落ち着きを得た三人の話題は、さてこれからどうしようかと云う物になった。
「とりあえず、此処から出ないとどうにもならないよね」
「そうですね。この近くに街か村でもあれば……」
本島とティアの言葉に、ルークが頬を膨らませて云う。
「街か村って……どうすんだよ。此処かどこかもわかんねぇのに」
どうやら、先ほどの出来事をまだ怒っているようだ。
そんなルークの態度に、本島は「小さな子みたいだなぁ。そう云えば早苗もそうだったっけ……」
とほんわかした気持ちになり、ティアは「少しは自分で考えなさいよ」と顔を顰めた。
「大丈夫だよルーク君。ほら、川の流れる音がするだろ?」
「あの、ざーざーって音か?」
きょとんとした顔でルークが云う。今まで川の流れる音を聞いた事がなかったのかと本島は思った。
自然のある場所に行った事がないのかと考え、情操教育によくないなぁと、会った事もないのにルー
クの両親の教育観念を少し疑ってしまう。
「そうだよ。川を下って行けば大抵は人の住む場所があるんだ。水が無くちゃ人は生きていけないか
らね。ねぇ、ティアさん」
「えぇ、モトシマさんの仰る通りです」
ティアは少し嬉しそうに笑いながら云った。そう云った知識を本島が持っていて、安心しているのか
も知れない。
確かに、行動を共にする人間が揃いも揃って世間知らずでは不安にもなるだろう。本島は申し訳な
い気持ちになった。
− 楽園の道しるべ。4
出発しようかと腰を上げたところで、ふと、ルークが向かう方向とは逆の方を見て、ぽつりと呟いた。
「海……。あれが、海なのか……?」
無意識に零れたような声だった。その呟きが妙に気にかかり、本島はルークの隣に並んで同じく海
を見るとそっと問いかけた。
「海を……見たのは初めてかい?」
「ん、……あ、あぁ、まぁな。本でしか見た事なかったから……」
そう云ってルークはまた海に見入った。感動しているのかも知れない。自分も小さい頃、兄たちに
つれられて海を見た時には感動したっけなと、とりとめもない事を思い出す。
どうして海は動くのか、どうして海はしょっぱいのか、どうして海は青いのか――そんな事を聞いて
兄たちを困らせたっけと、思わず苦笑した。
あの時兄たちは言葉に詰まっていたけれど、中禅寺なら知っているかも知れない。今度会ったら聞
いてみようと思ったところで、こほんと、ティアが咳払いをした。
「夜の渓谷は危険です。……そろそろ行きましょう」
「お、おう」
「はい、そうしましょうか」
ルークは少し名残惜しそうだったが、素直に歩き出した。やっぱりこの二人は何だかんだ云いつつ
やっていけそうだなと、本島は笑う。
*** ***
「二人は此処から出たらどうするんだい?」
「家に帰るに決まってんだろ」
「えぇ……。私は彼を家に送り届ける義務がありますから」
「そうなんだ……」
何故送り届ける事が義務なのかわからないが、聞いてもわからないかも知れないと本島は深く突っ
込まなかった。なんせ彼女の話す言葉の中には理解不能な単語が多すぎる。
ちらとルークがこちらへ視線をよこす。
「で、モトシマはどうすんだよ」
「僕は榎……連れの人を探そうと思ってるよ」
今まであまり心配していなかったが、榎木津とはぐれたと云うのは大問題だ。アレでも榎木津は優
しいので、本島の事を心配してくれているかも知れない。いや、怒っている可能性の方が高いが。
(あれ、そう云えば……)
そもそも。
どうしてはぐれてしまったのだろう。一緒に居たのに。
(あの人は――どこへ行ってしまったんだ?)
