*若旦那組



 主従5題〔戦う部下編〕配布元『207β』様



 はいはい、何でございましょう?
 え? 妾(あたし)が若旦那にお仕えしてる理由ですか?
 えぇえぇ、妾なんぞの身の上話で宜しければ、いくらでも。
 他人様からすればつまらない話とは思いますが、ちょいとお耳を拝借。


 妾はしがないお女郎でございました。
 器量はあんまり宜しく無いと思っておりましたねぇ。
 若旦那が「お羽(はね)は綺麗だね。村で一番美人だよ!」と仰って下さるまでは。
 優しい若旦那はね、こんな妾でも、蕩けるような笑顔で褒めて下さるんですよ。

 いえね、本当に碌でもない人生で御座いましたよ。
 父親はのんだくれ、母親はあばずれでしてねぇ。
 妾は七つになる前に売られましてね、えぇ、その後はご想像通りで。
 何とか生き残って、それなりに稼げるようになって。
 おまんまにあり付けましたからねぇ、マシな方だったんでしょうよ。

 店から出れたのは、スケベで碌でもない親父に身請けされたからでしてねぇ。
 まぁ、あのまま扱き使われて死んで寺に放り込まれるより、マシかと思いましたよ。
 でも、妾を身請けした親父は、頬肉をだらだらぶら下げて、脂ぎった奴でしてねぇ。
 触られるのが、本当に気持ち悪くって。

 でも、仕方ない事でござんしょう?
 妾はしがないお女郎でございましたから。
 しょうもない人生しか送れないと、諦めていましたのさ。

 でもねぇ、店から親父の家へ運ばれる途中ね、山賊に襲われましてねぇ。
 妾が後もう少し臆病で、後もう少し優しかったら、そのまま殺されてましたよ、きっとね。
 でも妾は母親に似てとんでもないあばずれでしてねぇ、周りの人間も妾を買った親父も見捨てて逃
げてやりましたのさ。
 目立つ着物は脱ぎ棄てて、邪魔な髪飾りは放り投げて、ね。
 足元を切り裂いた襦袢一つで、走って逃げてやりましたよ。

 ひたすら走って、走って、もう走れないって膝をついて、そのまま倒れちまいました。
 そこをね、遠乗りにいらしてた若旦那に拾っていただいたんですよ。
 その時、若旦那は七つになったばかりでしたねぇ。
 倒れた妾に「お姉ちゃん大丈夫? しっかりして!」って声をかけて下さって。
 本当に、仏様だと思ったんですよ。
 朝日の中、妾に優しくして下さった、若旦那を。

 その後はよく覚えちゃぁいないんですけどね、周りの話だと、若旦那と一緒に居たちぃ坊の馬に乗
せて貰って、村まで連れ帰って貰ったらしくて。
 その間ずーっと若旦那は、眠る妾に声を掛け続けて下さったそうで。
 妾がそのまま死ななかったのは、そのお陰だって思うんですよ。

 碌でもない世の中だと思っていましたよ。
 この世は地獄だと、思っておりました。
 でも、仏様はいらしたんです。
 だってこんな妾を、若旦那と逢わせて下すったんですから。

 目が覚めた妾に、村の皆は優しくってねぇ。
「また若旦那が人を拾って来たよ!」「今度はすげぇ別嬪さんだ!」なんて云って、世話してくれて。
 事情を話したら、大層同情して下さってねぇ。
 若旦那が「家がないなら、加藤村に住めばいいよ!」って云って下さって。
 最初は渋ってた親方様を、若旦那が必死になって説得して下さってねぇ。
「村の仕事をやる」事を条件に、妾は加藤村の人間になれたんです。
 これまでお女郎として身体売って生きてましたからねぇ、何もかんも初めてで、最初は戸惑ったん
ですけど。
 若旦那が側に居て、励まして下さったから、何とかやって来れたんですよ。

 本当に、本当に、幸せな事です。
 煌びやかじゃないけれど、清潔な着物を着て、毎日畑に出て、汗水流してね。
 周りの人らは気風が良くて、優しくって、妾何ぞに色々良くしてくれてねぇ。

