− 悪魔の恋人。


 その存在に、最初に気付いたのはセナだった。
「――ルーク様!」
 関所の門へ向かうルークの名を叫び、セナは走った。走ったと云っても普通の人間とは違い、爆裂
ダッシュを見せ、一瞬で最高速度を出しルークの前に躍り出たのだ。
 真実、一瞬だった。
 だから、え、と小声を上げて振り向くルークにはセナの姿を捉える事は出来なかった。
「ここで死ぬ奴に、そんなものはいらねぇよ!」
 怒鳴り声が響き渡る。関所の門から何者かが飛び降りてきた。
 腰に下げていた双剣を手に、セナは防御の形をとる。
 途端。金属同士がぶつかり合う硬質な音が響き渡った。
 六神将『鮮血のアッシュ』がセナに斬りかかっていたのだ。
 いや、位置的に云えばアッシュはルークへと斬りかかったのだろう。アッシュとルークの間に一瞬
でセナが割って入ったため、彼女へ斬りかかる形になってしまったのだ。
「何だと……?!」
 アッシュが驚愕の声を上げる。よもや、このタイミングで邪魔をされるとは思わなかったのだろう。
その怯みが隙となった。
 ガイが疾風の如き勢いでアッシュに斬りかかり、ムサシの蹴りが暴風のようにアッシュを襲った。
すぐさま身を引き、なんとかガイの剣はよけたものの、リーチの長いムサシの脚にはつかまった。胸
部を強打され、アッシュは吹っ飛ばされる。ぼきりと嫌な音がした事から、肋骨が折れたのだろうと
云う事が窺い知れた。咳き込みしゃがむ隙さえ許さず、すぐさまヒルマの銃弾がアッシュを追撃した。
正確に足を狙ってくるヒルマの弾丸をなんとか避け、アッシュはその場から逃走する。
 遠くなっていく赤い髪と黒い法衣に向かって、銃を乱射しながらヒルマが叫ぶ。
「追え糞兵士ども! 王族襲撃犯だ! マルクト軍人の名にかけて逃がすな!」
 ヒルマの命令に、突然の出来事に呆然としていたマルクトの兵士たちが駆け出した。傭兵風情が正
規軍人に命令するな、などと愚かな事を云う兵士はいない。ヒルマの示す方――王族襲撃犯が駆け
て行った方へと何人かが駆け出した。流石に全員で追う事は有り得ない。此処は関所なのだから。
「……捕まえられるかなヒルマぁ?」
「無理だろうな。あの野郎、音律譜で脚力強化してやがる。一般兵じゃ追いつかねぇ」
 それがわかっても、追わせないわけにはいかない。マルクトの領地――それも、キムラスカの目の
前、関所で王族が襲撃されたのだ。無理だろうが無駄だろうが、追わせなければキムラスカ側から何
を云われるか――馬鹿でもわかる。つまり兵士達とて承知の上。深追いせずに戻ってくるだろう。
 が。
「無駄な事をしましたねぇヨウイチ殿。貴方らしくもない」
「ほんとー。どうしちゃったの? 平和ボケでもしちゃったんですかぁ〜?」
「ねぇ、深追いは危険よ。すぐ呼び戻した方がいいわ」
 この馬鹿どもにはわからなかったようだ。
 そもそも、追跡命令をヒルマが出すのがおかしい。この場には佐官であるジェイドがいるのだ。ジェ
イドがいの一番に命令を出して当たり前だ。
 だがこの職務怠慢大佐、見ているだけで何もしなかった。目の前でこれから和平に向かう王族が襲
われたにも関わらず、武器さえ持っていない。
 ――和平交渉する気ねぇだろファッキン!
 ヒルマの心の罵り声が、アゴンとウンスイにはしっかりと聞こえたのだった。
 ついでに云うなら。
 ――てめぇら如き一兵卒が知ったかぶって口出してんじゃねぇよ死ね!
 と云う、アニスとティアへの暴言も確かに聞こえていた。
 ……まぁそれを云うならヒルマも傭兵風情なのだが。心の声に突っ込むなど、野暮な事はしない二
人だった。

