(あーぁあ……)
――……何ため息ついてんだよ。
(いや、皆の目が痛ぇなぁ……ってよ)
――云っていいか。
(何だ)
――全力で晴佳の自業自得だと思う。
(……なんか外に出てからお前の突っ込みキツくなってね?!)
――日々成長してんだよ。
(切り返しも上手くなりやがって……! 喜んでいいのか悲しんでいいのかすらわからん!)
――相棒の成長は素直に喜んどけよな。
− 帰巣本能ばくはーつ!
「ルーク様、ご無事で何よりで御座います」
「あぁ、気苦労をかけたな」
そう云ってガイは跪いた。跪いてるにも関わらず気品があるさまは、いつ見ても心地いい。
――ガイー! 会いたかったっつーか、来るの遅ぇ! 何やってたんだよ!
(おま……っ、この俺でさえ労わりの言葉かけてやってんのに!)
――だって本当に遅いじゃん。何日かかってんだよ。
(早いほうだと思うぞ。まぁ、グランツ謡将から教えられたんだろうけど)
「勿体無いお言葉です」
ルークの罵倒――と云う名の甘え声――が聞こえるはずもなく、ガイは云った。
その言葉に嘘はなく、ガイの声はどこか弾んでいるように聞こえた。勿論、『ルーク』以外の人間
――他国の要人たち――の前で無様にはしゃぐような真似はしない。そう云う風に躾けたからだ。
満足気に頷いてから、晴佳はイオンの方に目を向けた。ジェイドに怪我の有無や何処に連れて
行かれたのかと聞かれていたイオンはその視線に気付き、晴佳に向き直る。
ミュウが「良かったですの〜」と云いながらイオンに抱っこされていて、視覚的に大変可愛らしい
事になっているが内心で悶えるだけにしておいた。
心配してます、と云う表情を貼り付けながら、イオンに話しかける。
「イオン、身体は大丈夫か?」
「えぇ、ご心配おかけしました……。そちらの方も、有難う御座います」
そう云って頭を下げたイオンに、礼を云われたガイの方が慌てた。
当然だ。イオンは一国のトップであるが、ガイは一介の使用人に過ぎない。「ご苦労」と声をかけ
るだけならまだしも、礼と共に頭を下げるなんて遜るような真似をする必要は全くない。
(こいつはほんっとーに導師としての自覚に欠けるな……)
個人的には好ましいが、上に立つものが此れでは下は苦労するだろう。
それを億尾にも顔に出さず、晴佳は慌てるガイを宥めてからイオンに問いかけた。
「いや、無事ならそれでいいさ。ところでお前の守護役は……?」
駄目だったかと聞こうとしたのだが、イオンが首を左右に振った。
「兵の話では遺体は見つかっていないそうですから。……アニスなら心配ないでしょう」
「え……? ……あの高さから落ちて、ですか?」
ティアが思わずと云った調子で口を挟んだが、晴佳も全面的に同意する。あの高さからあの幼女
が落ちて――無事だと云う事は有り得るのだろうか。
「はい。アニスなら大丈夫です」
「えぇ、アニスなら大丈夫でしょう」
ジェイドまでそう云うのならば、大丈夫なのだろうが。あの少女の実力のほどが気になる晴佳だっ
た。
(割と普通の子に見えたが…。いや、人は見かけによらねぇって云うよな)
――そんなもんか? てか、本当に助かるもんなのか、あの高さから落ちて……。
(ガイだって大丈夫だったろ)
――あ、そう云えば……。何でだ?
(風の音素を利用して着地の衝撃を緩衝させたんだよ。ガイは譜術士じゃないが、音素の扱いは上
手いからな。……って事は、アニスとやらも音素の扱いが上手いのかもな)
そんな芸当、よほどの譜術士でなければ無理かと思っていたが、音素の扱いが上手ければ案外
誰にでも出来るのかも知れないなと晴佳は思った。
(……ん?)
側で見知った殺意が迸りふと目をやれば、ガイが険しい瞳でティアを見つめていた。しかも、剣の
柄に手までかけて。
そこで晴佳は思い出した。今までバタバタしていて忘れていたが――ティアは公爵邸を襲撃しそこ
の子息を誘拐した犯罪者なのだ。
(やべ。ティアの事云っとかないと)
自分を屋敷から誘拐したティアを、ガイが殺してしまいかねない。
ティアは今晴佳にとっては可愛い妹分だが、ガイにとっては大事な主人を誘拐した憎い賊なだけな
のだろう。それでも手を出さないのは、『ルーク』が側に居ながら何も云わないからだ。主人にも意図
があるのだろうと理解はしているが、納得は出来ていないのだろう。
「ガイ」
「はい、ルーク様」
また自分に跪くガイに苦笑して立つ様に云い、すっと寄り添った。耳元で、小さく囁く。
「ティアを殺すな。彼女の処遇は俺たち上で決める」
「はい。……ルーク様、旦那様より伝言が」
「父上から? 何て」
――父上から? 何て?
