「四年は組の斎藤タカ丸です! 宜しくお願いしまーす!」
 赤に近い茶色の髪と、学年の割に高い身長、下級生のような無邪気な顔つきと仕草。
 顧問である土井半助が連れてきた男を前に、五年い組久々知兵助は「コレは駄目だ」と思った。



 − 属するための条件。



 伊助はよく気の付く性格だと云われている。自分ではそう云うつもりはないのだが、他人の感情の
機微を察する事は確かによくあった。ともすると他者の顔色ばかり窺ってしまうようになるため、敢
えて空気を読まずに発言する事もあったが、周りの評価は何故か「よく気の付く性格」だった。
 そんな伊助は今、首を傾げて五年生の先輩、久々知兵助を見ている。
 平素の彼と別段変化はない。焔硝蔵でてきぱきと雑務をこなし、二年の三郎次と一緒に帳簿を付
け、駄目な委員長の行いを必死に庇い、そして伊助相手には優しくも甘い。
 いつも通りだ。今だって毎日繰り返しの委員会活動中だ。
 けれど伊助は、どこか変だと感じた。なんと云うか、久々知が異常に苛立っているように見える。
 苛立っている人間がするしかめっ面でもなく、貧乏ゆすりをするでもなく、周りの人間に当たり散
らす事もないが、久々知は苛立っていると伊助は確信していた。
 しかし理由も分からないし、彼の行動は平素と変わらない。「何か怒ってますか?」と聞くのは変
な気がする。
 伊助はしばし悩んだが、こんな時こそと下関大治郎委員長を頼る事にした。
 蔵の外にある長椅子に座り、台帳をめくっている下関の所へと向かう。背後から近寄れば、神経
は鈍いのに気配には聡い下関は直ぐに台帳から顔を上げ、伊助を振り返った。
「どうした伊助。蔵で何かあったか?」
「いいえ、何もないです。えっと、ご報告ついでに相談したい事がありまして」
「そうか」
 そっけなく云いながら台帳を閉じ、それを横に置くと、下関が手招きをした。素直に近寄れば、脇
の下に両手を差し込まれ抱き上げられる。座っている大治郎の膝の上に後ろ向きに乗せられ、伊
助ははしゃぎながら広い胸にもたれた。
「まずは此れ、在庫帳です。誤差はありませんでした」
 持っていた在庫表を手渡すと、下関はぱらぱらと中身を見て満足げに頷いた。
「御苦労。それで、相談とは?」
 常の無表情で問われる。
 普通の下級生なら臆する所なのだが、伊助は平気だった。この無表情な委員長にももう慣れてし
まったのだ。
「あのですね」チラと焔硝蔵を見る。「久々知先輩の事なんですけど」
 何となく声を潜めてしまう。悪口を云っている訳ではないのだが、大声で云うには憚られた。
「兵助がどうした」
「その……何か、怒ってるって云うか、苛立ってるように見えるんです。先輩、何かご存じないです
か?」
 云うと下関が、僅かに目を見開いた。本当に微かな違いだが、伊助には分かる。と云うか、火薬
委員は皆分かる。
 表情筋が死んでいると云われる下関だが、その実感情は豊かだ。注意深く見れば、表情にも僅
かな変化が出ている。
「……驚いたな。分かるのか」
「えと、何となくって云うか、確信は出来るんですけど、理由が分からないって云うか」
 何だか大それた事をしたような気分になり、云い訳じみた言葉を口にする。だが下関は大きく無
骨な手で、伊助の頭を優しく撫でてきた。
「あいつも忍たま五年生。その中でも感情を殺すのを得手としている。それに気付くとは、末恐ろし
い奴め」
「え、えぇ? ぼ、ぼく、そんなつもりじゃ……」
「責めている訳ではない。むしろ誇るがいい」
 褒められている事を実感し、伊助の頬が熱くなる。「あほのは組」として呆れられる事は多いが、
褒められる事は少ないのだ。こう云った事にはあまり慣れていない。
「そうだな。アレは苛立っている。高ぶる感情を抑え切れないのだろう」
 アレ、と親しげに口にしながら、どこか叱りつけるような声音だった。
「アレもまだまだ修行が足りないな。他人に翻弄されるようでは、忍び失格だ」
「他人にって……それ、どう云う事ですか?」
「それは……」
 突然、下関がぴたりと口を閉じた。首を傾げる伊助をそのまま、急に立ち上がった。驚く伊助を抱
