男はぶるぶると震えながら、本島たちを指差して叫んだ。
「お、女一人に男二人の三人組……! あんたら、し、漆黒の翼だな!」
 断定されている。
 バケツを放り投げ尻餅をついた男は、ヒィヒィ喚いて「命ばかりは助けてくれ」と懇願する。こち
らは別に、命を奪う意思などないのだが。
「あのぅ……」
「助けてくれー!」
「ちょっと……」
「殺さないでくれー!」
「話しを……」
「あああああああっ!」
「……」
 男を落ち着かせようと、なるべく穏やかになるよう意識して、根気よく声をかけていた本島だった
が――他の二人は、男の恐慌っぷりに唖然としている――、ため息を一つつくと放り投げられた
バケツを拾い上げた。来た道を少し戻り、川から水をすくう。
「お、おい、モトシマ?」
 戻ってきた本島に途惑ったようにルークが声をかけてくる。それに笑顔で答えてから、
「てぃっ」
「ぎゃっ?!」
「あ……」「あっ!」
 バケツの中身を盛大に、男へぶっ掛けた。



 − 楽園の道しるべ。6



 突然の水撃に男は腑抜けたような面になり、ルークとティアは予想もしていなかっただろう本島の
暴挙に、ポカンと口を開いていた。
「落ち着きましたか?」
 しゃがみこんで本島が云えば、男は無言で頷いた。
「すみません。混乱している人にはこれが一番効くと聞いていたもので……」
「は、はぁ……」
「云っておきますが、僕らはその”しっこくのつばさ”とか云う人たちじゃありません。道に迷って困っ
てる一般人です」
 本島がそう云うと、男は途端に警戒を解いた。肩の力を抜いて、大きく息をつく。
「そ、そうかい。すまんね、今一人なもんだから警戒しちまって」
「いえ、こちらこそ失礼な事を……」
「いいって事よ。頭も冷えたしな」
「お詫びに僕が水汲んできますから、ちょっと待っててください」
 返事を聞く前にまた川の方へ行き、水をバケツ一杯分汲み上げる。落ち着かせるためとは云え、
思い切った事をしてしまったなと反省し、同時に此れも榎木津の悪影響かな……と失礼な事も考え
た。
(近藤にも益田君にも似てきたって云われたし……。やだなぁ……)
 本人に聞かれたら「僕に似るのがそんなに厭か!」と怒られそうな事を考えながらルークたちの所
へ戻れば、ティアと男が何やら話しこんでいる。
「この馬車は首都に行きますか?」
 馬車。
 随分と久しぶりに聞く単語だ。電車だの自動車だのが普及して来ている東京では、とんと聞かなく
なってしまった言葉だ。田舎ではまだまだ現役だろうが。
 この地域は都心から遠いのだろうか。それにしては、二人の服装は垢ぬけているように感じられ
たのだが。
「あぁ。終点が首都だよ」
「良かった……、乗せてもらいましょう」
「はー……。やっと帰れんのか」
 そう云えば二人は、ルークの家に帰るのだと云っていた。首都と云う事は……東京だろうか?
 会話が途切れたところで、「戻りました」と声をかけるとルークがぱっと振り返った。遅い、と文句
を云われて苦笑混じりに謝る。
「おお、すまねぇな」
「いえいえ。……ティアさんとルーク君は馬車に乗るの?」
 聞くと、二人は意外そうな顔で本島を見た。何故そんな顔をされるのかわからず、首を傾げてし
まう。
 今の会話内容から、馬車に乗る気なのだと思ったのだが、違うのだろうか。
「なんだ、兄ちゃんは乗らないのかい?」
「持ち合わせがありませんから……」
 財布の中身は常に薄く寒い。給料日までまだ日があるから、こう云った散財は命取りになる。出
来る限り徒歩で移動し、出費を減らしたいのだ。
「えっと、此処から一番近い町か村はありますか?」
「あぁ、それなら」
「えー?! 何でだよモトシマ! 一緒に行こうぜ?!」
 男の言葉を遮って、ルークが叫んだ。え、と振り返れば、ティアも頷いている。
「ルークの云うとおりです、モトシマさん。戦闘経験もないのに、一人なんて危なすぎます! 一緒
に行きましょう!」
「え? え?」
 二人にガッと詰め寄られ、思わず引け腰になった。左手はルークに、右手はティアに握り締めら
れているため、動けなかったが。
「え、どうすんだい? 三人で一万八千ガルドになるが……」
「がるど?」
 聞いた事のない単語を思わずオウム返しにしたが、周りの耳には届かなかったらしい。誰からも
答えはなく、会話はとんとんと進んで行った。
「高い……」
「そうかぁ? 安いじゃん。着いたら父上に払って貰おうぜ」
「おっと、お代は前払いだよ」
 どうやら、がるどは金の単位らしい。円とかドルみたいなものか。だが、ガルドなんて通貨聞いた
事もない――と考えて、自分の物知らずっぷりを思い出した。自分が知らないだけで存在するもの
なんて、五万どころか億単位であるだろう。
「……では、此れで」
 手を離したティアが懐をごそりと探って取り出したのは、大粒の宝石がついた首飾りだった。本島
の目から見ても高価に違いないと思わせるそれを、男は受け取るとマジマジと見つめる。
「おお、これなら大丈夫だ! 乗りな!」
 男は嬉嬉とした表情だったが、それとは逆に、本島の表情は暗くなる。
「ティアさん、今の……」
「いいんです」
「でも」
「大丈夫ですから」
 キッパリと云い切って、ティアは馬車へ向かって歩き出してしまった。しかし、本島は釈然としない。
 がるどが金の単位と云うのはわかるし、一万八千がるどが大金と云うのも一連の会話でわかった。
あの男が嬉嬉として受け取っていたくらいだから、本島の見立て通り、ティアの首飾りは高価な物な
のだろう。
 ティアのような若い子がそれを自分で買ったとは思えない。と云う事は、もらい物だろうか。親から
か兄弟からか、それとも恋人からなのかは知れないが。
「いいんじゃねーの?」
「ルーク君」
「本人がいいっつってんだし」
「それは……そうだけど」
「これ以上靴が汚れずに済むんだし、よしとしよーぜ」
 ケロリと云い放たれたルークの言葉に、本島は少しムッとする。だが直ぐにその思いを払った。
 自分は好き勝手に想像力を働かせていたが、ティア自身は首飾りについて何も語っていないので
ある。
 ティアが「今のは親の形見だ」とか「恋人に貰った物だ」と云っていたならば、ルークの発言は顰蹙(ひんしゅく)
物であっただろうが、何も語られていないのだから間違った発言ではない。勿論、正しいとも云えな
いけれど。
「……」
 小走りでティアに近づいて隣に並ぶ。綺麗な顔が、此方をいぶかしむように見た。
「ティアさん。ごめんね」
「モ」
「それと、ありがとう」
 そう云うと驚いたように目を見開いた後、ティアは息を飲むくらい優しく綺麗に微笑んだ。