計らずも声がハモり、晴佳とルークは揃って苦笑したがガイは気付かない。淡々と言葉を続ける。
「屋敷の者の処遇はルーク様に一任する、と」
「へぇへぇ。無事に帰れって事ね。流石父上、わかってらっしゃる」
――良かった。皆、クビになってないんだな。
(今の連中、俺らが気に入ってるからな。ま、相手が悪かったし、俺らも無事なんだから減俸三ヶ月く
らいで許すさ)
厳しい事を云いながら結局息子たちに大甘な父親に、晴佳は内心苦笑が止まらない。あの親ばかっ
ぷりがよく周囲にバレていないものだ。
「ルーク様」
「ん、あぁ、なんだジェイド」
小声で話し合っていた晴佳たちに不審を感じたのだろうジェイドが声をかけてくる。別に聞かれて困
るような会話はしていなかったので、晴佳は慌てないがルークは少しビクっとしていた。
「そちらの彼は、貴方の使用人ですか?」
イオンを奪還し、『ルーク』に跪いたガイの正体など分かりきっているだろうが、きちんと紹介されな
ければスッキリしないだろう。ティアもイオンもミュウも、興味深そうにガイを見ている。
「あぁ、そうそう。紹介しとく」
自分の斜め後ろに控えたガイを示して、晴佳は笑って云った。
「俺の専属使用人兼護衛剣士のガイ・セシルだ」
ペコリとガイが頭を下げた。その後で、イオン、ジェイド、ティア、ミュウの順番で自己紹介をすると、
ガイが親愛の意味を込めてにこりと微笑んだ。が、やはり目が虚ろなので、イオンとティアはビクリと
している。ジェイドは慣れたようだ。順応が早い。
「あの……」
イオンが、おずおずと云った感じでガイに声をかける。
「どうか致しましたか、イオン様?」
「あ、僕の事はどうかイオンと呼んで下さい」
また無茶な事をと晴佳は呆れたが、それを突っ込むより早く。
「あの、どうしてガイは犬用の首輪をつけているのですか?」
イオンが、ヤバい質問をしてくれた。
ぶっと晴佳が笑いで噴き出し、ルークがヒィと悲鳴をあげ、ジェイドが眼鏡を押さえた。ジェイドはわ
かっているのだろう。ガイが犬用首輪を平然とつけている理由を。そしてそれが、一般的に好まれな
い理由である事を。
「そう云えば……。ファッションとして少し変じゃないかしら?」
ティアも気になっていたらしく、可愛く小首を傾げながら云った。彼女の中では、犬用の首輪は犬
がつけるものなのだと認識されているのだ。そしてそれは、極一般的で当たり前な認識だ。
確かに、首輪を模したアクセサリーはあるが、それは人間が付けやすいようにカスタマイズされて
いる。だがガイが身に着けているのは、純粋に犬用なのだ。
ガイが、にこりと笑う。
「此れはルーク様の所有物である証しです」
「え?」「え?」
思わず聞き返したと云う風のイオンとティアに、ルークは頭を抱えて絶叫したくなった。聞き返した
りしたら――
にっこり、虚ろな瞳でガイが微笑む。
「俺はルーク様のペットですから」
云った瞬間。
光速に匹敵する速さで、質問者二人が『ルーク』の方を見た。見られた晴佳はにっこりと笑顔で応
えてやる。
この笑顔が全てを語りきっていたのだろう。イオンはぽかんと口を開け、ティアは頬を赤くして『ルー
ク』とガイを交互に見ている。もしやティアはその手の知識持ちなのだろうか。
「え……? だって、ガイは人、ですよね……?」
戸惑うイオンに、いっそ残酷なほどはっきりと晴佳は云ってやる。
「あのな、イオン。世の中にはな、人間をペットにする人間も居るんだよ。特に貴族にはそう云う趣味
の人間が多いんだぜ?」
「ルーク様、イオン様に余計な知識を植え付けるのはやめてください。アニスに殺されます」
――え、アニスって怖い奴なのか……?
