探偵榎木津礼二郎は腕を組んで胸を張り、憮然とした表情で目の前のものを見ていた。もやもやと
動く橙色の塊を睨みつけてから、ぐぅと呻いて口を押さえる。
「何だお前。気持ち悪いなぁ。ゴチャゴチャゴチャゴチャと……”視え過ぎ”だ」
 ――異界の者よ。
 呼びかけられ、榎木津は少し目を見開いた。
 このもやもや口を利いたぞ。もやもやの癖に。
「誰だそれは。云って置くが僕はそんなみょうちきりんな名前じゃないぞ! 僕は榎木津礼二郎だ!」
 ――……ではレイジロウ。
「なんだこのモヤモヤ」
 ――……。我が名はローレライ。この世界の意思。全ての人々の記憶であり未来だ。
 光るもやもやは託宣の如く厳かに云った。
 しかして榎木津の返答は、
「ふーん」
 だけだった。



 − 楽園の道しるべ。2



 ――……。
 ローレライは思わず黙り込む。なんだこの生き物はと、目があったならば凝視しているところだろう。
 しかしローレライの困惑など何処吹く風である榎木津は、突然ぷりぷりと怒り出した。
「それより本島はどこだ、本島は。まったく。僕の所有物なのに無断で離れるとは何事だ!」
 ――その者は我の同位体とユリア・ジュエの血縁と共に居る。
「誰だそれは」
 ――だから我の……
「どうでもいいから早く本島を僕に返せ! 神の所有物を何だと思っているのだ!」
 そう云ってずずいと榎木津は手を出した。まるでローレライが本島を隠し持っているかの如き行動
だ。それよりも、本島に対する認識が酷い。
 所有物とはなんだ、所有物とは。物扱いか。
 ――……人の話を聞け。
 いい加減榎木津と会話する事に疲れてきたローレライだが、此処で引き下がるわけにはいかないと
話を戻そうとして。
「お前の何処が人だ。変なもやもやで気持ち悪いくせに!」
 ――えぇい揚げ足をとるな! とにかく黙って聞け!
 ある意味真っ当な切り返しに、オールドラントにおいて神に等しい存在はついにキレた。
 ――と云うか、気持ち悪いとはなんだ気持ち悪いとは! 世界の意思たる我を何と心得るか?!
 ちょっと声が泣きそうに聞こえるのは、気のせいだろう。
「気持ち悪いものを気持ち悪いと云って何が悪い! 大体な、世界はいつだって僕の手の中にあるの
だ。ならその世界の意思だとか云うお前も僕の一部に過ぎない!」
 そこでびしりとローレライに指を突きつけ、榎木津は高らかに言い放った。
 ――……っ!
「その一部が神たる僕に向かって偉そうにするな! 身の程を知れ愚か者!」
 ――……なるほど。それが、お前の『力』か。レイジロウ。
「力ぁ?」
 感心したように云うローレライに対して、榎木津は眉間にシワを寄せて不遜な態度だった。ふん、
と鼻で笑い、榎木津は云う。
「僕は確かに力を持ってるぞ。腕力だってあるし体力だってある。暴力だって勿論出きるし、視力は
ちょっと悪いけど持ってるし聴力だってあるぞ!」
 ――いや、そうでなくてな。特別な力を……
「特別な力なんて存在しないぞ」
 伸ばしていた手をまた組みなおし、これでもかと云うほど胸を張って榎木津は云う。
「力なんて皆持っていて当たり前のものだ。何も特別なんかじゃない。使いこなせるかこなせないかの
どっちかなんだ。人を特別だの凄いだの持て囃す奴は、自分の力を使いこなせていないと云う情けな
い事実を高らかに宣言しているだけだ!」
 ――……。
「ふん。馬鹿本屋の言葉を借りるならな。この世界に不思議な事などないのだ。わからないならわから
ない。知らない事は知らない。出来ない事は出来ないでいいんだ。余計な言葉を付けるから特別なん
