− 蜘蛛は拒絶する。


 パッセージリングを起動させるには、ユリア・ジュエの血が必要だった。外殻大地の降下作業を行っ
ていたアッシュ達は、ユリアの血筋であるティアに起動の鍵となってもらっていた。
 しかし、パッセージリングを起動させるたび、ティアの体内は瘴気を取り込む。瘴気は人間が決し
て受け入れる事の出来ない毒。それを身に受けるたび、ティアの身体は蝕まれていく。
 世界のためとは云え、仲間を死なせるのは忍びない。そう思ったらしいアッシュは、記憶の奥にし
まったままにしていたある人物を呼び起こす事に成功した。
 ハヤト・アカバ―――
 複雑な事情から、王家の蒼き血と始祖ユリアの血を受け継いだ男だ。つまり、ティアとヴァン以外
で唯一、パッセージリング起動が可能な人間。
 ハヤトが居れば、ティアは死ななくて済む。そう結論したアッシュ一行は彼を探した。
 何が不満だったのか。貴族として何不自由のない生活をしていたはずのハヤトは、二年前に国か
ら出奔していたのだ。彼の出自を他国に知らせるわけにはいかないキムラスカ王家は血眼になって
彼を探しているが、未だに見つかっては居ない。
 三つの国しかないオールドラントで、王族が身を隠せる場所など高が知れている。恐らくは中立地
帯のケセドニアだと当たりをつけたアッシュ一行は街へ向かった。
 王家が探し回って未だに見つかっていない男。ならばそう簡単に見つかるわけがない。そう思って
いたのだが、アッシュに協力している「漆黒の翼」の情報網はハヤトの存在を捕まえてくれた。兵や
よそ者には口を噤み続けたケセドニア裏街道の人間も、義賊と名高い「漆黒の翼」には口が緩んだ
らしい。
 彼らは、実にあっさりとハヤト・アカバへと辿り着いた。
 ハヤトの住居は裏路地の奥にひっそりと建っていた。貴族が住んでいるとは信じられないようなあ
ばら屋であったが、確かに彼はそこに居た。
 世間の事になど興味がないようで、一人彼はそこでギターを手に曲を作っていた。ノックもなしでい
きなり上がりこんだアッシュ達へ向ける目は厳しい。
 しかし、アッシュ達には”世界を救う”と言う大義名分がある。個人の感情など知った事ではないと
でも云わんばかりの、傲慢な態度だった。
 世界の為に、ティアの為に。当然のように協力を要請したアッシュ達は、
「フー……。せっかくだけれど、お断りするよ」
 きっぱりと、断られた。
「なっ……! 何を仰るのですハヤト! 世界の危機なのですよ!」
「僕には関係ない」
「ちょっと! 外殻大地が崩落したら、あんただって死んじゃうんだよ?!」
「そんな当たり前の事、わざわざ大声で云われなくても分かる。少し静かにしてくれないか? コイツ
の声が聞こえない」
 そう云ってハヤトは、ギターを鳴らした。
 どうやら、彼の中ではもう話しは終わっているらしい。会話をする気がないのが明け透けだ。
 しかしアッシュ達がそれを許さなかった。今がどれだけの緊急事態がわからないのか、人が皆死
んでもいいのか、ティアを見殺しにする気かと喚きたてた。
 そんな彼女らにハヤトは視線一つくれない。じっと目の前の楽譜を眺めている。
 その態度に、アッシュの細い堪忍袋の緒が切れた。楽譜を載せた台を蹴り倒し、ハヤトの首に剣
を突きつける。
「舐めた態度もいい加減にしろ……!」
 凄むが、それでもハヤトは視線をアッシュに向けなかった。剣を突きつけられて怖気づいたかと思っ
たが、それも違う。
 フー……と、ハヤトが細くため息をついた。
「此れが次代の国王か……。キムラスカは終わったね」