 若旦那なんてね、だんだん荒れてく妾の手を取って、「お羽の手はきれいだねぇ」なんて笑って下
さってね。
 厭ですよ、こんな汚い手、なんて妾が笑ったら、にっこり笑って、「頑張ってる手はきれいなんだよ」
なんて仰って。
 ほんと、どこであんな言葉覚えてくるんでしょうねぇ?
 そんな若旦那のお手手こそ、とっても荒れてて、綺麗でしたけどねぇ。
 妾なんて顔真っ赤にしちまってね、ちぃ坊とおやっさんにからかわれちまいましたよ。

 何かにつけて、若旦那は妾を褒めて下さってねぇ。
 村で一番の美人だって云われた時にゃぁ、周りの娘っ子の目が怖かったですけれど。
 それだけ、若旦那が愛されてるって事でしょうねぇ。
 そんな若旦那に優しくして頂いて、本当に、幸せで。
 生きて行こうって、若旦那に胸を張って褒めて貰える人間になろうって、思ったんですよ。
 若旦那の為に、生きて行こうって、誓ったんですよ。

 もうお分かりでしょう?
 妾のこの体はね、若旦那の物なんです。
 若旦那が拾って下さった体、若旦那が拾って下さった命、若旦那が育てて下さった心。
 若旦那の為に使うのは、当然の事で御座いましょう?



1/この身を武器に、この身を盾に、



 ちぃ坊と同じ事云ってますけどね、本当の気持ちなんですよ。
(そう云って元お女郎は、まるで童女の如く、柔らかく微笑んだのだった)


・お羽(はね)十九歳
 艶艶とした黒髪。黒い切れ長の目。十九の若さで、既に徒っぽい美女。実は千草の女装見本。
 団蔵に拾われた人間の中では千草を抜いて三番目。その気風の良さと面倒見の良さ故に、「若旦
那組」のサブリーダー的な存在。千草が二番目に信頼する女。(一番目は女将さん)
 団蔵と清八の仲を応援しているため、孫の顔を見たがっている親方夫婦に、「妾が若旦那のお子を
産みますんで、清八さんとの仲を許してやって下さい!」と土下座した伝説を持つ。将来的に本当に
産みそうなので、ある意味村中の期待を背負っている。


 *** ***


 へいへい、何ぞご用で?
 俺が若旦那にお仕えする理由?
 俺としちゃぁ聞いてもらえて嬉しいけど、あんた、変な事聞くねぇ。
 それじゃぁ、まぁ、ちょいとお耳を拝借。ご静聴願いましょうかね。

 俺ぁ生まれも育ちも山賊でしてね、どうしよーもねぇ人間でしたよ。
 ほんと、人間の屑って奴でして。
 学もねぇ、良心もねぇ、糞みたいな奴でした。
 餓鬼も女も年寄りも、見境なく殺しましたよ。
「飢狼」なんて二つ名まで貰っちまうくらいでしたから。
 死んだら間違いなく地獄行きでさぁ。
 ま、そんでも構わねぇ、なんて思っていやしたけどね。

 そんな俺が若旦那と会ったんは、若旦那が七つの頃でしたねぇ。
 えぇ、良く覚えていやすよ。

 ヘマしましてね、腹ぁ切られて崖から転げ落ちたんでさぁ。
 下は川でね、俺ぁその時、自分は死ぬんだと思ったもんです。
 ところがどっこい、見てお分かりになりやすように、俺ぁ悪運が強くって。
 何とかまぁ、死なずに岸に流れ着きやしてねぇ。
 そこをね、お医者の先生と薬草摘みに来てた若旦那に見つけて頂きやして。
 先生に手当てして貰いましてね、一命を取り留めたって奴なんですよ。

 そうなると先生が恩人じゃないのかって?
 いやいや、あのお人、若旦那以外に興味ねぇですから。
 若旦那が云わなきゃ、間違いなく俺の事見捨ててましたよ。
 本人も云ってやしたからねぇ、断言出来ますって。
 そうなるとやっぱり、俺の命の恩人は、若旦那なんでさぁ。

