(俺、ちょい眠るわ)
――はぁ?
(じゃ、おやすみ)
――待て待て待て! いきなりかよ!
(緊張して疲れたからなー。後よろしく)
――お前フリーダムすぎんぞ!
(厭なのかよ)
――い、嫌じゃねぇけど。
(それに今だと、ガイと二人きりになれんぞー)
――ぐっ……。
(じゃ、明日の昼ぐらいに起こしてくれや。おやーすみー)
――あ、おいいいいいいい!
− 最後の契約。
月(ルナ)が大地を照らす。今夜は雲一つ出ていないせいか、やけに明るく感じる。皓皓とした月に
負けているためか、逆に星はよく見えない。
川縁の手頃な岩に腰をかけ、晴佳は肩越しに振り返る。シンと静まり返った空間があるだけで、野
生の獣のかすかな気配以外はなかった。
(……ガイは……ついて来てないな……)
ふっ、と息をつく。
気配を絶ち、音を立てないよう行動する等造作もない事だが、鈍っていた可能性はあった。屋敷の
中でも訓練はしていたけれど、あそこの生活はぬるま湯に浸かっているようなものだから。
その不安も杞憂だったのかと、安堵ゆえに出た吐息だ。
(元の世界に戻れた時、使い物にならなくなってたら最悪だ)
肩にかかった髪を後ろに流す。この仕草に違和感がなくなってから、どれくらい経っただろうか。
――……ん? ……あれ、……晴佳、何してんの?
(……っ、悪い、起こしたか?)
てっきり寝入っていると思っていたルークが突然目をさまし、晴佳はギクリと肩を跳ね上げた。
別に、やましい事をするつもりではなかったのだが。
――いや別に。何、また月(ルナ)見てんの? 本当に好きだなー、お前。
晴佳の動揺を知ってか知らずか、ルークはケラケラと笑う。
その言葉の通り、晴佳は月見が好きだ。好き――と云うよりは、思い出に浸るのに月見が一番都
合が良かった、と云うだけなのだが。
あの世界の月は此処よりも大きかったように思うが、この世界の月(ルナ)に慣れ親しんでしまっ
た為か、既に記憶は朧気だ。
(十年も経てば、記憶も薄れる、か……)
――? 何か云ったか?
(いや、何でも。……ちょっと人に会うんだ。静かにしてろよ)
――人って……、
前方――川から人の気配が滲み出た。寸前まで隠していたのだろう。驚いたルークが言葉を止め、
息を飲む。
チッと小さく舌を打った。
(……此処まで来たのなら最後まで殺せよ。ガイに気付かれるじゃねぇか)
人が気を遣って一人きりになってやったと云うのに。気の利かない男だ。
案の定背後の森から、ガイがこちらへ慌てて駆けて来る気配がした。ティアは放置か、男の風上に
も置けない奴め、と冗談交じりに考えてから、片手を上げる事で動きを制する。
途惑ったようだが、晴佳の命令に逆らわないガイは森から出る手前で立ち止まり、手頃な木の陰に
隠れたようだ。ついでに息を殺し気配も消している。
それに対し満足げに頷き手を下ろすと同時に、
「……ルーク・フォン・ファブレ様であらせられるか?」
男が声をかけてきた。
疑問形を使っているが、声は断定の響きだ。
――おい、あいつ……っ!
慌てた声をルークが上げるが、晴佳は無視して男に向かって返答した。
「いかにも。……貴殿は」
その巨体からは想像し難い静かな足取りで男は『ルーク』の二メートル近くまで歩み寄ると、手にし
ていた武器――男の身の丈はありそうな巨大な鎌――を足元に置いた。「敵意無し」の意思を武器
を手放す事で伝えると、今度は目前まで近づいてきて、恭しく跪いた。
「神託の盾騎士団第一師団師団長、ラルゴで御座います。……幾たびにも渡る非礼と、ご挨拶が遅
れました事、まずはお詫び申し上げる」
――やっぱり! なぁ、何でコイツっ……。
(ルーク。少し黙ってろ。後で教えてやるから)
――……っ、ぜ、絶対だぞ! ちゃんと説明しろよな!
