− 忠誠の聖騎士と神速の小悪魔。
剣を突きつけられたセナは息を飲み、周囲の人間は硬直した。
キムラスカ・ランバルディア王室直属護衛騎士団「ホワイトナイツ」最強の騎士――『トライデン
ト(三叉の槍)』の称号を持つセイジューロー・シンが珍しくも腰の剣を抜き払い、マルクト帝国ピ
オニー・ウパラ・マルクト九世のお抱え傭兵部隊、最強の攻撃力を持つ「デビルバッツ」の小柄な
少女、セナ・コバヤカワにその切っ先を突きつけたからだ。
シンの背後に庇われている――庇われる必要は実際ないのだが――ルークは混乱した。
シンは清廉潔白な男で、幼い頃から守り慈しんでくれたルークだけの騎士だ。だから彼が、自
分より小さな少女に剣を突きつけると云う行動が理解出来ない。
「……何故、貴様が此処にいる」
低く響く声。ルークに向ける時には柔らかな色を帯びるはずの声は硬く、鋭く、まるで声だけで
相手を切り裂こうとしているかのようだった。
「デビルバッツ」は動かない。仲間に剣を向けられ割って入りたいのだろうが、此処はファブレ公
爵邸だ。いざこざを起こすのは不味いと、彼らはわかっているのだ。
「け――剣を引け、セイジューロー!」
だからルークは声を張り上げ、シンの逞しい腕をつかんだ。「デビルバッツ」は和平を成功させ
るために訪れた連中だ。無礼な行いをしては、――シンの立場が危うくなってしまう。
シンはルークの騎士だ。ルークに忠実であり、決して命令には逆らわない。そのはずなのに、シ
ンは剣を引かなかった。
焦るルークの耳に、シンの刃の如き声が響く。
その声は、確かに刃の如く鋭く、腹に響く強い声だったが、どこか、
「――『アイシールド21』……!」
待ち焦がれた恋人との再会に、狂喜しているような声にも、聞こえた。
*** ***
セナは冷や汗をかいていた。
それは勿論、王国最強の騎士に剣を突きつけられているからと云うのも、ある。だがそれよりも
セナを焦らせたのは、彼が使った呼び名だった。
「アイ、シールド……?」
ガイが呆気に取られたような声で云った。周りの人間も一様に呆然としている。
ただ「デビルバッツ」だけは耐え難い失態だと云わんばかりに目を閉じていた。特にヒルマは酷い
表情だ。
それが、セナには悲しい。
『悪魔の司令塔』には常に、自信に満ちた顔をしていて欲しいから。彼の失態ではないのに、そんな
顔をしないで欲しかった。
「『アイシールド21』……?! そんな馬鹿な!」
大声を上げたガイが、信じられないとばかりにセナを見る。その視線に応える事が出来ないセナは、
俯くしかなかった。
なんて失態だろう。戦場では顔を隠していたからと安心していた。
アレは所詮目晦まし。外見を誤魔化しただけ。常に本質を見極めようとする人間には通じない、騙
し絵のようなもの。
バチカルに来るなら警戒して当たり前だった。王国最強の騎士を前に、なんて間抜けなのか。
「ガイ、『アイシールド21』って……?」
「まぁ、ルーク。ご存知ありませんの?」
「な、名前くらいは知ってるっつの。でもどんな奴なのか、皆して教えてくんなかったんだよ!」
馬鹿にされたと怒るルークだが、ナタリアはまた「まぁ」と呆れたように云うと、シンの後ろで同じく唖
然としていたサクラバに声をかけた。
「本当ですの、サクラバ」
「……は、はい。その、……我我の負け戦の話ですから……ルーク様にはお伝え辛くて……」
そう。「『アイシールド21』の初陣が世間で伝説のように語られているのは、新進の傭兵部隊を勝利
へと導いたからだ。しかも相手は、キムラスカ王国最強と誉れ高い「ホワイトナイツ」。
誰もが思っていた。「ホワイトナイツ」と「デビルバッツ」が戦場でぶつかる事があれば、負けを余儀な
くされるのは後者であると。誰一人として「ホワイトナイツ」の勝利を疑ってはいなかったと云うのに。
たった一人のイレギュラー――『アイシールド21』の存在で覆されたのだから。
