(おい)
 ――……。
(おーい)
 ――……。
(おい! おいってば!)
 ――……。
(いい加減起きろよ晴佳! コラ! もう正午過ぎてんだぞ!)
 ――んー……? あー……、……はいはい、速達ですか通常配達ですかー?
( 寝 惚 け ん な ! )
 ――は……っ。
(……起きたか?)
 ――あー、……んー、……おぅ。起きた起きた。あれ、日が高ぇな……。
(もう正午過ぎだってーの。お前が昼に起こせっつったんじゃねぇか)
 ――悪い悪い。久々だったから超熟睡。
(何の夢見てたんだよ。変な事云いやがって……。郵政の事務員にでもなってたのか?)
 ――いや、父上と叔父上とラムダスとグランツ謡将と大詠師が花いちもんめやってる夢を……。
(そんな夢見て何であんな寝言が出るんだよ! てか、何だその濃すぎるメンバー! 悪夢だろ?!)
 ――確かにソースを通り越して牡蠣油だが、父上と叔父上に失礼だな。



 − オセロを一局。



 両手をぐぐと上げ、背筋を伸ばす。節々からぽきぽきと音が出た。疲れが大分溜まっているようだ。
精神面は昨夜から今日の昼にかけて熟睡したため回復しているけれど、『公爵子息の体』には疲労が
蓄積されている。
(鍛えているつもりなんだけど)
 自分の元の体に比べると、随分とやわだ。そう云えばルークは怒るだろうが、年齢一桁の頃から筋
肉がぶっ壊れそうになるくらい鍛錬をやらされた体と、公務や事業等が優先で武術に重点を置いた無
理を重ねる事が出来ない体では根本から違う。
(まぁ、今日明日はここで休めるし。疲労をなるべくとっておこう)
 細く息を吐いて、ベッドに倒れこむ。
 晴佳たちは今、カイツール近くの村に居る。共に行動をしたライガクイーンと、現在一緒にいるフ
ローズヴィトニルのお陰で魔物の襲撃はほとんどなく、予定より早くパダン平原へと入れたのだ。コ
レ幸い休息を取ろうと、地図にギリギリ載る規模の村に入り、宿を取った次第である。今日明日と宿
泊し、明後日の明朝ジェイドたちとの合流場所へ向かう予定だ。
(あぁそうか……。早ければ四日後にはキムラスカ入り……?)
 そこまで考えて、がばりと身を起こした。ベッド側で体を丸めていたフローズヴィトニルと枕元に
居たミュウが驚いたのか、同時に身を起こした。
(やべ……。ルーク起きろ!)
 ――……んぁ? ……うー、何だよー、昼寝してんのにー。
 自分と入れ替わるように睡眠に入っていた相棒を叩き起こす。大事な事を忘れていたと慌て、何故
忘れていたのかと額を押さえて項垂れた。
(大事な事忘れてた……)
 ――何、大事な事って。
(ティアの事だよ)
 晴佳の言葉に、ルークはあ、と間の抜けた声を上げた。


 *** ***


 軽いノックの音。誰かと問えばガイですと名乗り、続いてティアを連れてきた事を述べた。
「入れ」
「失礼します」
 扉が開き、いつもどおり虚ろな目をしたガイと、その後ろに続くティアの姿が視界に入る。先に入
るようにと促され、ティアは緊張した面持ちで入室した。続いて入室したガイが後ろ手に扉を閉める。
 窓辺に佇んでいた晴佳は、軽く微笑みながら少女を見つめた。
「あの……、私に話があるって……」
「あぁ、ちょっとね。そこの椅子に座ってくれ。ガイ、茶ぁ淹れろ。ティアにも俺と同じ物をな」
「えぇ……」「はい」
 云われた二人が、それぞれ動く。
 晴佳とルークの部屋は宿の中で一番良い部屋だ。他の部屋はベッドとサイドテーブル、椅子が一脚
程度しかないが、この部屋はそれだけでなく、ティーテーブルと椅子が四脚、箪笥、その上には花ま
で飾られている。簡易ながら茶を淹れる道具も一通り揃って常備されていた。少し裕福な旅人向けの
部屋だった。
 別に普通の部屋でよかったのだが、そこはガイが頑として譲らなかった。旅費に余裕はたっぷりあ
るが――ガイがファブレ公爵に持たされた『ルーク』のための費用だ――、寝るだけでいい部屋に金