て意味も何もない馬鹿げた存在が生まれるんだ愚か者め」
 ――しかしお前は、自分自身を神だと云ったな。それは、己が特別であると云っているのだろう?
「はぁ? 正真正銘の馬鹿かお前は。僕が神なのは厳然たる事実であり現実なんだ。何も特別な事じゃ
ない。僕が神であるなど当たり前の事だろう!」
 ――……。
 榎木津節を炸裂させられたローレライはしばし黙り込み、そして。
 ――……そうか。
 納得したように、まるで憑き物でも落ちたかのように、ぽつりと呟いた。
 ――当たり前の事か。
「そうだ。当たり前の事だ。何が特別だと云うんだ? ふん。特なんて言葉は寿司にでも付けておけば
いいんだ。僕は特上寿司より特盛りの方が好きだけどな!」
 云い切って榎木津は大声で笑った。
 ローレライはしばし黙り込み、それからもやもやと身体を移動させて榎木津に近づいた。
「む、なんだもやもや。擦り寄ってきて気持ち悪いな」
 ――気持ち悪い云うな。結構傷つくんだぞ。それより、我の話を聞け。……頼みがある。
「頼み? 依頼か」
 ――依頼? ふむ、まぁ……依頼だな。
「なら聞いてやろう。僕は探偵だからな! 依頼は聞いてやるぞ。面白いなら」
 面白い依頼なら聞く探偵はどうなんだと、ローレライは正直思ったがまぁいいかと流した。聞く気になっ
たのにまた云い合いになってしまっては、話が前に進まない。
 榎木津もまた、色々と視え過ぎるのは気持ち悪いが、変なもやもやには興味があったらしい。大人し
く聞いてやる事にしたようだ。どっかりと腰を下ろして、茶が飲みたいとごねる。
 ――すまんが此処では出せん。我慢してくれ。
「むぅ。まぁいいか。本島が淹れた茶じゃないと美味しくないし」
 榎木津がやたらと連呼する『本島』にローレライはかすかに興味を持った。そう云えば彼の者は自分
の同位体レプリカ達と合流する直前に――
「で、依頼はなんだ。僕が珍しくも聞いてやると云っているんだ。早く話せ!」
 ――なんで依頼を受ける側の癖に偉そうなんだ……。
 まぁ自称神なのだから仕方がないかと、ローレライは無理矢理納得した。
 ――我の依頼は一つ。……ユリアが愛した世界を、救って欲しいのだ。
「救世か? ふーん。面白くなさそうだな」
 ――いや、世界の危機を面白い面白くないで判断しないで欲しいのだが。
「面白くなさそうだけど、話しは聞いてやる。詳しく話せ」
 本当に偉そうだ。
 あぁユリアはもっとお淑やかで清楚な少女だったのに、とローレライは心の中で呟いたがそれだけだっ
た。
 今目の前にいるのはかつてローレライが愛した――今も愛している――ユリアではなく、神であり探偵
でもあると云う滅茶苦茶な男なのだから。
 ――我の世界には預言と云うものがある。人の生きる道……未来の導たるものだ。
「ふーん」
 ――その預言の中でも重要視されるもの。それがユリア・ジュエが詠んだ秘預言。人間たちはユリアが
詠んだ未来を実現するべく、予言に従い生きている。その日をどう生きるのかは、全て預言が決定して
いるのだ。
「へぇ。アホみたいだな」
 ――……。
 オールドラント人類二千年の歴史をアホみたいだなの一言で片付けられ、ローレライは思わず黙った。
本気で容赦ない。容赦ないぞこの男。
「頭があるなら自分の生き方くらい自分で考えればいいのに。足があるなら自分の行きたい所へ行けば
いいし、手があるなら自分の欲しいものをつかめばいいじゃないか。それともお前の世界の人間とやらは
頭も無ければ手も足もないのか?」