 最初ぁね、なんて馬鹿な奴らだって思いましたよ。
 俺ぁどうしようもねぇ屑なのに、手当て何かしてさぁ。
 元気になったら皆殺しにして、金目の物盗って逃げてやろう、なんて思ってたんですよ。
 ま、俺が来た時にゃぁちぃの奴もかなり強くなってやしたし、医者の先生どころか元忍者だっつぅ
おやっさんまで居たんだから、無理な話でしたけどね。
 実行してたら間違いなく、俺が殺されてやしたよ。うん。間違いねぇ。

 そんでなぁ、村で世話になってる間ね、若旦那はずっと俺に付いててくれたんですよ。
 甲斐甲斐しく世話して下さってねぇ。
 ……でも、なんて云うか、最初はね、うぜぇって思ってたんですよ。
 俺のような糞から見りゃあ、若旦那は大層恵まれたお人でねぇ。
 俺みてぇな屑の面倒を見て、優越感に浸ってんだろうって、そう思ってやしたよ。

 若旦那が俺を此処に置く為に、必死になって親方と女将さんに頭下げてた事も。
 ちぃ達と一緒に自分の食べる分減らしてまで、俺に飯食わせてくれてた事も。
 馬頭観音様に、俺が元気になるようにって、毎日お祈りして下さってた事も。
 なぁんも、知らなくってさぁ。
 それをおやっさんから教えて貰った時にゃぁ、涙が止まらなくって、ほんと、さぁ。
 そんな、大事にして貰った事、無くってさぁ。
 若旦那を殺そう、なんて考えてた自分が本当に、どうしようもねぇ屑だって、思い知ったんでさぁ。

 だから俺ぁね、傷が治ってすぐ、村を出たんでさぁ。
 俺ぁ山賊でしたからね、村に居たら迷惑掛かるなんて、分かり切った事でしょうや?
 必ず恩を返すと心に決めて、こっそり村から出たんですよ。
 でも、山賊の俺に返せる恩なんざ、たかが知れてるでしょう?
 人から盗ったもんで恩返したって、若旦那に失礼なだけでさぁ。
 だから、足抜けしようと思いやしてね。
 親父に――頭に、土下座してさぁ、足抜けさせてくれって頼み込んだんですよ。
 当然、認められるわきゃ無くってね。
 指詰めるか殺されるかってなっちまってさぁ。
 それでも、此れ以上山賊家業やらなくていいなら、それでいいと思っちまいやしたよ。
 若旦那に恩返し出来ねぇって事だけが、心残りでしたねぇ。

 そん時だよ、若旦那が今の「若旦那組」の連中引き連れて、乗り込んで来たんわ。
 とんでもねぇでしょう?
 だって、あん時の若旦那、まだ七歳だったんですぜ?
 忍たまのちぃが居たって、元忍者のおやっさんが居たって、毒使いの先生が居たって、お羽の姐さ
んが居たって、怖い事に違いはねぇでしょうに。
 山賊の根城に乗り込んで来て、「ぼくの残左(ざんざ)を返して!」なんて怒鳴って。
 どいつもこいつも、呆気にとられてやしたよ。

 頭が若旦那睨みつけて、こいつはうちのもんだが、どう云うつもりだ、なんて凄んでも、どこ吹く
風って感じでねぇ。
「残左はぼくが拾って助けたんだから、ぼくのだよ! 勝手に殺さないでよ!」って、胸張って云い
切って。
 俺ぁ、涙が止まらなかったよ。ほんと、死ぬのも怖くねぇって思ってたのに。
 俺なんかの為に、なんでそこまで、なんて、泣いてさぁ。
 そしたら若旦那、にっこり笑ってさぁ、「残左はなんかじゃないよ、命を懸けてもいい相手だよ」
なんて、云ってさぁ。
 若旦那がどうしてそこまで俺の事ぉ買って下さってたのか、俺にゃぁ分かりませんけどね。
 そん時、死にたくねぇって、本気で思ったんですよ。
 死ぬ時ゃこのお人の役に立ってから死にてぇ、って本気で思ったんでさぁ。

 そんでどうなったかって?
 いや、その後がまたすげぇんでさぁ。若旦那の本領発揮って云うか。
 頭が笑って、「こいつを連れて行きてぇなら、それ相応のモン出して貰おうじゃねぇか」って云っ
たら、またにっこり笑って。
「見逃してあげるから、つべこべ云ってないで残左返せ」って云ってさぁ。
 いやもぉ、度肝抜かれたよ、ほんと。
 あの辺でそれなりに名を馳せてた山賊だったんですぜ?
 それなのに、見逃してあげると来たもんだ!