えたまま、下関が頭を下げる。
 下関が自分から頭を下げる相手は、多くない。誰が来たのか、伊助はすぐに分かった。
「土井先生?」
「と、僕だよ伊助ちゃん!」
 抱えている相手が頭を下げているので、伊助も当然地面しか見えない。だが、明るく上がった声
に訪問者の正体はすぐに知れた。
「タカ丸さん! こんにちは!」
「こんにちは伊助ちゃん。大ちゃんも、遅くなってごめんね」
「いや、気にするな」
「すまん、大治郎。すっかり任せてしまったな」
 やって来たのは、火薬委員会顧問土井半助と、伊助より後に委員会に入った編入生、斎藤タカ
丸だった。のんびり歩いてくる土井とは対照的に、タカ丸はぱたぱたと駆け寄ってくる。転んだりし
ないかしらと心配になったが、タカ丸は無事下関と伊助の側に駆け寄ってきた。
「大ちゃんばっかりずるいよ〜。僕も伊助ちゃんと仲良くしたい!」
 ぷぅと頬を膨らませ、まで下級生のように拗ねながらタカ丸が云う。思わず伊助は苦笑してしまっ
たが、大治郎は無言で伊助の身柄をタカ丸へと手渡した。タカ丸はきゃっきゃと歓びながら、伊助
に頬ずりをする。それがくすぐったくて、伊助も笑ってしまった。
「問題はなかったか?」
「台帳にも在庫帳にも誤差はありません。後は帳簿ですが……」
「こちらも問題ありませんよ、大治郎先輩」
 いつの間にか、三郎次を伴って蔵から出ていた久々知が云う。彼の手には会計委員会に提出す
る帳簿があった。
 火薬委員会は取り扱う物が物だけに、搬入台帳・在庫管理帳・会計帳簿・出庫伝票・持ち出し申
請書の束・授業計画に伴う使用量の予定表……などなど、いくつも帳簿が存在している。
 どれも重要な帳簿であるが、会計帳簿は今期・来期の予算を決定づける物のため、各委員長が
付ける事を義務付けられていた。
 が、某体育委員会は委員長が算術ベタのため成績に関して云えば優秀な四年生が行っており、
火薬委員会では優秀な癖に面倒くさがりな委員長が五年生に押し付けていた。
 押し付けられた仕事でも丁寧にこなし、未来の委員長である二年生に指導までしているのだから、
久々知先輩は凄いと伊助は思う。
「そうかそうか。じゃぁ、今日の委員会は終了だな」
「えー?!」
 満足げに頷く土井の言葉に、タカ丸がいの一番に反応した。不満気に上がる声に、土井が苦笑
する。
「また参加出来なかった……」
「まぁ、そう気を落とすな。次は参加できるよう頑張ろう、な?」
 しょんぼりするタカ丸の頭を、土井が撫でる。伊助も残念な気持ちになって、一緒にしょんぼりし
てしまった。
 タカ丸が委員会の仕事に参加できたのは顔合わせをした初回だけで、それ以外は全て補習で潰
れてしまっていた。
 伊助も補習で参加できない日もあるが、参加している日が圧倒的に多い。しかし、四年に編入し
たタカ丸は一年生である伊助以上に学ばなければならない事がたくさんあるのだろう。毎日補習と
課題に追われて、委員会に参加している余裕がないのだ。
 そんなタカ丸を、伊助は可哀想だと思うが、それ以上に、忙しい中なんとか委員会に参加しようと
する姿勢を尊敬していた。
 それはきっと、二年の三郎次も同じなのだろう。いつの間にかタカ丸の隣に来て、「次は大丈夫で
すよ」と励ましていた。
 伊助相手には厭味だし、上級生相手にもズバズバと物を云う三郎次だが、タカ丸には思う所があ
るらしい。他の生徒と比べて柔らかい対応をしていた。
 慰められて嬉しかったのか、タカ丸がほんにゃりと柔らかな笑みを浮かべた。それを見て、伊助は
ふと思い付く。
「あ、そうだ! お仕事残ってますよ、タカ丸さん!」
「! 本当伊助ちゃん?!」
「おい伊助……」
 何を云い出すと三郎次が云う前に、伊助は人差し指を立てにっこりと笑った。
「蔵の周り、ずいぶん落ち葉が溜まってますから、お掃除しましょ!」
 土井と下関があぁ、と納得した顔になる。三郎次は驚いた顔をしてから、にやりと笑った。
「伊助のくせに、いい所に気付くな」
「くせにって何ですかぁ!」
 伊助は怒るが、三郎次は気にしない。タカ丸の空いている方の手を取り、「道具を取りに行きましょ
う」などと誘っている。