 *** ***

「ありがとうセナ! 本当に、なんて礼を云ったらいいか……!」
「そんな、ガイさん。顔を上げてください」
 土下座しかねないほどの勢いで礼を云うガイに、セナは苦笑気味に答えた。
「いや、君が居なかったらルークは斬られてた。俺がついていながら……。君のお陰だ。本当にあり
がとう……っ!」
 心底感謝しているらしいガイは、ついにはセナの小さな手を握り締めた。勿論、二人とも利き手と
逆の左手だ。右手は未だに剣を握っている。当たり前だ。たった今襲撃されたばかりだと云うのに、
そう易々と武装解除出きるものではない。
「あれ……?」
 ガイとセナの握手を見て、ルークが声をあげた。念のため怪我はないかとクリタに診ていて貰って
いる最中なのだが、その光景を見て驚いたのだ。
「どうかしたのか?」
 何でもない光景に驚いているルークに、ムサシが不思議そうに声をかける。ルークは首を傾げ、
「いや……ガイ、お前女性恐怖症治ったのか」
「は?」
 ガイがきょとんとする。
「いや、俺はバリバリ女性恐怖症ってーか、さわれないって云うか……」
「今さわってんじゃん」
「え? だって」
「――セナ、女の子だぞ」
 云った瞬間。
 先ほどセナが見せた爆裂ダッシュに負けず劣らずのスピードで―――ガイは距離を取った。

