彼は高揚感を隠せずに居た。それなのに見つからなかったのは、彼女達が他事へ意識を向けてい
たからだろう。
(あの力……、間違いない!)
熱を含まない爆発――いや、あれは込められた魔力(マナ)が高密度過ぎて破裂した衝撃波の塊だ
と、彼は看破していた。上位の悪魔達が好んで使う、最も単純且つ攻撃性の高い術。工夫次第で、研
ぎ澄ました刃のようにも鋭くなれば、巨岩を投げつけるかの如き圧力を持たせる事も可能だと云う代
物だ。
人間が練り出せる物ではない。だから彼は、口元に笑みを浮かべていた。
(召喚自体は成功していたんだ! どうしてか分からないが……、あの女の中に力の一端が入り込ん
だのは間違いない……!)
彼女を先の儀式で失った媒体の変わりにすれば、今度こそ完璧な形で成功させられるかも知れない。
そう思い至った彼は、慌てて彼女達の後を追い始めた。
処分されずに済むかも知れない。今度は、自我を失う恐怖に怯えなくても良いかも知れない。そん
な曖昧な希望で胸を満たしながら――
*** ***
入り組んだ道を行き、辿りついた先には大きな赤い屋根の家が一軒あった。赤、とは云っても大分
煤けており、組まれた木材もどこか歪だ。建てられて十年以上は過ぎているだろうと、晴佳は思った。
それでも、周辺の家々から比べればマシであった。窓は割れていないし、崩れている個所もない。
「此処が、私達がねぐらに借りている場所だ。元は孤児院だったのだが……」
「潰れてほったらかしになっていたのを、まぁ、無断で使っているって訳だ」
レイドとエドスが口々に家の説明をする。なるほど、孤児院かと晴佳は納得した。これだけ広いと云
う事は、受け入れる孤児が多かったと云う事か。この街の生活水準を考えれば当然かも知れない。
だが潰れたと云っていた。維持費が追いつかなくなったのか、それとも、孤児がいなくなったのか――
前者なのだろうなと、なんとなく晴佳は予測した。
ぼそりと、後ろから声がした。
「……しょうがねぇだろ。院長達がとっ捕まって、行方不明なんだから」
「え?」
振り返れば、忌々しいと云う思いを隠しもしてない表情をしたガゼルが居る。ガゼルはじろりと晴佳
を睨み付けると、「お前には関係ねぇよ!」と怒鳴った。
その声にレイドが、咎めるようにガゼルの名を呼ぶが、彼は舌を打つとさっさと家に入ってしまった。
それを見て、レイドはため息をついて頭を左右に振る。
「まったく……」
「わはは。お前さんがハルカに甘いから拗ねとるんだよ。怒ってやるな」
「何で私が彼女に優しくしたら拗ねるんだい?」
「そりゃお前……」
二人もまた、言葉を交わしながら家へ入ってく。レイドに手を引かれたままだった晴佳もだ。
我ながら警戒心がないなと、晴佳は呆れ交じりのため息を小さく吐く。だが此処まで来て逃亡する
のも気が引ける。
結局、こう云う状況に置いて必要なのは度胸なのだろう。さて、鬼が出るか蛇が出るか。招待して
くれたレイドに対して大分失礼な事を考えながら、晴佳は玄関のドアをくぐった。
入る際に「お邪魔します」と云えば、レイドとエドスが少し驚いた顔で振り返し、それから優しげに笑
うものだから、かなり居心地が悪かった。
少しばかり廊下を歩き、案内された先はリビングと云うべき所だった。広々とした部屋で、十五人
は余裕で入れるだろう。中央には大きなテーブルに椅子が七つ。部屋の脇には大きな暖炉があっ
たが、今は寒くないせいか火は焚かれていなかった。
「さ、座ってくれ。立ち話もなんだからね」
「……えぇ」
云われ、適当な椅子に座った。レイドが晴佳の前に座り、その隣にエドスが座る。だがガゼルは
拗ねた表情で壁際に立っていた。レイドが着席を促したが、つんとそっぽを向いてしまう。
その様子にレイドは困ったように眉尻を下げたが、仕方ないとでも云うように一つため息をついた。
それから晴佳に向かって口を開いたが、その途端。
「返せよぉ! それ、オイラんだぞ!」
「べーだ! はやいもの勝ちよお!」
「ま、まってぇ……」
子供が三人、リビングにぱたぱたと駆け込んで来た。
先頭の女の子は萌黄色の長い髪を、深みのある赤いリボンで三つ編みにしている。大きな目の
髪と同じく緑色で、今は意地の悪い輝きを湛えていた。ふくふくとした頬は、思わず突いてみたくなる。
