振り下ろした足は、確実にその生き物の命を奪っていた。
 ついうっかり、気付かなかった、わざとじゃない――どの云い訳も使えない。何故なら自分は、明確
なる殺意を持ってその足を振り下ろしたからだ。
 伊作の不運が感染したのだろうか。このように決定的な瞬間を目撃されるとは、天文学的な確率で
はないだろうか。いや、見られなければ良いと云う事ではない。たとえこの瞬間を見ていなくとも、その
柔らかな心は傷付いたに決まっているのだ。
 けれど云わせて貰えるなら、憎悪からの行動ではなかった。側に薬草園があったから、これは不味
いと思っただけだ。いや、それでも――殺すまでせずとも、持ち上げて移動させれば良かっただけの
話。それをしなかったのは、やはり、僅かなりとも怒りや憎しみを持っていたのかも知れない。
 そんな気持ちがあったから。
 愕然とした瞳でこちらを見ている幼子に、なんと言葉をかければ良いのか。
 立花仙蔵にはわからなかったのだ。



 − 嫌いにならないで。



 全力で走り走って、仙蔵は食堂へと駆け込んだ。その場に居た人間が何事かと目を見張っているが、
仙蔵には関係のない事。目的の人物を素早く見つけ、その足元へと縋りついた。
「留三郎ォォォォォォオ! 私を、私を撲殺してくれ!」
「ぎゃぁ味噌汁がこぼれる! ……って、何だいきなり! 昼飯時に血腥ぇ事云ってんじゃねぇ!」
 縋りつかれた食満留三郎は無情にも、足を使って仙蔵の体を振り払った。
 普段ならば「冷たい留三郎も素敵だ!」と間違った方向に乙女回路を発動させるのだが、今の仙蔵
にその気力はなく、振り払われたまま床に突っ伏してシクシクと嘆く。
 その姿に同情したのか、留三郎と食事を取っていた善法寺伊作が「大丈夫?」と声をかけて来たが、
仙蔵は身を起こさず突っ伏したままでいた。
「おい、……おいおい、何だ、どうした? 腹にでも当たっちまったか?」
「もー。留さんが足で振り払ったりするから」
「悪かったよ。謝るって。ごめん仙蔵。仕返しに殴ってくれていいから、顔上げろよ」
「…留三郎。こんな時までいい漢なお前が憎い」
 上半身だけむくりと起こした仙蔵の顔を見て、留三郎と伊作は思わず顔を見合わせる。普段からは
想像も出来ない、憔悴しきった顔をしているからだろうと、自分でもわかった。
「私は……、私は最低の人間だ……。今日ほど自分が生まれて来た事を後悔した日はない……!」
「……重症だ」
「重症だね……」
「だけど己の手で己を痛めつけるのも苦しめるのも御免だ! つまり自害はしたくない! 死ぬなら
畳の上で老衰か、留三郎の手に掛かるのがいい! だから私を殺してくれないか留三郎ォォォオッ!」
「お前贅沢なのか謙虚なのかどっちかにしろ!」
「いやいや留さん、そう云う問題じゃぁ……」
 突っ込み所を間違えている留三郎に、普段はボケ役の伊作が突っ込みに回った。
「ほら、仙蔵も落ち着いて。お茶でも飲む?」
「やめてくれー。私は優しくして貰える資格なんてないんだー。最低人間なんだー」
「いやだからって、そこに突っ伏してたら他の皆に迷惑だから……」
「やっぱり死んだ方がいいんだー! 生まれてきて御免なさーいッ!」
「あああああ、違うってばぁ」
 おうおうと泣き崩れた仙蔵の耳に、留三郎のため息が聞こえて来る。
「こら仙蔵。伊作が困ってるじゃないか。ちゃんと座れ」
「うん、わかった」
「あっれぇ素直?!」
 あっさり身を起こし席についた仙蔵に、釈然としないものを感じたのだろう。伊作は思わずと云った体
で突っ込んで来た。
 仙蔵にとっては労わる伊作の慈愛に満ちた言葉より、淡々とした口調で伊作の事だけ気遣っている
留三郎の言葉の方が効き目があるだけの事だ。驚かれる話ではない。
「ううう、仙蔵ったら留さんの云う事はよく聞くんだからぁ」
「そうかぁ? まぁいいや。で、何があったんだよ、仙蔵」
 いかにも食事の片手間に的な態度で留三郎が問う。だが、問われても仙蔵は答えられない。いや、
答えたくないと云った方が正確か。