 結局ね、若旦那の気性を気に入った頭がげらげら笑って、「すげぇガキだ。いいだろう、こいつぁ
くれてやるよ。その代わり、また俺に会いに来いよぉ」なんて云ってさぁ。
 俺は足抜けさせて貰えたんですよ。

 その後がまたまたすげぇんですよ。
 頭、真剣に若旦那の事気に入っちまって、「加藤村の馬借は襲わねぇ」なんて云い出したらしくて。
 しかも、前は残虐非道で通ってたっつーのに、なりまで潜めやがって。
 下の連中も、馬鹿みてぇに強いちぃと鬼みてぇなおやっさんに怯えちまってさぁ。
 気がつきゃ、山を取り締まる山賊になっちまってましたよ。
 兵庫水軍山賊版、っつーのかね。
 治安、随分と良くなっちまって。
 俺ぁ知った時、開いた口が塞がらなかったですよ、本当。
 若旦那の影響力なぁ、時々信じられねぇ力ぁ発揮すんですよ。

 まぁ、無事に足抜け出来た俺ぁ、その後若旦那にお仕えしてるっつーわけで。
 馬借業も大分板に付いて来たってもんで、元々夜目が利きましたからね、清八兄さんと同じく、夜
の宅急便なんざ俺の仕事なんですよ。
 それでも一番の仕事ぁ、若旦那をお守りする事ですがね!



2/忠犬も元は狼



 ……後で知ったんですけどね、本当に、「見逃してあげる」だったんですよ。
 あの時もうね、根城に居た連中のほとんどのされちまってて、無事だったのは頭の部屋に居た連中
だけだったんです。
 しかも、武器庫には伝え火、つーんですか? それが仕掛けられてて、頭が断ろうもんならドカン
とやっちまうつもりだったらしくて。
 さらに云えば、根城の周りにゃぁもう油もまかれてたんですよ。
 勿論、退路は確保した状態でね。
 全部ちぃとおやっさんの案だったんですけど、実行を命令したのは若旦那でしたからね。
 どんだけ大物だこの人ぁ、って、恐れ戦いたもんでさぁ。
(そんでも俺ぁ、若旦那の一番の忠犬ですけどね! と、元山賊はにっかり笑って見せた)


・残左(ざんざ) 十八歳
 ざんばらの銀髪。三白眼の灰色の目。山賊時代は「飢狼」と呼ばれたほど、残虐非道な男だった。
 団蔵に拾われた人間の中では千草を抜いて四番目。気性の荒さと腕自慢から、「若旦那組」斬り込
み隊長を務めている。荒事があれば残左の出番。
 山賊の頭は実の父親。今やすっかり義賊になり果てた父に、ちょっと呆れながらも若旦那すげぇと
心底思っている。頭はすっかり団蔵を気に入って、孫のように可愛がってる。


 *** ***


 うん? 奴我(やつがれ)が若旦那にお仕えする理由かい?
 そうさねぇ、他の連中と同じだよ。
 命をね、いや、心を、救って頂いたのさ。

 奴我は忍びの端くれでねぇ、此れでもそれなりに名の通った者だった。
「鬼焼きの松」、なんて呼ばれてねぇ。
 焼討(やきうち)にね、滅法強いんだよ。
 火を扱うのがね、上手くてねぇ。
 焼いた城、砦、村の数は、両手両足の指の数じゃぁ足りないくらいだ。

 昔、一緒に仕事した奴にね、云われたよ。
「いつかその火は、お前さん自身を焼くぞ」ってねぇ。
 あいつ、良い忍びだったね。
 嫁さん貰って子が出来たら、戦場から引いちまって、先生になったとか。
 良い奴は、良い人生を歩むもんさ。
 奴我はね、悪い奴だったからね。
 罰(ばち)が当たった。