次に駆け込んで来た子は男の子だ。ツンツンと四方八方に伸びたチョコレート色の髪をしている。
くすんだ青色の目は、怒ったように先頭の女の子を睨みつけていた。顔に幾つかついた傷跡と、頬
にぺたりと貼られた絆創膏からやんちゃな様子が見て取れる。首に下げた玉の小刀がきらりと光っ
た。
最後に入って来た子は、ふわふわした蒲公英色の髪を持った女の子だ。男の子とは違い、澄んだ
空のような青色の瞳と相まって、まるでお人形のような愛らしさがある。胸元に抱いた大きなくまのぬ
いぐるみも、可愛らしさに相乗効果を出していた。
こちらに気付かず、ぱたぱたと駆け回る子供らを目で追いかけながら、晴佳は云った。
「……あなた達の子供ですか?」
「あぁ、そうだよ。……って、実の子じゃないからね?」
「結婚すらしとらんからなぁ」
「と、云いますと?」
「此処で面倒見てる子たちなのさ。ま、家族みたいなもんだ」
晴佳の質問に、レイドは困ったように笑いながら云い、エドスがからからと笑いながら答えた。
血の繋がりのない子供を当たり前のように「家族」と云える彼らを、素直に羨ましいと思う。その気
持ちは、顔にも声にも出してはいないが、それでも晴佳は確かにそう感じた。
元はと云っていたが、現在も立派に孤児院ではないかと、目を細める。
「……おい、チビどもッ! あっちへ行ってろ!」
苛立った様子のガゼルが、突然子供たちを怒鳴り付けた。その大声に晴佳もレイド達も驚いた顔
でガゼルを見たが、一番驚いたのは怒鳴りつけられた子供たちだろう。走り回っていた足を止め、
目を見開いてガゼルを注視している。
一番幼い少女の大きな目に、じわじわと水分が浮かび上がって来た。あ、と晴佳が呟くのと、げ、
とガゼルが口にしたのは同時だった。
「――う、うぅ……うわああああああんっっ!」
大人しそうな外見に反して、盛大な泣き声を女の子が上げた。他の子供もガゼルも、目に見えて
おたおたとし出す。
「わわっ、こ、こら、泣くな! 泣くんじゃねぇ!」
そんな風に怒鳴ったらさらに泣くだろう、と晴佳が心の中で突っ込むと同時に、女の子がさらに大
声を上げて泣き出した。もう一人の少女が頭を撫でてやったり、男の子が涙を拭ってやってるが、
泣き止む気配は無い。ガゼルは泡を食うばかり、レイドとエドスは何故かのんびりと構えたままだ。
どう収拾をつけるんだ、と半ば晴佳が呆れ始めた時、ぱたぱたと軽い足音が近づいて来た。
そちらに目をやって五秒後、広間の出入り口から一人の少女が現れた。
愛らしい少女だった。美少女と云う訳ではない。愛らしい、それが一番しっくりくる。
目はくりくりと大きい、柔らかな飴色。丸い頬は薄く色付いており、突いたら柔らかそうだ。染めた
とは思えない鮮やかなポピーレッドの髪を、一本のお下げにして桃色のリボンで結っている。動く度
に尻尾のように揺れるのが、また愛らしい。
髪と同じ色のリボンが目立つエプロンを掛けており、その下のスカートは膝上でむき出しの脹脛が
見えた。だが不思議と厭らしさや雌の匂いはせず、まるで「母」のような柔らかな香りがした。
突然現れた少女に、晴佳は不覚にも目を奪われる。自分が一番欲しい物を目の前にした、子供の
ように。
それに気付かず少女は、少し困ったような顔をしながら、泣いている少女へと近づいた。
「どうしたの、ラミ?」
「ひっく、うえ……ひっく……」
少女が優しげに声を掛ければ、泣いていた子――ラミがしゃくりあげながら彼女へと縋りついた。
他の子供たちも少女の後ろへ隠れるように移動する。
それを見て何かを悟ったのか――今までの優しい顔を引っ込め、厳しい顔になると、彼女はガゼ
ルに向かって怒鳴った。
「ガゼルッ! またあんたが泣かしたんでしょ?!」
「な、何で分か……じゃない! そうなるんだよ! 俺はただ、こいつらが煩かったから……!」
「云い訳しない!」
ぴしゃり、といっそ無情な程に、彼女はガゼルの言葉を遮った。
余りにもきっぱり云う物だから、ガゼルへの同情心が少々沸いたが――事実、ラミを泣かせたの
は彼であったため、晴佳は特に弁護も反論もせず成り行きを見守った。”また”と云うからには、い
つもの事なのだろうし、部外者が口出しすべきではないと思ったのだ。