をかけるなと晴佳は思う。
 ティアの部屋は隣りだ。この部屋に宿泊する者の従者や護衛の部屋に当たるらしい。が、使うのは
ティアだけだ。ガイは『ルーク』の護衛のため、この部屋の隅で寝ずの番をする。
 せっかく宿に泊まるのだから休めばいいじゃない、と部屋を取った時ティアが云った。云われたガ
イが、まるで未知の生物でも見るような目でティアを見つめた事は記憶に新しい。
 その時の記憶を反復しながら、晴佳はティアの前に座った。
 ガイが断りの言葉を入れ、紅茶を晴佳とティアの前に置く。香りから宿備え付けの茶葉ではなく、
ガイが持っていたものだと知れる。晴佳もルークも気に入っている、セントビナー産の茶葉だ。エン
ゲーブで大量生産されている一般向けの物ではなく、花の街セントビナーが手塩にかけて育てた上流
階級向けの高級茶葉である。
 労いの言葉をかけてから紅茶を一口啜れば、豊かな芳香が鼻まで抜けた。同じく口をつけたティア
が、驚いた顔で「美味しい……」と呟く声が聞こえる。ダアト向けに作られているのとはまた別だか
ら、驚くのは当然かも知れない。
 指先で机を鳴らし、ティアの目をこちらに向けさせた。
「さて、お前を呼び出したのは他でもない。今の今まで保留にしていた話のためだ」
「保留……?」
 不思議そうな顔をしてティアが呟く。スカイブルーの瞳を見つめながら、晴佳は口を開いた。
「お前の処遇についてだよ」
「え?」
 ちらと視線をやれば、ガイが静かに扉の前に移動する。窓は『ルーク』の背後。
 これからする話を聞いた後、よもやティアが逃亡するとは思えないが、警戒するに越した事はない。
此処まで来て逃がしたとあらば、末代までの恥である。
 ――なぁ、本気なのかよ?
(今更だなルーク。何のために生かしてたと思ってんだ)
 ――……お前ってさ、ほんと、時々、怖いよな……。
 その言葉に、口の端がクッと吊りあがった。陰険な笑みを見たティアが、怯えた表情を晒す。助け
を求めるように視線をめぐらせているが、この部屋には『ルーク』とガイしかいない。
 ティアの”味方”は、いない。
「ティア。まずはお前の氏名、所属、階級を述べてもらおうか」
「え……。あ、はい。神託の盾騎士団モース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長で
す」
「同騎士団内のヴァン・グランツ謡将は、お前の兄で違いないな」
「はい……」
「あの日――レムガーデン・レム・23の日、ヴァン・グランツ謡将を暗殺するため、クリムゾン・
ヘアツォーク・フォン・ファブレ公爵邸に侵入、当家の子息ルーク・フォン・ファブレとの間に擬似
超振動を引き起こしマルクトへ不法入国」
 コツン。『ルーク』の指先が机を鳴らす。
「キムラスカの法に照らし合わせりゃ、お前は死罪だ、ティア」
「なっ……?! どう云う事?!」
 机を両手で叩き、椅子からけたたましい音を立てて立ち上がったティアを、冷静な目で眺めた。今
の行動も”不敬”にあたるのだが、わかっているのだろうか。
 ――え、驚く事かぁ? 当たり前じゃん。
(……こりゃ相当の箱入りだ)
 軽く目を伏せ、ため息を着く。
 そのため息に一瞬言いよどんだものの、彼女は結局口を開いた。まるで詰問する異端審問官の如く、
王族である『ルーク』に机越しに詰め寄る。
「あ、貴方を巻き込んだ事は確かに悪いと思っているわ! でも、兄を狙ったのは私の個人的な事で
ルークには関係ないじゃない! どうして死罪なん……っ」
「黙れ」
「――ヒ……ッ」
 晴佳が指示を出す前に、ガイが動いた。主人への無礼な行いに我慢が出来なくなったのだろう。腰
の剣を抜き払い、ティアの白い咽喉に当てている。これ以上喚くなら容赦なく咽喉を切り裂くと、無
言の威圧をかけながら。
「ルーク様の御前で喚くな。見苦しい」