 自分は許されない行いをした。だから留三郎に命を絶って欲しいと願った。けれど、その「許されな
い行い」自体を説明し、彼から軽蔑されるのは厭だった。
 我ながら我が侭だと、仙蔵は小さく息を吐く。
 それでも、好いた相手から軽蔑の眼差しと言葉を頂戴したくはなかった。
「……云いたくないんだ」
「ふーん……別にいいけど。そもそも、任務でも自己防衛でも無いのに人殺したくねぇし。割りに合わねぇ」
「うぅぅ……」
「留さん、率直に云い過ぎだよ……。もう少し優しく云ってあげたっていいじゃないか」
「じゃぁあれか。正直に仙蔵は大事な人だから俺の手で殺すなんて厭だ、長生きしてくれって云った方
が良かったか」
「生まれて来て良かった! クーデレ万歳ッ! 私は百歳まで生きるぅぅぅぅうっ!」
「仙蔵ー! 留さんの一言一言に踊らされすぎだってば!」
「……何を騒いでるんだ貴様らは」
 傍迷惑に騒ぎまくる三人に、静かな低い声が掛かる。振り返って見れば、鉄仮面が――もとい、鉄仮
面のような無表情がこちらを見下ろしていた。
 声を掛けてきた人物に対し、驚きのあまり硬直した仙蔵と伊作だが、留三郎は平然と片手を上げて挨
拶をする。
「よぉ、大治郎。外出たぁ珍しいな」
「あぁ、久々に日の光を浴びた。俺としては後三日は篭っていたかったんだが、緊急事態でな」
 硝煙蔵の主、三無の王、鉄仮面、六年は組の引き篭もり――等、数多のあだ名で呼ばれる六年生、
下関大治郎その人が、常の無表情に加え鋭い三白眼を持ってして仙蔵を見下ろす。
 授業には出ず学園生活のほとんどを硝煙蔵で過ごしているため、火薬委員と仙蔵や三木ヱ門など火
器を得意とする生徒以外は滅多にお目にかからない相手だ。あまりの出現率の低さに、「偶然会えたら
その日一日ラッキーデー」なるジンクスまで持っている。一部では幸運の神様扱いまでされていると云う
から笑える話だ。
 そんな奴が昼間の食堂に顔を出した事にも驚きならば、その鋭い三白眼に感情を見せている事にも
驚きだった。あの、何も思わせない、何事にも乱されない、鋼鉄の如き瞳が今――密やかな怒りに燃え
ている。
 彼を怒らせる真似をしただろうかと仙蔵は考えて――すぐに思い当たった。
 そうだ。大治郎はアイツと――
「立花仙蔵」
「な、何だ」
「今すぐ硝煙蔵に出頭しろ。拒否は認めん。――理由は分かっているな?」
「うっ……」
 分かってはいるが、頷き辛い。と云うか、大治郎が怖い。大人しく付いて行ったが最後、硝煙蔵の闇
に葬り去られそうだ。
 自分の罪を思えば命の一つや二つ、差し出すのも止む無し、かも知れないが、大治郎に殺されるの
は厭だ。息の根は留三郎に止めてもらいたい。
「おいおい、何だってんだよさっきから。一体何が起こってるんだ?」
「何だ、知らんのか? 実はな……」
「わー! わー! 云うな! 留三郎には云うな!」
「……貴様、そんな事を云える立場か……?」
「分かった! 行く! すぐに行くから! だから頼む! 留三郎にだけは……!」
 必死になって拝み倒す仙蔵に思う所があったのか、大治郎は大きくため息をつくと一言、「わかっ
た」と云った。
「ならば先に行け」
「わ、私が行った後に告げ口しないだろうな?!」
「そこまで卑劣な真似はしない。……さっさと行け」
 くいと顎で出入り口を示される。誇り高い仙蔵にとって大治郎のその仕草は酷く腹立たしい物だった
が、この場の主導権を握っているのは彼だ。逆らえば、仙蔵の罪を全て留三郎にばらすに違いない。
 それだけは厭だった。
 たとえ他人が聞けば笑えるような話であっても、仙蔵はただ一人、食満留三郎にだけは知って欲し
くなかった。
 それが、恋心と云うものだろう。
「……すまん、留三郎。騒がせたな」
 静かに席を立ち云えば、気にするなと手を振られる。それに小さく笑みを浮かべてから、仙蔵は食
堂から出た。
 後ろから「あれ、僕には? 僕には一言もないの仙蔵〜?」と情け無い声が聞こえてきたが、あえて
無視した。

