(寂しいもんだなぁ……)
 ――何だかんだ云って、世話になったよな……。
(ま、永久の別れでもなし。また会いに来るかな)
 ――来れるかぁ?
(そのためにも和平を結ぶんだよ。……アリエッタを貰いにこなきゃいけないし)
 ――本気だったのかよ!
(俺はいつでもどんな時でも本気だっつの!)
 ――……無気力野郎のくせに。
(脱力系に云われたくねっつの)
 ――だ、誰が脱力系だ! お前なんてエロ担当じゃねーか!
(生まれた瞬間からエロエロの神に愛されてますが何かッッ?!)
 ――開き直るなっつーのーぉぉぉおっ!



 − 母よさらば、娘よこんにちは。



「俺ら今日から別行動とるぞ」
 朝食後の紅茶を楽しんでいる最中、晴佳が軽く云った。今日は晴れてるから洗濯するぞ、とでも云
うような気軽さで。
 軽く紅茶を噴き出したイオンに、アニスが「お使いください」とハンカチを渡す。人をおちょくる
ように普段は細められている目を軽く見開いてから、ジェイドは眼鏡に手を当てた。
「……どう云う事でしょうか、ルーク?」
「ライガクイーンが云ってた森ってのがさ、フーブラス川の近くなんだよ」
「……それで?」
「クイーン送ってくるから、俺ら先に行くわ」
 云って、斜め後ろに控えたガイに紅茶のお代わりを命じる。慇懃に頷いてカップを受け取り、ガイ
は剣を扱う者とは想像させないような優雅さで、ポットから透き通った液体を注ぐ。どうぞと小声で
囁いて晴佳の前にカップを戻した。
 芳醇な紅茶の香りが立ち昇り、その香りに微笑むように目を細め「ご苦労」と労ってやる。
 極自然な主従の様を、まるで苦虫を噛み潰したような顔で眺め、ジェイドが口を開いた。
「……それならば私たちと一緒でも良いでしょうに。我が侭を仰らないで下さい」
「おいおい。俺の言葉を「我が侭」の一言で片付ける気か? 軍人風情が」
「……」
 黙るが、自分は間違った事は云っていないと顔で主張するジェイドに、晴佳は大きくため息をつく。
 ――クッキー食べたい。
(はいはい)
 絶妙なタイミングで「我が侭」を云うルークに心の中で笑ってから、テーブルの上に並べられたバ
タークッキーを一つるまみ上げ、ヒョイと口に放り込んだ。
 美味しいと歓声を上げるルークにまた心の中で笑って、晴佳は云った。
「……お前ら、後四日は此処に滞在するんだよな?」
「えぇ。タルタロスの点検と補給、休息のためです」
「それと、ピオニー陛下から送られてくる親書を待つためですよね」
「……」「……」
 この任務における機密に属するだろう事柄をぺろっと喋ってくださった導師に、晴佳とジェイドは
二人揃って同じ種類の頭痛に襲われたに違いない。お互いの顔を見て、鏡のように口元をかすかに引
き攣らせていた。
 ――お、おい。今のって俺らに云っていいのか?
(いや、まぁ。協力者だから云っちゃ駄目って事はないだろうが……)
 皇帝名代殿でなく、仲介者が云うのはおかしい。
 イオンの方を見れば、ガイ同様主人の斜め後ろに控えたアニスが、盛大に口の端をヒクヒクと吊り
上げているのが目に入った。軽いイオンの口を怒鳴りつけてやりたくて仕方ないのに出来ない――そ
の葛藤が正直に顔に出ている。
 幸い――不幸?――にも、イオンは気付いていないが。
「……」「……」
 もう一度顔を見合わせて、二人は軽くふっと息を吐き、今のイオンの発言を無かった事にした。そ
の方がイオンのためでもある。
 ……軽口の説教は随行護衛殿に押し付けよう。後ほど思う存分苦言を述べてやってくれ。
「あのな、覚えてるか」
「何をです」
「ライガクイーンが黙って俺に付いてきてくれた理由」
「それは……、――っ」
 思い出したらしいジェイドが軽く息を飲んだ。
 にっこり。
『ルーク』は大輪の笑みを浮かべ、
「あの卵な、クイーンの見立てだと孵化まで後二日くらいなんだってさ」
 イオンもアニスも、黙って扉の側に控えていたティアも揃ってヒッ……と息を飲んだ。――この場
合異常なのは、笑っている『ルーク』と平然としているガイである事は云うまでも無い。
 生まれたての仔でもクイーンの命令に絶対逆らわないとは云うが、こんな街中で孵ってしまったら
何が起こるか。母の命令より生き物の本能に従って人間を襲う可能性だってあるし、晴佳は否定した
いが――クイーンが栄養分を優先して仔らを止めない事とて有り得る。そもそも、こんな場所で孵っ
てしまったら――間違いなく、軍が狩る。
「……」
 ジェイドは何か云わんとしていたが、言葉にならないらしい。
 対して晴佳はにこにこと笑っている。
「そんな訳で、俺ら先に行くわ」
「……卵をこわ」
「おめーが卵壊す前に俺がお前をぶっ壊すぞ?」
 にこにこ。晴佳は笑う。
「……では、貴方を軟き」
「俺を閉じ込めるとかほざいたらキムラスカ領入った瞬間に不敬罪で打ち首獄門な?」
 にこにこにこ。晴佳は笑う。
「……」
「さぁってカーティス大佐ぁ。此処でクイズだ」
 にこにこにこにこ。晴佳は笑う。
「いーち、卵を破壊しさらにクイーンを殺して俺の怒りを買った結果、お前さんの人生終了で和平不
可。にーぃ、俺を閉じ込めてキムラスカまで連行した結果不敬罪で打ち首当然和平不可。さーん、俺
らと別行動を取って後に合流し無事にキムラスカ入り、さらには和平の仲介までしてもらえちゃう!
 ……どれが正解だーろぉ?」
 ひくひくと、ジェイドの口元が引き攣る。感情を簡単に顔に出すなと晴佳が云っているのに、わか
りやるい事この上ない。
 そこでルークが、ため息を一つ。
 ――……クイズっつぅか、脅迫じゃん。


