東京都選抜と云うチームが出来上がって間も無くの事。
能力のみで集められたチームに、絆などなかった頃。
MF上原淳が、黒帝王の異称を付けられる直前の出来事。
それは東京選抜補欠の片割れ、風祭将の一言で始まった。
「上原君って……英士君と仲がいいよね」
「ふへぃ?」
− 上原様の高笑い。
黒川柾輝が作って来たマフィンを、口いっぱいに頬張っていた上原淳は、将の突然の言葉にくぐもっ
た声で返事をした。
もごもごごと口をハムスターのように動かして口の中のマフィンをきっちりと飲み込んでから、上原は
口を開く。
行儀が悪そうに見えて、マナーの躾はしかりとされているらしい。
「いきなり何ー?」
「別に。……ただ、見てて、二人とも仲がいいなって思っただけだよ。それだけ」
それだけ、と云う割りに、その表情は不満でいっぱいだ。
明らかに己の言葉――つまり、上原と英士が仲が良いのを気に入っていない様子。
目を逸らした先に視線をやってみれば、毎度のように怒りながら英士を蹴り倒している晴華と、その
蹴りにうっとりと恍惚の表情を浮かべる英士がいた。その二人の側には偶然にも木田と桜庭が居て、
呆れた表情をしながらマフィンを頬張っている。
鈍感だったり頭がちょっと足りてない人間だったならば、将が何を思いその光景を見ているかわから
なかっただろう。
しかし。
幸か不幸か。
感知者と名高い伊賀や森の守護神渋沢以上に、上原はこの手の事に関して鋭かった。
ちなみに。
その事実を知った時、「それを試合に生かせよ。役に立たないな!」と正面から云った翼は、何故か
二週間連続で悪夢を見続けて発狂しかかったらしい。原因は不明だが。
ジッと将の横顔を見ていた上原が、首を傾げつつニコリと笑って、
「……風祭さぁ、もしかして俺に妬いちゃってるのー?」
そう云った。
笑顔で云い放たれた言葉に、将の顔が瞬く間に赤くなった。点火の音が聞こえそうなくらい、一瞬で
真っ赤になったのだ。
驚くくらい血色を良くした将は、泡を食いながら両手を無意味に上下に振った。何やら小動物染みた
動きが愛らしい。
慌てる将を微笑ましげに見ていた上原が、またさらりと云う。
「実は独占欲強いよなー、風祭ってー」
今度の言葉は、将の動きをうっくと止めた。上原はにこにこ笑っている。
将は少し俯き加減になると頬をむぅと膨らませ、上目遣いに上原を睨んだ。その可愛さと云ったらロ
ケットランチャーなど玩具だね、ハンッ、と鼻で笑い飛ばせそうなくらいだった。
現にうっかり目撃してしまった水野が問答無用で鼻血を噴き、美味しいマフィン(紅茶味)を血色に
染め上げていた。もちろん食べ物を粗末にする水野には、「黒川の美味しいお菓子に何してんの俺
怒るよー?!」と云う叫びと共に藤代のタックルが喰らわされる。
藤代、順調に餌付けされている模様。
さて、外野は置いておいて。
「だって……」
頬を膨らませた将は、むくれた表情のままに云う。
「いつも皆して僕の事、蚊帳の外にして。晴華さんと英士君くらいしか僕に構ってくれないし……。二
人にまで……蚊帳の外にされちゃったら、僕……」
ぼしょぼしょと、小さな声。
それを聞き取った上原は、彼にしては珍しく「あー……」とはっきりしない、困り気味の声を上げた。
――確かに、選抜メンバーのほとんどは将の事を蚊帳の外にしている。しかしそれは、イジメだと
か嫌がらせだとか、そう云う事ではないのだ。
将に対して特別な感情を抱いた一部の人間が、彼に気を掛け捲った挙句に晴華の逆鱗に触れ、
人外魔境の争奪戦を繰り広げる。晴華も横恋慕連中も軽く人間離れしてしまっているから、も
う色色シャレならない戦いになるのだ。
それに恐れをなし、火の粉が降りかかるのを嫌がる残りメンバーは、極力将に関わらないようにし
ている。
少し手がふれた、挨拶をしただけで身も凍るような嫉妬の視線にさらされれば、距離を取りたくも
なる。君子危うきになんとやら、だ。
こんなにも分かりやすい構図に気付いていないのは、戦いの火種である将自身と東京選抜聖域
と影でこそりと云われている、小岩、間宮、小堤くらいのものだった。
「……風祭って、面白いなぁー」
真剣に悩んでいる将には申し訳ないのだが、上原は素直にそう口に出した。
何故そう云われるのかわからない将は、落ち込んだ顔を引っ込めてきょとりとした。
「え? 僕……面白い、の?」
「うん! すっごく面白い! 今まで周りにいなかったタイプ!」
こんな純粋な人間が存在するのだと、将に出会うまで上原は知らなかった。本やドラマで描かれ
る、天使のように綺麗な心の人。そんなもの架空だ、存在するわけがないと思っていたのに。
男たちが目の色を変え恋するような、ある意味選抜一の人気者――アイドルだと云うのに。その