 辛辣な言葉であるが、本人にその自覚はない。彼はただ、事実を淡々と述べているだけに過ぎない。
そうだとわかっているが、ローレライは人間で云う所の苦笑しか出来なかった。
 ――いや、しっかり存在している。しかし二千年の間に……人々は預言の本来の姿を忘れてしまった。
「本来の姿?」
 ――預言は未来の選択肢の一つ。考える材料に過ぎないと云う、本来の姿を。
「へぇ。馬鹿だなぁ」
 今度は馬鹿と云われてしまった。しかしローレライはフォローをする気になれない。何故ならロー
レライ自身もそう思っていたのだ。
 ユリアの願いを、夢を忘れ去り、彼女の望みとは真逆の道へ進む人間たち。なんと愚かな事なのか。
あれで始祖ユリアを祀るローレライ教団などと名乗っているのだから、失笑してしまう。
 ローレライの意識から今でも、ユリアの叫びが消え去らない。延々と木霊している。
 世界を呪う、声が。
 ――このまま諾諾と預言に従っていれば、人類は滅ぶ。
「……」
 ――ユリアは預言を守れなどとは云っていない。何故なら彼女の預言は、世界の滅亡を詠ったのだか
ら。
「ふぅん」
 ――だからレイジロウ。我の世界を預言から開放し、救って欲しいのだ。
「むぅ。そう云うのは馬鹿本屋の仕事なんだけどなぁ」
 その馬鹿本屋とやらは何者なのだろうか。榎木津の言動から察するに、彼と大差ない人間のように思
えるが。
「面倒臭いけど、やってもいいぞ」
 ――本当か?!
「丁度退屈してたしな。で、受けてやるから本島返せ」
 ――……。
 結局そこに戻るのか。
 ――残念だが、不可能だ。
「なにぃ?」
 ――お前の云うモトシマは……
 云うタイミングを逃していた言葉を紡ごうとした瞬間。
 ローレライは空間が”ズレる”のを感じた。
 ――……っ。勘付かれたか……。
「……なんだ?」
 榎木津も気付いたらしい。目を細め、周囲を見回している。
 ――すまない。お前の存在に気付かれた。
「……誰にだ。なんだ、この気持ち悪い感覚は」
 ――説明している時間がない。話の途中ですまないが、お前を我が名を冠する教団の導師の元へ送
ろう。……それが精一杯だ。
「待て、送るなら本島の所に――」
 ――すまない。今は無理なのだ。彼女が……
 ずりずりと、空間がずれる。彼女が介入してきている。このままでは、榎木津は巻き込まれてしまうだろ
う。
 いかに榎木津と云えど今の状態では、彼女に勝てない。
 ――頼むレイジロウ。世界を、我らの焔を、彼女を……
「おい! 待て!」
 榎木津は怒鳴り、ローレライに手を伸ばす。ローレライはその手を包み込み、祈るように云った。

 ――お前の持つ……当たり前の力で、救ってやってくれ。

 バツンと、電源が落ちるような音。榎木津の姿が掻き消え、ローレライの意識も落ちて行く。
 意識が完全に閉じる直前ローレライが認めたのは、
「……勝手なマネは、許さないわ」
 亜麻色の髪を持つ、愛しい少女の後姿だった。

 *** ***

 気付けば榎木津は、またもや見知らぬ場所に居た。風が轟々と吹き荒れる、何か大きな乗り物の上
だ。立っているのは甲板だろうか。茶色い板の上。
「此処は……」
「き、貴様! 一体どこから現れた?!」
 突然の怒鳴り声に榎木津は振り返る。青い鎧を身に着けた人間が二人、こちらに剣を向けていた。
 事情は知らない。此処がどこかもわからなければ、こんな乗り物見た事もない。けれど榎木津はにや
りと笑った。
「神に剣を突きつけるとはいい度胸だ――。遊んでやろう! かかってくるがいい!」



 続


 加筆修正 2009/09/15