喚き出したルークだったが、晴佳の真剣な声を聞いて大人しくなった。良い子だなと心の中で笑っ
て、晴佳は目の前で跪く男――ラルゴに視線を向ける。
「……謝罪に来た誠意は認めよう。面(おもて)をあげよ、ラルゴ殿」
「はっ……」
真っ直ぐにこちらを見上げてくる強い眼差しに、悠然と微笑んだ。足を組み、腕を組み、ラルゴを
見下ろす。
「さてラルゴ殿。私の記憶が確かなら、貴殿は導師イオンからダアトにて謹慎との処分が下されてい
たように思うが」
「はい。……ですが、どうしても貴方とお会いしたかった」
「熱烈だなぁ」
咽喉でくっと笑って云うと、こそりとルークが「茶化すなよ」と呟いた。突っ込み体質ゆえに、黙って
いられなかったらしい。
「そこまで想われていては、無下にする訳にもいかないな」
小さく微笑めば、ラルゴは安堵のため息を漏らす。
「導師の命令に逆らってまで、何故私に会いたかったんだ?」
「……本来ならば、云うべきではないのやも知れません」
「うん?」
「俺の胸に秘め……墓まで持って行くのが、最も良い選択であると思っていました」
「……」
――何が云いたいんだ?
自分もそう思ったが、口には出さず、ラルゴが続きを云うのを待つ。
ラルゴは一度目を伏せると深呼吸を二度繰り返し、意を決したように顔を上げた。
「俺の、過ちを聞いていただきたい」
「過ち?」
「そうです。それを……赦していただきたい」
「……」
注がれるのは、力強く真っ直ぐだが、どこか縋るような色をした迷い人の眼差し。
過ち。過去に行った罪。預言を絶対とするダアトの人間がそれを悔いるとは珍しい話だ。預言の通
りであれば、どんな凄惨な目にあおうが、残酷な手段に走ろうが気にも留めない連中ばかりだと云う
のに。
だから、興味が湧いた。晴佳はこの男の話を聞いても良いと思った。
――はぁ? マジかよ。酔狂な奴。
(弱味を握れそうだし)
――鬼か。
ルークの呟きをスルーして、晴佳はニヤリと笑った。
「いいだろう。話してみろ。――赦すかどうかは、聞いた後で決める」
「はっ……。有難う御座います」
深々と頭を下げて、ラルゴは吶吶(とつとつ)と語り始めた。
*** ***
俺はキムラスカ、バチカル下層の生まれです。生きて行くために腕を磨き続け、貧しい下層の暮ら
しに嫌気が差して国を飛び出しました。
俺のようなならず者が受け入れられる先はそうありません。バチカルを飛び出した俺は、ケセドニ
アに辿り着きました。はい、砂漠越えを……。あの時は死ぬかと思いましたよ。砂漠を舐めきってい
た証拠でしょう。
まぁ一度死ぬ思いをしたもので、砂漠越えのコツみたいなものをつかめましたがね。
ケセドニアについた俺は腕一本で食っていけるからと傭兵になりました。自慢じゃありませんが、
それなりに有名になったものです。『砂漠の獅子王』……なんて通り名までつきました。
武器を握り、死と隣り合わせの生活になんの不満もありませんでしたよ。ですがある日、俺は一人
の少女と出逢いました。
それがきっと、最初の過ちだったのです。
少女――名を、シルヴィアと申します。シルヴィア・ウィルブレッド。……ご存知でしたか。それ
もそうでしょうね。ウィルブレッド侯爵家と云えば、バチカルでは名の知れた貴族の一門。俺は詳し
く存じませんが、王室の血をわずかながら引いているとか……。
一介の傭兵と貴族の姫君がどうやって出会ったか、疑問に思われますか? ……いえ、そのように
上等な理由ではありませんよ。
あいつ……シルヴィアはお転婆でしてね。俺が丁度、仕事でバチカル中層に訪れた時、屋敷を抜け
出して一人、”探険”に来てたんです。いくら普通の女の格好をしていようと、生まれが生まれです
からね。気品が滲み出ていて……まぁ、ごろつきに目をつけられて絡まれていたんです。そこに俺が
割って入った。
