*捏造生徒。3



*アンケート感謝SS第四弾「大治郎←久々知←タカ丸」

『いつつのおもいをあなたへ』配布元様『207β』
 ※久々知が正常運行=攻撃的な狂人 タカ丸が健気 大治郎はいつも通りズレてる


 ひぃひぃと悲鳴を上げて、泣いて転がる下衆を見下ろす。
 よせとかやめろとか誰かが云う。制止されていると云う事は理解できるが、云われた通りに行動す
る気は皆無だった。
 この身に命令出来る者は多々いるが――魂を強制する事が出来るのは、信仰する先輩ただ一人
なので、現在行っている行動を止められるのはその先輩だけと云う事になる。
 だから無視する。聞いていても聞こえないふりをする。そして振り上げた拳は――

「よせ、兵助」

 高々と振り上げ、力の限り振り降ろしてやろうと思った拳はぴたりととまる。にこりと笑みを浮かべ
振り返れば、唯一の信仰対象が平素の無表情で佇んでいた。
 よせと云われた。やめろと云われた。その行動をするなと云われた。
 ならば従おう。従います。
 逆らう事など有り得ない。あってはならない。逆らう自分を赦せない。
 どんな命令も、彼の人から与えられたならば完遂するのみ。
 それが己の感情を捻じ曲げる事であっても――この男は神聖な信仰対象を愚弄した屑で燃やし殺
してやりたいほど憎いのだが――関係ない。己の感情など、信仰対象の前には瑣末な事。
 その人の言葉は絶対である。理である。真理である。秩序である。
 ならば、従わぬ方が間違いだ。

「はい、大治郎先輩」

 笑って答えれば、信仰対象――神は無表情のまま一つ頷いた。
 神が自分を認識し、”構ってくれる”。なんて幸せな事。



 − 大勢に憎まれても あなた一人に愛されれば良い



        愛され
 貴方にさえ仕えていられれば、この世は平和そのものです。


 了



 嗚呼血で汚れてしまった。
 久々知はそう嘆いて、手の甲でぐいと頬を拭った。
 見えていないが、血は恐らく伸びただけで拭いきれていない。そもそも、頬だけを拭った所で意味な
どない。全身血まみれ――なんて愚行は犯していないが、忍び装束の所々に血液が付着していた。
 動物にしろ人にしろ、血と云う物は布に付くと大層落ちにくい。
 洗濯が面倒になるので、殺しや暴行の任務の際は極力付かないように気を付けていたのだが。
 まったく、死んでからも迷惑この上ない男である。
 それにこの姿を唯一無二の信仰対象である先輩に見られでもしたら、久々知は衝撃のあまりその
場で死んでしまうかも知れない。いや、死ぬ。断言出来た。
 先輩も上級生であるから、久々知がこう云った任務や試験を受けている事は当然知っているだろう。
だが久々知は、その決定的証拠を見せたくなかった。先輩の前では、清らかで物静かな後輩であり
たかったのだ。
 ――散々その先輩とやらの前で、神に対し暴言を吐いたり危害を加えようとした人間を血だるまに
した人間が考える事ではないが、久々知は本気でそう思っている。今さら手遅れだろ、などとは欠片
も思わない。殺してなければ大丈夫だと、何故か思い込んでいた。殺した直後の姿でなければ、血で
汚れていても問題ない事に久々知の中ではなっていたのだ。
 歪んでいる――大層歪んでいるが――その歪みを、久々知は自覚していない。
 帰る前に川で水浴びでもしようと考えながら、久々知はその場から脱出する。血の臭気は火薬の香
りが消してくれるだろうと歪な事を考えて、ぽいと軽く焙烙火矢を三つ四つ放り投げ――
 予め油を蒔き、火薬を置いてあった建物は、轟音を立て、軽快に吹き飛んだのだった。
 さぁ身を清め、綺麗になって、先輩の待つ火薬の香り漂う聖地へ戻ろう。
 久々知は顔に穏やかな笑みを浮かべ、軽い足取りで学園へと帰って行った。