「……」
 だたタカ丸は黙って伊助を見ている。どうかしたのかと聞けば、戸惑ったような顔になった。
「それ……委員会のお仕事……?」
「そうですよ。焔硝蔵の周りに燃えやすい物があると危ないって、久々知先輩が云ってましたから、
立派な火薬委員のお仕事です!」
 ね、と久々知に同意を求めれば、彼はにこやかに頷いてくれた。
 その笑顔に、やっぱり苛立ってるなんて気のせいだったのかな、僕と先輩の思い違いかな、と伊
助は思った。そう考えてしまうくらい、いつも通りの甘く柔らかな笑顔だったからだ。
 タカ丸がぱっと顔を輝かせる。それから「うん、うん」と何度も頷いた。
「僕やる! お掃除頑張るよ!」
 そう云って笑ってくれるから、伊助は嬉しくなって笑い返した。
 タカ丸は伊助を抱えたまま左手を三郎次に引かれ、掃除道具がまとめて置いてある蔵の裏側へ
と小走りになりながら向かう。
 落ちないようにしがみつきながら、タカ丸の肩越しに土井達に「行ってきます」と手を振った。
 その時だ。
 伊助はぞわりと鳥肌を立てた。寒々しい気配が、背筋を駆け上った。
”は組のカン”が示すままに目を向けて、驚きのあまり伊助は硬直する。
 先程まで伊助に向かってにこやかに、穏やかに笑っていた久々知が、まるで親の仇でも見るかの
如き荒々しくも冷たい目をしていた。
 そしてその目は伊助を――いや、タカ丸の背中を、睨(ね)め付けていたのだった。

 *** ***

 委員会が終了し解散した後、兵助は足音を立てず廊下を歩いていた。「あわてるコドモはローカで
ころぶ」の張り紙を横目に、自室へと向かう。
 傍目には平素通り、優等生然とした姿に見えただろう。だが彼は内心は、どうしようもないくらいに
荒れ狂っていた。
(気に喰わない気に喰わない気に喰わないッッ!)
 何度も何度も、その言葉を繰り返す。顔にも言葉にも出さず、ただ胸の内でのみ猛る。
 荒れ狂うままに部屋に戻れば、同室の友人はまだ戻っていなかった。委員会が終わらないのか、
それともい組らしく予習・復習に精を出しているのかは知らないが、これは好都合。
(あの野郎……っ!)
 ふすまを丁寧に閉め、暗くなった室内で思い切り顔を歪める。”穏やかな優等生”の仮面を脱ぎ棄
てて、思うがままの表情を出した。
 恐らく今自分の顔は、悪鬼羅刹の如きだろうなと安易に想像が付く。
 そのまま押し入れに突進し、布団を引きずり出し、丸めた状態にしてから、そこへ思い切り拳を振
り降ろした。ぼすんと、くぐもった音がするがそれだけだ。
 布団を殴ると云う無意味な行為を、兵助は何度も繰り返した。何度も、何度も、何度も、何度も、
何度も、何度も、何度も。
 ようやく気が晴れた頃には、肩で呼吸をし、汗をぐっしょりと掻いていた。
 歯を食いしばり、思い出すのは一つ下の後輩の顔。そらっとぼけた幼い顔立ち、そこに浮かぶた
るんだ笑顔。
(――鬱陶しいッ!)
 初めて会った時から、兵助はあの後輩が嫌いだった。
 何をされた訳でもない。ただ会った瞬間に、自分とコレは絶対に合わないと本能が告げたのだ。生
理的に受け付けなかったと云ってもいい。根本から駄目だったのだ。
 相手を知ればとか、良い所を見つければとか、そんな問題ではない。生まれながらにして兵助は、
あの後輩とは相容れない存在なのだ。
 それを分かっているから、尚更苛立ちが募る。あいつの遣る事成す事が気に喰わなくなる。
 可愛い伊助に慕われている事も、自分たちがあれほど苦労して引き込んだ三郎次をあっさり懐柔
した事も、土井に気を使われ可愛がられている事も。
 何より、兵助が最も尊敬する先輩である下関大治郎を、「大ちゃん」などと馴れ馴れしく呼ぶ事が、
我慢出来なくなるくらい、気に喰わない。
 年齢が一緒なのは知っている――あぁ、つい最近知ったとも。あいつ個人に興味なんてちっともな
かったんだから!――が、それにしたって四年生が最上級生をちゃん付けするとは何事だ。同輩の
晴次でさえ、先輩と付けているのに。
 それに、こちらが少し優しくしてやればすぐ調子に乗る。へらへら笑って、馴れ馴れしくして、べたべ
たさわってきて!