此処までなら、たわいも無い話です。よくある話の一つで、終わっていたでしょう。
――彼女の家は、キムラスカでは当たり前の預言重視派でした。そして、彼女にはある預言が詠ま
れていました。
『汝、生誕の日に、気高い獅子の如き男と出会う。その男を汝は夫とし、子を成すだろう。
生まれた子は、キムラスカの繁栄に深く関わる神子である』
キムラスカは、『良い結果』に繋がる預言は守る。そんな預言を詠まれていた少女は、あろう事か
俺を『気高い獅子の如き男』と見てしまった。俺の通り名が『砂漠の獅子王』だったのが不味かった
のでしょうな。
自国の繁栄に深く関わる子を産むと詠まれた彼女は、俺を夫にすると決めてしまった。当時の俺は、
そこそこ名が知れただけの一介の傭兵です。生まれもバチカル下層。太陽(レム)が西から昇る事が
有り得ないように、俺のような男が貴族の姫君と結婚するなど、有り得ない話でした。
だが、俺は彼女の夫と認められてしまいました。
シルヴィアに詠まれていた……予言のお陰で。
……正直に申し上げれば、あの時俺は、嬉しかった。
シルヴィアは美しい少女でした。金色の髪を背中にさらりと流し、緑色の瞳がキラキラと輝く、眩
しい少女でした。おしとやかな外見に反してお転婆で……家を抜け出して、港で夕陽を眺めるのが好
きだと微笑む、愛らしい少女でした。
俺のような無骨な男が命をかけようと、手に入るはずのない、奇跡の花でした。
シルヴィアの願いを、そして彼女の両親の言葉を、俺は受け入れてしまった。
――その時は過ちと知らず、戸惑いながらも、喜んで。
俺たちが結婚して二年後、シルヴィアは妊娠しました。俺も、彼女も、両親も、預言を知る王室も
喜びました。丁度、……今は亡き王妃様がご懐妊された頃でしたね。良い事は続くものだと、皆笑っ
ていました。
俺も、シルヴィアも。
シルヴィアの出産予定日が目前まで迫っていた頃、俺は仕事で家を空ける事になりました。貴族に
婿入りしたものですから、それなりの役職は与えられていましたよ。それをこなすために、どうして
もバチカルを離れなければならなかった。
家を出る際に、シルヴィアに生まれてくる子の名前だけを託して行きました。
男の子が生まれたら『ラルゴ』、女の子が生まれたら『メリル』と名付けよう、と。それだけ云っ
て、俺はバチカルから離れました。
……これも、過ちの一つでしょう。俺があの時シルヴィアの側を離れなければ、防げたはずの、悲
劇が起きたのですから。
人から伝え聞いた話ですが、シルヴィアのお産は無事終わったのだそうです。生まれたのは娘で、
玉のように愛らしい赤ん坊だったと。預言に祝福された神子だからと、取り上げたのはダアトから来
た産婆、立ち会ったのはローレライ教団の重鎮と、シルヴィアのお母上だったそうです。
それから二日後、王妃様が産気づかれた。
ルーク様もご存知でしょう。王妃様は、大変お体の弱い方だった。……貴方のお母上同様。ご懐妊
されてからは精神的にも安定しておられたのか、出産は大丈夫だと思われていた。不安なのは――生
まれてくる赤子の方だ、と。
……。
……回りくどいのは、どうも苦手です。単刀直入に、申し上げます。
―――ナタリア王女殿下は、死産でした。
……驚かれませんね。もしや、既にご存知でしたか。……いえ、無礼な事を申しました。お忘れく
ださい。
取り上げたのは、ダアトから来た産婆、立ち会ったのはローレライ教団の重鎮、そして……王妃様
付きの小間使いであった、シルヴィアのお母上、でした。
……お察しの通りです。聡い御方だ。
王妃様は……お体だけでなくお心も弱い方だった。己の子が死産だったと知ればショックを受け、
産後の体では、……お命が危うかった。
ナタリア王女は死産でした。二日前に生まれた小間使いの孫は、健康でした。