 *** ***

 云われるまま硝煙蔵の前まで来てみれば、大治郎の腰巾着――もとい、五年い組の久々知兵助が困
惑し切った様子で蔵の中を窺っていた。挙動不審なその姿に、思わず眉根を寄せてしまう。
「……久々知? 何をしているんだ?」
「え? ……うわ、本当に来た」
「は?」
 いつもの癖で気配を消したまま声を掛けたが、大して驚いた様子を見せない久々知に感心する。だが、
意味のわからないと云うか――聞き捨ててはならない言葉を、云われたような。
「いえ、何でもありません、こっちの話です。では、私はこれで」
「え、おい、ちょっと待て」
「蔵の鍵はウチの委員長がお持ちですから、戻ってくるまで待っていて下さいね」
 云い終えるやいなや、久々知はさっさか居なくなってしまった。引き止める間もない。あっと云う間に草
木に紛れ見えなくなってしまった。
「……一体何だと云うんだ……」
 途方に暮れ掛けた時、硝煙蔵から声がする事に気がついた。声、と云うか、啜り泣き声、と云うか。
 此処が学園有数の心霊スポットである事を思い出してゾッと背筋を粟立たせた仙蔵だが、そのまま
背を向けて脱兎するような情け無い真似はしなかった。そもそも、仙蔵は自論として幽霊はいないと
考えている。その自分が此処で逃げては己の考えに矛盾が生じてしまうではないか。
 一つ、大きな深呼吸をして、仙蔵はそっと蔵の中を窺った。
 火器は厳禁、湿気は大敵のため火の気は無く大きな窓も無く、中は昼でもほの暗い。帳簿付けや委
員会議をする際には、別所にある『火薬委員室』を使うそうだから暗くとも構いはしないのだろう。
 目を凝らす。蔵内にある座敷――本来は委員の小休憩に使われるのだが、今や大治郎の寝床扱いだ
――に、小さな塊があった。どうやら、その塊が泣いているらしい。
 さらに目を凝らしてみれば、その塊の正体が仙蔵にもわかった。
「あっ……!」
 忍びとして失格だが――思わず声を出してしまった。しかも、中の塊にもばっちり聞こえてしまう
くらい大きな声で。
 途端、塊がビクンと動いた。しまったと慌てて口を塞ぐが後の祭り。
「……たちばなしぇんぱい……?」
「う……」
 思った通りその小さな塊は、今仙蔵が最も会いたくない人物――山村喜三太だった。
 薄暗いせいでよく見えないが、低学年特有の柔らかな丸い頬が真っ赤になり、涙で濡れているのは
分かった。オマケに鼻水まで出ている。
 普段なら一年生がそのように泣いていれば、側に行って慰めるなり喝を入れるなりする仙蔵だが、
今はそのどちらの行動にも移る事が出来ず、柄にもなく硬直してしまった。
 今、喜三太が泣いている原因は、間違いなく自分なのだから。
(ど、どうする? どうする私……?!)
 一瞬の迷いが命取りになるのが忍び。そのような基本中の基本、厭になるくらい分かっている仙蔵
だったが、それでも迷ってしまった。
 踵を返して逃げれば、傷心の喜三太をさらに深く傷つけてしまうだろう。かと云って、謝って済む問題
でもない。
 いや、違う。
 謝って、それでも、許して貰えなかったら――
「ふっ……う、うえぇ、えぇぇえぇ……っ」
「っ?!」
 こちらを呆然と見ていた喜三太が、声を上げて泣き始めてしまった。驚き、一瞬頭が真っ白になっ
た仙蔵は、理性ではなく本能のままに身を動かした。