 ある村を焼こうとしたんだけど、しくじってね。
 村じゃなくて、自分を焼いちまった。
 あいつの云った通りにね。
 火の扱いは、得意だったから、全部は焼かれなかったよ。
 でもね、顔は駄目だった。
 二目と見られぬご面相さ。
 誰も彼も、奴我の顔を見て悲鳴を上げて、逃げ出す始末。
 怪(あやかし)と変わりゃしないさ、こんな顔じゃぁね。
「鬼焼き」なんて名も、地に落ちちまってねぇ。
 プロってなぁ、そんなもんさ。泥が付いたら、取り返せない。
 特に、奴我みたいな奴はね。

 奴我はねぇ、悪い奴だから、生き汚くってねぇ。
 それこそ、泥水啜って、草食んで、木の根を食んで、死肉を貪ってでも、生きたよ。
 死ぬのはねぇ、怖くってねぇ。
 間違いなく地獄行きなんて、分かり切ってたからねぇ。
 ここら辺、残左の方が潔いよなぁ。

 でもね、やっぱり、いけなくってねぇ。
 森ん中で、死にかけて。
 そこをね、若旦那に見つけて頂いたんだよ。

 若旦那は、六つになった頃だったっけね。
 奴我の顔を、ひょっこり覗き込んでね、「いきてる?」なんて聞いてね。
 そん時の奴我は、酷い顔だったんだよ、本当に。
 皮膚は焼け爛れて、膿が滴って、腐臭がして、蛆だって湧いてたんだ。
 なのに若旦那と来たら、素手でぱっぱと蛆を払ってね、また「いきてる?」なんて聞くんだ。
 後ろに付いてたちぃまで奴我の蛆を払い出してねぇ。
「これ、払うより水に沈めた方が早いですよ」なんて物騒な事云ってたけど。
 見かねたお医者の先生――安岐(あき)さんがね、「若旦那、その人はもういけませんよ。放って
おきましょう」なんて云ったんだよ。
 でも若旦那はきょとんとしてね、「だっていきてるよ?」なんて云うんだ。
 ぱっぱって、蛆を払いながら、当たり前のように、云ったんだよ。
 涙なんてねぇ、もう焼けて、無くなっちまったと思ってたんだけどねぇ。
 その言葉を聞いて、ぼろぼろ出てきちまって。
「助けて」って、奴我は云ったんだよ。

 沢山沢山、焼いて、数え切れない人を、焼き殺して来た癖にね。
 それでも、生きたくて。
 十にも満たない子供に、「死にたくない」って縋ったんだ。

 そしたらねぇ、若旦那はにっこり笑ってね、「わかった」って云ってね。
 ちぃと渋る安岐さんを命令してね、奴我を加藤村に連れ帰ってくれてねぇ。
 そりゃもう、村は大騒ぎだよ。
「若旦那が妖怪拾って来た!」なんてねぇ。
 若旦那はね、親方と女将さんにこっぴどく叱られて。
 ちぃと安岐さんも、監督不行き届きで怒られてねぇ。

 けどねぇ、それでも若旦那は、奴我を見捨てなかったんだ。
「だっていきたいって云うんだもん」って云ってねぇ、寺へ棄ててこいって云われても、厭だの一点
張りでねぇ。
 ついには、親方と女将さんも折れてくれてねぇ。

 蛆を取って、膿を搾って、綺麗な布で体を拭いてくれたんだよ。
 安岐さんに、此処はどうしたらいいの、次は何をすればいい? なんて、無邪気に聞きながらさ。
 治療の痛みに呻く奴我の頭をよしよし撫でてくれて、「だいじょうぶだよ、もうへいきだよ、しな
ないよ」って、声をかけてくれてねぇ。

 蜘蛛の糸一本、目の前に垂らされた気分だったねぇ。
 この子を裏切ったら、今度こそ終わりだと、思ったよ。
 そんな、細い細い糸で繋がった、自分の命。
 大事にしようと思うよりも、蜘蛛の糸の主を、守り抜こうと思ったねぇ。

 地獄に行く前に、この子を、守ろうってねぇ。
 あれだけ沢山人を殺しておいて、調子のいい話だけどねぇ。
 若旦那を死なせたくないって、守りたいって思いは、本当なんだ。