そして何より、小間使いの孫娘は――キムラスカの繁栄に深く関わった、神子でした。
彼女らは王妃様のお命と、預言を優先した。……後で知った話しですが、シルヴィアに詠まれた預
言には続きがあったのです。
『生まれた神子は、国の宝となり、来たるべき日まで王の側で安寧の時を過ごすだろう』
……。
今、王の隣りにいらっしゃるナタリア王女殿下は、正当な王女ではありません。
……俺の娘―――メリルです。
*** ***
大きく、晴佳はため息をついた。『ラルゴ』は一度目を伏せ、再度顔を上げた。
「……メリルはナタリア王女殿下となり、王妃様はお心の安定を得られました。ですが、シルヴィア
は」
ギリリと、『ラルゴ』が拳を握り締める音がする。肉が軋むほど、強く握られた拳が、震える。
「突然メリルを失ったショックで錯乱状態に陥り、バチカル上層から身を投げました。……遺体は、
今だ見つかっていません」
「……そう、か」
――……っ。
晴佳は掠れた声で云い、ルークは息を飲んだ。
「それが、過去の過ちか」
「……いえ、まだ続きがございます。もうしばし、この愚かな男の話しにお付き合い下さい――」
*** ***
バチカルに戻った俺は事の顛末を知り、怒り狂いました。
王妃様にはご同情申し上げます。キムラスカにとって預言が重要だと云う事も、存知上げておりま
す。
だが、だからと云って娘を奪われる事に納得が出来ましょうか。……最愛の妻の死を、受け入れる
事が出来ましょうか。
俺には、出来なかった。
そして俺は、……過ちを犯したのです。
全て、預言が悪いのだと。
妻に詠まれた祝福の預言が、メリルに押し付けられた神子の預言が悪いのだと、そう、思いました。
その憎悪をどこから嗅ぎ付けたのか、ヴァン総長が俺を誘ったのです。
『共に、預言を壊さないか』と。
甘美な誘いでした。全てを奪った預言を壊せば、シルヴィアも救われると、思ったのです。
俺は彼に誘われるままキムラスカを捨て、ダアトへ身を寄せました。……六神将『黒獅子ラルゴ』
として。
云い訳になり、みっともないとは思いますが……俺はあの時、普通の状態ではありませんでした。
手に入れた幸福と手に入るはずだった幸福が同時に消え去り、絶望の淵にいたのです。
だから、間違えました。愚かな俺は、……間違えたのです。
本当にシルヴィアの死を悼むならば、メリルをこの腕に抱きたいと思うのならば。
俺は、何もかも王に申し上げるべきだったのです。その結果、俺の身がどうなろうと、義母やダア
トの連中が罰を受けようと、王妃様が衝撃に耐え切れず身罷られようと。
俺は真実を告げるべきだったのです。
それが出来なかったのは、一重に俺が弱く愚かだったからです。
自分のせいではないのだと、思いたかった。妻を、娘を奪ったのがか弱い王妃様や優しかった義母
ではないと、思いたかった。もっと別の、逆らいようのない何か、「絶対的な何か」であって欲しかっ
た。
だから俺は―――過ちを犯したのです。
取り返しのつかない、過ちを。
*** ***
夜気が流れる。遠く、虫の鳴く声がする。
晴佳も、ルークも、ラルゴの―― 一人の父親の懺悔を、静かに聞き届けた。
薄く、唇を開く。
「それが、赦されたい過ちか」
「そうです。俺は……赦されたい」
祈るように、男が項垂れる。手が、小刻みに震えている。
「ルーク様」
「ん?」
「俺の話を、信じてくださいますか」
「あぁ。……ナタリアの髪は――金色だからな」
キムラスカ王室に連なるものは、赤い髪と緑の目を持つ。どちらの音素情報も劣勢であるが、王室
直系の者は同時に持つ事が出来、それが王族に神聖を持たせていると云えた。
だがナタリアは――緑の目しか持たない。髪の色は、光り輝く金色だ。
血筋と伝統を重んじるキムラスカ王室において、彼女は存在は異端だった。故に、彼女を排斥しよ
うとする頭が化石化した古狸とていた。