 *** ***


 さくさくと緑の大地を踏みしめて歩く。
 晴佳は両手に卵を抱えミュウを肩に乗せていた。その前をガイが歩き、『ルーク』の隣りを歩くティ
アは杖を抱え、キョロキョロと物珍しげに周囲を見ている。
 そして一行の後ろを堂堂とした歩みでライガクイーンが歩む。
 普段は旅人を無差別に襲う魔物たちも、クイーンに恐れをなして寄って来なかった。そのため体力
を消耗する事もなく、歩みも早い。早々に目的の森へ着けそうだ。
 ――なんかピクニックみてぇ。
(おいおい……)
 呑気な相棒に笑ってから、晴佳はふと小さくため息を漏らした。鋭く聞きとめたガイが、軽く肩越
しに後ろを見やり、丁寧な口調で何事かと問う。
「いや……。我ながら無茶云ったなぁと思ってよ」
「俺と致しましては、あのいけ好かない眼鏡の泡を食った顔が大変愉快でしたが」
 愉快、とは云うものの、拗ねた声でガイが云った。
 そんなにジェイドが気に入らなかったのかと、晴佳は少しばかり驚く。確かに嫉妬深い奴だが、此
処まではっきりと他人を嫌うのも珍しい。
 ――……なんか、ガイの奴、変じゃね?
(変だな……。いや、ガイだって人間だ。好き嫌いはあって当然だが)
「……ねぇ、ルーク。アレは本気だったの?」
 そっとティアが声をかけてくる。ルークとの会話を中断させて、晴佳は視線を下ろした。
「あれって、ジェイドに云った事か?」
「えぇ……。大佐の人生終わらせるとか、不敬罪で斬首とか……」
 明らかに怯えた調子でティアが問う。思わず前を行くガイと顔を見合わせてしまったが、すぐにティ
アへ視線を戻し軽く微笑んだ。
「半分ハッタリで半分脅しだな」
「は……?」
「ん? いくら俺だって――あぁクイーン、気を悪くしないでくれよ――魔物を守るために他国の軍
人殺せるわけないだろ? でも不敬罪云々は真面目に有り得る話だぜ。他国の佐官如きが俺を軟禁な
んてしてみろ。俺が訴えた時点で裁判も何もかもすっとばして死刑だ」
「……っ」
「キムラスカはマルクトとは違い、王政なんだ。貴族院はあるが庶民院はない」
 その貴族院とて名誉職的なものであり、実権のほぼ全てを王室関係者が握っているのが実情だ。
「民にとって王族は雲の上――神に等しい存在なんだよ。……王族の神聖を穢したマルクトに対して、
キムラスカがどう反応するかなんて、考えるまでもないだろ」
「そう、ね……そうよね……」
 呟いて、ティアは俯いてしまった。ロッドを握り締める手が、かすかに震えている。
 震える手を一瞥してから、晴佳はガリガリと頭を掻いた。
(んー。なんかどうも……ティアって「箱入り」ぽいなぁ)
 ――そうなのか?
(軍人にしちゃぁ物事に疎いってか、鈍いってか……弱いって云うか)
 ――……箱入り、かぁ……。確かに、完全後衛型の軍人ってのも妙だよな。凄い大事にされてる感
じ。
 その言葉に晴佳は軽く驚いた。
(気付いてたのか)
 ――そりゃ気付くって。調律士でも軍属である限りは、接近戦も人並み以上に叩き込まれるって教
えてもらったじゃん。
(覚えてたんだ……)
 二年ほど前の軍事関連の授業で家庭教師から教わったものだが、ちゃんと覚えていたとは少し意外
だった。結構退屈そうに聞いていたように思ったのだが。
 こいつは勉強嫌いなだけで、出来ないんじゃないんだよな、と改めて思う。
 ――でもティアって、メインが杖で補助が投げナイフだろ? 変じゃん。折りたたみ式の棍とか、
短剣とか持ってて普通だよな?
 力が強く体力があるなら前衛の剣士(セイバー)や槍士(ランサー)。
 譜術や譜歌が得意なら後衛の譜術士(フォニマー)や調律士(クルーナー)。
 目がよく遠距離武器が得意なら後衛の弓士(アーチャー)か銃士(ガンナー)。
 特殊な武器を使うならそれにあったポジションにつく。
 が、軍人である以上は「自分はこれしか出来ない、これしかやらない」と云うものは通用しない。
いつ何時、どんな事態に陥っても戦えるように――任務を達成できるように前衛、中衛、後衛全ての
技術を見習い時代に教官から叩き込まれるものだ。
 だが、ティアはどう見ても『完全後衛型』だ。前衛での戦いを想定した訓練を受けた様子が全く見
られなかった。
 これは、軍人として有り得ない。
 あってはならない。
(……リグレット女史がヘボ教官だったのか。――それとも……?)
 横目でティアを見る。栗色の髪が風に遊ばれるのを見ながら、晴佳はこっそりとため息をついた。
 彼女の兄が”あの”ヴァン・グランツなのだと思うと、どうも余計な勘繰りをしてしまうのだった。


