな)
 モースの監視の目から逃れるため、導師イオンは最も信頼出来る守護役を一人だけをつれダアト
を出奔したと云う。その際、導師派の人間にしか事の仔細を伝えていなかったらしいので、戦争を望
むが故にイオンから敬遠されている大詠師派が「マルクトが導師イオンを誘拐した」と誤解する事は
不自然ではない。
 だがそう主張するならば、マルクト側に訴えればいい。「導師を誘拐するなど不届き千万、直ちに
導師の御身を我が教団へ戻せ」と最初に通達するべきだ。そうすればマルクト側は「和平交渉のた
めに身柄をお借りしただけだ」と返し、導師イオンもまた「マルクトへの協力は自分の意思であり、誘
拐などでは無い」と伝えれば、無用な戦いをしなくとも済む。
(マルクトとイオンにそう答えられると困るんだろうな)
 ――……えーと、戦いを仕掛けられないから?
(そ。いくら大詠師とは云え、教団の最高位は導師イオンだ。モースの軟禁から逃れたイオンがマル
クトへの協力は自分の意思だと公言すれば、連中は手出し出来ない。だから通達なしで攻撃を仕掛
けた)
 ――で、でも、それでもさ、こんな堂堂と攻撃したらマルクトにバレて国際問題になっちまうんじゃ
ねぇのか……って、あっ!
 気付いたらしいルークに、内心晴佳は微笑んだ。
(お前の思った通り。……目撃者――乗組員皆殺しにするつもりだったのさ)
 ごくり、とルークが息を飲んだ。
 極秘任務中のため、第三師団の一部しか乗っていないとは云っても、総乗組員は百四十余名だと
云う。ルークにとっては途方も無い人数であり、それだけの人間を皆殺しにするつもりだったなんて信
じられない――信じたくない事だった。そんな事を実行できる奴ら――きっと、あの被験者も出来るの
だろう。あの云い草ならば――なんて、血も涙も無い悪魔だと、ルークは思う。
 その思いはハッキリと晴佳に伝わり、彼女は小さく苦笑した。
(ダアトはお国柄、軍艦を持ってない。何か目的があって、タルタロスが欲しくなったんだろうさ)
 ため息を一つ。随分とまぁ強引な策に乗り出したものだと、感心半分と呆れ半分。いや、感心三割
で呆れが七割、か。
 ――……ひでぇ。乗り物のために、人を殺せるのか?
(世界は広いからな。そう云う奴らだっているさ。……お前がそう云う人間にならなければいい話だ。
わかるな?)
 ――……あぁ。俺は、……ならない。なりたくもない。
「……リグレットたちはどうしたのさ?」
 悲壮な決意をするルークの声を遮るように――尤も、晴佳以外の人間にルークの声は聞こえない
が――、シンクが声を低くして問うた。答えたのはジェイドだ。
「丁・重・に! ……お引取り願いましたよ?」
 最初を殊更強調し、輝かんばかりの笑顔でそう云い切った。
「ふん……。我ら神託の盾とアリエッタの魔物を退けるとは。……侮っていたようだな」
 ラルゴが心底感心したように云うが、晴佳はいやいやと首を左右に振った。
「アリエッタがいたら拙かっただろうな。戦力差があるから」
「は?」「何ぃ?」
「六神将『妖獣のアリエッタ』は、キムラスカ王族を前にタルタロス襲撃を取りやめ、上官の指示を仰
ぐため早々に撤退したが?」
 本当は『ルーク』が彼女の母親の命の恩人だからなのだが。それは云う必要もないだろう。
 二人がぽかんと口を開ける。随分と間抜け面だが、そんな顔をされる方が心外だ。
「なんせダアトはキムラスカと懇意にしてるからなぁ。襲撃先に王家の人間がいたら、そりゃやめる
だろ。真っ当な軍人として!」
 ダアト、ローレライ教団神託の盾がキムラスカ王族に攻撃を仕掛けたなどと知られれば、それこそ
国際問題である。長年友好――と云っていいのやら――関係を築いてきたダアトとキムラスカだけに、