(気持ち悪いんだよ!)
 もう一度、握り拳で布団を殴った。
 ぼすんと、くぐもった音がした。

 *** ***

 大治郎は酒を片手に土井を訪ねていた。
 こちらの呼びかけに応え、引き戸を開けた土井は嬉しそうな顔をしていたが、大治郎の手に握ら
れた物を見て困ったように笑う。こら、と小声で叱られ、こつりと軽く頭を殴られた。
「教師の元へ、酒を片手に来るやつがあるか」
「でもお好きでしょう」
 そう云い返せば「まぁ好きだけどな」と若々しい笑みを浮かべ、土井はおいでと云いながら大治郎
を部屋に招き入れた。
 中に入れば同室者である山田伝蔵が居たが、彼は苦笑と共に立ち上がった。
「山田先生、そんな、私と大治郎ですからお気を使わず……」
「酒はお嫌いでしたか」
「いや何、大治が酒を持って来る時は大半が相談事だからなぁ。私が居ては云えない事もあるでしょ
うよ」
 慌てて土井と大治郎が引き留めるが、山田はそう軽く笑って云った。図星な部分があるので、強く
引き留められない。また次の機会に、と頭を下げれば、今度はもっと明るい顔で来なさいよ、と云わ
れた。すっかり胸の内を見透かされている。
 山田が出て行き、土井と二人きりになった。久方ぶりだと思い出し少し緊張したが、何を硬くなって
るんだと軽く笑われ、洗ったばかりの頭を撫でられた。
「ちゃんと拭いておかないと、タカ丸が怖いぞ」
 からかうような声音で云われ、次いで手ぬぐいが頭に落とされた。礼を云い、乱暴に髪を拭う。
 座布団も無く、板張りの上に二人揃って座る。前には大治郎が持ってきた酒瓶と部屋にあったお猪
口が二つ、つまみのラッキョウ。漬物の存在を少しいぶかしむと、土井が笑いながら「野村先生から
のお裾分けだ」と云った。なるほど、またあのど根性が身上の元教師が来ていたらしい。
 土井のお猪口に酒を注ぎ差し出してから、自分の分を注ぎ一口啜った。大治郎には味がほとんど
分からないが、土井が「美味い」と云うからには美味いのだろう。
「それで、今日はどうしたんだ?」
 土井から切り出された。普段は生徒から話を切り出すまで待つ人なのだが、大治郎相手にはいつ
もこうだった。それを厭だと思った事はないが、尻の座りが悪いとは思う。
「……兵助とタカの事で、少し」
 二人の名前を出せば、土井は納得したような申し訳ないような顔になった。
「すまんなぁ、またお前に迷惑かけて」
「師範が謝る必要はありません。……半分は兵助の修行不足です」
「手厳しいな、お前も」
 空になった土井のお猪口に酒を注ぐ。それを一口啜ってから、土井は口を開いた。
「兵助は真面目だからなぁ、合わないかも知れないとは思っていたんだ。まさかあそこまで徹底的に
駄目だとは思わなかったが」
「予想してはいらしたのですね?」
「あぁ。……今まで火薬委員には居ない性質(タチ)の奴だからなぁ、タカ丸は」
 そう云って細められた目元を見て、彼自身がタカ丸を気に入っているのだと事は容易に知れた。髪
の事であれだけ云われ、むしられたりもしているのに。どこが良いのだろうか。
 自分のお猪口に酒を注ぎ、口を付ける前に云った。
「タカのどこをお気に召したのですか。どうして、火薬委員会に入れたのですか」
 二つ続けて問う。前から聞きたかった事だ。
 土井の行う事に否を唱える気はない。大治郎は彼の全てを信じている。土井の決めた事に、行う
事に間違いはないと思っている。
 だが疑問は消えない。土井自身が云ったように、火薬委員にするには彼は異質すぎた。
「そうだなぁ……」
 お猪口を床に置いて――中身がまだあったので、注がずにおいた――、土井はうんと一つ唸って
から口を開いた。
「最初から気に入っていた訳ではないよ。街育ちで垢抜けていて、底抜けに明るいから新鮮ではあっ
たがね。興味があったのは彼の亡くなったお祖父さんの方だったし」
「穴丑であったと云う……」
「そう。完璧な穴丑だった斎藤幸丸殿だ。彼ほどの忍者の孫、何かしら厄介事に巻き込まれるかも
知れないと不安もあった。抜け忍として追われる可能性も高いからな、此処で守れればと思った」
