不破雷蔵は、一つ上の先輩である備前鶴ノ丞を嫌っていた。人を嫌う事の少ない不破としては、至
極珍しい事であった。
 嫌いな理由は多々あった。
 傲慢な態度、我が侭な性格、人を見下す目線、他者を嘲笑う心、弱者を踏み躙る神経。
 顔が美しいだけに、その外見と合わない性根が厭わしかった。
 だが、不破が何より嫌ったのは、情に薄っぺらい所だ。
 忍者としては、正しい。
 同じ学舎で学んでいても、いつかは敵同士になり、殺し合うかも知れぬのである。今は隣同士で笑
いあっている相手や、気を許した友と殺し合う事になっても何ら不思議ではないのが、忍びの世界だ。
 だが、自分達は、忍びであると同時に人である。棄ててはいけない物があるのだと、不破は幼い心
で信じていた。
 だから備前の持つ酷薄な様が、いっとう嫌いだったのだ。
 忍術学園の生徒が持って当然の情を持たぬ彼が、不破の親友である鉢屋三郎さえも懐に入れぬ
備前が、嫌いで堪らなかった。
 不破にとって鉢屋と云う存在は、己の半身と云って良かった。二人揃って一人前と云う考えを、低
学年の頃より抱いていた。
 勿論、真実はそうではない。
 鉢屋は天才と持て囃される存在。それに引き換え、自分は優秀と云われながらも、結局は凡人。
住む世界が違うと云う事は、親友を自負する不破自身が一番心得ていた。
 それでも不破と鉢屋は二人で一人なのである。離れ離れになどなってはならないほど、深い部分
で繋がった他人なのだった。
 不破には誇りがあった。天才鉢屋を誰よりも理解しているのは、この不破雷蔵だと云う、高い高い
誇りである。
 だから不破は知っていた。
 鉢屋三郎が、本当に、心底、誰より、何より、備前鶴ノ丞を敬愛し、慈しんでいる事を。
 それは恋ではなかった。
 だがいっそ、恋であれば良かったのにと、不破は頻繁に思う。
 何故って、恋は途切れてしまう物だからだ。長く続くものではない。いつか必ず、冷めてしまう脆くも
弱い感情なのだ。
 だから鉢屋が、恋の情を持ってして備前を想っていたのならば、これほど気を揉む事など無かった
のだ。
 前述の通り、備前は大層酷い男だ。だから恋であれば、直ぐに冷めて当然なのだ。
 だが鉢屋は悲しい事に、ただただ純粋な愛を持ってして備前を慕っていたのである。
 それはまさに、雛鳥が親鳥を慕うが如く。親が餌を持ってきてくれる事を微塵も疑わず、口を開き
続ける子のように、純粋で無垢で愚かな愛だった。
 いつか、親が餌でなく毒を持ってきても、疑いもせず飲み込むだろうと云うほどに。
 それを想像する度に、不破は恐怖に震えあがった。
 備前は、酷い酷い男なのである。自分を一途に慕い続ける者すら、切って捨てるような男なのであ
る。それほどまでに、情に薄い男なのだ。
 だからいつかきっと、いや、必ず、備前が毒を鉢屋に食わせるだろうと、不破は思っていた。いい
や、知っていた。
 あの美しくも酷い男は、いつか必ず、鉢屋三郎を殺すだろうと、不破は知っていた。
 あの美しい手で、甘い甘い菓子を差し出す手で、無防備に開かれた鉢屋の口に毒を放り込むのだ。
 そして鉢屋は疑いもせず、毒を咀嚼し、飲み込むのだ。
 親友が必ず裏切られると知っていて、黙っていられる男はいない。
 不破は一度ならず、二度、三度と備前に詰め寄った。
 三郎を裏切らないで下さい、あいつは本当に貴方を敬愛してるんです、裏切らないで、あいつを殺
さないで、毒を飲ませないで下さい。お願いします。
 そう訴える度に、備前は美しい顔に美しい微笑を浮かべ、こう云うのだ。
「さて。それは私が決める事ではないのぉ。三郎君が決める事じゃ」
 鈴を転がすような声で笑い、云われた言葉に、不破はただただ殺意を滾らせた。
 なんて酷い男と、そう思うのだ。
 貴方が一言、「私を信じるな」と云ってくれれば、鉢屋の命は救われると云うのに。なんて酷薄な男。
残酷な男。何度絶望に泣きたくなったか、知れない。
 鉢屋に忠告しても、無駄な事。何度云っても、聞き入れられやしない。
 あの人を信じちゃ駄目だよ、あの人はいつか君に毒を飲ますよ、君を裏切るよ、だから信じちゃ駄
目だ、目を覚まして。
 そう云うと鉢屋は決まって、柔らかな微笑を浮かべてこう云うのだ。
「お鶴さんになら、仕方ないなぁ」
 その言葉を聞く度に、目の前の親友を殴ってやりたくなった。
 嗚呼なんて事! そう嘆いても、備前と鉢屋は決して不破の言葉を聞き入れてくれやしなかった。
 愛情で繋がった二人に、他者の言葉など届かない。
 例えそれが半身であっても、意味がなかった。
 何度憎悪したか知れない。鉢屋は自分の物なのにと、何度備前を殺したくなったか知れない。
