(あーやだやだ。何で俺がこんな目に遭うかねー)
 ――……それ、オレの台詞なんだけど。
(うるせぇ阿呆。お前の守護霊だかなんだかのせいで、俺はこんな事になってんだぞ)
 ――だから、それはオレのせいじゃねぇだろ! こっちこそ迷惑してんだからな!
(ふーん。そう云う事云っちゃうわけ? 偉くなったなぁ)
 ――う……。
(色色教えてやってんのにその云い草。あーぁ、悲しいなぁ)
 ――わ、……悪かったよ! でも、お前だって人の身体で好き勝手しまくってんだろ!
(あぁ。其の点は感謝かな。男の身体は女と違って受け身だけじゃないから)
 ――うぅ……。ガイ虐めるのやめろよ……。
(ガイが嫌がったらな)
 ――絶望的じゃねぇか!



 − はじまりはじまり。



 赤い髪の少年は窓辺に佇み、四角く切り取られた空を見ていた。思わず唾でも吐き掛けてやりたく
なるほど青い。その青の中に透き通った石が浮いている事がまた不愉快だ。
 この空は、少年が望んでいる空ではない。いや、それどころか、身の回りの全てが少年が望んでい
る物ではなかった。
 最も、其れを云い出したところで詮無い事である。
 だから彼は、叶いそうな希望をぽつりと呟いた。
「……青姦してぇな」
 ――うぉぉぉぉおおい! 昼間っから何云ってんだコラァァァァァァア!
 年齢制限に引っかかる単語を呟いた途端、少年の脳内に突っ込みの声が響いた。
 普通の人間なら驚くなり自分の脳みそを疑うなりしたかも知れないが、少年はこの異常事態に慣れ
ていた――と云うより、原因を知っていた。だから慌てる事も驚く事もない。ぼりぼりと頭を掻いて
その突っ込みに対して言葉を返した。
(喧しい。ささやかな希望にまで突っ込みを入れるな)
 ――どこら辺がどうささやかだ! 晴れ渡った青空見て云う台詞か! 空に謝れ!
(アホ。思考を持たない無機物に謝ってどうすんだ。なんも意味ねぇぞ)
 そう云って少年は赤く長い髪を背中に流した。その様は尊大そのもので、彼の立場を自ずと示して
いるように見えた。
 その様と物言いにカチンと来たのか。脳内の声はさらに云い返そうとして、ふいに黙った。少年も
同じく黙り込み、頭を軽く押さえる。
「……今日も来るかな」
 ――うっぜぇよなぁ……。
 お互いに呟いて、『二人』は『揃って』部屋から出た。
 ……同じ身体を二人で共有しているのだから、揃っても何もないのだが――

 *** ***

 彼らは、一つの身体を二人で共有していた。多重人格ではない。一つの肉体に二つの魂が宿ってい
るのだ。
 元々の身体の持ち主は、脳内の声の方である。彼は名を、ルーク・フォン・ファブレと云う。ファ
ブレ公爵家の嫡男であり、キムラスカ・ランバルディア王国第三位王位継承者と云う高い地位にある
少年だ。
 もう一つ。尊大な態度で年齢制限に引っかかる言葉を云っていた方は、鳴瀧晴佳と云う「女性」だ。
 そう。ルークの身体に入り込んでいるもう一つの魂は女性の魂なのである。しかし言葉遣いが雑な
ので、男の身体でも違和感はない。
 つまり、身体の持ち主はルークであり、晴佳はその間借り人と云う関係なのだが――どう云うわけ
か、身体の主導権は晴佳の方にあった。
 何故かはわからない。五年前、突然ルークの中に入り込んだ晴佳はあっと云う間もなく、その主導
権を奪ってしまったのだ。
 お陰でルークは自分の身体だと云うのに自由に出来ない。出来る事と云えば彼女にしか聞こえない
突っ込みを入れるくらいだった。
 最初は仲違いが激しかった二人だが、今ではそこそこ良好な関係を築いていた。
 この五年間で、ルークはそれなりに成長し惰性と諦めを学び、晴佳はそれなりの思いやりと譲歩を
覚えたからだ。