 面倒見の良さは相変わらずだと、大治郎は感心する。通りすがりの無関係の子供相手に、そこま
で気を回すものだろうかと考えて、この人ならそうするだろうなとすぐ思い直した。
「で、編入させてみれば、生活態度も授業態度も真面目であるし、一度社会経験を積んでいるから
か、存外懐が広くて濃い四年生とも上手くやってる。好奇心旺盛だが、火薬に執着している訳でな
し。手先も器用だから使えるかと思って打診してみたら、「やってみたい」と云われたんでな。試しに
入れてみた」
「適当すぎやしませんか」
「失礼だな。ちゃんと学園長と山田先生から許可は取ってあるぞ?」
 からからと笑って、土井はお猪口を手にとってぐいと一気に呷った。すかさず次を注げば、「明日
も早いんだからあまり飲ますな」と苦笑される。
「後は、お前らへの刺激かな」
「我々への……ですか?」
「今までの火薬委員――お前らも含めてだけどな、真面目で冷静で良い子には違いないが、小さく
まとまりすぎてる気がしてなぁ。委員会内容が地味なのは仕方がないが、もっと派手に立ち回って
もいいと私は思うんだ」
「忍者が目立ってどうするのです」
「文次郎みたいな事云うなよ」
 くっくと喉で笑って、頭を撫でて来る。いつまでもこの子供扱いが抜けない。武家の子ならば、もう
元服している年齢だと云うのに。
「確かに忍びは目立ってはいかん。自分を過大評価するのもいかん。だがな、過小評価するのもい
かんと私は思うよ。お前らは自分の限界をあっさりと決めてしまって、そこからはみ出ないようにし
ているだろう? まだまだ子供なんだから、もっと無茶してもいいじゃないか」
 確かに自分達火薬委員は、小さくまとまる傾向にある。体育や作法のように派手に立ち回る事も
無く、会計や用具のように好戦的になる事も無く、ただただ、己の領分だけをこなすのみ。自分の
身の丈以上の物事に手を出す事を憚って、出来る事を完璧に行う。
 それが悪い事だと、土井は云っている訳ではない。まだ若いのだから、もっと無謀になってもいい
んじゃないか、挑戦してもいいんじゃないかと云ってくれているだけだ。
 地味で仕事のない火薬委員の通説を、破ってみてはどうだと。
「……周りが知らないだけで、それなりに忙しくはあるのですがね」
「ははは。地味に学園内曲者出現率一位の場所だしな」
 何せ常に、戦一つ軽く起こせる量の火薬を貯蔵してある場所だ。敵対している城だけでなく、タダ
で貴重な火薬を手に入れようとするせこい城の忍びなどもしょっちゅうやって来る。
 そいつらを撃退して来たのは、当然火薬委員会だ。追い払うだけの事もあれば、徹底的に潰して
ふん縛る事もある。
 自然と鍛え上げられ、戦闘能力だけを見れば他の委員会より高いのではと思うくらいだ。
 ただ、他の好戦的な委員会に目を付けられる事を厭んで――ただでさえ地味に忙しいのに、此れ
以上厄介事はいらん――、敢えて公言する事も無く終わらせている。
 特に大治郎と同じ学年には、他委員会に後れを取る事を極端に嫌う潮江、七松、やるからには徹
底的にな好戦派の食満、立花、加藤、勝ちにこだわらないが負ける事も気に喰わない善法寺、中
在家、備前が居る。
 こいつらに目を付けられるなんて冗談じゃないと、面倒くさがり屋な大治郎は思っていた。特に最
初の二人。何かにつけて喧嘩を吹っかけて来るに決まっている。
 だから目立たず、地味に、小さくまとまったままでいいと思っているのだが。
 師と仰ぐ土井が云うからには、自分の意識も改革した方がいいのかも知れない。
「お前たちは、もっと貪欲になってごらん。色々な世界が見えて来るから」
「……」
 その言葉に、きっと他意はない。”教師”から”生徒”への助言に過ぎない。
 けれど大治郎は俯いた。
 自分に、色々な世界を見る資格など、あるのだろうかと。
 後ろめたくなって、俯いた。

 *** ***

 タカ丸は気付いていた。おとぼけとか間抜けとかよく云われるけれど、気付いていた。
 年下の先輩である久々知兵助が、自分を嫌っている事に、気付いていた。
 ようやく最初から参加出来た委員会活動中、火薬壺の埃を払いながらため息を着く。