裏切りとも云えるその行為は戦争へと直結しかねない。
(つくづく、貴方をお招きして良かったと思いますよ)
(そりゃ光栄だ)
 こそこそとジェイドと晴佳が小声で会話をする。自分たちの存在で救われた者たちがいる事は、二
人にとって素直に喜べる事だった。
「で、イオンを返せっつてんじゃねぇか。さっさとしろよ」
「マスターの云う通りですの!」
 ぴょこぴょこと人の頭の上で飛び跳ねながら、ミュウが援護をする。その様は傍から見れば滑稽で
笑えるはずなのだが、得体の知れない『ルーク』の威圧感から笑う人間はいない。 笑ったら殺され
ると直感しているのかも知れない。
 微妙に目を逸らして、シンクが云う。
「……こちらが応じるとでも思ってるの?」
「あぁ思ってるさ。お前らは国に属する軍人だ。なら、トップの意思に逆らうような真似が最も愚かで
下らない行為の一つだとわかっているだろう?」
 ぐっ、とラルゴは詰まったが、シンクは下唇を噛み締めてこちらを睨みつけているだろう事が、仮
面越しでもわかった。
 彼らの直属の上司はヴァン・グランツであり、そのまた上に大詠師が来る。だから彼らは大詠師
派と云えるかも知れないし、事実彼らの命令には従うだろうが――結局、ダアトで最も高位なのは
導師イオンだ。
 教団に軟禁され、自由などなかった頃のイオンがどれだけ喚こうが彼らは痛くも痒くもなかったか
も知れないが、今イオンは外で自由になっている。ローレライ教団の威信を守りたいのなら、導師
の意向を他国の人間の前で無視するなどあってはならない事だ。
 まぁ尤も――
(俺らの事を殺す気だったんだから、導師の意向にでも逆らうだろうけど)
 ため息を着くと同時に視線を感じ、晴佳はそちらに目を向けた。
 後衛でありながら『ルーク』の前に出ていたティアが、発言権を求めるように視線をよこしている。
それに一つ頷くと、ティアはキッと鋭い眼差しで六神将の二人を睨みつけた。
「ルーク様の仰る通りよ。イオン様は平和を望んでいらっしゃるわ。その邪魔をするなら、同じ神託
の盾騎士団の者として容赦しない」
「そう云う事です。さて、お二方……私たちとやりあいますか?」
 ぴりりと空気が硬直した。
 主張としてはルークたちに分があるが、肝心の導師イオンは相手の手のうちにある。彼らが形振
り構わず導師イオンを人質として扱ったならば、今度は晴佳たちが不利になってしまう。それがわ
かっているため、場は膠着状態へと陥ってしまった。
 ジリジリとジェイドが間合いを取り、シンクはイオンへぴたりと張り付き、ティアが薄く唇を開いて、
ラルゴは大鎌を握りなおす。
 さて。
 こう云う状況には慣れっこの晴佳は、全体の様子を見ながらイオン救出のタイミングを計っていた
が、見知った気配を感じ取り口の端だけで笑った。
(ったく。遅ぇんだよ……)
 ――え? 何が……
 異常に発達した晴佳の聴覚だけが、甲板を蹴るブーツの音を聞いた。
 何か質量のあるものが落下する、空気を切る音は聞こえたらしいラルゴがハッ上空を見上げたけ
れど、僅かに遅い。音の主は信じられないくらい軽やかに着地すると同時にシンクへと斬りかかった。
怯んだシンクからイオンを奪還すると、自分目掛けて振り下ろされた大鎌を子供一人抱えながらも軽々
と跳んで避け、『ルーク』の側へ駆け寄る。
 そして抜き払った剣をそのままに、乱入者は一言。

「――ガイ様、華麗に参上」

 晴佳が呆れ、ルークが歓声を上げ、ジェイドとティアが唖然とし――
 どろりと濁りきった虚ろな青い目を見たイオンとシンク、ラルゴは、ひくりと頬を引き攣らせたのだっ
た。



 了


 修正 2010/07/21