 − 血に染まった僕を あなたは知らないままでいて



 貴方の前では美しいままでありたいのです。


 了



 知らないのだろうなぁ、と斎藤は思う。
 何を知らないのかと云われれば、同い年の先輩である下関大治郎の事を、年下の先輩である久々
知兵助が、である。
 先輩の事は学園で三番目に理解していると豪語しているが――ちなみに一番は土井で、二番が山
村喜三太である――、本当はちっともわかっちゃいないのだ。
 欠片も理解していない。勘違いをし、思い込み、妄信しているだけだ。多分、久々知の目は下関の
前でのみビードロになるのだ。高価な物なので良いと思う。綺麗でもあるし。だが、眼球がビードロな
のは役立たずだ。だって何も見えていないと云う事なのだから。
 久々知は異常なまでに、人を殺害した後の姿を下関に見られる事を恐れている。斎藤に対しては
何の感情も持たない。むしろ、血まみれのまま部屋までやってきて、「髪を整えてくれ」とか云う。せめ
てお風呂に入るか水浴びしてから来て、と云ったのは記憶に新しい。普段はちゃんと学園に戻る前に
水浴びをして来るのに、たまにそう云った奇行に久々知は走る。まぁ仕方がない。久々知は狂人なの
で、一般常識は通じないのだ。だから仕方がない。
 まぁとにかく、下関限定でそう云った姿を見せるのを厭うのだ。狂人なのに乙女回路を発動させ、「穢
れた自分を先輩に見せたくない」と来るのだ。
 初めて聞いた時は、正直吐き気がした。あまりにも理解出来なくて、意味のわからない生物を前に
原始的な恐怖を抱き、それが嘔吐感へと直結したのだ。
 今は、まぁ、吐き気は覚えない。「嗚呼彼は狂人なのだ」と知っていれば、別に意味がわからなくとも
構わない。だって狂人とはそう云うものだ。
 普通に生きている人間には理解出来ない考え方をしながら生きているのが狂人なのだから、斎藤
に理解出来ないのは当たり前なのだ。
 で、久々知が下関の何を知らないのかと云うと、下関がどんな感情を持って久々知を愛しているか
と云う事である。
 愛とは云うが、肉欲は無い。先輩から後輩への愛でもない。兄弟愛など有り得ない。友愛でもない。
 名前の付けられた愛ではない。ただ下関と云う男は、久々知兵助と云う存在自体を愛していた。
 髪や目や皮膚や肉や爪や睫毛や内臓や――久々知兵助を構成する要素を丸ごと愛しているのだ。
 だから別に、久々知が人を殺そうがどうとも思わない。もっと云ってしまえば、久々知が殺人淫楽症
でも被虐趣味者でも拷問死させる事が得意でも強姦魔だったとしても全く構わない。
 下関は久々知そのものを愛しているので、久々知が何をしても正直何も思わない。「嗚呼人を殺し
たな」とか「人を虐め抜いたな」とか分かっても、それを理由に嫌ったりなどしない。勿論好いたりもし
ない。何も思わない。
 ただ、久々知兵助を愛しているだけだ。
 久々知にとっての救いは、それを下関が口に出さない事だろう。積極的に話す男ではないから、何
も語らないから、久々知はぎりぎり”こちら側”に立っていられる。
 これで下関が「お前が人を殺していても構わない」などと口にしようものなら、その時点で久々知の
精神は崩壊して、その上衝撃のあまり死ぬかも知れない。と云うか、死ぬ。絶対死ぬ。久々知はそ
う云う要素も持った狂人だからだ。
 だから斎藤も口を閉じている。真実を語る事が正しいとは限らない。嘘は方便と云う言葉があるよ
うに。本当の事を云っても悪い事にしかならない事もある。あるのだ、そう云う事は。何もかも白日の
下にさらせばいいと云う物ではない。本当の事を云っても不幸な事にしかならないなら――黙ってい
る方が、良いのだ。