 特に冷たくされた訳ではない。挨拶をすれば返してもらえるし、教科書を片手に質問に行けば丁
寧に説明してくれる。お礼に髪を手入れすると云えば、厭な顔一つせずさせてくれた。
 けれど、分かった。分かってしまった。
 あまりにも徹底的に嫌われているから、態度に出されずとも悟ってしまった。
 それをタカ丸は悲しく思うが、どうすればいいのか分からない。誰かに相談する事も考えたが、お
前の勘違いだと云われるならばともかく、周囲の久々知への評価が下がる事になってしまったら責
任が取れない。
 何か嫌われてしまう事をしただろうかと考えて、もしかして馴れ馴れしいのが厭なのかも知れない
と気付き、少し距離をとったりもしてみた。だが相変わらず、嫌われたままだ。
 どうしたらいいのか、もうタカ丸には分からない。あまり他人から嫌われた経験のないタカ丸に、
この問題は難しすぎた。
 嫌われるのは悲しい。出来るならば、自分を好きになって欲しいと思う。その方がきっと、毎日楽
しいに決まっている。
 だからタカ丸は、必ず相手を好きになるようにしている。どんな人が相手でも、良い所を探して探
して探しまくって、好意を持てる部分を見つけていた。そうすると、不思議なくらい人間関係が円滑
になって、毎日がとても楽しくなるからだ。
 自分が所属してる四年生だってそうだ。他の学年から困った奴らとレッテルを張られている彼ら
にだっていい所が沢山ある。それを見つけたら彼らを好きになって、それを素直に態度や言葉に
表していたら彼らもタカ丸を気に入ってくれた。
 同じように久々知にも良い所がいっぱいあって、そこを好きだと正直に表現していたのに。
 気付けば、嫌われていた。
(わざとらしかったのかな……。媚売ってるって思われたのかな……。仲良く、なりたかっただけ、
だったのに……)
 いくら相手を褒めたって、それで不快にさせては意味がない。けれどタカ丸はそれ以外に仲良く
なる方法を知らなかった。
 チラと肩越しに、後ろを見る。
 そこには、火薬壺の数を小声で数えながら、在庫表に記入してる久々知が居る。焔硝蔵には今、
久々知とタカ丸だけだ。
 大治郎は実習でおらず、三郎次と伊助は土井に呼ばれ席を外している。
 聞くなら、今がチャンスかも知れない。二人きりになれる機会など、早々巡っては来ないだろう。
これを逃したら、今度はいつになるか、分からない。
 唾液を飲み下し――何だか、苦い味がした気がする――、タカ丸は意を決して久々知に声をか
けた。
「く、久々知先輩!」
「あ? ……何ですか、斎藤さん。分からない事でも?」
 タカ丸の呼びかけに体ごと振り返った久々知は、微笑んでいた。伊助相手ほど甘くはなく、三郎
次相手ほど優しくはない、けれど丁寧な微笑。
 顔に張り付いた優等生の笑みは、万人に向けられる仮面。
 その笑みに向かって、タカ丸は問うた。
「どうして、僕の事、嫌い、なんですか……?」
 云った、その瞬間。
 すとんと、久々知から感情の全てが削ぎ落ちた。ように、タカ丸は感じた。
 顔は微笑を浮かべたままだ。だが、目の色が違う。先程は確かにタカ丸を認識し、少なくとも相
手をしてくれていた目には今、何の色も浮かんでいない。無だ。がらんどうだ。
 いっそ、怒りでも哀れみでも浮かべてくれれば、タカ丸とて反応のしようがあったのに。
「……」
「……」
「…………はぁ」
 無言でタカ丸を見つめていた久々知が、ため息をついた。心底疲れきっているような、落胆した
ような、投げやりなような。どれにしろ、悪い意味にしか取れないため息だった。
 ため息を着くと同時に僅かに顔を俯かせ、額に握り拳を当てているため、薄暗い蔵の中では表
情が影ってしまう。今、どんな顔をしているのか分からない。それが、何故かとても恐ろしい。
「く、くち、せんぱ、い……?」
 恐る恐る声をかけてみれば、またため息。それだけで、体がビクついた。
「……何でさぁ」
「え……?」
「人がせっかく気ぃ使って笑ってやってんのに、そうやって無駄にすんのかね、あんたって」
 今まで聞いた事もない雑な言葉遣いに、目を白黒させてしまう。
