「鳴瀧晴佳と云う女は」
鳴瀧晴佳と云う女は。
本当の所、到底物語の主人公になど成り得ない人間である。
美しい顔をしている。
戦う力は持っている。
人を越えた能力が備わっている。
確固たる信念もある。
冷徹と慈悲の二面性もある。
頭の回転も速い。
平凡ではない過去がある。
哀しい宿命とやらも背負っている。
だが、物語の主人公になるには足らない人間である。
それは生まれつきの物で、鳴瀧晴佳自身が努力した所でどうする事も出来ない。
日本人のほとんどが、生まれながらに黒い髪である事と同じだ。
染めるなり脱色するなりして上辺だけ変える事は出来ても、本質は変わらない。金色に染めた所
で新たに生えて来る部分は黒いのと同じだ。
一言で云ってしまえば、鳴瀧晴佳は生まれながらに「狂えない人間」なのである。
例えば、目の前で愛しい人や家族、友人など掛け替えのない存在を殺されても、狂えない。
怒りは感じる。当然、哀しくもある。
だが、我を忘れると云う事が出来ない。
必ず頭のどこか一部分が冷静になっていて、常に何かを考えている。
上の例えにあるように、大事な人を殺されても、何か別の事を考えている。
悲しみ、怒り、嘆きと同時に、さてこの後どうするべきかと冷静に考えている。
例えば、此処で殺し返していいのだろうかとか、葬式をしなければとか、泣くだろう他の人間のた
めに慰めの言葉を用意していたりだとか、相手を殺した場合死体の処理はこうしようああしような
どと余計な事を考え続けている。
つまり、集中力が全く無いのである。
狂った人間と云う者は、理性や思考を全て捨て去り、その一点だけに熱中する。夢中になる。
つまり、常人には不可能なレベルで集中するのだ。
人智を超えた集中力を、時に人は狂気と呼ぶのである。
だが、鳴瀧晴佳はそれが出来ない。
一つの事象に集中する事が出来ない。何かしら、気持ちがそれる。雑念が入る。
また上の例えを引用するが、殺された相手を愛していない訳ではない。
掛け替えのない存在なのだから、当然深い愛情を抱いており、何が何でも守りたいと云う強い
意思もある。
けれど、集中できない。一つの事にだけ思考を囚われない。
さらに例えるならば、バトル物系漫画にありがちな、「敵だけに集中しろ!」やら「無心になれ」
やら「余計な事を考えるな!」と云う場面において、鳴瀧晴佳はそれらを実践する事が出来ない。
気持ちがそれる。
雑念が入る。
余計な事を考えまくる。
そう云う、人間である。
育ちがどうの、人間関係がどうの、親がどうのと云う問題ではない。
生れ付きである。
鳴瀧晴佳は狂えない。
大事な存在が全て死に絶えても、想像を絶する苦痛を与えられても、目を覆うような惨劇が目の
前で起きても、世界が壊れても。
鳴瀧晴佳は狂えない。狂いたいと願っても、狂えない。狂う事を許さない。
誰よりも正常で冷静で思慮深く思索を怠らない―――雑念の塊である。
だから鳴瀧晴佳は、自分の気持ちと云う物に自信が持てない。
他の皆が云う愛と自分の愛の違いが分かるから、哀しくなる。
我を忘れるような恋が出来ないから、自分のこれは恋ではないのだと嘆く。
でも頭の一部は冷静にこう云うのだ。
「皆と一緒なら正しいのか?」「価値観なんて人それぞれ」「十人十色」「私が愛してると思えば、
これは愛なのだ」と。
そうやって自分で答えを出してしまうから――悩まない。
苦難をさらりと乗り越えてしまう。
苦労をしない。
他人と痛みを分かち合わない。
無理せず悲しみを消化出来てしまう。
自分一人で、全て完結してしまう。
だから、鳴瀧晴佳と云う女は―――
到底物語の主人公になど成り得ない、足りない人間なのである。
了
そしてそんなキャラが敢えて主人公を張ると云うのがギャップ萌えの一種な訳でして。(喧しい)
執筆 2010/02/26