 *** ***

 ふと、本島は目を覚ました。何だか側に榎木津が来たような気がしたのだ。
 目覚めてまず、己が置かれた状況がわからず軽く混乱した。だが、すぐに眠る前の事を思い出し
た。そうだ、辻馬車に乗せてもらって――
「お早う御座います、モトシマさん」
「あ、おはようございます、ティアさん」
 ティアは先に目を覚ましていたらしい。ペコリと頭を下げあって挨拶を交わす。
 向かいに座っている彼女は、何が気になっているのか――チラチラと本島の足を見ている。どうか
したのだろうか。
「あの……、どうかしましたか?」
「あ、いいえ! そ、その……」
「はい?」
「……足、は、大丈夫、ですか……?」
「足?」
 云われて本島は、己の足を見下ろした。
 呑気な子供の寝顔がある。
 無邪気な寝顔に、自然と笑みがこぼれた。
「よく眠ってますね、ルーク君」
「そ、そうですね……」
 赤い髪をいい子いい子と撫でる。手入れの行き届いた神は柔らかくて、ついうっかり、撫でるのが
楽しくなってしまう。顔が自然と緩んだ。
「足……、痺れていませんか……?」
「慣れてるから大丈夫ですよ」
「そ、そう、ですか…」
 ティアが何か云いたそうにしているが、待っていても続きの言葉は無かった。首を傾げて、ルーク
を見下ろす。
(そうか。膝枕をしてたから……、榎木津さんが側にいるような気がしたんだ……)
 人の太ももを枕扱いする傍若無人な神を思い出し、苦笑する。
 本島が渋ると枕が替わると眠れないんだと喚いていたが、今思うと意味がわからない。自分と出
会う前から、中禅寺宅でよく昼寝をしていたらしいのだが。
(うちでも自宅でも、別の枕で熟睡してたよなぁ……?)
 あれ? と首を傾げた所で。
 馬車の外で爆音が響いた。



 続


 近藤:本島君の幼馴染。お互い自立してるくせに、同じ住宅街のしかも隣りに住んでいると云う、
雲麻の邪な心を刺激してやまない人。本島君の世間知らずや純粋っぷりに呆れているが、本島
君の純粋培養は彼の力による所が大きい気がしてならない。

 益田:榎木津探偵閣下の自称・助手。シチュエーション・フェチで、乗馬鞭を持ち歩いていて、ケ
ケケケと笑う。こう書くと只の変態だが、仕事はそれなりに出来る模様。だが、警察官(公務員)か
ら探偵助手(下僕)に転職する辺り、色々アレな人だと思われる。


 加筆修正 2010/04/08