「ぁ……」
「剣を下ろせ、ガイ」
 その一言で、ガイはあっさりとティアの咽喉から剣を離した。ひゅっと息を飲んだティアが、崩れ
るように椅子に座り込む。
「……出過ぎたまねを致しました。申し訳在りません」
 構わんと手を振れば、ガイはまた扉の前へ戻る。自身の咽喉に手を当てながら、ティアは震えてい
た。真っ青な顔を見て、ため息混じりに話を再開する。
「お前がどんな理由でグランツ謡将を殺そうとしたのか。それは確かに個人的な事だ。俺には関係な
いな。”身内の問題”だろう」
 呼吸を整えながら、ティアがこちらを見る。ならば何故、と目が問うていた。
「だが問題なのは、お前が襲撃場所をファブレ公爵邸に選んだ事だ。ファブレは王室と深い婚姻関係
にあり、キムラスカ内では王族と同等の扱いを受けている。そのファブレ公爵邸にお前は神託の盾騎
士団の制服を着、武装し、譜歌で家の者を昏睡状態に陥らせ不法侵入し、客人であるグランツ謡将を
襲撃した。キムラスカでは王城や爵位を持つ者の屋敷に不法侵入したものは、被害の有る無しに関わ
らず死罪だ。裁判なんかすっ飛ばしてその場で斬首されても当然なんだ」
「……っわ、私は、そ、そんな、そんなつもり……!」
「黙って聞け。云っただろ? お前の個人的な事は関係ないと。もう一度云うぞ。お前が、ダアトの
神託の盾騎士団モース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長が、軍服を着たまま、武
装をして、譜歌で家の者を昏睡状態に陥らせ不法侵入し、ファブレ家の客人である神託の盾騎士団主
席総長ヴァン・グランツ謡将を襲撃した。この事実が重要なんだ。
 不法侵入のつもりはなかった、とでも云う気か? 片腹痛いぞ、ティア・グランツ響長。家主や家
人に招待されず他人の家に無断で入る事を、不法侵入と云うんだ。残念な事に、俺も父も母もお前を
家に招待した覚えはない。正式に招待したのはヴァン・グランツ謡将だけだ。そしてお前は、我が家
の客人である謡将を襲ったんだ。そこにどんな理由があろうが、身内の問題なんだろうが、ファブレ
の客人をファブレ家邸宅で襲ったんだ。ファブレ家に敵意有と見なされて当然だ。わかるな?
 そうだな……百歩譲って、万が一、仮にも、俺との間に起きた擬似超振動を誘拐ではなく事故だと
片付けられたとしても、お前の死罪は免れない。ダアトもお前を庇えない。庇えば「ダアトはキムラ
スカに敵意有」と見なされる。理由はもう云わなくてもわかるな? これまでの友好関係は見る影も
なくなるだろうな。国交断絶なら可愛いものだ。戦争するには充分な理由だからな。お前は切り捨て
られ、キムラスカに牙を剥いた愚か者として極刑だ」
 酸素不足の金魚のように、ティアはぱくぱくと口を開閉させる。掠れた声が稀に出るが、意味のあ
る言葉にはなっていなかった。
「本当なら――俺はタタル渓谷でお前を切り捨ててなきゃいけなかったんだ。軍服着てるんだ。身元
を確認できるものくらい持ってるだろ? それさえあれば、生きてるティア・グランツは必要ない。
”持って帰った”ところで、待っているのは断頭台だからな」
 キムラスカの死刑は絞首か斬首だ。基本的に絞首刑だが、重大な犯罪――テロ、謀反、王族・貴族
に対する殺害・傷害など――では断頭台による斬首刑がとられている。見た目が派手で血も多く出る
から、よい見せしめになるのだ。
 大きく震えだしたティアを見て、うっそりと微笑む。人を追い詰めるのは、どうしてこんなに楽し
いのだろう。
 ――お前性格悪いよ。
(何だよ。人の楽しみの邪魔すんな)
 ――殺す気も殺させる気もないくせに引っ張るな。悪趣味だっつーの。
(気付かないティアも悪いだろ。じゃぁなんで今まで自分は生かされてるんだ? って疑問に思わな
きゃ)
 ――そーゆー事考えさせようともしないで追い詰めてるじゃねぇか!