 − 全ての平穏が虚像に過ぎないことを あなたには教えてあげない



 だって好きな人が狂って死ぬ様なんか見たくないじゃありませんか。


 了



 下関は無表情ではあるが無感情ではない。喜怒哀楽以外にも様々な感情を持ち、常に心内は変化
し続けている。ただその感情が表情筋にも声帯にも伝達されないので、無感情に見えるだけだ。
 だが、久々知兵助に関する事において、下関はほぼ無感情になる。
 ほぼ、である。完全ではない。その完全ではない部分には、愛と云う名の感情が入った。
 愛だけである。好きも嫌悪も慈しみも怒りもない。ただの愛があった。
 愛おしいと云う感情だけが、あった。
 何がと云われても困る。どうしてと云われても困る。答えようがない。ただ愛しい、それだけなのだ。
理由などない。人を納得させる言葉などなく、ただ只管に愛しいのだと云うしかない。
 だから下関は、久々知の行動に興味が一切なかった。ただ愛しているだけなのだ。好意も敵意も憎
悪もない。ただの愛。久々知と云う存在そのものを愛しているので、久々知が何をしても愛し続ける事
が出来た。
 久々知が人を殴ろうが、殺そうが、犯そうが、下関の愛には何の関係もない。久々知が何をしてい
るのか理解していない訳ではない。人を殴れば「久々知が人を殴った」と認識するし、殺せば「久々知
が殺した」と分かる。理解はしている。
 だが、それがどうしたと思うのだ。
 久々知が例えば――下関の気持ちに沿わない行動をしたとする。例えば、下関の大事にしている物
を壊したとか、下関の持ち物を盗んだとか、そう云う、一般的には迷惑な行為を働いたとする。
 だが下関は久々知を厭わない。嫌悪も困惑も浮かばない。やはり理解はしているが、別にどうとも思
わない。
 愛しているのだから、相手が何をしようと関係ないのだ。相手が自分の意に沿わない行動をして――
それで嫌うと云う理屈を、下関は理解出来ない。
 愛しているなら、全て赦すべきだろう。自分の期待通り、思い通りに動く事を願い、それが叶わなけれ
ば嫌うと云うなら――そいつは人形でも愛していればいい。
 相手は人間なのだから、当然それぞれに思う事があり、やりたい事も成し遂げたい事も違うのだ。
 期待通りにならなくて当然、思い通りにならなくて当然、不快な思いをさせられる事が当然なのだ。「信
じてたのに」とか「裏切られた」とか「期待してたのに」とか云う奴は、莫迦なのだ。人間を愛すると云う事
がどう云う事か分かってない。理解しようともしてない。だから喧嘩をしたり離別などと云う悲しい目に遭っ
たりするのだ。
 その点、下関は問題ない。久々知を愛しているので、久々知が何をしようと愛し続けるので、喧嘩も離
別もある訳がない。
 愛しているのだから、何も問題はないのだ。