事実に欠片も気付かない。
神経を疑うような争奪戦が目の前で繰り広げられていても、「みんな仲がいいんだね」と悪意一片
ない笑顔で終わらせてしまう。
それなのに、上原と英士の仲に妬く。
ただ優しいだけじゃない。嘘みたいに白くない。純粋で純潔で、でも人間臭いところもちゃんとある。
そんな人間がいるなんて。まさか、サッカーを通じて出会えるなんて。
なんだか運命的だ。よく考えてみると、凄く嬉しい事だ。
むずむずと身体が疼く。この衝動はよく知っている。自分が求めている事なんて、自分が一番よく
しっている。
だから上原は、
「もー! 風祭最っ高ー! 好き好き超好き愛してるー!」
「わぁ?!」
心のままに目の前の将を抱きしめた。抱きしめて、あははははと楽しげに笑う。
突然の抱擁に最初は驚いたものの、冗談のように云われた好きも、抱きしめてくる身体のぬくもり
も嬉しくて、笑いながら将は抱き返そうとした。
――のだ、が。
「ぅえはらァァァァァァァアァァアッッ!」
響き渡る怒声。
その怒声の主も、それに伴う行動もわかっていた上原は、将を抱きしめたまましゃがみこんだ。途
端、今まで上原の頭があった場所を鋭い衝撃が通り過ぎた。
「え?! な、何?! どうしたの上原君?!」
上原に抱きしめられたまま、状況がわからない将は慌てた声を上げる。
その質問に答えず、上原はぽやぽやとした柔らかい笑顔のまま、自分に攻撃を――飛燕の如き
飛び蹴りを仕掛けてきた人物を見ていた。
可憐な容姿と裏腹に、獅子の魂を宿したDFの長――女王、椎名翼である。
「上原ぁ……!」
外見にまったく似合わないドスの効いた低い声を、翼は発した。ぽやぽやした笑顔を睨みつけ、
断罪でもするかのように指先を突きつける。
「よくもまぁ、この僕の前で将を抱きしめていられるもんだね! その無防備で純粋そうなボケ面に
騙されたよ僕ともあろう者が! 僕の! 僕の将を軽々しく抱きしめるだなんて正気の行動とは思
えないね! 盛りのついた犬と変わらないじゃないか! しかも、どさくさに紛れて告白までしやがっ
て! 覚悟は出来てるんだろうねこの平和ボケした馬鹿面ヒヨコォォォォオッ!」
どうやら。
翼にはとてもできない行動をさらりとやられてしまった事が、彼の逆鱗に触れてしまったようだ。
快調に滑り出すマシンガントークにほとんどのメンバーが、
「あーぁ……。上原も可愛そうに……」
「風祭なんかに構ったりするからだよ」
「椎名もさぁ……。上原相手にあそこまで云う事ないんじゃね?」
ぽそぽそと小声で同情する中。
晴華、英士、桜庭、杉原の四人は――
「……」
「……」
「……」
「……」
顔色を真っ青にして、翼を見ていた。おまけに硬直している。
たとえ隕石が落ちてこようと顔色一つ変えないだろう英士や杉原までそうなっている事に、渋
沢はかすかに疑問を覚えたものの特に突っ込まなかった。
ちなみに、晴華は突っ込みくらいは入れるだろうし、桜庭は極一般的な反応を示すだろうから除
外である。
つと、正気に戻った杉原がダッシュで聖域三人組と龍女の元へ行き、慌ててその場から離脱した。
桜庭もまた、木田の手を取って杉原達の後を追う。晴華と英士は冷や汗を掻きながら恐る恐る上
原に近づいて将の身柄を受け取ると、将を抱えるようにしてやはり杉原達の後を追った。普段は滅
多な事では見せない、全力疾走で。
「晴華さん?! 英士君も! 一体どうしたの?!」
「とにかく逃げるよ将!」
「翼のアホがァァァァアッ! あっちゃんになんて恐ろしい事をー!」
大慌てで逃げるように走る彼らの背を、残されたメンバーたちはきょとんと見送った。個性溢れる
選抜メンバーの中、特に異色である彼らが逃げる理由が思いつかないのだ。上原を責め立ててい
た翼も、彼らの意外な行動に首を傾げている。
さて、当の上原は。
「へ? 耳栓? するのか?」
柾輝に「爽快安眠! どんな音も通さない!」のキャッチフレーズも眩しい耳栓を渡して、付けるよ
うに促していた。
首を傾げながら、でも素直に耳栓を装着した柾輝に向かって微笑み、離脱した将たちの姿が充分
に遠くなったのを見てから。
上原は、すぅ……と静かに深く、息を吸った。
*** ***
その後。
一体何があったのか誰も語りたがらない。
グラウンドに沈みうめき声を上げるメンバーの中、唯一無事だった柾輝でさえもだ。
しかしそれからと云うもの。
上原淳は彼にとっては不名誉な事に――「黒帝王」の異名を授かり、東京選抜における禁忌の存
在として噂されるようになり。
誰一人として、上原に歯向かう者はいなくなったと云う。
了
あづさ様へ捧げます。
加筆修正 2010/01/18