 まぁ確かに。わざと重苦しい口調で死刑だ断頭台だ云ってるのだ。箱入り軍人が思考回路を働かせ
るには難しい状況だろう。
(あんまりいじめすぎると今度は懐かなくなるか……。仕方ねぇな)
 ――仕方なくねぇよ。
「ティア」
 名前を呼べば、ティアの体が面白いくらい跳ねた。明らかに怯えた眼差しで、『ルーク』をひたと
見つめる。
「俺がお前を生かしてる理由、わかるか?」
「え……?」
「……俺は、お前の譜歌に興味がある」
 椅子から立ち上がり、窓辺に向かう。背中にティアの視線がざっくり刺さっているのを感じながら
歩み、窓の側に辿り着いてからくるりと体を反転させた。
「さて、此処でちょっとキムラスカについてお勉強しようか、ティア?」
「え? お、お勉強って……」
「これから行く国だ。勉強しといて損はないぞ」
 にっこりと微笑む『ルーク』を前に、ティアは途惑いの表情をさらすばかりだ。今まで自分の死を
突きつけられていたので、この話題の転換についてこれないらしい。
「まずはキムラスカ・ランバルディア王国の成り立ちについてだ。……知っているか?」
「あ、……えぇ。古代イスパニア国を滅ぼした女傑キムラスカ・ランバルディアが建国した国、よね?」
「その通り。……ダアトでは女傑、女騎士扱いされているが、キムラスカでは女神、王室の始祖神と
して信仰されている。覚えておけ」
 ダアト――ローレライ教団は始祖ユリアただ一人を神と見なす一神教だ。そのため、他の宗教の神
を神と認めない。
「女神キムラスカ・ランバルディアは赤い髪と緑色の目を持った方だった。だから我が国の王位に着
く者は皆、赤髪と緑の目をしている。それが第一条件であり、両方を兼ね備えていない者は王座に座
れない。たとえ長子だろうが、能力的に優れていようが、王家の色がなければ継承権は与えられない
んだ」
「待って……それ、おかしいんじゃないかしら?」
 ティアの遮りに、晴佳はさも「面白い」と云わんばかりの表情を浮かべた。
「へぇ……? どこがおかしいんだ?」
「髪と目の色が最も優先されるなんて、おかしいわ。能力を最優先されて当然でしょう? 国一つを
治めるのだから、色が第一条件なんておかしいわ。変よ」
 迷いなくキッパリと言い切る少女に、晴佳は笑った。
「そうだな。”ある意味”実力主義を取るダアトから見れば変かもな。同じく、絶対的な実力主義を
取るマルクトから見ても」
「そうよね、なら……」
「でもキムラスカじゃ常識だ」
 云い募ろうとしたティアを遮り、晴佳は云う。理解出来ないと表情で表わす”世間知らず”に向かっ
て、またも笑みを浮かべた。
 今度は、少しばかり獰猛な笑みを。
「教えてやろうか、ティア。常識は世間の数だけ存在する。ダアトにはダアトの常識があるように、
マルクトにはマルクトの、キムラスカにはキムラスカの常識がある。お前が語る常識は、極狭い範囲
の極一部でしか通じない常識なんだよ」
「そ、そんな事……」
「あるんだよ。さらに云うなら、その地方でしか、街でしか、家族の中でしか通じない常識もある。
己の知る常識が世界共通の常識だと思っているなら――それは勘違いも甚だしい思い込みだ。決して
良い事にはならないから、今のうちに捨てておけ。世界はお前が思っているほど、狭くないぞ」
 途惑った顔をしながら、ティアはこくんと小さく頷いた。
「云っておくと、だ。俺たちキムラスカから見れば、ダアトとマルクトは異常だ。預言に従いそれを
絶対とし、国の、教団の指導者すら自分たちの意思で決められない国と、実力主義を掲げ玉座すら血
で血を洗う継承戦争を起こして決める、なんてな。野蛮で強引で愚かな話だ」
「……」
「ま、キムラスカの王位継承争いは穏やかでえげつないけどな」
「穏やかで……えげつない?」
「そう。……ティアは、キムラスカ王国に公爵家がいくつあるか知っているか?」
 晴佳の問に、ティアは申し訳なさそうに首を左右に振った。
「基礎の知識だ。知っておけ。キムラスカ・ランバルディア王国には五つの公爵家がある。ファブレ、