(見た目は可愛かったけど、って見た目は判断基準にならんよな)
一度じっくり噂のアニスと語り合ってみたいなぁと思っていると、ふとガイの全身が目に入り違和感を
覚えた。何だろう、何か不自然なと思っていると下半身に目が行って――ピキンと硬直する。
「……ガぁイ?」
「はい、ルーク様」
「お前……」
ガイは普段から晴佳の趣味で、体型にフィットする服を着ていた。今だってそうだ。普段着ている橙
色のベストに白いブラウス、黒いタイツで――
「何でパンツはいてねぇんだよ!」
――お前イキナリ何云ってんの?!
思わずと云った体で叫んだ晴佳の言葉に、ジェイドたちが咽た。いきなり人に向かって何故ノーパン
なのかと問えば、他の人間は咽るしか反応のしようがあるまい。
ガイは普段――此れも晴佳の趣味なのだが――ボクサータイプのパンツを愛用している。身体にフィッ
トするタイツを穿いている以上は下着のラインが見えないように、ビキニかTバックを穿くのが定番らし
いのだが、晴佳は個人的に男がビキニやTバックを穿いているのを見たくない派だ。だから多少ライン
が見えても思い切り目立つ訳でもないから、ボクサーパンツを穿かせていた。
それが何故、全くラインが見えないのか――何故ノーパンなのか!
きょとんと幼い顔をしたガイが、小首を傾げる。
「お言葉ですがルーク様」
「何だよ」
「まだ俺は下穿きを穿いてよいと許可を頂いておりません」
「あ?」
「レムガーデン・レム・22の日に「明日はパンツ穿くな」とご命令を下さったじゃないですか。そのご命令
が解かれておりませんが……」
「あ」
今度は晴佳が口を開ける番だった。
(そう云えばそうだった……。なんかもう既に忘却の彼方だった!)
――だからお前最悪だってんだよ!
(んな事云われてもさぁ、此処まで律儀に守るかフツー)
――ガイからフツーを取ったのは晴佳だろ!
(いや、それもそうなんだが……。って、あ)
じりじりと――痛い、視線が。
(やべぇ。此れじゃぁ俺が変態認定される)
――手遅れだと思うけど。
ルークの突込みも痛い。
「ガイさんパンツ穿いてないですの? ミュウとおそろいですの!」
「え、ミュウのこれはオムツじゃないのか?」
「違いますの、僕のは模様ですのー。僕ものーぱんですの。みゅ、引っ張ると痛いですの!」
「あぁ悪い悪い。でも本当にオムツみたいな毛色だなぁ」
人の隣でパンツだのオムツだので会話するガイとミュウも痛い。
ごほんと、ジェイドがわざとらしく咳をする。
「とにかく、タルタロスに戻りましょう。イオン様には休息が必要ですし、早く出発しなければいけません
からね」
「え、えぇ、そうですね」
救いの一声とばかりにティアが頷いて、ルーク達を促した。
晴佳にとってもそれは救いであり、反論する気もなく大人しく足を動かした。……チラチラとこちらを
窺うティアとイオンの視線が痛いなぁ……と思いながら。
――自業自得って言葉、知ってるか?
(厭になるくらい知ってるっつーの……)
*** ***
タルタロス艦内廊下にて。前方を歩く三人と少しばかり距離を取って、晴佳はまたこそりとガイに
話しかけた。
「ガイ、俺の居場所をお前に教えたのは謡将か」
そうでなければ、超振動でふっ飛んだ人間をこんなに早く発見出来るわけがない。しかし確認を
取っておいて損は無いだろう程度の気持ちで聞いた晴佳を、きょとんとした眼差しで――何度も云
うが、目は虚ろだ――ガイは見た。
「いいえ、違いますルーク様」
「は? じゃぁ何で俺の居場所がわかったんだよ」
まぁそれなりに目立った行動はとっていたが、所詮は他国の片田舎で行った事だ。バチカルから
出発しただろうガイに伝わるとは思えないが。
にこりと、柔らかな笑みをガイが浮かべた。その笑顔が好きなルークの嬉しい気持ちが、晴佳に
も伝わってきてくすぐったい気持ちになる。
「俺はルーク様のいらっしゃる場所ならどこに居たってわかります。たとえオールドラントの反対側に
いらしたとしても、俺はルーク様を感じられますよ」
「……」
あぁその台詞は。物凄く熱烈で愛の篭った言葉なのだけれど。
ぶっちゃけてしまえば。
(電波入ってて怖ぇ)
――なんて事云うんだコノヤロー!
(いやいや真面目な話。どうなのよ。情報皆無、本能で俺ら見つけたって。どこまでお前の愛は深い
んだガイ……?)
一番お気に入りの可愛い可愛いペットに、愛されている事は嘘偽りなく嬉しいのだが。
自分たちへ向けられる愛の深さに、ちょっとだけ肝が冷えたのだった。
了
修正 2010/08/01