 周囲には多重人格と認識されながら、今日も二人は惰性と妥協とでなんとなく生きていた。
 本日、ND2018・レムガーデン・レム・23の日。
 この日までは――

 *** ***

 外に出た晴佳たちの視界に飛び込んだのは、色とりどりの花々だ。二人が気に入っている使用人の
一人、ペールが世話をする花を眺めると心が和いだ。
(綺麗だなぁ……)
 ――花なんて見たってつまんねぇよ。
(そうか? この花なんてガイに似合いそうだぞ)
 ――……なんか企んでね?
(失礼な。尿道に差し込もうかなって思っただけだ)
 ――最悪だ!
「ルーク様。おはようございます」
 花を眺めながらシモな会話――晴佳が一方的にだが――をしていた二人に、ペールが深々と頭を下
げて挨拶をしてきた。勿論、ペールに二人の会話は聞こえていない。老僕の視点から見れば、公爵子
息が花を愛で微笑んでいたようにしか見えなかっただろう。
「おはようペール」
 にこりと微笑み挨拶をすれば、ペールもまた嬉しそうに笑う。性格構成の八割が嘘と偽りの晴佳だ
が、好きな相手に対しては素直で優しい気質だ。それを、なんか詐欺くせぇなと、ルークは常々思っ
ている。
 何故ならルークは誰よりも、晴佳の本質を知っているからだ。ペールへの態度に嘘はないとわかっ
ていても、胡散臭いなぁと云う気持ちは消えない。
「その花が、お気に召しましたか?」
「あぁ。オレンジ色が綺麗だ」
「では後ほど、メイドに頼んでルーク様のお部屋へお持ち致します」
「いいのか?」
 ――げっ! やめろペール!
 ペールの好意に晴佳は素直に喜び、ルークは必死に拒否した。
 まぁ、あの会話の後では拒否したくもなるだろう。
「勿論で御座います。ルーク様のお心を慰められれば、この花とて本望でございましょう」
「有難うペール。宜しく頼むよ」
 ――あああああ……。お前の優しさが辛いよペール!
(ははははは。今日はお花プレイで決まったな! 夜が楽しみだ!)
 ――ぎゃー!
 今夜実行されるであろうガイいじめの内容を想像してしまい、ルークは頭を抱えたい気分だった。
身体の主導権は晴佳にあるので、抱えようとしても抱えられなかったが。