ハドヴィック、ポプキンス、ディスペラント、レイティアの五つだ。ファブレが最も古く、王室と深
い婚姻関係にある。他の家は大体四代ごとに王室の血が入るよう決められているが、ファブレは二代
も空かない。さっき云ったように、王族とほぼ変わりないんだ。俺の母も王の異母妹だし、俺自身王
女殿下と婚約しているしな」
 王室の血をなるべく純度が高いまま残そうとはしているが、余り血族間で婚姻が続くのもよくない。
疾患を抱える確率が高くなる。短命にもなる。そのため、五つの公爵家の中で王室に婿入り、嫁入り
を繰り返してきたわけだ。
 最も、昔からそうだったわけではない。極初期の頃は王室と婚姻関係が結べるのはファブレ家だけ
だったのだ。その結果、血が濃くなりすぎ、――キムラスカ王室の栄誉有る歴史に影を落した事も、
ある。
「キムラスカ王室直系でな、赤い髪と緑の目を持った王子、王女が複数居た場合、より多くの公爵家
を味方につけたものが王位を手に入れるんだ。ま、一種の多数決制か。もちろん、味方にするって云っ
てもただなってください、と云うだけじゃない。利権を渡したり、ストレートに財産の分与なんての
もあるな。お前の家の娘、息子を娶ってやるとか、好条件を提示するときもあれば、こちらの味方に
ならなきゃ殺す、なんて脅迫的なものまである。公爵側も好きにはされない。家同士で同盟を結んで
自分たちに都合のいい王を選ぶ時もあるし、色を持っていない王子、王女に目をつけて自分の家の子
息子女を王に据えようと考える時だってあるんだ。表向きには血は流れない、が、裏では愛憎ひしめ
く腹の探り合い糸引き合い策略謀略姦計の大合戦だ。顔ではほほほはははと上品に微笑みながら腹の
中では唾を吐く、なんて当たり前の世界だな」
 はははと晴佳は軽く笑ったが、ティアの顔は盛大にひきつっていた。
「な、穏やかでえげつないだろ?」
「え、えぇ……」
「それで、だ。キムラスカ王国はな、血筋が何よりも物を云う。候、伯、子、男から成る貴族院はあ
るが名誉職的なもので、国の実権は王室関係者――つまり、王家と五つの公爵家が握ってるんだ。そ
の中でもうちは、軍部を握ってる。俺の父は大元帥として、キムラスカ王国軍のトップにいるしな。
 父の直属になる白光騎士団は王国精鋭だよ。王室近衛騎士団に勝るとも劣らない。血筋、教養、戦
闘力、ついでに容姿まで王国トップクラスだ。訓練も並大抵じゃない。毒物や譜術による状態異常の
耐性だってつけられる。毎日血反吐を吐くような訓練を受け、どんな状況になろうと任務を遂行でき
る力を身につけ、キムラスカ王室とファブレ公爵家に永遠の忠誠を誓い、ファブレ公爵の下で働きそ
の力を認められて、ようやく与えられる称号なんだよ、白光騎士ってのは」
 そこで一度言葉を切り、晴佳は静かな歩みでまた机の側へ戻った。両手をどんと机に乗せティアの
顔をぐっと覗き込む。身を引くティアに向かって、獰猛な――獲物を見つけた肉食獣と表現される笑
みを浮かべた。
「その、我が家ご自慢の白光騎士が、お前さんの――高々響長風情の譜歌を聞いて、抵抗も出来ず、
声を上げる暇もなく昏睡状態に陥った。……お前が詠った譜歌は何なんだ、ティア・グランツ響長」
 ごくんと、ティアが大きく息を飲んだ。
「で、で、でも、あの、譜歌は、元から状態異常を起こしたり、補助的なものが多いもの。い、いく
ら騎士とは云え、突然聞こえてきたら、抵抗する暇、なんて……」
『ルーク』から目を逸らし、震える声で喋り始める。”弁解”とも取れるその必死な言葉を晴佳は、
「うちの騎士どもを侮辱するな」
 一言で、切り捨てた。
「譜歌の中には対象を昏睡、睡眠状態へ陥らせるものがある。――そんなもの百も承知だ。訓練して
いないとでも思うか? 耐性がついてるんだよ、うちの騎士どもには。もし強力な調律士が相手だっ
たとしても、即昏睡状態に入るなんて有り得ない。どれだけ譜力が強くても、譜歌は弱い譜術だ。自
分の唇を噛み切るなり、短剣で切るなり刺すなりして、睡魔を追い払う事くらい出来る。そして俺た