 けれどそれをしないのは、不破が善良で心優しく、情に厚い男だったからに他ならなかった。
 もう少しだけ不破が残酷で、後少しだけ卑怯な男だったならば、備前の美しい顔を引き裂いて殺し
てやれたと云うのに。
 ある日の事だ。
 鉢屋の機嫌が酷く悪かった。
 何かあっただろうかと首を傾げ、前日に備前ら四年生の進級テストがあった事を思い出した。確か、
親しい先輩方は皆合格していたはずだと、不破は記憶している。だが、鉢屋の機嫌は悪かった。
「どうしたの、三郎。何か、あったの?」
「……雷蔵」
 顔を上げた鉢屋は、いつものように不破の顔を作っていた。
 だがその表情は紛れも無く鉢屋自身の物だ。
 不破は、このようにどんよりとした、恨み辛みを押し込めたような、酷い顔はしない。
「酷い顔だよ。一体どうしたって云うんだい?」
「はは……。そっか、俺は今、酷い顔かぁ……」
 自嘲気味に笑った後、鉢屋は、「今から人を殺します」とでも云わんばかりの、大層恐ろしい顔付き
になった。
 ぞわりと、背筋を悪寒が駆けのぼった。
「お鶴さんがな、潮江先輩に自分の秘密を話したみたいなんだ」
 不破が顔色を無くした事になど気付かず、鉢屋は淡々と言葉を続ける。
「酷い。俺は知らないのに。俺はお鶴さんの事、何でも知りたいのに。朝弱い事も卵料理が好きな事
もナマモノが嫌いな事も紅は桜色が好きな事も知ってるのに、お鶴さんの昔は知らないんだお鶴さん
は俺に大事な秘密を一っつも話してくれないんだ。なのにどうして潮江先輩には喋ったんだ、私の方
がずっとお鶴さんを尊敬してるし大好きなのに俺の方がずっとずっと長く側に居るのにいたずらだっ
て一緒にいっぱいやって先生にだって怒られて私の狐面を買い換えてくれたのもお鶴さんで俺はずっ
とずっとお鶴さんの事を慕って学級委員長委員会に居るのに、何であいつが話して貰えるんだ。お鶴
さんの事傷付けた癖に、見捨てた癖に、お鶴さんが泣いてるのを放ったらかしてたくせに、ずるいじゃ
ないか美味しいトコ取りなんて、俺の方がずっとずっと……」
 そこで、鉢屋は正気に返ったような顔になった。
 続いて、「やってしまった」と云う焦った顔になり、慌てた様子で不破の顔を覗き込むと、いつも通り
の笑顔を浮かべた。
「す、すまない雷蔵。少し愚痴っぽくなってしまったな! 私とした事が!」
「……うん」
「いや、うん、本当にすまない! こんなの私らしくないよな、忘れてくれ!」
「……うん」
「ど、どうしたんだ、雷蔵。ああああ俺が気持ち悪かったからか?! いや本当にさっきの私はどう
かしてたんだ、うん、ちょっとへこんで愚痴っぽくなってしまっただけでな?!」
「……うん。分かってる。気にしないで、三郎」
 不破が小さく笑みを浮かべれば、安堵した笑みを鉢屋は浮かべた。
 本音を云うならば、不破は笑いたくなどなかった。逆に、泣いてしまいたかった。泣いて喚いて、鉢
屋を困らせてしまいたかった。
(どうして君は、そんなにあの人が好きなの)
 あの男は、いつか必ず鉢屋を裏切り、傷付ける人間だと云うのに。
 どうしてそこまで慕えるのか、愛せるのか、不破には理解出来ない。理解出来ないけれど、ただ、
その強い想いに対して、悔しいと云う感情が湧きあがる。
 そう、嫉妬だ。これは全て、嫉妬と云う浅ましい感情なのだ。
(僕の方が、君を好きだって云う自信があるよ。他の誰より、君を愛してるよ。僕は他の全てを捨て
て君を選べるのに、どうして君は、そうじゃないの)
 鉢屋は選べない。不破と備前、どちらか選べてと云われても、泣いて無理だと喚くに違いない。も
しくは「どっちもだ!」と笑顔で云うのだ。
 なんて我が侭。なんて傲慢。
 そしてそれが許されるのが、世の摂理。
(僕は君が好きだけど、君の想いを否定する権利なんてないもの)
 どっちが悪いか、正しいか。そんな結論、存在しない。想いに間違いなどない、全て正しい。
 だから、不破は鉢屋を責めない。ただ、願うしかない。
 いつか、いつか、自分を選んではくれないかと。
 備前を見限って、不破だけを見てはくれないかと。
 その純真無垢な愛の全てを、不破だけに注いではくれないかと。
 ただただ、願い、祈り続けるしかないのだ。
 奇跡を、待つかのように。
「雷蔵。本当にごめんな、もう云わないよ」
「ううん。いくらでも云ってよ。僕、三郎の話なら何でも聞きたいよ」
「雷蔵……! なんていい奴……! 大好きだ!」
 しがみついて来る体を抱き返して、不破は笑った。その際、ぽろりと一粒涙が零れ落ちたが、幸い
な事に鉢屋は気付いておらず、安堵のため息を小さくついた。