口をもごもごさせるガゼルに、また強い調子で「ラミに謝んなさい!」と云う。それを見て、晴佳は
「あぁやっぱりお母さんだ」と感じだ。自分の手を煩わせた事を怒っているのではなく、子供を泣か
せた事を叱っているのだから。
しかし、ガゼルは素直に謝るのだろうか。会って間も無い晴佳が云うのもなんだが、「ごめんなさ
い」と云う言葉とは無縁に思える。我が強いようだし、負けず嫌いっぽく見えた。
「……でけぇ声だして、悪かったよ。……ごめん」
だが、晴佳の予想に反して、ガゼルは素直に謝罪した。其れを見て、目を見張る。
確かに、身内と他人とでは態度は変わる。晴佳相手には敵意むき出しであっても、家族には素直
と云うのはまぁ在り得た話だが。実際目にすると、少々驚きが勝る。
「宜しい」
ガゼルの謝罪に満足したのか、ようやく少女が笑みを浮かべた。花が綻ぶようと云う表現がぴっ
たりな暖かな笑顔に、晴佳はまたもや目を奪われる。
理由は、分かっている。だからこそ、それを認めるのが少し――いや、かなり、厭だった。
「あー、リプレ。申し訳ないんだが……」
片手を軽く上げて、若干云い難そうにエドスが云う。
「こちらにお客さんが居る事に、そろそろ気付いて欲しいんだが」
苦笑交じりにレイドが云えば、少女が驚いた顔で晴佳を見て――
「……こんにちは」
顔を真っ赤にした。
「きゃあ! ご、ごめんなさい、見っとも無い所をお見せしちゃって! すぐにお茶を入れて来ますか
ら!」
本当に気付いてなかったらしい。晴佳は自分を存在感がある方だと思っていたし、目立つ容姿を
していると自負していたが――そうでも無かったようだ。自意識過剰に気付けて良かったと云うべ
きなのだろうか。
子供らを連れて、来た時と同じくぱたぱたと足音を立てて少女――リプレが退場する。名前はチェッ
クしておいた。外見に似合う、愛らしい名前だ。
「騒がしくて申し訳ない。……でも、気を悪くしないでくれないか? 何しろ、お客が来るなんて事滅
多になくてね……」
「気になさらないでいいですよ。突然お邪魔したのはこちらなのですし」
招いたのはレイドだが、それに従ったのは晴佳だ。そう思ったまま口にすれば、レイドは安堵した
ような表情になった。随分と素直な性格をしているらしい。
エドスが咳払いをした。どうやら、話を始めようと云う合図らしい。レイドも頷いて、真っ直ぐな眼差
しで晴佳を見据えて来た。
「さて……。君はまず、此処がどこだか知りたいだろう?」
えぇ、と軽く返事をして頷く。思えば、この街の名前すら自分は知らない。
「『リィンバウム』――私達の世界は、この名で呼ばれている。そして此処は、『聖王国』領西部に位
置する『サイジェント』と云う街だ」
『リィンバウム』、『聖王国』、『サイジェント』――どれも、聞き覚えのない地名だ。改めて此処が自分
の世界ではないと思い知った晴佳は、ゆっくりと首を左右に振り、「いいえ」と呟いた。
「そう、だろうね」
レイドの顔に、同情の色が浮かぶ。どうやら彼は、晴佳以上に当人の置かれた立場が分かってい
るらしい。
その先をどう話すべきか考えている様子のレイドに、置いてけ堀を食らっているガゼルとエドスが
声をかけた。
「おい、レイド。さっぱり話が見えねぇぞ」
「もっとワシらにも分かりやすく話してくれんかのう」
「ん、あ、あぁ。すまない。きちんと説明しよう」
そう云って、レイドは少し云い難そうに、けれどはっきりとした声で続きを話し出した。
「君は恐らく、別の世界から『召喚術』で呼び寄せられたんだ」
「召、喚術……?」
まさか本当にファンタジー系だったとはと、晴佳は驚きを覚える。世界の境を越える技術が一般的
な世界もあるとは聞き及んでいたが、実際にあると知ると驚きも一入だった。
そしてその術の”被害者”――厭な云い方、だが――が自分だと思うと、妙な気分になる。言葉で
は説明しにくい。例えるなら、自分と無関係だと思っていたテレビ越しの殺人事件が、目の前で起き
た時とでも云うか。いや、その例えも一般的ではないし、分かりづらい。
微妙な気持ち、それ以外云いようがなかった。
「君が居た世界ではどうだったのかは知らないが、『リィンバウム』にはそう云った技術があるんだ。
『召喚師』と呼ばれる人々だけが、それを行使する事が出来、他の世界の住人を呼び寄せ”使役”