 彼はいつだって丁寧で、年下相手にも柔らかな言葉遣いをしていて。それを土井や大治郎が褒
めていて。「癖なんです」と照れ臭そうに、笑っていたのに。
「……はぁ」
 また、ため息。
「何で、とか聞いて、どうする訳? 俺が厭だって云った所、治すの?」
「え、えと……その、うん、そう、かな……です……」
「どうして?」
「だって、厭がられてる所は、治したいし……」
 ぷっと、久々知が噴き出した。笑われている。それが分かって、何故か恥ずかしくなった。
「あんたってさぁ、本当に、どうしようもないよなぁ」
「な、何、」
「それで? 俺があんたの全部が嫌いって云ったら、どうすんの?」
「え」
 まだ顔は見えない。でも、彼が笑みを浮かべているのは、分かった。
「赤に近い茶色の髪も、間抜けな面も、へらへらした笑顔も、年齢の割にガキくさい仕草も」
「く、」
「伊助に好かれてる事も、三郎次をあっと云う間に懐柔した事も、俺にべたべた馴れ馴れしいのも、
土井先生に大事にされてる事も!」
 額を押さえていた拳が、漆喰の壁を殴り付けた。重い音が響き、肩が跳ね上がった。
「大治郎先輩を厚かましく愛称で呼んで、懐いてる事だって! 全部全部全部、俺は気に入らない
んだよッ! あんたの全部が! やる事成す事全てがッ! 気に喰わないし腹立たしい、殴りたくな
るくらい気持ち悪いんだよッッ!」
 云い切って、久々知は完全に俯いた。口が荒い呼吸を繰り返し、肩が上下している。
 それをただ、タカ丸は見つめていた。
 完全な悪意を向けられた事が初めてで、悲しいとか怖いとか、考える事が出来ず。茫然と云うには
意識ははっきりしすぎていて、受け入れるには、苦しすぎて。
「……はっ」
 嘲笑する、声。
「ほら、あんたの厭な所、云ってやったよ。で、どうすんの? 治してくれんの?」
 咄嗟に、言葉が出ない。言葉を、思い付かない。
「なぁ、俺はさ、あんたの全部が厭なんだ。じゃぁ全くの別人になってくれんの? それとも俺の前か
ら消えてくれるの? なぁ、どうやってくれるわけ?」
「ぼ、僕、あの……」
 おどおどと言葉を口にすれば、急に久々知が顔を上げた。ビクつくタカ丸の前までツカツカと歩み
寄り、右手を振り上げる。
 あ、と思った時には、頬を張られていた。蔵の中に響いた乾いた音を、他人事のように聞いた。
 そろそろと手を上げて頬に触れれば、驚くくらいに熱くて。急に痛みが湧きあがってきた。
 窺うように久々知を見れば、タカ丸を叩いた手を藍色の布で拭っていた。その光景に胸が軋み、涙
が溢れた。
 何で。どうして。
 俺は、ただ、君と――
「本っと……あんた、腹立つよ。そんなに人から好かれたいわけ?」
 蔑む目が、タカ丸を見た。
「……――浅ましい奴」
 心臓が血を噴くような痛みを感じると同時に、視界が完全に涙で滲んで、見えなくなった。

 *** ***

 最近委員会の皆が変だと、三郎次は気付いた。
 伊助は頻繁に久々知を見ては、首を傾げ困ったような顔をしている。
 タカ丸は笑顔が前に比べて硬い。
 下関はタカ丸を構いつつ、久々知に視線をやってはため息をつく。
 ただ一人、久々知だけは平素と変わらない。
 穏やかな口調も、伊助や三郎次相手に浮かべる甘く優しい微笑も、尊敬し慕う下関への献身的な
態度も、タカ丸へ掛ける労いの言葉だって、いつも通りだった。
 それが三郎次に、酷い違和感を与えた。これだけ他の委員が普段と違う行動を取っているのに、何
故彼だけが普段通りなのだろうかと。
 聞くのは簡単だ。久々知も下関も何だかんだ云いつつ、三郎次には甘いのだから。「何かあったん
ですか?」と一言聞けば、ある程度の情報は与えてくれるに違いない。
 だが三郎次は聞かない。いいや、聞けない。優秀な二年い組の特待生である自分が、ただ諾々と
他人から回答を与えられるなど、この高い矜持が許さなかった。
 当然、伊助とタカ丸に聞くのも論外だ。三郎次の中で彼らは格下。下の者の教えを請うなど、恥知
らずにも程があると云うもの。
 だから三郎次は、注意深く周囲を観察し、今日までの事を思い返していた。
 何かあったはずだ。決定的な何かが。この変化が起きたのは、いつからだ?