ち家の者を守るために即行動に移るし、もし体が動かなくても声で危険を知らせる程度はする。いや、
出来る」
「で、でも……っ」
「キムラスカの誇り高い蒼き血を、それを守るものたちを侮るなよ、――小娘」
「……っ」
「お前には理解出来ない常識かも知れないがな、キムラスカの者たちは皆、王家に忠誠を誓う臣下だ。
自分は神である王に仕える御使いだと、誇りを持っている者たちだ。王家の蒼き血を守るためなら自
分たちの身などどうなってもいいと、心の底から思うものだけが軍部に入り、その中でも特別な者だ
けが騎士の称号を与えられる。そいつらがお前程度の調律士の詠った譜歌如きで、昏睡するなど有り
得ない」
「で、でも、事実、彼らは眠ったわ!」
「そうだ、だから」
 さらに顔を近づける。少しでも動けば口付けでもしてしまいそうなほど、近く。
「”俺は、お前の譜歌に興味がある”」
「……っ」
「黙秘する権利はないと思え、響長。素直に云えば、――情状酌量を考えてやらん事もない」
 その言葉に、ティアはハッとした顔になる。思い出したのだ。自分の首が、断頭台にかけられてい
る事を。
 ――云うかな?
(云うだろ。うちの連中は”敵”に喋るくらいなら舌噛んで死ぬが、ティアにその根性は無い)
 ――断言かよ。
 本来なら、喋る事は有り得ない。軍人が敵国の者に、たとえ自分の命がかかっていようと、重大な
情報をもらす事など。舌を即噛み切るか、歯に仕込んだ毒を飲むか。自害が赦されないなら、どんな
拷問にも耐え抜き、その結果殺されても喋りはしない。
 最も、長きに渡る拷問に耐え切れず、「いっそ殺して欲しい」と云う理由で喋る奴もいるだろうが。
 ティアに、――後衛の訓練しか受けておらず、碌な教養も学んでいない者に、そこまで重度の拷問
など必要ない。軽く脅すだけで口が軽く動くだろう。
 ぱくりと、ティアの口が開いた。
「……私が、詠った譜歌、は、……」
 伺うような目が、『ルーク』に向けられる。だが晴佳はその視線をいなし、早く先を云うようにと
目線だけで命令した。
 その目線を避けるように目を伏せ、ティアはゆっくりと、
「ユリアの、譜歌、です」
 云った。
 聞き届けた晴佳はスッと身を起こした。項垂れるティアを見下ろし、詠ってみろと命じる。
「え……」
「ただし、譜力は込めるな。……最も、込められた所でお前の首を掻き切るくらいは出来るがな」
 晴佳の言葉と冷め切った表情にティアはヒッと息を飲み、それから、俯き加減に詠い始めた。
「……トゥエ レィ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ……」
 云われた通り譜力は込めなかったようで、眠気は襲ってこなかった。
 サッとガイに視線をやれば、”しっかりとした頷きが返って来る。”――間違いないようだ。
「ユリアの譜歌が詠える……と云う事は、ティアはユリアの子孫なんだな?」
「は、はい。兄の話では、私たちの家系は始祖ユリアの直系で……ユリアの遺志と譜歌を伝える一族
だと……」
「それを知っているのは誰だ? さっき言い渋ったって事は、そこらじゅうにペラペラ喋ってる訳じゃ
ないんだろ?」
「も、勿論です! 譜歌だって、あの時までは家の練習場でしか詠ってません。外では決して詠って
はいけないと……」
 なるほど。その詠ってはいけないと云われている譜歌を外で詠ってしまうほど、彼女は真剣にヴァ
ンを討とうと考えていたわけだ。
「で、誰が知っている?」
「お祖父様と、導師イオン、大詠師モース、詠師の皆様、リグレット教官、です……」
「詠師……? ……スタッカートも知っているのか!」
 ずいと詰め寄れば、ティアは何度も首を上下に振った。晴佳が何を慌てているのかわからないらし
く、困惑気に。
 ――拙くね?
(拙い。大いに拙い。あんの女狐、ユリア絶対主義の過激派リーダーだぞ。ユリアの直系なんて、咽
喉から手が出るくらい欲しがってるに決まってらぁ!)