 3/訓練相手



 それなのに何の因果か、若旦那が忍者になりたい、なんて云い出しちまってねぇ。
 嬉しいんだか悲しいんだか、奴我には分かんないよ。
(そう呟きながらも、元忍者はどこか幸せそうに、焼け爛れた顔を歪めて笑った)


・松平(まつひら)四十四歳
 顔から頭全部焼けてしまったので、普段は三十代くらいの適当な男に変装している。「鬼焼きの松」
と云う二つ名通り、「焼く」事に関しては天才的だった。
 団蔵に拾われた人間の中では千草を抜いて二番目。「若旦那組」、縁の下の力持ち。年下連中か
ら「おやっさん」と呼ばれ慕われている。
 昔一緒に仕事した忍者と云うのは、山田先生の事。団蔵の担任教師の名前を聞いた時に、「これ
も縁って奴なのかねぇ……」と思ったとか。会おうか会うまいか、ちょっと悩み中。安岐とちょっといい
仲。


 *** ***


 はい? 私が若旦那にお仕えしている理由ですか?
 変な事を聞く方ですね。知ってどうるすおつもりで?
 まさか、若旦那に何か……?
 おや、そう云う訳ではないと? はぁ、なるほど、まぁ、宜しいでしょう。
 別に私の身の上話をした所で、今さらどうこうあるとは思えませんしね。
 では、少々お耳をお借り致しましょう。


 私、元は医者、と云う事になっておりますが、実は忍びだったのですよ。
 えぇ、とあるお城に仕えておりまして、加藤村に来たのは任務でした。
 医者として潜入して、加藤村の事を調べてこい、と命じられましてね。


 ご存じの通り、加藤村は馬借の村。
 村人と同等に近い数の馬を抱えて、様々な城や大名、豪商と懇意にしてますから、実は色々な城か
ら目を付けられているのですよ。
 私が元々仕えていた城もその一つでしてね、上手い事加藤村を利用できないか、なんてこっすい事
まで考えていたのですよ。
 で、白羽の矢が立ったのが、私でした。
 城に仕えていた忍びの中で、一番見た目が穏やかでしたし、医療に詳しかったので潜入もしやすか
ろう、と云う理由でした。

 加藤村には医者がいませんでしたからね。
 病人、怪我人が出れば他の人間が馬走らせて、町やよその村から医者を連れて来るって具合でし
た。
 まぁ、医療技術を持つ人間って希少ですからねぇ。
 病弱な女将さんを持つ親方様としては、是が非でも村に定住するお医者が欲しかったそうですが、
縁が無かったようでして。
 だから私がやってきて、「流れの医者をやっておりましたが、そろそろ定住する先を探しているので
すよ」、なんて云ったら、「是非うちの村に!」って頭を下げられてしまいましたから。
 あの時は身元不明の人間相手に、なんて単純な、と少し呆れましたけど、それだけ切羽詰まってい
たのでしょうね。
 私はあっさり迎え入れられ、家まで宛がわれてしまいましたよ。


 その時、若旦那は五歳でしたね。
 そう、丁度ちぃ君が忍術学園へ入学した年でした。


 初めて会った時、若旦那は人懐っこい笑みを浮かべて、「はじめまして、だんぞうです。かあちゃん
とむらのみんなをおねがいします」ってぺこりって小さな頭を下げてくれました。
 五歳なのに、随分としっかりした子だと驚いたものです。
 ちぃ君と清八君には甘ったれでも、他の人間を前にすると一丁前に”若旦那”をする子でしたね。
 まぁ、仕方のない事と云えば、仕方のない事でした。

 女将さんは元から体が弱くって――それでも加藤村最強のお人なんですけど――、若旦那をお産
みになった後はさらに悪くさせてしまって、頻繁に寝付いていらしたそうでね。
 親方様は若旦那のお父上であると同時に、馬借の棟梁様ですから、ご自分の家族だけでなく、村
全体を養う責任がありますでしょう? だから、女将さんにも若旦那にも掛かりきりになる事なんて出
来なくって、村の若い衆や女衆に任せきりになってしまったんです。
 親に一番甘えたくて堪らない年の頃、若旦那のお側に居たのは他人様だったのですよ。
 勿論、家族と云うならそうです。
 ちぃ君も清八君も、若旦那が物心付く前から側にいたのですし。
 でも、やはり、「兄」と「両親」は求める物が違うでしょう? 与えられる物も違うでしょう?
 口には出された事などありませんが、若旦那はとてもお寂しい想いをしていたと思いますよ。