するんだが……」
初めにレイドが云い淀んだ理由が分かった。『召喚術』が余りにも身勝手な術だからだ。
他の世界の住人にも、生活がある。その世界で生きる権利がある。それを無視して、『リィンバウ
ム』側へと呼び出し、”使役”する。――召喚された側として、これほど気分の悪い話もあるまい。
「怪しげな恰好をしとる、偉そうな連中さ」
茶化すような調子でエドスが云う。怪しげな格好と聞いて、晴佳の脳裏にローブで全身を包み込ん
だ人間の姿が浮かび上がった。
まさか。そう思うと同時に、レイドが云った。
「我々の世界に来た時、君の近くにそう云った人はいなかったかい?」
「……実は……」
話し辛い事ではあったが、晴佳は包み隠さず全て話した。此処まで来てだんまりを貫いても建設的
ではないと判断したためだ。
向こうは情報を提示した。真偽は図れないが、晴佳は一時全面的に信用する事にし、己の情報を
提示する事を選択した。
さて、凶と出るか吉と出るか。此処まで来ておいて凶であったらギャグだなと、心の中で嗤う。
全て話終わった後――気付けば穴の底に居た事、穴の周りには黒いローブに身を包んだ人々の
死体があった事――、最初に口を開いたのはエドスであった。
「そいつぁ酷いな。一人残らず死んじまってたとはなぁ」
生存者の確認は行っていないので、もしかしたら生き残りが居たかも知れないが、その事には口
を噤んでおいた。何故確認しなかっかと問われたら困るからだ。晴佳は自分は下衆であると自認し
ているが、それでも罪悪感は多少なりとも存在している。
「そこに居た者たちが、君を呼ぼうとしていた召喚師だろうな」
(ん……?)
その言葉に、微かな疑問を覚える。君を――晴佳を、呼ぼうとしていた?
(俺なんぞを呼び出して何になるんだ?)
確かに晴佳は暗殺技能は持ち合わせているし、そこらの一般人より戦闘能力には秀でている。だ
が、探せば同格の人間は居るだろうし、遥かに上手の技量を持つ者も居る。そもそも、人間でない強
い者だって存在している。
それなのに、わざわざただの人間である晴佳を呼びだすために――あれほどの人間を犠牲にする
物だろうか?
思い起こせば確かに、少年の声には求められた。求めて、答えはした。だが少年は、「誰でも良い」
と云っていた。敢えて、晴佳を選んだ訳ではないだろう。
そう思ったが、わざわざ云う必要も無いかと晴佳は判断した。自分で無いとしたら、”一体何を呼ぼ
うとしていたのか”は気になりはしたが――此処では、関係ない話だろう。
「恐らく、儀式の最中に何かしら事故が起きて、そのような事になってしまったんだろう」
どこか淡々とした調子でレイドは云う。冷たいな、とは思わなかった。所詮は他人事、又聞きした話
だ。現実味も薄いのだろう。
ただ、壁際に立ったままのガゼルは酷く顔色が悪かった。家主でも住人でもない晴佳が、思わず席
を進めてしまいそうになるくらいには。
「……あの」
ぽつりと、声を零す。
どうかしたかい、とレイドが柔らかな声で応えてくれたので、心の引っ掛かりを解消するための質問
を晴佳は口に出した。
「あの人たちが死んだのは…………お、私のせいなのでしょうか?」
「いや、それはちょっと考え過ぎだぞ思うぞ」
エドスが慌てた様子で口を挟んで来た。
「お前さんが目を覚ました時には、そいつらはもう死んじまってたんだろう?」
まるで晴佳を庇うような口調に、微かな違和感を感じた。そこまで必死にフォローして貰えるような間
柄でもないのに。根が善人なのだろう。
「エドスの云う通りだよ。確かに君は……無関係ではないだろうけど、君が原因ではないと思う。あま
り気にしない方がいい」
「……そう、ですね」
結局自分は、否定して欲しかっただけなのだなと思い知る。
あの惨状の原因が自分だなんて、罪悪感を通り越して胸が悪くなってしまう。最早死んでしまった彼
らに否定して貰えないから、第三者に否定して貰いたかったと云う浅ましい感情から来た問いだった
のだ。
どこまでも、自分と云う人間は救えない。
「今日は此処に泊って行くといい。これからどうするかは、休んでから考えなさい」
「おい、レイド……!」
「ね、もう遅いし。女の子が出歩くには危険だから」