「ナタリアが王の子ではないと云う話は、前々から出ていた」
「……」
「音素情報を調べればすぐわかる話だ。だが、王はそれをしなかった。頑なに、ナタリアは自分の娘
だと主張して譲らない」
キムラスカにおいて、王とは神に等しい。その神が云うのだ。誰がそれに逆らってまで、愛された
姫君の体を調べようなどとするだろうか。
「正直に、云わせて貰おうか」
「はっ……」
「ナタリアが正当な血統ではないなんて話、俺にとってはどうでもいい」
男が目を見開いて、『ルーク』を見つめた。
「王室の正統な血ならば―――俺が継いでいる。俺とナタリアの間に生まれた子が、赤い髪と緑の目
を持っていれば問題も無い」
なにより。
「俺は赤い髪のナタリアを知らない。俺が何よりも愛しく想い、夫になりたいと望むのは、――金色
のナタリア姫だけだ」
王室において何よりも重視される血と伝統。だがそんなもの、この想いの前には瑣末な事だ。
愚かだと罵られようと、王族の自覚がないと誹られようと、晴佳は金色の姫君を愛している。
――俺も別に、ナタリアでいいけど。
(おま……ナタリアでいいたぁなんだ。失礼な)
――だって結婚するのは俺たちだけど、夫になるのは晴佳だろ? 俺が好きなのガイだし。
(うーん。お前の思考回路、ちょっと謎だぞ?)
自分と晴佳を明確に区別している、と云えば聞こえはいいが、よくよく考えれば婚姻について軽く
考えすぎだとも云える。
ラルゴは驚きに目を見開いて、『ルーク』を見つめていた。それはそうだろう。キムラスカとはと
にかく血筋が物を云う。
軍部を引き合いに出せばわかりやすい。貴族の流れを汲むならば出世は容易だが、市井の出では望
めないのである。どれだけ武術の腕前があろうと指揮能力があろうと、平民の出では佐官で打ち止め
だ。それとは逆に貴族の血筋であれば、実力で劣っても将校クラスの未来は約束される。
生まれた瞬間に未来が決まっている、と云う点ではダアトに通じるものがあるかも知れない。実力
主義のマルクトから見ればどちらも異常だろうなと晴佳は思うが、キムラスカは建国当初から血筋重
視でやってこれたのだ。そこは称賛に値するとは思う――賛同するわけではないが。
そもそも晴佳は実力主義派だ。『ルーク』の子飼い連中は全員血筋など無視して、実力で選んだ。
そのせいで品はないが、能力は高い。父からそれについて苦言を述べられる事もあるが、答えてはい
つでも彼らとともに手に入れた成功で見せてきた。
そんな背景はあるものの、血統と伝統を何より尊ぶキムラスカ王国の王族であるのに、「正統な血
筋でなくとも良い」と云う『ルーク』の存在は他国から見ても異質だろう。
驚きに見開いていたラルゴの目が、徐徐に細く笑みを作る。口元も笑みを浮かべようとしているが、
『ルーク』の手前、懸命に堪えていた。
「やはり、貴方に……お話してよかった……」
「……何故、この話を俺に話す気になった?」
震える手を見つめながら、晴佳は口を開いた。
晴佳はナタリアのそのままを愛しているし、ルークも結婚相手にナタリアは文句無いと思っている。
だがそれはあくまで二人が内心思っている事で、他国の軍人に知れるはずもない。
むしろ「ナタリアが正統な血筋でない」と知れば率先して排斥してもおかしくない立場に、『ルー
ク』はいる。だと云うのに、何故、ラルゴはわざわざ後をつけてまでそれを告げたのか。
小さな笑みを浮かべながら、ラルゴが云う。
「貴方様だったからです。ナタリア殿下の婚約者である『ルーク・フォン・ファブレ』が……貴方様
でしたから、俺は、話したくなった」
じぃと、男の薄い青色の目を見つめる。引っかかる云い方だった。
まるで、『ルーク』でない『ルーク・フォン・ファブレ』を知っているような。
「……俺が『何で』あるか知っての言葉か?」
――おいッ!