「何だと……?!」
「人の作品を蹴り倒した挙句、武器も持たない無抵抗の人間に剣を突きつける。――とても王がや
る事とは思えないね。いや、愚王ならば有り得る、かな?」
「貴様!」
「無礼な! アッシュに謝りなさい!」
 またハヤトが細くため息をつく。あぁ面倒臭いさっさと消えてくれ、と云う態度がまたもや明け透けだっ
た。全員がいきり立つ中、ジェイドだけは静かな目でハヤトを眺めている。
「残念だが、僕はもうキムラスカの国民でもない。軍属でもない。王族に払う敬意は持ち合わせてはい
ないんだ。従って、謝る必要はないね。そんなに媚びへつらって欲しければ自分の国へ行きたまえ。
皆がチヤホヤしてくれるよ」
「馬鹿にするのも大概にしろ!」
「馬鹿になんてしちゃいない。僕は事実を述べているだけさ」
「……黙って聞いていれば、貴方、何様のつもりなの?」
 今まで黙っていたティアまでも、ハヤトを責めだした。黙っていた理由は恐らく、ハヤトに自分の身代
わりになってくれと云う申し出が、身勝手なものだとある程度自覚していたからだろう。身の程を弁えた
沈黙も、”非常識”なハヤトを前に消え去ったようだった。
「何様も何も。僕はただのハヤトだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「わけわかんない事云って! いいから黙って、私たちに協力しなさいよ!」
 キャンキャンとアニスが喚く。そこでようやく、ハヤトはアッシュ達へ視線を向けた。其れを見てアッシュ
が剣を引く。本当にただ、ハヤトが自分を見ないのが気に入らなかっただけのようだ。
 コータローがいない時に限ってまったく……とハヤトは呟いて――どうやら、ジェイドにしか聞こえなかっ
たらしく、アッシュ達は何も云わない――から、口をしっかりと開いた。
「最初に云っただろう。断る、と」
「あんた、いい加減に……!」
「フー……。いい加減にするのはそっちだと思うけどね。君たちこそ、一体何様なんだい?」
「私たちは世界を救うために……!」
「誰がそんな事を頼んだ」
 怒鳴るティアの声を、ハヤトは透き通った声で切り捨てた。人間とは思えない硬質な声に、ティアが怯
む。彼女の後を次いだのはナタリアだ。
「も、勿論国の上層部ですわ。世界の危機なのですから、当然の事です」
「そう。国が決めた事なんだね。それじゃぁますます僕には関係がない」
「何を……!」
「フー……。云っただろう。僕は国を棄てた身だ。国の決定は僕に何の影響も及ぼさない」
 そう云ってハヤトは立ち上がった。思わず、アッシュは後ずさりをする。
「あのね」
 まるで、聞き分けのない子供相手のような声音。サングラスをかけているせいでどんな目をしている
かわからないが、きっとうんざりとした疲れた目をしているだろうなとジェイドは考える。
「世界なんてものはいつか滅ぶ。人は放っておいたって絶対に死ぬ。それがどうしたって云うんだ?
当たり前の事だろう。遅いか早いか、それだけの事でしかないんだ」
「あ、あなたって人は……!」
「君達がやっている事を非難するつもりはない。むしろ、英雄的な行為だろうね。特に、――ティアさ
んだっけ? 彼女は瘴気を身体に取り込んでまでパッセージリングとやらを起動させていると云うの
だから見上げた自己犠牲精神だ。誰に強制されるわけでなく、自分でやると決めたのだろう? そ
れは美しいと思うよ。決して否定はしない。反対もしない。
 だけど」
 そこでようやく、ハヤトはサングラスを外した。現れた目の色は――赤い。まるでジェイドのような
血の色だ。