 そう自分に問い、気付く。
 二日前の委員会の日、下関は学校自体に居らず、自分と伊助は土井に呼ばれ焔硝蔵から離れて
いたその日。
 喜ばしい事に、委員会開始時からタカ丸が参加していた。
 彼にとっては二度目の委員会、側に居て色々と教えたかったのだが、土井からどうしてもと請われ
泣く泣く離れたのだ。
 久々知が居るから大丈夫だと、彼に任せれば良いと安心して――
 ちらと、タカ丸を見る。タカ丸は左の頬に湿布を貼っていた。あれは、二日前からつけている。
 中の掃除をしていたらこけて棚に激突したのだと、云っていた。その時三郎次は、何で頬だけぶつ
けるんですか、と呆れたのだ。
(二日前。タカ丸さんの怪我。側に居たのは久々知先輩)
 今度見たのはタカ丸に仕事を教えている下関。面倒くさがり屋の彼が珍しく、自分から動き仕事を
教えている。
(先輩が構うのはタカ丸さん。気にかけているのは、久々知先輩)
 そして伊助は久々知を困惑した顔で見ている。
(つまり、久々知先輩とタカ丸さんの間に何かあったって事だよな?)
 あの温和で真面目な久々知先輩と、のんびり屋でこれまた真面目なタカ丸さんとの間に。
 ……何が起こると云うのか。
(わっかんねぇ……。喧嘩するっつったって、格が違いすぎるじゃん)
 三郎次の中で、喧嘩とは対等の相手とする事だ。格が違うもの同士が争うのなら、それは虐めや
私刑(リンチ)と云う。
 虐め。虐め――?
(久々知先輩がぁ?)
 それこそ、有り得ない。
 はぁと、一つため息。
 聞くのは業腹だが、情報が少なすぎる。少ない情報をいくら頭の中でこねくり回した所で、答えな
ど出るわけがない。
(……ま、何も直接聞かなくたって、情報を得る方法くらいあるしな。とりあえず、いつも通り久々知
先輩にくっ付いておこう)
 そう決めて三郎次は、つらつら考えながらも書き進めていた帳簿を手に、久々知へと駆け寄った。
 久々知はやはりいつも通りの優しい微笑みを浮かべ、三郎次を受け入れる。
 だがふと、三郎次は違和感を覚える。
 柔和に細められた、長い睫毛に縁取られた久々知の目が、少し、虚ろに見えたから。



 了


 え、終わりかよ?! 何も解決してねーじゃん! と云う突っ込みが聞こえてきます。
 それでいいんです。一話で終わらせるには惜しいと思ったので、引っ張ります。ネタがぶっちんて
切れるまで!(おいおい)
 久々タカはあっさりくっ付かない方が個人的には美味しい。久々知は生理的にタカ丸タイプは受け
付けないといい(何かされたとかではなく、生理的に)。タカ丸は周りに嫌われないように生きてる
子だと愛しい。火薬委員会は地味なのに凄い委員会だと嬉しい。
 そう云うドリームを詰め込みまくったお題連作です。
 最初は全く上手く行かないとか擦れ違うとか超えて、いっそ憎み合いとかいがみ合いから始まる恋
愛模様ってのが凄く好きなので、久々タカもそんな感じで行きます。(久々タカの場合は、久々知が
一方的に嫌ってますが、そう云うのもまた美味しいですもぐもぐ!)
 それにしても、久々知と三郎次が酷い^^^^^ 気持ち悪いとか叩いた手を拭くとか、お前久々
知酷過ぎる! と書いてて思いました。無神経な小学生かお前は。後三郎次も、伊助ちゃんとタカ丸
を格下ってはっきり云い過ぎ。タカ丸さんを馬鹿にしすぎ。
 でも二人ってこう云う、いけすかないタイプの優等生だと思ってる!(私が一番酷いね!)
 後、大治郎は大人相手には甘えん坊だったりします。特に土井と山田相手には。その理由は追々v

 【お題配布元:Abandon】


 執筆 2009/10/12