ルークの慌てた声がする。直接的な言葉は避けているが、知っている者が聞けばわかる云い方に、
ラルゴが静かに頷いた。
「その上で、『お前』が『俺』に話し、赦しを乞うと?」
「貴方ほどの方を、『その程度の理由』で軽視するつもりはありません」
「……」
――……いい人?
単純すぎるルークの評価に苦笑いが浮かびそうになるが、確かに、「悪い人」ではないだろう。
「俺の事は……グランツ謡将から聞いていたのか?」
「えぇ、計画の一端を担っていらっしゃいますから。……俺としましては、貴方がご存知だったこと
の方が驚きです」
「世の中には情報が溢れてるからな。自分の事くらい知れるさ」
本当は某意識集合体から教えてもらったのだが、そこまで語る必要は無い。
ふぅと一息つく。
「いやしかし、そこまで評価してもらってたとはね」
「直接お会いして、信における方だと思いました」
――え? どこを見て? 今までのこいつの言動見たら、普通引くだろ。
(真っ当すぎる突っ込みを入れるな)
晴佳がラルゴの前でやった事と云えば――。
イオンを連れて行ったシンクとラルゴに対して、「命が欲しけりゃイオン返せ」と脅す。
セントビナー前で待っていたラルゴ含む神託の盾に対して、「面倒臭いから皆殺し」発言。
しかもガイと肉体関係ありだと大っぴらにしている。
他にも、彼の同僚――自分たちのオリジナル――にはグラビティをぶちかまし、パンツを脱がそう
したところを同じく彼の同僚に見られている。彼らが愚痴混じりに報告していないとも限らない。
こんな事をやらかした人間を、どうやったら信じられるのか。
「……」
軽く冷や汗。
(……未来のお義父様相手に俺は……っ)
――あ、珍しくヘコんだ。
(ヘコまずにいられるか! ナタリアがメリルのままだったら、間違いなく「娘はお前にはやらん!
帰れ!」ってちゃぶ台返しされてるわ)
許されるなら両手両膝をついてへこみたい。それが出来ない代わりに、こめかみを押さえた。
「……俺のどこが信におけると思ったんだ?」
問えば、ラルゴは意味深な笑みを浮かべた。
「正直な方だと思ったので」
「正直……」
「えぇ。少なくとも、利益のために裏切りを行ったり、他者を踏みつけておいて平然と済ませるよう
な方には見えません」
「うーん……」
――裏切りも踏みつけも十八番(おはこ)じゃね?