 − 私の100まで全てをあげる あなたの1だけ私に下さい



 ただ、その愛は無味無色無臭だから、一つも相手には伝わらないのだけれど。


 了



 帰る場所はある。帰る場所がある。
 何て幸せな事だろうと、久々知は返り血をしたたらせながら微笑んだ。
 久々知にとって帰還するべき場所は、生家ではない。まして学園でもなく、長屋の自室でもない。
 神がおわす聖域である、焔硝蔵だ。
 昼でも薄暗いそこは、夜になれば己の指先さえ見えぬ闇に包まれる。その闇の中に神が座していらっ
しゃるのだ。任務を首尾よく終わらせた久々知は、帰還後、そこへ必ず”お参り”するのだ。
 ――この時の久々知の頭に、「焔硝蔵へ向かえば、そこに居る先輩に殺人後の自分の姿を見られる
確率が跳ね上がる」と云う当然の理屈はない。殺害後の自分を見られたら衝撃で死ぬ、と確かに”知っ
て”いるのに。自分を見られる事など有り得ないと無意識に思い込んでいる。
 だって拝みに行くのだ。神を。
 参りに行くのだ。信仰対象を。
 降臨を望むのではなく、ただ参拝に行くのだから――神が自分の前に現れる訳が無い。と、まぁ、そ
う云う理屈なのである。
 他者が聞けば意味不明である。まず前提がおかしい。
 下関は神と云う超越者ではなく、忍術学園に籍を置くただの忍たまだ。久々知から見れば神でも、世
界から見ればただの人に過ぎない。
 それを、久々知は理解しない。神は神であり、それ以外の何者でもない。世界の中心は神である下関
大治郎なのだ。人間とは自分のように下賤で矮小な生き物を云うのである。
 焔硝蔵の前に立ち、両手を合わせて丁寧に拝んだ。
 今日も自分が生きていられるのは神のお陰だと、感謝の祈りを捧げる。
 傍から見るとその姿は、現実離れした、いっそ神性とすら感じられる物だった。血まみれである事が、
拍車をかけている。だが周囲は闇に満ちているので、例え他の人間がいようとその姿を視認する事は
出来まい。せいぜい、濃密な血の臭いを嗅ぎ取るだけだろう。
 ふと、久々知の背後に人の気配が現れた。見知った気配に、久々知の頭から一瞬で血の気が引く。
 まさか、どうして。そんな詮無い事を心内で呟いた。

「兵助か」

 久々知にとっての神が、そこにおわした。
 瞬間、久々知の脳に走った衝撃は、確かに久々知を死に至らしめるに値するほどの物だったが――
頭の一部分、ほんの少しだけ冷静な部分が、「まだ大丈夫だ」と囁いた。だって今は、
「任務帰りか。御苦労」
 その言葉と共に、下関の手が久々知の頭の上に乗せられた。それだけではなく、まるで撫でるように
――いや、ようにではない。その手の動きは、確かに久々知の頭を撫でていた。
 顔を上げても、完全な闇で姿は見えぬ。闇から声がもう一度。
「もう遅い。早く戻って休め」
 常人が聞けば――
 それはただ単純に、後輩の体調を案じている先輩の言葉だった。特別な物ではない。世間話の類、
いや、それ以下の何でもない一言であった。
 けれど久々知にとってそれは――何より尊い、託宣であった。
 顔に血の気が戻る。暗闇の中、久々知はふんわりと微笑んだ。
「はい。大治郎先輩。お休みなさい――」
 穏やかな久々知の言葉に、下関は一言「あぁ」と云った。闇から重い扉が僅かに開き、一拍を置い
て閉まる音がした。その後には、錠の落ちる音も。
 神が聖域へ籠られた事を音で知り、久々知は膝を地面に落とすと、土で汚れる事も構わず手をつい
て、深々と頭を下げた。額に髪に、湿った土が付着する。それすらどうでもいい。
 久々知の頭からは、最早全ての事が吹き飛んでいた。自分が人殺し後だと云う事も、それなのに下
関に会ってしまったと云う失敗も、冷静な頭が呟いた「この暗闇で自分の姿が見える訳がないから大
丈夫だ」と云う屁理屈も、何もかも。
 ただ、神が降ろした言葉に感謝し、全てを捧げる事を改めて決意していた。
 あの程度の言葉で。
 ただの、世間話以下の一言で。
 久々知兵助は確かに狂っている。誰から見ても狂人だ。だが、そんな事、どうでもよい事なのだ。 
 世間の目も、評価も、噂も、どうでもいい事。
 友人から向けられる苦言とて、頭から抜け落ちた。



 − 本当に本当に辛い事なんて何も無い あなたが居るから大丈夫



 既に楽園を知っている者は、其れ以上求める事など無いのです。



 了