若旦那にとっての一日の終わり。
 就寝の挨拶へ参じた俺に向かって、若旦那が仰った。


「千草ってさぁ、母ちゃんとお羽とお葉とお辰(とき)と美緒が好きなんだよな?」
「ブーッッッ!」


 あんまりな言葉に、若旦那の御前で噴き出してしまった。
 ちょ、ちょっと待って下さい若旦那。


 何故俺の、加藤村における恋愛遍歴をご存じなのですか……?!


 特に女将さん!
 誰にも喋った覚えはありませんし、若旦那が物心付く前の話なんですが?!


 視線だけで同意を促しておいでになる若旦那へ向かって、なんとか口を動かした。

「た、確かに、彼女達に懸想していた時期はあります、が……」
「今は違うの? じゃぁ誰が好き?
「え、えええええ……?」

 何故若旦那がそのような事に興味を?!
 いや待て、今は俺の疑問よりも先に、若旦那の御言葉に答えるのが先だ!

 今懸想している相手。
 そう考えて一番最初に浮かんだ顔は、何故か、後輩伊賀崎孫兵の顔だった。


「そオいッ!」


 思わず、側にあった柱へ額を打ち付ける。
 ゴッと良い音がした。
 今日も俺の頭は良い感じに石頭だ……じゃなくて。

 待て、落ちつけ俺、動揺しすぎだ!
 何でそこで孫! 何で此処で孫の顔が出る!
 俺は稚児趣味じゃない稚児趣味じゃない稚児趣味じゃない!
 あんなチビに懸想するような変態じゃない! よし!

「千草、頭大丈夫か?」
「大丈夫です。見ての通り頑丈ですので」
「いや、そう云う意味じゃないんだけどさ。……まぁいいや。で?」
「……俺は今、懸想する相手はおりません」

 姿勢を正して云えば、若旦那は明るく笑って「そっかぁ」と軽い御言葉。
 ……一体何なのだろう?
 若旦那はよく、俺如きには計り知れない事を考えられるお方だが、今日は殊更わからない。
 まぁ俺は頭がよくねぇからなぁ。
 こう云う時、備前や留三郎の脳みそが羨ましくて堪らねぇ。

「あのさ、僕、千草が夢さんを好きだって噂聞いてさ」
「……ッ!」

 し、心臓が血を噴き出すような痛みを訴えて来やがる……!

 コルァ乱きりしん!
 ちゃんと誤解解いたんだろうなヲイ!
 何のために桃多い目にやったと思ってんだ!

「乱太郎達から一応聞いてたんだけど、どうしても本人に確かめたくって」
「そ、そうでしたか」

 すまん、乱きりしん。
 今度は団子を奢ってやるから、疑った事は許せ……!

 そうだった。
 若旦那は家の仕事柄噂にお詳しい。
 だから、その噂の真偽をきちんと確かめる方なのだ。
 鵜呑みには決してしない。
 無闇に吹聴しない。
 分からないなら分からないで済ます。
 己で推測はするが、余計な憶測を口に出さない。
 そう云う方だ。

 それは分かるが……!
 若旦那本人から、そんな噂があるのだと云われると、心臓に負担が……!

「……若旦那、その噂の出所、ご存じですか?」
「んー、僕も探ってみたんだけど、随分前からあるみたいでさぁ」
「ず、随分前から、ですか」
「うん。上級生から、って事しかわかんなかった」


 誰だありもしねぇ糞な噂タレ流しやがったダボ野郎はあああああああッ!
 畜生!
 いっそ上級生全員フルボッコに出来たならッッッ!


「なんかなぁ、優しいし世話焼いてるし怒鳴り声上げないから、千草は夢さんが好きなんじゃないの
かって話になってたぞ」
「……」

 怒鳴り声を上げない、ってのは本当だ。
 女はちょっと怒鳴っただけで、めそめそ泣きやがるから。
 だから我慢してた訳だが。
 それがアダになったって訳かコンチクショウ……!
 泣かれてもいいから怒鳴りつけておけばよかったんだ俺の阿呆!

 ……自覚した今でも出来るかどうか、微妙だが。
 やっぱ女の涙って、怖ぇし。
 泣かれると、どうしたらいいのか、真剣にわかんねぇ……。
 逃げるべきか?
 ……それもどうなんだ俺……。

「でもさ、千草って村の女衆にもそんな感じだから、「まさか」って思ってたんだ」
「そりゃまぁ、女相手に強く出るのは、ちょっと……」
「だよねぇ。あー、良かった。千草が夢さんの事好きじゃなくって」

 上機嫌に、若旦那が仰る。
 だが、俺にはどうして若旦那が、そこまでご機嫌になるのかが分からない。

「……若旦那、嬉しそうですね」
「そりゃーねー。だって千草が夢さんの事娶りたいとか云い出したら困るし」
「な、何でです?」

 まさか若旦那、あの阿婆擦れの事……?!


「あんな可愛いだけで使い道の無い人、千草の嫁って事で村に入れたら、オレが母ちゃんに殺さ
れちゃうじゃないか



「は」

 俺の恐ろしい考えを吹き消すかのように、若旦那が笑顔で仰った。
 だが、その、……笑顔が怖いです、若旦那。

「千草は僕の部下だし。かんとくふゆきとどきってゆーんだろ?」
「はぁ、それは、まぁ……」
「お葉とかお羽とかお辰とか美緒とか、しっかりしてて強くって仕事も出来て、千草を尻に敷けそう
な感じの人だったらいいけど、夢さんじゃねー」


 あの人、子供産む以外役に立たないもん。
 それくらいなら、村の女衆で事足りるもんねー。


 にこにこ顔でそう云われ。
 俺は少し首を傾け、その笑顔に答えながら、


「……ですよねー」


 とだけ、云った。



 6.姿勢を正せ



 やっぱ俺、若旦那に一生頭上がりそうにねぇわ。
 と、改めて思い知った訳で。
 自然と背筋がピンと伸びたのだった。

(もちろん初めから、上げるつもりなんて全く全然これっぽっちも無い訳だが)



 了


 若旦那はカッコいいよ! だから此れくらい余裕だよ!←
 千草は村に戻る事が決定してる訳で、村の外から嫁を貰うってなったらそれは村全体の問題にな
る訳で、それが天から降って来た綺麗なだけの女だったら論外な訳で。
 母上様から「千草に余計な女近付けさせんじゃないよ」「もういたらどうすんの?」「全力で別れさ
せな!」
と命令を受けてる若旦那、一応牽制をしたの段であります。(千草は将来有望株なので、よ
りよい子孫の為に嫁がせたい女が村に何人かいる設定です。頑張れ孫兵……

※捏造脇キャラ解説(”加藤村の中で”千草が惚れた事のある女性特集)
 女将:団蔵の母親。病弱でよく寝付いているが、それでも加藤村最強の存在。千草の初恋。
 お葉:千草の筆■ろし相手。二つ隣の村へ千草が三年の時に嫁いだ。
 お羽:「若旦那組」の一人。元お女郎。切れ長の目を持つ徒っぽい美女。
 お辰(とき):「若旦那組」の一人。詳しい事はまだ内緒。←
 美緒(みお):千草四年の時の懸想相手。今は村の男と結婚しており、一児の母。

 全員、気が強く、しっかり者で、目元の鋭い美人系。千草の好みは周りから分かりやすい。