 がしりとティアの両肩を掴む。またも息を飲む彼女を無視して、問い詰めた。
「おい、スタッカートから何か云われてないか? 始祖ユリアの偉大さを云々とか、私と一緒に世界
を云々とか!」
「え、えっと、お茶に誘われた事が何度かと……、情報部ではなく導師守護役に来ないかと、云われ
た事が\」
「他には!」
「困った事があれば私に云いなさい、とか……、欲しい物はないか、とか……」
 ――懐柔する気満々じゃねーか!
(あからさま過ぎてアレだな!)
 片手はティアの肩を掴んだまま、もう片方の手で痛む頭を押さえる。ティアがおろおろとこちらを
伺う気配がした。
「……ティア」
「は、はい!」
「お前は、そう云われた時どう思った?」
「え? えっと、その……、目にかけて頂いた事は嬉しかったけど……」
 少し困ったような顔をする。
「目が、怖い方だな……って。モース様もリグレット教官も、あまり近づいてはいけないと仰って……」
(グッジョブ大詠師あーんどリグレット女史!)
 世間知らずは世間知らずなりに、身に迫った危機を回避していたらしい。最も、直属の上司と尊敬
する教官から云われた事に対して素直に従っていただけかも知れないが、箱入りがあの目を怖いと思
えただけでも上々だ。
 あの女は自分が異端だと知っている。それを巧妙に隠す術を知っている。初めて対面した時に感じ
た怖気を思い出したのか、ルークがうぐ……と妙な声を上げた。体の主導権を握っていたら、身震い
をしていたかもしれない。
(鈍くはないんだな。疎いだけで)
 ――それ一緒じゃね?
(微妙な違いを感じ取れ)
「ルーク……?」
 不安げな声で、ティアが呼ぶ。ゆれる瞳を見つめ、晴佳はにっこりと微笑んだ。掴んだ肩がビクリ
と震えた。
「ティア。俺はな、個人的にお前を気に入っているんだ。妹みたいに思ってるよ」
 どう答えればいいのかわからないのか、ティアはただ途惑った眼差しを『ルーク』へ向ける。
「死刑にするのは忍びない。だが、俺も王族だ。キムラスカの次代を担う一人として、犯罪者を私情
で赦すわけにはいかない」
 カタカタと、ティアの体は震え続ける。箱入り軍人が、確実に訪れる死に発狂して暴れ出したりし
ないだけマシだと微笑むべきか、情けないと嘲るべきか。
 晴佳は、微笑を選んだ。
「取引をしようか、ティア」
 見る人が見たら、悪魔と喩えそうな微笑を。


 *** ***


 深々と頭を下げて、ティアは退室した。それを見送ったガイがくるりと振り返り、窓辺に立つ『ルー
ク』を見た。
「……無礼を承知で申し上げます。宜しいのですか。あのような小娘を『ウォンロン』に入れても」
 ティアに持ち出した取引とはそれだ。
 神託の盾を辞め、ダアトを捨て、故郷を捨て、『ルーク』の子飼い――護衛、諜報、暗殺を任務と
する――組織『ウォンロン』に入る事。今までの人生を捨て、残りの人生をルークに捧げる事を条件
に、免罪してやると持ちかけた。
 家も故郷も仕事も捨てろと云われたティアは途惑いを見せたものの、死刑になるのは厭だったよう
だ。恐る恐ると頷いた。
「そう冷たい事云うなよ。”元はお前の騎士じゃないか”」
 ふふふと晴佳が笑うと、ガイは理解できないとばかりに顔を歪めた。珍しい事だ。忠実なこの青年
が『ルーク』のやる事に異を唱えるとは。
「俺は血筋も過去の経歴も問わん。求めるのは力と、俺への絶対的忠誠だ」
「それは存じております。”アレ”の力は使い勝手が良いでしょう。ルーク様のお役に立つ部類の力
ですし、その辺に転がっているものでもありません。希少価値は高い。ですが……」
 軽く目を伏せるが、ハッキリとした声でガイは云う。
「アレを庇った事で、ルーク様のお立場に影響は出ないのでしょうか? ユリアの直系だろうが、ユ
リアの譜歌が詠えようが、アレは極刑に値する重罪を犯した人間です。ディスペラントの若様が騒が
れるのではありませんか?」
「アガットか? はは、まぁ俺が犯罪者庇ったっつったら騒ぐだろうな」