 それに、ちぃ君と清八君は、どれだけ若旦那が「兄」を求めても、あくまでも「部下」であり続けてい
ましたからね。
 それが悪いとは云いません。
 あの二人にとっては、若旦那の「兄」になるなど、おこがましいにも程があったのでしょうし。
 私だって若旦那の兄になれ、なんて云われても、恐れ多くて無理ですよ。

 だからね、若旦那は大きな家族に囲まれて育ってきたのに、家族って物がなんだかよく分かってい
ないと思うんです。
 その代わり、自分の立場や親の立場は、厭になるほど分かっていらした。

 ある日の事です。
 女将さんの往診を終えて、山に薬草を採りに行く途中、若旦那をお見かけしまして。
 丁度脱走してた所だったんでしょうね。
 ちぃ君が学校で居ない時には始終側につている清八君は側に居なくって、これはいけないと声をか
けようとした時、思いっきり転ばれたんですよ。
 そりゃあもう、豪快に。
 顔面から。
 あれは泣く、大泣きする、と私は思いましたよ。
 だって五歳の子供が転んだんですよ? 母親や周囲の人間を呼びながら、痛い痛いって泣き喚くに
決まってるでしょう。

 なにの若旦那と来たら、痛い、なんて一言も云わなければ、一筋の涙も零さなかったんです。
 そのままむくりと起き上って、何事も無かったように井戸まで歩いて行って、傷口を洗い流してました。

 あの時の衝撃と云ったら、なかったですよ。
 だって、五歳の子供ですよ? 幼児が転んだんですよ?
 私から見れば、相当甘やかされていた子供が、転んでも泣き事一つ云わず、自分で傷の洗い流して
いる。
 とんでもないと、思いました。

 慌てて若旦那に駆け寄りましてね、すぐ私の家に行きましょう、手当てしますから、と申し出たのです
が、若旦那は首を横に振ってね、こう云ったんです。
「ぼくはへいきだよ。だからそのおくすりは、むらのみんなにつかってください」って。
 もう、言葉で頭を殴られたようなもんでしたよ。
 今思い出しても、少しへこみます。


 厭と云うほど、若旦那は分かっていらしたんです。
 ご自分の立場がどう云う物か、周囲に自分はどう思われているか。
 どれだけ自分が、愛された、恵まれた立場であるのか。

 若旦那が痛いと云って、泣き声一つでも上げようものなら、村の皆は今手にしている仕事を放り出し
てでも、若旦那の元へ行くでしょう。
 貴重な時間を潰して――云い方が悪いですが、若旦那はこう思っているんです――、若旦那を構い、
慰め、貴重な薬を使い、丁寧に手当てをするでしょう。
 そして若旦那から目を離した清八君は、周りの人間からこっぴどく叱られる事になるのでしょうね。
「お前がちゃんと見ていなかったから、若旦那が怪我をされたのだ」と。

 それを分かっているお子でした。理解している、五歳の幼子だったんです。

 だから、若旦那は泣かない。
 助けを求めない。
 自分の怪我の責任を、自分で取っていた。
 自分の馬鹿な真似で付いた傷を癒すのに使うくらいなら、仕事を頑張っている皆に使って欲しいと、
私の治療さえ拒否して。

 本当に、泣かない子だったんですよ。
 転んでも、怒られても、馬から落ちて骨折した時だって、少しも泣かなかった。
「へいきだよ。いたくないよ」と云って、笑う子でした。

 私が初めて、若旦那が泣いた所を見たのは、若旦那が六つになった頃の事です。
 松さんがいらっしゃるほんの少し前ですね、よく覚えていますよ。

 ちぃ君のお馬鹿さんが、怪我をしたんです。

 何でも、若旦那の為に崖上にある花を取ろうとしたらしくって。
 そんで、取ったはいいけど転げ落ちたとか。
 怪我してなかったら、ひっぱたいていた所ですよ。
 でも、仕方が無いとも思いました。
 だってちぃ君は、若旦那の為に生きているんですから。

