震えながら手渡された小さな包み。真っ白な布を茶巾の形にし、口を桃色の紐で結わえている。
 お口に合えばとこれまた震えた声で云われた。
 鳴瀧晴次はにこりと微笑み、有難う御座いますと慇懃に礼を述べた。そしてすぐに、紐を解く。
 目の前の少女が目を見開いた。晴次の素早い行動に驚いたのだろう。
 布の中から現れたのは、南蛮の焼き菓子だった。輸入品を何度か口にした事はあったが、素人
が作った物は無かった。
 一つ指先で摘み上げ、さくりと噛み締める。途端、晴次は噎(む)せた。目の前の少女の顔色が、
サッと青くなる。
 三度、四度と噛み締めて飲み込んでから、晴次はすいませんと謝った。
 想像していたより甘くて、驚いてしまいました。そう云えば少女の顔色は青から赤に変わり、消え
入りそうな声で御免なさいと謝罪された。
 謝って欲しかった訳ではない。だから晴次は出来うる限りの優しい笑みを浮かべ、一言、とても美
味しいですよと云った。



 − 優しい味。



「で、これが今日の戦利品か色男」
 授業後の食堂にて。本を読みながらビスコイトを食べていた晴次に絡んだ竹谷八左ヱ門は、感心
と呆れの入り混じった微妙な表情で云った。
 その言葉に対して、晴次は上品に苦笑する。
「戦利品だなんて、下品な云い方しないで下さい。くの一教室の可愛いお嬢さんから頂いた物ですよ」
「羨ましいこった」
 半ば本気、半ば恐怖を込めて八左ヱ門は云う。
 くの一教室と云えば、見た目は愛らしいが中身は凶悪なくのたま達が集う場所。忍術学園に所属
する忍たまならば、まず真っ先に苦手意識を持つ場所だ。
 何故ならどの学年も例外なく、彼女らの”洗礼”を受けるからだ。幼い頃受けたトラウマのせいなの
か、学年が上がりたとえ最上級生になっても、忍たまの胸の内に巣食うくの一への恐怖は中々消え
ない。
 だと云うのに目の前のこの男。入学してから今まで、一度たりともくのたまに苛められた事がない
のだ。
 池に蹴り落とされた事も無ければ、罠に嵌められた事も無い。毒入り菓子を食わされた事も無け
れば、理不尽な暴力を受けた事も無い。
 いや、苛められない所ではない。むしろ愛されまくっているのだ。
 街へ一緒に行きましょうと誘われる。廊下を歩いていて黄色い声を上げられる――たとえトイレッ
トペーパーを大量に背負っていようと!――。今回のように毒の入ってない食べ物を差し入れられ
る。果てはくの一教室へご招待までされる好待遇。
 学園始まって以来の奇跡の色男呼ばわりも、仕方の無い事である。
(特別顔が良いって訳でもないのになぁ)
 勿論、醜男ではない。だが、正統派美形である食満留三郎や善法寺伊作、「美人」の形容詞が学
園で最も似合う立花仙蔵らと並ぶと、やはり見劣りはする。要は十人並みの顔立ちなのだ。
 つくづくと、八左ヱ門は不思議に思う。立花達が黄色い悲鳴を上げられるのは当然だと思うが、何
故こいつがそうまで愛されるのか。
(いや、こいつがいい奴だってのはよく知ってるよ? 俺だって好きだし。でもさぁ……)
 異性にモテるようには、思えないのだが。
(……って、こりゃもてない男の僻みだよな。みっともねぇ)
 つらつらと考えて、はぁとため息を一つ。
「とりあえず一つよこせ」
「あ」
 見っとも無いついでに、ビスコイトを一つ奪い取る。許可を取る必要もあるまい。色男への嫌がら
せも兼ねているのだから。
 晴次が止める間もない速さで口の中に放り込み、咀嚼した瞬間。
「……?! うごほっ!」
 舌をぴりぴり刺激する塩味に、八左ヱ門は咳き込んだ。何と云う不意打ち。ビスコイトは甘い物と
云う常識を覆されてしまった。
 吐き出すのは何とか耐え、音を立てて嚥下する。すぐさま晴次が己の湯飲みを差し出してきた。
「蜂蜜入りのお茶です。どうぞ」
 素直に受け取り一口頂く。塩味に支配された口内に広がる甘味に、ようやっと安堵を得た。
「……ぶはぁっ! 何だこれ!」
「勝手に食べておいて何て言い草ですか」
「う……、わ、悪い……。いや、でも、勝手に食べて悪かったけど、此れは無いだろ!」
 紛う事無き逆切れと云う奴だったが、それでも八左ヱ門は怒鳴った。ビスコイトの形をした小麦粉
焼き(塩味)を指差す。
「お前だけはくのたまに嫌がらせされねぇと思ってたのに……!」
「あぁ、此れはわざとじゃないみたいですよ」
「は?」
「純粋な失敗でしたようで」
「はぁ〜?」
 くのたまが、失敗? いや、彼女たちとて人間で、しかも自分と同じく学習中の身だ。失敗くらいす
るだろう。そうは分かっているのだが、八左ヱ門の中で彼女達はなんでもそつなくこなす、と云う印
象が強い。だから失敗と云われてもピンと来なかった。
「焦る余り、味見も出来なかったんですねぇ」
 云って晴次はまた、小麦粉焼き(塩味)を抓んだ。それを見て、八左ヱ門は慌ててしまう。
「お、おいおい。止めとけって。血圧上がっちまうぞ」
「蜂蜜で中和してますから、大丈夫ですよ」
「そんな中和方法聞いたことねぇよ!」
「私も初耳です」
「ちょ、おま」
 止める八左ヱ門をのらりくらりとかわしながら、晴次はひょいひょいとビスコイト(塩味)を片づけて
行ってしまう。
「お、おいおい、大丈夫かよ」
「えぇ」
 塩味のビスコイトを食べているとは思えない、涼しい顔で頷き、
「とても美味しいですから」
 聞き捨てならない言葉を云った。
「……お前、味音痴だったっけ?」
「いいえ。育ちは良いですから、それなりに肥えています」
 他の人間が云えば顰蹙を買いそうな言葉も、晴次が云うとまったく厭味に聞こえない。此れも一種
の才能と云うのだろうか。
 さくさくさく。最後のビスコイト(塩味)を丁寧に咀嚼し、音を立てずに嚥下する。
 そして、呆気に取られている八左ヱ門に向かって、真顔で一言。
「僕を想って作られた物が、美味しくないわけ無いでしょう」
 とても自然に、当たり前のように、そう云った。
 八左ヱ門は、返す言葉を持っていなかった。