 ディスペラントとは盟友関係にあるが、そこの跡取り息子は『ルーク』が気に喰わないようだ。事
有る毎に難癖をつけて来たり、家に来ては突っかかって来たりする。公私はしっかりわけているよう
で、突っかかってくるのはプライベートの時だけなのだが。
 ――面白い奴だよなーアイツ。
(だなぁ)
 晴佳から見れば彼は「可愛い坊や」だし、ルークは「喧嘩友達」と認識しているようだが、ガイに
してみれば「主人に楯突く気に喰わないお坊ちゃん」なのだろう。それを態度に出すような愚行を犯
す奴ではないので、アガットは気付いていないだろうが。
「では……」
「――キムラスカでティアが犯罪者扱いされていればの話だがな」
 驚くガイに、懐から取り出した手紙を渡す。読んでみろと促せば、素直に封筒から中身を出し読み
始めた。サッと素早く目を通し、その内容に驚いたようだ。虚ろながら焦った目を『ルーク』に向け
る。
「ルーク様、これは……」
「云ったろ? 父上は俺の事をよくわかっていらっしゃるって」
 ガイに渡した手紙は、セントビナーで渡された父ファブレ公爵からの手紙だった。
 内容を要約すれば、『侵入者は”面白い”力を持っているユリアの直系で、グランツ謡将の妹だと
云う。今ダアトと事を構えるわけにはいかないから、”不法侵入”では無く正式な招待客とし、お前
の誘拐は一応事故として処理しておいたよ。使い道がありそうなら連れて帰ってお前の好きにしなさ
い。が、役に立たない、生かしても意味がないと判断したら事故に見せかけるなり、見なかった事に
するなりして殺してそこら辺に埋めて来なさい。殺った後の事は心配しなくていいからね』と云うと
ころか。
 ――命(ティア)の扱い軽いよな。
(まぁ、キムラスカにとってユリアの直系なんてそれくらいの扱いだよ。ユリアを神の一人に数えて
はいるけど、王室で信仰してるわけじゃないし)
「この手紙は……、あの時のですか?」
「そ。なんだ、気付いてたのか」
 セントビナーでアニスを見つけた後、大きな荷物を抱えた旅人が擦れ違いざまに上着のポケットに
入れて行ったのだ。晴佳でさえ入れられる瞬間まで気付かないほどの早業だった。振り返る、などと
云う愚行は犯さなかったため誰にも気付かれていないと思っていたが。
 手紙を届ける方法は何も鳩を飛ばすだけではない。空は飛べないので少し遅くはなるが、人間を使っ
た方が届く確率は高い。
「お恥ずかしながら、あの男が通り過ぎてから気付きました」
「上出来だな。むしろ、よく気付いたもんだと褒めてやる。――ありゃ『ミカエル』だ」
 さらに驚いたのか、ガイの目が見開かれた。
 この手紙を渡して行ったのは、父の子飼いである『ミカエル』の人間だ。息子と違い血筋も重視す
る父の子飼いは人数こそ少ないが、個々人の能力は他を圧倒する。能力重視で集めた『ウォンロン』
や国王お抱え組織『オーディン』にさえ「絶対敵に回したくない」と云わしめる連中なのだ。
「誇りにしていいと思うぞ」
「そう、ですね……」
 ちなみに、晴佳に手紙を渡した男はそのまま『ルーク』の護衛のため、気配を消しながら後を付い
てきている。
「って訳で、ティアはキムラスカじゃ犯罪者にはなってないよ。上層部では同じ扱いを受けるだろう
けど、生殺与奪権は俺に与えられたしな。アガットも文句云わないさ」
「そうですか……」
 あからさまにホッとした様子に、少しばかり苦笑が浮かぶ。
 本当に元騎士の事はどうでもよく、『ルーク』の事しか頭になかったようだ。
(亡きガルディオス伯爵閣下とフェンデ殿が草葉の陰で泣いてそうだ)
 ――だから、ガイを親不孝者にしたのは晴佳だろ。
(その突っ込みはスルーさせていただこう!)
 ――あ、おいコラ!
「じゃ、俺ら寝るから後宜しく」
「はい、お休みなさいませ、ルーク様」
 ――スルーすんじゃねぇ! コーラーッ!
(はいはい、お休みお休み)



 了


 修正 2010/12/05