 *** ***


 フーブラス川を越える前に。
 晴佳は卵を抱え、ライガクイーンと共にその手前にある森へと入った。
 ――チーグルの森より小さいな。
(だけど、土壌も水質も問題ないな。食べ物も豊富だから人を襲う必要もないしな……。此処なら大
丈夫だろう)
 どこにだって魔物は住んでいる。魔物とて自然の一部であり、このオールドラントに生きる権利を
持っているが人間はそうは考えない。自分たちを害すれば滅ぼす。生態系の頂点にいるのは自分たち
なのだと疑わない。
(俺は個人的にカラスだと思ってるけどな……)
 ――なんで?
(塵でもウ■コでも死体でもなんでも喰うから)
 ――うげ。
 この森なら適度に人里から離れているし、ライガから人前に出ない限りは大丈夫だろうと晴佳は判
断した。
 しばらく進むと、ライガクイーンより一回り二回り小さなライガの群れがいた。最初は人間である
『ルーク』を見て牙を剥いたが、すぐにクイーンの存在に気付いて唸り声を消す。
「此処が新しい巣か?」
 肩に乗っているミュウに通訳をさせれば、「そうだ」と云う返答。
 どうやらライガたちは、クイーンの到着を準備万端で待っていたようだ。ソイルの木ほどではない
にせよ、それなりの大木のウロに草や枝で作られた卵用のベッドがある。
 そこへ卵を慎重に下ろして背後のクイーンを仰ぎ見る。
「こちらの我が儘でいらん手間をかけさせてすまなかったな」
 云えばクイーンは低く唸った。
「構わない、こちらにとっても好都合だった。お前を信じて正解だったようだ、って云ってますの」
「嬉しいこと云ってくれるね」
 心の底からそう思い口にすれば、すぐにミュウが通訳する。しばし間をおいて、クイーンがまた何
事かを魔物の言葉で云った。
 ミュウが通訳する前に、群れの中から一頭のライガがのそりと歩み出た。クイーンの方へ近づき、
二頭で何事かを話し合っている。
 クイーンより一回り、いや、二回りほど小さい。顔の位置が『ルーク』の腰くらいだから、仔牛程
度の大きさだ。まだ年若いライガだった。
 肩の辺りを覆う赤紫色の豊かな毛や、頭を覆おう優雅ささえ感じる角が、若い群れの中でも際立っ
て見えていたが、こうして見るとクイーンによく似ている。
 二頭の話が終わったのか、クイーンがこちらに向かって小さく吼えた。
「みゅっ?!」
「どうしたミュウ?」
「みゅ、ちょっとまって下さいですの……みゅみゅ、みゅぅ、みゅーみゅみゅぅ?」
 聞き返すようなミュウの言葉に、クイーンは再度吼えた。隣りのライガも同じく吼える。
「みゅ〜……」
「おい、何何だよ?」
「マスター、クイーンさんがこの子を一緒に連れて行って欲しいと云ってますの」
「は?」
 ――は?
 何を云われたのか一瞬わからなかったが、理解してから思い切り眉間にシワを寄せた。
「……どう云う事だ?」
「世話になったお礼に、娘を護衛に貸してやるって云ってるですの」
 ――へぇ、女の子なのか。
(いや、突っ込みどころはそこではなくてだな……)
 ずれている相棒の発言に肩を落とす。