 09:しあわせのかたち



 今は此れだけで良いのだと、小さく微笑む。
(例え悲しい道行を知っていても、今は幸せなのだと、それくらいの自惚れは、赦して欲しい)



 了


 不破雷蔵編でした。
 私は鉢雷なのですが、依存度は鉢屋より雷蔵の方が深いのが萌えます。傍から見ると「雷蔵好き
好き大好きー」とべったりな鉢屋の方が依存度高そうなのに、実際内側を見ると雷蔵の方がどろっど
ろぐっだぐだなやべぇ依存心を持ってるのが美味しい。うちの雷蔵は鉢屋が自分の変装しなくなった
ら狂って死ぬと思う。←
 まぁ、あれです。うちの五年生はどいつもこいつも、頭の螺子がダース単位で無くなっちゃってる連
中なんで仕方が無い!!!←
(ちなみに六年は半分抜け落ち、成長一は一、二本”しか””残ってない”状態)
 勘ちゃんだけは最後の良心で居て欲しかったのだが、最近怪しくなって来た……←

 あ、鉢屋の一人称が二転三転してるのはわざとです。俺も私もどっちも美味しいな……と思ってい
たらこう云う仕様に……。その時のテンションでころっころ変わるとか良いと思います。萌え。←
 普段は親しい人には「俺」、目上やあまり親しくない相手には「私」って分けてるといいなぁ。


 執筆 2009/12/17