「……ん、モトシマさん?」
「え?」
「……大丈夫ですか?」
「顔真っ青だぜ、お前」
どうやら、思考――不安が顔に出ていたらしい。あぁこのすぐ感情が顔に出るところを治さなけれ
ばと思いながら、本島は慌てて笑顔を浮かべ「大丈夫だよ」と云った。
大丈夫だよ――なんて、嘘なのだけれど。
榎木津は、無事に違いない。あの人がどうにかなっているところなど、本島の貧困な脳では想像も
出来ない。刃物を持っている相手と素手で相対して勝つだけでなく、相手の方を怯えさせるような人
なのだ。本島なんかが居ても居なくても、全く持って関係ないだろう。
心配と云うなら、むしろ周りの人が心配だ。
どうやら此処は――いくら鈍い疎いと云われている本島でも分かるが――東京ではないようだ。何
故突然こんな所に居たのか全くわからないけれど――もしかしたら忘れているのかも知れない。記憶
障害だろうか?――来てしまったものは仕方がない。榎木津が本島と同じく此処に来ていると云う確
証はないが、本島の記憶が途切れる寸前まで一緒に居たのは榎木津だ。可能性はあるだろう。
しかし、榎木津も此処に来ていると云うならば、それは心強くもあるけれどやはり――周囲の人々
の方が心配だった。
榎木津は優しい――と本島は思っているが――変人だ。奇人だ。マトモな人間が対応できる人種で
はないのだ。
何か騒動でも起こしていなければ良いけれど――
「! モトシマさん! 下がってください!」
「え?」
ティアが小声で、けれども鋭く叫び本島を背後に庇った。手には杖と本島に突きつけたナイフを持っ
ている。一体何事だろう?
「ど、どうしたんですかティアさん?」
「魔物です」
「まもの……?」
「はぁ?! 魔物だぁ?!」
聞きなれない単語にまた目をぱちくりさせると同時に、側に居たルークが素っ頓狂な声を上げた。
「来るわ!」
「おい、ちょっと待っ……!」
「え? え? え?」
引け腰になりながらも、ルークは腰に差していた木刀を抜き、下がってろと云って本島を突き飛ば
した。
草むらに尻餅をつくとほぼ同時に、向かい側の草むらから猪がガサガサと音を立てて出てきた。
猪――とは云ったが、それは造形が同系統と云うだけであって、本島が知っている猪とは少し、い
や、かなり様子が違った。
まず身体の大きさが違う。本島の知っている猪は体長が大体一メートルほどで、高さもそれほどあ
る訳でもない。だがこの猪はその倍以上はある。生えている牙も大きくて鋭い。突き刺されば人だっ
て殺せそうだ。
そして何より、目が。血走った黄色の目が、こちらを「殺したい」と云っている。人間以外の動物が、
こんな殺意を抱くものなのだろうか。感情は人間の特権だなんて云わないけれど、それでも本島は、
動物の目が感情を宿らせているのを初めて見た。
その感情が殺意であった事が、物凄く――怖い。
「ルーク、貴方が前衛に出て敵を引きつけて。その間に私が譜歌を詠うわ!」
「お、おう!」
本島と同じく腰が引けているが、それでもルークは駆け出した。使い込まれた木刀から察せられる
ように、彼は多分、剣の訓練でも積んでいるのだろう。型がちゃんと出来ている。
何故本島にそんな事がわかるのかと云われれば、いつもいつも型破りで滅茶苦茶な乱闘ばかり見
ているせいだ。榎木津はあんな風に戦わない。
型も何も無いけれど榎木津は百戦錬磨で闘い慣れているが、ルークはどうやら、実戦をした事がほ
とんどないように見えた。攻撃に戸惑いがある。それでもあぁやって立ち向かえるだけ、凄いと思うけ
ど。なんせ自分は尻餅をついて見ているだけなのだし。
戦うルークをはらはらと見守る本島の耳に、ふと、歌が――柔らかな歌声が、響いて。
「深淵へといざなう旋律――」
――ユリア。
知らない名前を、本島は思い出していた。
続
早苗(18):本島の一番上の姉の娘。つまり姪っ子。夫は運送業。梢と云う名前の娘が居る。
加筆修正 2009/10/03