 *** ***

「女性恐怖症か。難儀なもんだな」
「そうなんだよ……。女の子は好きなんだけど、さわれなくって……!」
「安心しろ。世界の半分はさわれる男だ」
「いいいい嫌な慰め方をするなー!」
「みゅ? ガイさん男の人が好きなんですの?」
「やめて! やめてミュウ! 俺にホモ疑惑を着せないで!」
 カイツール軍港へ向かう道中、ルークたちの話題はガイの女性恐怖症についてだった。にやにや
笑いながら、ムサシがやたらとからかう。そしてミュウが追い討ちをかける。
 それに本気で泡を食うガイに、ルークもセナも、クリタも楽しげに大きく笑った。イオンとウンスイは
さすがに遠慮してか、口を押さえクスクス程度に抑えているが、アゴンは興味なさそうに欠伸をして
いた。導師がいるから仕方なくここにいるだけで、会話に入るつもりはないと全身で表していたが、
会話に茶々を入れるわけでもなく露骨に嫌悪する訳でもないので不愉快ではない。
「でも不思議なんだよなぁ。何でセナにはさわれたんだか」
 首を傾げるガイに、ウンスイが云う。
「セナ君を男と勘違いしていたからじゃないか? ……彼女には失礼な話しだが」
「いえ、慣れてますから……」
 ははは……とセナが力なく笑った。確かにセナは中性的と云うよりは、少年じみた顔立ちをしてい
る。そのせいか、今までセナを初対面で女だと看破した人間は片手で足りる程度しかいないと云う。
「うーん。俺も……そう思ったんだけど」
 そう云って、何を思ったかガイはセナに手を伸ばし、頭に手を乗せた。ルーク達はぎょっとしたが
――なんせセナが女と分かった途端、もの凄い勢いで距離を取ったのだから――、ガイは平然とし
ていた。
「な?」
「いや、な? って……」
「本当に女性恐怖症が治ったんじゃないのかなぁ?」
「俺も実はそうなのかと思って、試しにティアとアニスに近づいてみたんだが……」
 あぁ、とアゴンが声を上げる。そ知らぬ顔をしていたが、話はちゃんと聞いていたようだ。
「そんでカス護衛相手に震えてたのか」
「う、見てたのか……」
 本人的にはこっそり、だったのだろうが、ルークに対してあれほど過保護に振舞っているガイがそ
の側から離れれば自然と目につくものだ。
 見っとも無くて面白かったぜ、とニヤニヤ笑いとともに云うアゴンを恨みがましい目で見てから、ガ
イは気を取り直すように咳払いをした。
「ま、まぁだから、セナが特別って事だと思うんだよ」
「僕がですか?」
 自分を指差して、セナがきょとんとする。特別――の言葉が出た瞬間、ルークが顔を少し歪めたが
それに気付いたのはミュウだけで、聖獣の仔は首を傾げて終わった。
「あー、本当に嬉しいぜー! 女の子にさわれるって何年ぶりかな!」
 ぺたぺたとセナの頬に触るガイに、ムサシとクリタは苦笑気味だ。身体でも触ろうものなら即止め
るが――彼の命のためにも――、頬程度ならばまぁ、セナが嫌がらなければいいかと思っている。
「へー。じゃぁお前童て」
「ぎゃー! ルークの前で下品な事云うなアゴンー!」
「……イオン様の御前だぞ。慎め」
 騒いでいる間も、ガイはセナの柔らかい頬をむにむにと揉んでいた。セナとしては、女の子が好き
なのに女の子にさわれないのは可哀想だな、ちょっとくらいいいかな、と云う優しさで笑って済ませて
いたのだ、が。
「――おい、糞下僕」
 ごり、と銃口を後頭部に押し付けられ、ガイは硬直した。ぎゃあ、とルークが悲鳴を上げる。
「誰に許可とって糞チビにさわってやがんだ? あ?」
「い、いやいや、その、え? ふぁ、糞下僕って俺? え? ヨウイチ?」
 とりあえず両手を上げ、降参の意を示すしかないガイだった。
「糞チビ! てめぇも大人しくセクハラ受けてんじゃねぇ!」
「ほ、ほっぺたくらいならセクハラじゃないですよ……多分」
「え、え、いや、あんたの部下に無礼な事したとは思うけど、えと、なんでそこまで怒るの?」
 ヒルマが怒る理由がわからないらしいガイが、混乱した声で云う。クリタが慌てて、抱きしめるよう
な形でヒルマを押さえると、ルークがすぐにガイにしがみ付いた。相当焦ったらしい。
 王族の前でその護衛役に銃を向けるとは、ヒルマらしくない。しかし、イオンたちにもムサシたち
にもその理由はよくわかっていた。
「こいつは俺のなんだよ!」
「へ?」
「あの、僕……ヒルマさんと付き合ってまして……」
 セナの言葉に一拍置いて、
「えぇぇぇぇぇえー?!」「ええええええ?!」
 ルークとガイが驚愕の悲鳴を上げた。
「婚姻前提だ。つーわけで、気安く触るな糞下僕!」
「いや、だって! え?! セナとヨウイチの組み合わせ?! どこがどう化学変化を起こしてそう
なっちゃったんだ?! セナ脅されてるんじゃないか?!」
「ガイ君云い過ぎ……」
 混乱も極まったらしいガイの喚きに、ヒルマがケケケと笑った。
「なぁに云ってやがんだ。俺とセナは相思相愛、想い想われ恋焦がれ」
「お前が言うと嘘くせぇよなぁ」
「っんだとこの糞ジジイ!」
 怒りの矛先がガイからムサシへ変わったのを、これ幸いとガイはルークを抱えて距離を取った。
「ふー……。なるほどなるほど、じゃぁヨウイチが怒るのも道理かぁ。見たなルーク。アレが男の独
占欲って奴だったんだぞ? 勉強になったな」
「へー、あれが……」
 混乱が収まっても失礼なガイの言葉に、ルークは素直に頷いてマジマジとヒルマとセナを交互に
見ている。ルークもルークで、意外すぎる恋人関係に毒気を抜かれたらしく、もうヒルマを見る目は
怯えてはいなかった。
 ふと、ルークがセナを見る。
「? どうかしましたか?」
「いや、ガイがセナにさわってヨウイチ怒ってたから。セナも他の女がヨウイチに触ったら怒るのか
な、って」
 何も質問の仕方まで素直(ストレート)でなくとも。
 直球過ぎる質問内容に、ウンスイは思わず苦笑した。なるほど、癇癪持ちで我が儘なところもあ
るが、この素直さは可愛いだろう。思わず構いたくなるタイプだ。
「あはは。さわったくらいじゃ怒りませんよ。浮気したら去勢しますけど」
 笑顔であっさりと云われた恐ろしい台詞に。
 ガイとアゴンがずっこけ、クリタとイオンが笑顔で固まり、ウンスイは頭を抱え、ムサシがうわぁ
と呟いた。云われたルークは意味がわからなかったらしく、ふーん? と呟いているだけだったが。
 で、去勢手術すると云われたヨウイチは、ケケケケケと心底楽しそうに笑った。
「そんじゃぁ俺とのガキが欲しけりゃ、浮気されねぇように全力で尽くすんだな糞チビ!」
 ――嗚呼、本当に。……この男は恐ろしい。これと平然と付き合って、挙句去勢するなどと云え
るセナも物凄く怖い。
 オールドラント最強カップル決定戦があったならば、ヒルマとセナが優勝に違いないと、その場に
居た者たちは確信したのだった。



 了


 加筆修正 2009/08/21