(黙れ)
「……アレはいけません。自国への裏切り行為を自覚せず、他者を踏みつけても当然だと考えていま
すから」
「ん?」
またもや引っかかる云い方だ。と云うか、明確な対象があっての物言いだ。つまり、アレとは。
被験者ルーク――現、『鮮血のアッシュ』。
「……アレかぁ……。貴方の目から見ても駄目か?」
「駄目でしょう」
即答の上に断言だ。
「俺如きに王室のことなどわかりませんが、アレが王になった国に住むのは御免被りたいですな」
「あらー……。ちなみに、駄目なところってどんな感じだ?」
聞けばラルゴは遠い目をした。軽く四十五度斜め上を見ながらの遠い目は、言葉よりも雄弁に語る。
「何から語れば良いのかわからないぐらい駄目です」
「あぁそう……。うん、なんか御免……」
物騒な言葉とともに、いきなり人に――王族に斬りかかってきた時点で予測はしていたが、味方か
らもそう思われていたのか。
「今の話を聞けばにべもなく、王女を偽者呼ばわりして率先して追い出しそうな気はしますね」
「いや、いくらなんでもそこまでは……」
――初恋の相手なんだし、庇うくらいは……。
何故かオリジナルのフォローに回ってしまうレプリカコンビだった。
*** ***
去って行く大きな背中を見つめる。体格に似合わない静かな歩みは、武術家に通じるものがあった。
――話まとまってよかったな。
(途中でそれたけどな。まぁ、敵陣に協力者が出来てよかったよ。動きやすくなる)
逸れに逸れた話だったが、最終的にはまとまった。
ラルゴの罪を裁く権限を晴佳は持っていないため赦す事は出来なかったが、彼の望みを聞き届ける
事は出来る。
彼の望みは曰く――「娘に倖せになって欲しい」と云う、父親ならば持って当たり前の望みだった。
その望みを叶えるのに『ルーク』の力がいるのならば、晴佳もルークも喜んで手を貸す。
――いい人でよかったな。
(だな。俺がラルゴの立場なら、関係者皆殺しくらいしてる)
――お前が物騒すぎるんだよ!
心の中ではははははと乾いた笑い声をもらす。
(冗談はさておき)
――本気のくせに。
(しょっぱなから話を折るな。とにかく、これで色々情報が入るようになった。動きやすくなるし、
先手も打てるかも知れない)
――うん。
(だが、ラルゴ殿はグランツ謡将配下だ。大詠師モース、詠師トリトハイム、詠師スタッカートの動
きまではこちらに入らないだろうな)
――うーん。トリトハイムは別に気にしなくて大丈夫じゃねぇの?
(念のためだよ。ったく、キムラスカだって一枚岩じゃねぇけどよ、ダアトは複雑すぎだ。イオンは
何してんだか……)
――モースに軟禁されてたって云うから、教団内での力はそう強くねんじゃね? つか、派閥争い
にも疎いっぽかったし。
ふぅ、とそろってため息。
(ダアトでなんかあると、うちにも影響出るしな。うまーく潰さないと)
――イオンは助けてやるよな?
(当然。むしろ、これからはイオンに引っ張って貰わないとな。……さて)
背後の森からジリジリとした気配がする。ガイが焦れ始めてるなぁと、晴佳は小さく苦笑した。
(ところでルーク)
――何?
(屋敷出てから大人しいよな。主導権よこせ! って騒がないし)
――そりゃぁ……。今の状況じゃ何が起きるかわかんねぇし、咄嗟の事態に対応する自信ねーし。
家じゃなくて外なんだから、なんかあったらまずいじゃん。癪に障るけど、お前に任せとけば一応、
間違いなさそうだし。死ぬ心配もないし。
(ふぅん……。ちゃんと考えてたんだな、偉い偉い)
本気でそう思って云ったのだが、ルークは馬鹿にするなと怒った。馬鹿になど少しもしていないの
だが、言い方が悪かったか。
(馬鹿にしてないよ。……そうだ、いい子にしてたんだから、ご褒美でもあげようかね)
――はぁ? ご褒美って。
(今、主導権譲ってやるよ)
――は?! おま、人の話し聞いてたのかよ! ここ外……!
ふふふと笑う。眠くなったからーと云えば、押し付けかよと即反論。
打てば響く反応が面白い。
(それに今だと、ガイと二人きりになれんぞー)
――ぐっ……。
(じゃ、明日の昼ぐらいに起こしてくれや。おやーすみー)
――あ、おいいいいいいい!
月の明るい夜空の下、川縁で語らい。ロマンチックだねぇ、などと思いながら晴佳は意識を落した。
了
修正 2010/10/08