 *** ***

 塩味ビスコイト事件――八左ヱ門が勝手に呼んでいるだけだが。心の中で――から三日後の昼休
み。昼食を終えた八左ヱ門は自身の教室へ向かって居た。
 その途中。一つ上の先輩方である潮江文次郎、七松小平太、中在家長次の三人が、裏庭に面した
窓から外を眺めていた。
 潮江は何故か憤慨しており、七松は唇を尖らせ、中在家は常の無表情だった。
「先輩方。どうしたんです、そんな所に集まって」
「お! 竹左ヱ門! いい所に来た! ちょっと見てみろ!」
「俺の名前は竹谷八左ヱ門ですよ、七松先輩。……って、一体何です?」
 聞けば中在家が無言で退き、顎を動かした。とにかく見ろ、と云う事らしい。
 首を傾げながら元は中在家の居た場所から顔を覗かせれば、当然裏庭が見えた。そして、其処に居
る人間二人も。
 一人は桃色の忍び装束を纏ったくのたま上級生。もう一人は自分と同じ五年生――
「あ、晴次だ。また呼び出し食らったんか」
「全く持ってなっとらん!」
「うわっ」
 独り言を呟くとほぼ同時に、潮江が怒鳴った。驚く八左ヱ門など気にも留めず、頭から湯気でも出しそ
うなくらい顔を赤くしながら、潮江の怒声は続く。
「何だあいつは! 忍者の三禁にあぁも容易く嵌まりおってからに! 学園内に置いて不純異性交遊な
ど言語道断! 忍たまとしての自覚が足りんとは思わんか八谷竹左ヱ門!」
「竹谷八左ヱ門ですって。……まぁ、確かにあいつは男女関係派手ですけど、引き際は分かってますか
ら」
 名前を間違われながらも同輩を庇うが、学園一ギンギンに忍者している先輩は聞いていない。けしか
らんとか、伊作はどう云う指導をしているのだとか、怒鳴り続けている。
「てゆーかさー。何であいつってモテるんだ? 留ちゃん達みたいに美形って訳でもないし、成績だって
特別ゆーしゅーって訳でもないしさ。育ちは良さそうだけど、女の子ってそう云うのにウケるの?」
 唇を突き出し、拗ねたような表情で七松が云う。
 それは八左ヱ門自身も疑問に思っていた事だ。
 顔は十人並み。個性派とは云い難い穏やかな人格。模範生ではあるが上位には食い込まない平均
的な成績。慇懃な口調。武家の出ではあるが次男坊。果ては五年連続で不運委員会所属。
 一体どこに異性に好かれる要素があるのか分からないと、忍たま達の多くは思っている。
 晴次とは友人であるが、八左ヱ門自身にも分からない。けれど、変だとは思わなかった。
(悔しいけど。……負け、認めたみたいだけど)
 ――僕を想って作られた物が、美味しくないわけ無いでしょう。
(俺は、あんな風に云えない)
 軽く、ため息を一つ着いて。
「……いい男スから。あいつ」
 ぽつりと呟いて、八左ヱ門は挨拶もそこそこに窓辺から離れた。先輩らが何事か云っていたが、気に
しない事にする。
 窓から吹き込んだ風が、八左ヱ門の髪を揺らした。その風に目を細めて、晴次が戻ってきたら戦果を
聞こう決めた。



 了


 鳴瀧晴次がどんな子なのか掴むために書いた話でした。
 竹谷と晴次のコンビが好きなのかも知れない……(自論は〜でもこの二人だった……)