「世話になったとは云うがな、クイーン。元はと云えばこいつの粗相が原因だ。礼と云われても、貴
方のご息女を連れまわすわけにもいかないんだが……」
 またミュウが通訳をすると、すぐに返事が返って来る。
「護衛と云うのは嘘ではないが、それよりも娘の見聞を広めてやって欲しいのだ」
「見聞?」
「この娘は次の女王だ。群れに留まり狭い範囲で学ぶより、人間であるお前について行った方が有益
やも知れん。我我はアリエッタの存在があるため元より深く人間に関わっている。これを機にさらに
深く理解したいと思っている……って云ってるですの」
「ははぁ……。なんともありがたい話だが。可愛い子には旅をさせろって奴か。で、お嬢さんの方はな
んて?」
「立派な女王になりたいから連れてってくれ、って云ってますの」
 ――偉いじゃねぇか。
(全くだ。誰かさんも見習え)
 ――ほっとけよ! 晴佳がいるからいいじゃねぇか!
(そう云う問題でもねぇんだよ……)
 やれやれと頭を押さえる。――ずっと『ルーク』で居られる保証はないのだが。
(……戻れる確証もないけどな……)
 ふっ、と小さく息を吐く。
「わかった。こちらとしても有益な話だと思う。……が、お嬢さんの食べ物はどうすればいい? 人
間は……まぁ、野盗辺りは好きに食べさせられるが、俺の立場上いつでもって訳にもいかないんだが……」
「ブウサギとか鶏でも大丈夫だ、たまに野菜もつけてくれればいい、って云ってるですの」
「……ネギ類はさけた方がいいかな……」
 思い切り犬扱いだが、ライガの方は気にしていないようだった。
 クイーンが何事かを娘の耳元で囁き、娘は母の首に顔をうずめて一声鳴くと、『ルーク』にてふて
ふした足取りで近づいてきた。ちょこんと目の前で座り此方を見上げ、また一声鳴く。
「宜しくお願いします、って云ってますの」
「そうか……」
 ふっと笑みを浮かべしゃがみこみ、視線を合わせた。
「こちらこそ、宜しく頼むよお姫様。えーっと、名前は……」
 みゅうが通訳し、仔ライガが短く返事をする。
「特にないから好きに呼んで欲しい、って云ってますの」
「ん、そか。じゃぁ……」
 右手をそっと仔ライガの額に当てた。
 十年ぶりだが上手く行くだろうかと、少し不安に思いながら祈りを込める。
「……天を駆け、軛を喰い千切り、神をも飲み込み、希望の川を作る――」
 かすかに仔ライガの睫毛が震えた。
 右手にマナが集まってくるのを感じながら、晴佳は『誓約』の言葉を口にする。
「フローズヴィトニル。……君の名前だ、受け取ってくれ」
 高く長く、仔ライガ――フローズヴィトニルが吼えた。
 それは了承の返事だったのか、吼えた瞬間、右手に集っていたマナがフローズヴィトニルを包み込
むように移動した。
 小さく一度だけ震えたフローズヴィトニルは、短く吼えると晴佳の右手をぺろりと舐めた。
(……久しぶり、だったけど)
 どうやら上手く行ったようだと、息をつく。
 名前は受け入れられた。『誓約』が完了した。名付けの儀式が出来た。
 自分には、まだ、