 蔵の中に駆け込み、喜三太が蹲る座敷に上がり込んだのだ。そして手を伸ばし、頭を撫でようとし
て――また硬直した。
(私は……何を……)
 頭を撫でる――そんな、良い先輩のような真似、もう許されやしないのに。
(何て、身勝手な人間なんだ……)
 身を縮め、両手で顔を押さえて泣く喜三太を見下ろして、仙蔵は震えた。
 この子を深く傷つけて泣かせたのは間違いなく自分なのに、完全に背中を向ける事も出来ず、かと
云って謝罪も出来ず、何とも中途半端な気持ちのまま側に来た挙げ句ふれようとまでしてしまった。
 先の食堂に居た時とてそうだ。自分の気持ちばかり優先して留三郎に迷惑を掛け、罪を告白する事
も出来ず逃げてばかり。
 己の情けなさに、吐き気さえする。
(……謝らねば)
 たとえ許されなくとも、この悔いる気持ちを伝えなければ。云い訳になろうとも、お前を傷付けたかっ
た訳ではないのだと、言葉にしなければならない。
「喜三――」
「ごめんなさいぃぃ……」
 喜三太の口から漏れた言葉に、三度目の硬直をしてしまった。
 今、喜三太は、ごめんなさいと、云ったか?
「……うぇ、っく……ごめ、ごめ、なさ……っ」
 鼻水を啜り顔をこすりながら、何度も謝る喜三太の姿に仙蔵は正気に戻った。懐から手拭いを取り
出し――それが臭っていない事を確認してから――、喜三太の顔を拭う。
「喜三太……。何故、謝るんだ? 謝るのは私の方だろう」
「だ、だって、だってぇ……」
 しゃくりあげながら必死に言葉を紡ぐ喜三太の背中を撫でる。少し咳き込みながらの、言葉が続い
た。
「せ、先輩、あ、あんな事っ、したの……ぼ、僕が、悪い子、だ、から……っ」
「何を……」
「ぼ、僕、僕、先輩、おこ、怒らせて、ばっが、でっ、……き、嫌われちゃった、んだ、って……っ」
「……っ」
「先輩、や、やさ、優しいのに、あんな、事、させちゃう、くらい、僕、嫌われ……」
 自分で云っていて悲しくなったのか、また喜三太は身を丸めて大声で泣き出してしまった。
「ごべんなざいぃぃぃぃいっ! ぎらいに、なっちゃ、や、やだあああああっ!」
「喜三太……」
 わんわんと泣きながら、何度も何度も喜三太は謝った。嫌いにならないでと、喚いた。
 仙蔵の瞳からぼろりと涙が零れた。
 この子は。
 失った事を嘆いていたのではない。
 嫌われたと思い、泣いていたのだ。
 仙蔵がそのような非道な真似をするはずがないと。したのなら、自分に原因があるのだと。
 自分を責めて、泣いていたのだ。
「――っ!」
 感極まって、仙蔵はその小さな体を抱きしめた。驚いて上げられた顔を自分の胸に押し付けて、た
だ強く抱きしめた。
「すまない……すまない、喜三太」
「せんぱ……?」
「悪いのは私だ。お前は何も悪くない。だから、泣かないでくれ」
「せんぱい」
「お前の信頼を裏切って、酷い先輩だな、私は……」
「ぼくのこと、きらいになっちゃったんじゃ、ないの……?」
「嫌いになる訳、ないだろうが……。……すまない、喜三太。悪い先輩ですまない……」
「う……」
「……ごめんな……」
 わっと声を上げて泣き出し、しがみ付いてきた喜三太を仙蔵は強く抱き返す。
 またこの温もりにふれられた事に仙蔵は心から安堵して、そっと小さな頭を撫でた。