 *** ***

 執事のラムダスから、ヴァン・グランツの来訪を告げられた二人は部屋に戻った。後ほどファブレ
公爵――父から呼び出しがかかるだろうから、部屋で待機して欲しいと云われたのだ。
(今日は指導の日じゃないのにな。何しに来たんだか)
 ――どうでもいいじゃん!
(嬉しそうだな。謡将の企み知ってるくせに)
 ――だって師匠が来てる時には俺に主導権譲ってくれんだろ! 鍛錬も出来るし!
(あぁ。そっちね、うん。だよね)
 我が相棒ながら歪んだ好意だなぁと晴佳は思ったが、仕方ないとも思う。本来なら自分の身体だ
と云うのに自由に出来る時が決まっているのだ。その貴重な時間をくれる人に好意を寄せるのは仕方
がないかもしれない。
 晴佳が主導権を譲ってやればいい話なのだが、それは出来なかった。ただ見ているだけなんて自分
に出来るわけがないのだし。主導権は自分が持っていないと厭なのだ。
 自分も大概なぁ……と晴佳がため息をついた時。
 唐突に、二人は激しい頭痛に襲われた。
 ――うぁっ……!
「あー。きやがった……」
 晴佳は頭を押さえ、背後の扉にもたれる程度で済むが、これがルークだったなら蹲って呻いていた
だろう。現に今、うーうーとうめき声をひっきりなしに上げている。
 しばらく頭痛は続き、かすかな声が聞こえたかと思うと唐突に消えた。
「……ちっ。うぜぇったらねぇ……」
 ――此れのお陰で俺ら、頭可笑しい奴みたいだよな。
(全くだ。あーぁ。早いところ解放されてぇよったく……)
 また晴佳がため息をつきベッドに座ったところで、扉が叩かれた。呼び出しかと思い、入れと返事
をする。
「失礼します、ルーク様」
「あれ」
 ――ガイ!
 てっきりメイドか白光騎士かと思いきや、入ってきたのはオレンジ色の花が生けられた花瓶を抱え
た使用人、ガイ・セシルだった。
「ペールからのお届け物です」
 ――うあーん……。持って来ちまったし……しかもガイが。
 笑顔で云われ、ルークは泣きが入った。何故ならその花は、晴佳が使おうと思っているものなのだ。
……ガイ虐めに。
(ははははは。ウケるな。何も知らず、今夜自分を苛むものを自分で持ってくる辺りが)
 ――お前ほんと酷い。
「あぁ。ご苦労さん。そこに置いてくれ」
「はい」
 笑顔で頷いて、ガイは背の低い衣装ダンスの上に花瓶を置いた。花瓶の下に上等な布を敷く事も忘
れない。使用人然とした男の背中を眺め、晴佳はニヤリと笑った。
 ガイ・セシルは表向きファブレ家、ルークお抱えの使用人だ。
 そう、表向きは。
 彼はファブレ公爵――ルークの父に攻め滅ぼされたマルクト帝国ホドの領主、ガルディオス家の生
き残りだ。この家に入り込んだのは復讐のためだと、晴佳もルークも知っている。
 元々晴佳が某意識集合体から聞いていたせいもあるが、彼が自らそれを告白し、赦しを乞うてきた
ためより詳しく知る事になったのだ。
 二人は全てを話した後のガイに、
『復讐のために入り込み偽りで仕えて来た身の上ですが、貴方に生涯仕えたいと願っています。どう
か、お傍に置いてください』
 その言葉とともに土下座されてしまった。
 晴佳としてもガイは可愛いので手放したくなかったし、ルークも片想いの相手だったので解雇など
絶対にしたくなかった。
 だから二人はその懺悔を受け入れた。誰にもガイの素性を話さず、それが露見しそうな要素を片っ
端から潰した。
 それ相応の覚悟を持って。
 ガイがもし家の者に手を出そうとしたならば――自分たちで処分しようと決めて、二人はガイの素
性を隠し続けている。
「……ガイ」
「はい、ルーク様」
 呼ぶとガイはすぐに返事をし、晴佳たちの前まで来て跪いた。
 ――おい。
(何だよ)
 ――……何する気だゴルァ。
(ナニに決まってんだろ。時間ないからちゃっちゃか行くぞー)
 ――ぎゃー! 逃げろガイ!
 ルークが叫んだが、勿論ガイに聞こえるわけもなく。彼は馬鹿正直に晴佳――彼にとっては『ルー
ク』だ――へ跪いたままだ。
「顔を上げろ」
「はい」
 云われるままに顔を上げたガイは、虚ろな青い目で晴佳を見つめた。顔を上げた拍子に、黒い首輪
につけられたドックタグがしゃりんと涼しい音を立てる。
 硝子のように虚ろな、病んだ目。
 『ルーク』への忠誠心とファブレ家への憎しみに板ばさみされたガイは、心を病んでいた。ぐるぐ
るどろどろと考え続けた結果ガイは、何も考えなければいいと云う結論に至ったのだ。
 ただ諾諾と『ルーク』に従っていれば良いのだと、『ルーク』の事以外考えなければ良いのだと。
 そう云う結論に至ってしまった。
「可愛い可愛い。俺の――ガイ」
 その言葉に対し、にっこりと安堵の笑みを浮かべたガイに晴佳は微笑んで。
「……精々泣き喚いてくれ。俺が楽しめるようにな」
 靴を履いたままの足で、ガイの股間を踏みつけた。

 ――お前、本当に……最悪。



 了


 修正 2010/06/06