(王の資格が、ある)

 ――なぁ! 何? 今の何?! なんかもや〜ってしたんだけど!
 ルークの興奮した声に、ハッと正気に戻った。自分の力がまだ存在していた事に呆けてしまった未
熟さに、少しばかり頬が熱くなる。
(……名付けの儀式だよ)
 ――何だそれ?
(んー、まぁ簡単に云えば……、名前がない存在に「名前」っつー言霊を宿らせる事で、種から脱却
して個にする儀式だよ。それによって特別な力が備わったり、俺と心を通じ合わせやすくなるって訳。
もや〜っとしたのは、俺が集めて色をつけたマナ……第七音素を『祝福』に使ったから。この『祝福』っ
つーのは言葉のまんま。フローズヴィトニルが幸せになりますように、って祈りってわけ)
 ――ふーん……?
(わかったか?)
 ――わかったようなわかんないような。晴佳の変な力の一つって思えばいいのか?
(そうそう。……って、変な力って何だコラ)
 大事な力を変扱いされて少しムッとしたが、晴佳の扱う能力のほとんどがこの世界にはないもので
あるから、まぁいいかと思い直した。
 こちらを見上げているフローズヴィトニルの頭を撫で、肩に乗っているミュウの咽喉を撫でてから、
晴佳は深々とライガクイーンに頭を下げた。
「宅の娘さん、確かに、お預かりします」


 *** ***


 さらさらと清らかな青が流れ行く。切り立った岩山に囲まれているが内側はゆるやかな緑の坂だ。
旅慣れていない者でも歩くのに苦労はしないだろう。
 ぐっと背筋を伸ばし、『ルーク』は大きく息を吐いた。
 ――空気綺麗だー。
(あぁ、いい場所だな)
「気持ちいいですのー」
 肩に乗ったミュウが云うと、それに同意するようにフローズヴィトニルも鳴いた。その声に驚いた
のか、ティアがビクリと肩を跳ね上げる。
「……ティア、慣れろ」
「ごごご、ごめんなさい……」
「少し大きい犬だと思えばいいんじゃないか?」
 ケロっとした顔でガイは云うが、反応としてはティアの方が正しい。
 いくら仔供とは云え、相手は魔物の中で特別な種とされているライガ一族の跡取り娘だ。襲われれ
ばひとたまりもない。訓練した軍人とて、一人では相手にもならないだろう。
 そんなライガの仔を連れ歩く『ルーク』の姿は、ティアの目に魔王に近いものとして映っていても
おかしくはない。怯えて当然だろう。
 やはりと云うか。けろっとしているガイと、魔物を平然と引き連れている晴佳が異常なのだ。この
場合。
 ――……ティアも早く慣れちゃえばいいのになぁ。そしたら楽なのに。
(……お前は染まりすぎだと思うけどな……)
 朱に交わればなんとやら。
 フローズヴィトニルの頭を撫でながら、晴佳はザッと周囲を見回した。
「……危なそうなのはいないが、油断しないように。先頭は今までと同じくガイ、ティアは俺と一緒
に後衛な。回復は俺がやるからガイの援護を頼む」
「承知致しました」「わかったわ」
 素直に頷いてロッドを握り締めたティアに「肩に力入れすぎるなよ」と苦笑気味に忠告してから、
彼らは歩みを再開した。



 了


 修正 2010/09/15