 *** ***

 立花が去った後の食堂にて。
 直ぐに踵を返し硝煙蔵に戻ろうとした大治郎は、食満と善法寺に捕まってしまった。
 立花がこれ以上喜三太を傷付けやしないかと不安ではあったので見張っておきたかったのだが、そ
こまで見下げ果てた男では無いだろうと信頼する事にした。自分にしては至極珍しい事だと思ったが、
これも喜三太の影響かと思うと心地良くもあった。
「で、結局何だったんだ?」
 食後の茶を啜りながら、食満が問う。ちらりと横目で男ぶりな顔を眺めてから、大治郎は首を左右に
振った。
「立花から口止めされている」
「そうは云われてもよぉ、俺ら一応巻き込まれた側だぜ?」
「そうそう。僕らにだって知る権利はあるよ!」
 逆隣から、善法寺までも不満げに云う。「六年は組の熟年夫婦」に挟まれながら、大治郎は大きくた
め息をついた。云わなければ解放しないぞ、と云う無言の圧力に屈するのは癪だが、この二人がしつ
こい性質である事は長年の付き合いで厭と云う程知っている。
 仕方なしに、大治郎は口を開いた。
「立花の奴が喜三太の目の前で、ペットのナメクジを踏み殺したんだ」
 云った後の反応は二つに分かれた。
 善法寺は大口を開けぽかんと間の抜けた顔を晒し、食満は無言のまま――懐から愛用の武器である
鉄双節棍を取り出した。
「……食満」
「おのれ仙蔵。それは喜三太がナメさん達を愛していると知っての所業か」
 目に決然とした殺意が宿っているため、大治郎は今にも立ち上がり立花の後を追いかけそうな食満
の袖を掴む。
「待て、食満。おちけつ、いや、おちつけ」
「わ、留さん聞いた? 大治郎がお約束のボケをしたよ!」
「あぁ、お陰で落ち着いた。まさかお前がボケるとは……」
「それは良かった。一年は組のよい子らにボケを習った甲斐があったな」
 三人揃ってお茶を啜って一呼吸。
「思えば、仙蔵がそんな真似をしたのに、大治郎が怒り狂って無いのが不思議だな」
 別に全く怒っていない訳ではないが、確かに気が狂いそうな程の怒りは抱いていない。
「……、喜三太の話を聞けば、少なくとも、立花がわざと喜三太を傷付けるためにやったとは思えな
かったんでな。食満に殺してくれと縋りついたくらいだ。罪の意識もあったのだろう」
「尋常じゃなかったもんねぇ、仙蔵」
「自分の罪を自覚している奴に追い討ちを掛ける程、悪人ではないつもりだ」
 そう云って、また茶を一口。そろそろ少なくなって来たが、おかわりを注ぎに行くのはまだ無理そうだ。
「で、喜三太は今どうしてるんだ? まさか一人にしてないだろうな?」
「だから今、人を送っただろう」
「え? あ、硝煙蔵に居るんだ…………ん、それって」
「喜三太が俺に泣き付いて来たんだがな」
「……何で俺の所に来ない……! やはり父親より恋人なのか……?!」
「留さん、落ち着いて。で、どうしたの?」
「愛ナメを亡くた事にも無論悲しんでいたのだが、それよりも「先輩に嫌われた」と云って泣くんだ」
 おやまぁと、善法寺はどこぞの穴掘り小僧のように呟いた。
「いい子だねぇ、喜三太は。留さん家の子どもだから、当然だけど」
「そんな褒めるなよぉ、伊作ぅ」
 普段の硬派な漢前面をどこぞへと放り出し、「やっぱりうちの子は可愛いなぁ」などと云ってデレデレ
する様は、まかり間違っても立花に見せてはいけない。あれはあれで、食満に夢を抱いている口だか
ら。
「食満。頬を染めて照れるな。気色が悪いぞ」
 ため息混じりに云う。
 そう。確かに、いい子だ。喜三太は。
 尊敬している先輩が目の前で、自分の飼いナメクジを踏み殺したと云うのに。あの子は殺した本人
に怒りを抱く事もせず、ただひたすら、「先輩に嫌われた」と泣いた。
 喜三太にとって立花は、「カッコよくて優秀な、とても優しい先輩」で――最後の言葉に、物凄く異を
唱えたいが――深く信頼する相手なのだ。その相手が自分のペットを踏み殺した。それに対し、
幻滅するでも怒りを覚えるでもなく、「あの優しい先輩がそんな事するくらい、自分は嫌われてしまっ
たのだ」と泣く喜三太が、大治郎には愛しかった。
 ただひたすらに立花を信じて自分を責める喜三太が、愛しくて、悲しかった。
 だから、必要な言葉は自分の不器用な物でなく、撫でる手は無骨な己の手ではなく、立花仙蔵の物
でなければならないと思ったのだ。
「立花は馬鹿だが愚かではない。今頃、上手くやっている」
「大治郎って大人だねぇ。僕も見習わないと!」
「ところで大治郎、その死んでしまったナメさんはどうした?」
「喜三太が供養をした。後で花でもやりに行こうと思っているのだが」
「じゃ、俺は裏々山まで行って可愛いナメさん連れてくるわ」
「それじゃぁ僕、美味しい野菜用意しておくね」
 それから三人はナメクジの話でしばし盛り上がった。
 途中、話を聞いていたらしい備前鶴ノ丞が呆れ顔で、「ナメクジでそんなに盛り上がれるってなんな
の? 馬鹿なの? 死ぬの?」と云った事で喜三太溺愛コンビが怒り狂い、乱闘に突入したが――
 怪我をしたのは善法寺だけだった。
「何故?」「何故だ?」「何故じゃ?」
「僕が聞きたい……」
 ちなみに。
 三人がやろうと云っていた事は全て立花が行ってしまったのだが、喜三太と仲良く手を繋いでいる
姿を見れたので、三人はそれで良しとした。
 今日も忍術学園は平和である。



 了


 初めての落乱小説でした。
 な、何度展開書き直したか知れません……!
 最初、仙蔵のポジションは千草(捏造生徒)でしたし、仙蔵に変えた後何故かシリアス路線をずん
どこ突っ走ったり、意味無く文次郎が出てきてたりしてました。
 でも、ラストは望んでいた物になったので良しです。

 とりあえず、この話で書きたかったのは、喜三太(一年は組)はいい子、どSどS云われてるけど
仙蔵だっていい子、食満は漢前だが「ナメさん」呼び、「六年は組の熟年夫婦」、大治郎(捏造生徒)
でした。
 捏造生徒はこれからもちらちらどころか、堂堂と出てきますのでその時はよしなに……v