 泣きじゃくりながらね、若旦那が云うんです。ぼくのせいだ、ぼくのせいでちぐさがいたくなった、そ
う泣くんです。
 私が、「ちぃ君に花を取ってって、お願いしたんですか?」って聞いたら、違うって首を振る。
 若旦那はね、ただ一言、云っただけなんです。

「あのはな、きれいだねえ。かあちゃんにもみせてあげたいなあ」って。

 欲しいなんて、一言も云ってない。
 ただ、綺麗な花を見て、大事な人にも見せたいと、無理を承知で夢想しただけ。
 でもそれを口にしてしまった。

 若旦那もね、あの頃はまだ、本当の意味でちぃ君を理解出来てなかったんですよ。
 ただ単に、「そうですね、綺麗な花ですから、きっと喜ばれるでしょうね」って同意して欲しかっただ
けなのに。
 手に入らないなんて、百も承知の上の、子供の戯言だったのに。

 どれほどの恐怖だったのでしょうね。
 自分の何気ない一言が、人を殺せる力を持つ事を知った恐怖と云うのは。
 ちぃ君は運が良くて、おまけに体も丈夫でしたから、怪我で済みましたけれど。
 死んでいたって、おかしくはなかったんです。

 どれほど、怖かった事か。
 今回は運が良かった、でも、次は、この先は?
 いつか本当に、自分の何気ない一言が、千草を殺すかも知れないって云う恐怖。
 その上、心配なのは、千草だけじゃないんです。
 若旦那は将来、加藤村を継ぐお立場。
 若旦那の一言が、村の未来を左右する時が来るんです。
 いつか、知らねばならない事、分からねば、ならない事です。
 でも若旦那は、知るのが余りに早すぎた。”思い知った時”が、余りにも早すぎたんです。
 あの小さな肩と背中に、圧し掛かる命はあまりにも重い。
 潰れてしまわないのが、不思議なくらいに。

 だからね、私は支えたいと思ったんです。
 自分に出来うる限りの力を持ってして、若旦那をお側で支え続けたいと、願ったんです。
 ほら、私は医者ですから。
 若旦那の為に傷を負った人間を、助けてあげられるじゃないですか。
 若旦那の負担を、少しは軽くして差し上げられるでしょう?
 だから私は、加藤村の医者ではなくて、若旦那にお仕えする、「若旦那組」の人間なんです。

 それが、私の理由です。



4/得手も不得手も乗り越えて



 元々仕えていた城? あぁ、大丈夫ですよ。後腐れないよう、片付けて来ましたから。
(そう云って、自称元医者は、妖しげに微笑んだのだった)



・安岐(あき)三十二歳
 黒髪サラスト、狐のような目、優しい顔立ちの美丈夫。医療技術を持つ忍者として、元々仕えていた
城では重宝されていた。(=毒薬に関しても群を抜いて知識があった)
 団蔵に拾われた人間中では千草を抜いて一番目。「若旦那組」及び加藤村を支える医者(本人はあ
くまで元を付けるが)。「先生」と呼ばれる事が多い。団蔵からだけ呼び捨てされる。
 元々仕えていた城は、文字通り片付けました。抜け忍として追われるなんて面倒だし、若旦那に迷惑
かけたくないとの事で、城の人間全てを毒殺しました。その事を知っているのは松平だけです。
 松平とはちょっといい仲なので、「松さん」「安岐さん」と呼び合う仲。


 安岐もある意味、団蔵に拾われた人間です。(自分から拾ってもらった、とも云えますが)
 太陽の下に引っ張り上げて貰ったと云うか、やりたい事を教えて貰ったと云うか。
 とりあえず、団蔵に棄てられたら生きていけないと云う点では、他の若旦那組連中と一緒。←

 後、他の連中がガッと一気に団蔵に心酔したのに対し、安岐はゆっくりと徐々に心酔して行ったの
で、依存の深さではある意味断トツです。