「それに僕を巻き込むな」

 絶対の、拒絶。
「僕は生憎と、ティアさんのように自分の身を犠牲にしてまで世界を救おう、なんて思わない。瘴気を
取り込むなんて御免だ。世界のために死ぬなんて御免だ。それなら皆死んでしまえばいい。どうせい
つかは死ぬんだ。世界に殺されるならばそれは自然の摂理だ。それに反発してまで、僕は生きたい
とは思わない。だから協力はしない。やるなら君たちだけで勝手にやってくれ」
 ハヤトはしゃがみ込み、倒れた台を立たせ楽譜を拾い始めた。呆然と立ち竦んでいるアッシュ達に
ちらりと一瞥くれると、いかにも迷惑だと云う表情を作り、追い討ちをした。
「話しは終わりだよ。そこに突っ立っていられると作曲の邪魔だ。さっさと帰ってくれないか?」
「あ、あなた……な、んて――身勝手な人なの!」
 ティアが怒鳴った。彼がしゃがんだ事で絶対的な拒絶の威圧から解放された気になっているのだろ
う。ジェイドの目には、随分と滑稽に映った。
「世界が危ないって云うのに、自分の事ばかり……! 貴族って云うのは、皆こうなの?! 傲慢にも
程があるわ!」
「――」
 ハヤトはついに、表情を消した。顔を作るのも面倒になったのかも知れない。
「ティア」
 だからジェイドは、口を出す気になった。
「身勝手で傲慢なのは、こちらですよ」
「え……?」
「何を仰いますのジェイド!」
「彼が云った事はなんら間違いではありません。ハヤト殿は無関係な一般人。こちらは頼む側であり、
彼には拒否する権利があるのですよ」
「し、しかし……!」
「我我は確かに、国のトップに依頼されて動いている。ですがそれは「外殻大地を無事地殻へ下ろす
事」のみであり、人権を蹂躙しても良いとは云われていません」
「でも大佐! 私たちは、世界を救うためにやってるんですよ! 協力して当たり前じゃないですか!」
「世界を救うと云う大義名分が全人類に有効なわけではありません。私たちのように崩壊に抵抗する
人間がいれば、ヴァンたちのように人類を滅ぼそうとしている人間もいる。そして、彼のように破滅を
受け入れる人間もいるのです。”当たり前の事でしょう”?」
「……おい、眼鏡。何のつもりだ」
「私は貴方達が云う、当たり前の常識を語っているだけです。―――ティア」
 名前を呼ばれ、ティアは眉間にシワを寄せながら返事をした。ジェイドはハヤトと同じ無表情でその
不機嫌な顔を眺める。
「貴方は何様のつもりですか」
「なっ……!」
「貴方は自分でパッセージリングを起動すると云った。ハヤト殿の存在が話題に上った時にも、代わっ
てもらうなんてとんでもないと云った。それなのになんです? 其の態度は。恥ずかしいとは思わない
んですか?」
「いえ、そんな……私はただ……彼の態度が……」
 ジェイドは眉間にシワをよせた。
 ああ――我我は何も変わってはいないのだ。ルークはあんなに自分を見つめなおし、変わろうとし
ているのに。
 自分たちは愚かなまま、その事にも気付かないで。
「彼の態度が悪いのは当たり前です。私たちの方が礼儀を欠いているのですから、これで愛想良く対
応する方がおかしい」
「……」
 そう云えばアッシュ達は黙り込んだ。しかし、その顔は納得していない。自分たちは正しい事をしてい
るのだから、世界人類は協力するべきだと云う独善的かつ身勝手な思いが根付いているのだろう。
 ――愚かしい。
 ハヤトの方を見れば、彼は微笑を浮かべジェイドを見ていた。話が通じる相手を見つけられて嬉しい
のだろうか。
「……申し訳ありませんでした、ハヤト殿。ご無礼、お許し下さい」
「フー……。別にいいですよ。ご友人方を連れてお引取りいただければそれで」
「はい。早々に立ち去りましょう」
「大佐?!」「大佐ぁ、何云ってるんですか!」「ジェイド! 勝手な事を」
「――黙りなさい!」
 思わず声を荒げていた。ジェイドに怒鳴りつけられ、女性陣は身を竦めた。アニスなど涙目になって
いるが、ジェイドは気にも留めなかった。
「行きますよ」
「だが……ティアが」
「死ぬかも知れないと、我我も医者も止めた。それでも彼女は自分がやると云ったのです。今さらその
責任と覚悟を他人に押し付けるのは無責任にも程がある」
 無責任。
 その言葉に、女性陣が顔を顰めた。不愉快なのはこちらだと、ジェイドは口の中で呟いた。
 子供たちを家から追い出し、ジェイドは再度ハヤトに頭を下げた。
「調子の良い事を……と仰るかも知れませんが、今日の事はお忘れ下さい。貴方の事はキムラスカに
伝えません」
「フー……。それは有り難いですが、僕はこの家を棄てます。どこから漏れるかわかりませんからね。
屋敷に監禁されるのはもう御免です。それと」
 にこりと、小さな笑みをハヤトは浮かべた。
「あの方々から僕を守ってくれた貴方の事は、忘れられませんよ」
 その言葉にジェイドも笑顔を返し、もう一度頭を下げてから家を出た。
 途端。
 ジェイドを迎えたのは、仲間――いや、同行者達からの鋭い眼差し。軽蔑と侮蔑、憎悪と怒りを無遠
慮にぶつける目が、一斉にジェイドへ注がれた。
 ばれないように息を飲み、それから、ため息をつく。
 ルークは。
 あの子供はずっと、こんな中に居たのか。こんな身じろぎ一つするのにも気を遣うような、視線の中
――その視線の先には、自分も、居た。
 またもや自分がどれだけ愚かだったのか思い知り、ジェイドは俯いた。それをどう取ったかは知らな
いが、目がそらされる。
 きっと彼女達の中で、ジェイドは「ティアを見捨てた非常識な極悪人」になっているのだろう。馬鹿らし
い。なんて、下らない。
 無言でアルビオールに向かい歩き出す四つの背中。それを眺めてから、ジェイドは今一度あばら屋
を振り返った。
 今さっき見せられた、ハヤトの小さな笑みをもう一度みたいと、思った。



 了


 加筆修正 2009/08/21