咎めるようにガゼルが声を上げたが、レイドは聞き流したようだ。優しく微笑み、穏やかながらも有
無を云わさぬ声で己の提案を告げて来る。
正直、渡りに船で有難かった。レイドの云う通り、外はもう暗い。スラムと云う事は、治安もよくない
だろう。そんな中、わざわざ出て行くのは晴佳とて遠慮願いたい。
多少の警戒心はあったが、先ほど見た優しげな少女と天真爛漫な子どもたちの姿を信頼する事に
した。
立ち上がり、三人に向かって頭を下げる。
「すみません。一晩、お世話になります」
それ以上は世話にならないと静かに断言してから、晴佳は顔を上げた。ガゼルは「当然」と云う顔
をしていたが、レイドとエドスは困ったような、残念そうな顔をしていた。
その真意を測れないまま、晴佳は空き部屋へと案内された。
*** ***
広間のすぐ前――家の中心部になるらしい部屋に案内された晴佳は、制服の上着を脱ぎ、ズボン
を脱いで椅子に掛けると、一つしかないベッドへと倒れ込んだ。鍵は掛けてあるから、シャツと下着
だけの姿になっても構うまい。誰か来たら即ズボンだけ穿けば良いと思う事にした。
部屋は広くない。と云うか、狭い。ベッド一つと木製の机と椅子一脚セットで一杯になってしまうくら
いだ。ベッドにうだうだとしていた晴佳は、壁にホックとハンガーがある事に気付いたが、敢えて無視
した。起きあがる事が億劫だった。
太陽の香りがする枕に顔を埋めながら、これが現実であると再度確認する。そして、重いため息を
つく。
ため息を着くと幸せが逃げると云うが、晴佳は構わなかった。
(……疲れた)
疲労を自覚するのは久々の事だ。半月ターゲットに付きっきりで隙を狙った後並みの疲れが、一日
で溜まっている。よくない事だと、目を閉じた。
眠る体制に入りながらも、晴佳の脳は働き、思考を続けてる。
(今日はこの寝床に感謝するとして。明日からはどうするか……。まさか此処に住む訳にも行かない
からな。日銭でもいいから稼げる所……教えて貰えるだろうか……)
生きて行くには金銭が居る。金銭は稼ぐか盗むか奪うかの三択だ。晴佳としては、極力犯罪行為
は行いたくない。
殺人と云う最大の禁忌を侵しているくせにか、と笑われそうだが、そこは晴佳にとって譲れない一
線であったのだ。
(いざとなれば、体売ればいいし……女で良かった……。しかも妊娠しねぇし、この体……ついてる
な、うん……)
聞く人が聞けば顔を顰めそうな言葉を、脳内でつらつらと綴る。誰も聞いては居ない。聞いている
のは己だけだ。
(それは最終手段にしとこう……。最初から使うの勿体ねぇ……安売りは御免、だし。……あー、眠
い。疲れた、本当疲れた……何だ此れもう、誰か夢だって云え畜生……)
もそもそと冬眠明けの熊のような動きで起きあがった晴佳は、ベッドから降りると、部屋の上部に
取りつけてある蝋燭の火を吹き消した。一瞬で室内は真っ暗になったが、夜目が利く晴佳にはあま
り支障はない。危なげなくベッドへ戻ると、毛布の下へと潜り込んだ。
(帰れっかなぁ。……帰らないとなぁ。恩返し、一つもしてねぇし。まだやらなきゃなんない事、山積み
だし……皆に、会いたいし……)
うとうとと眠気がやって来る。本能のままに瞼を降ろせば、世界は完全に黒くなった。
(養父(とう)さん……ごめん、ちゃんと帰るから……)
届かない謝罪をする。恐らく、自分が居なくなって一番困るのは養父だ。”此処まで”来て投資した
存在が居なくなるなど、相当な痛手のはずだ。なんとしても帰らねばなるまい。
意識が遠のく。けれど脳の鋭敏な部分は起きている。誰かが部屋に近づけば飛び起きれるように、
脳の一部は決して休まない。その一部は普段眠っているので、こう云う時に活用するのだ。
そこは思考するには適していない。だから、晴佳の意識は途中、消えるようにして途切れた。
(……れは……)
想い人の名前を、最後の呼んで。
第0話 プロローグ 了
やっと一つ書き終わりました……。何だ此れ時間掛かりすぎだろ。←
私は終わりの見えない連載をやりすぎだと自覚はありますが、書きたいと気に書く人間なので後悔
はありません! やります! 多分やり遂げます!←
そんな訳で、サモンナイト「救いの手と深遠の王」、宜しくお願い致します!
執筆 2010/03/05