「……『アイシールド21』とは、最強を示す称号の一つです」
サクラバが云う。『アイシールド21』の意味を知らない主人へ、優しく丁寧に、しかしどこか、
緊張感を漂わせながら。
「始まりはホド――シグムント流からだと云われています。誰も追いつけない光速の足、気付いた瞬
間には相手を切り伏せている音速の剣技。何人の武器も寄せ付けない、瞬きのうちに命を刈り取る、
故についた称号が――神速剣士『アイシールド21』です」
「神速……」
呟いて、ルークはセナを見た。セナは俯いたまま、顔を上げられない。
「セナが……『アイシールド21』?」
「有り得ないんだ」
「ガイ?」
穴が開きそうなほどにセナを見つめながら、ガイが云う。
「始まりは確かにシグムント流だ。けれど時が経つにつれ、『アイシールド21』もその姿を変えた。
曰く、目に触れぬ速さはシグムントの極意、一撃で敵を屠る剣技はアルバートの極意。つまり」
「柔のシグムント流と剛のアルバート流。元は同じ流派でありながら決して相容れない、オールドラ
ント最強剣術を双方修めた者に与えられる称号でもあるのです」
サクラバがそう締めくくり、セナに視線をよこす。
今、この場にいる人間全ての目がセナに向いていた。
「有り得ないんだよ」
また、ガイが云った。
「シグムント流は十六年前にホド消滅とともに絶えている。アルバート流と違って外部に持ち出され
なかった秘匿の剣技で、継承者も関連書物もホドにしか存在しなかった。だからもう、『アイシール
ド21』の称号を持てる人間は生まれない。セナがなるのは不可能なんだ。彼女は十五歳。ホド消滅
の一年後に生まれた彼女が、どうやってシグムント流を修める事が出来るって云うんだ!」
強く激しい声でガイが云った。その一拍後セナは、剣を突きつけられている事も忘れ、きょとんと
してしまった。
「あの」
ぱちくり、瞬きを一つ。
「僕って、そんなに凄かったんですか?」
「――はい?」
あまりにもあどけない声に、今度は周りの人間がきょとんとしてしまった。
*** ***
微妙な空気が流れる中。
シンは不機嫌だった。
事情を聞かず”客人”に剣を突きつけた事は謝罪するが、易々と「デビルバッツ」を信用するなど
出来はしない。彼らに舐めさせられた苦汁が、あまりにも多すぎた。
憎んでいると云うわけではない。予期せぬ敗北を味合わされ、シン個人にも負けの屈辱を与えた
傭兵部隊だが、その能力は感嘆に値すし、見習うべき点も多い。
それでも。……それでも。
負けの二文字を与えられた事が、許せない。
上には上がいる事は知っている。だが、自分はルークの騎士であり、最強を示す称号の一つ、『ト
ライデント』を与えられていた。どんな相手にも、負けるわけにはいかない――そう云う覚悟を背負っ
ていたのだ。何故なら己の敗北は、イコール、主の死へ直結するからだ。
だからシンは「デビルバッツ」を許せないし、『アイシールド21』にも勝ちたいと思っている。
それこそ、命令違反を犯しても、だ。
周囲は『アイシールド21』がセナ・コバヤカワである事に驚愕しているが、シンには関係ない。
シンの中で『アイシールド21』とセナは最初からイコールだ。
「……セイジューロー」
主人が、低い声でシンを呼ぶ。強い、反抗を許さない声ではあったが、隠しきれない疲労が滲んで
いた。初めての外の世界、それも二ヶ月に及ぶ長旅で疲れているのだろう。早く休んでいただかなく
てはとシンは思い、目の前の”敵”から目をそらさないまま「はい」と返事をした。
「剣を下ろせ」
「……出来かねます」
逆らったシンに、主人ではなく周囲の方が驚いたようだった。特にサクラバは、目を大きく見開いて
いる。今までシンは、ルークに逆らった事がない。忠誠を誓う騎士として、主の命令に従うのは当然
の事だからだ。
だがしかし、今はその命令に従うわけにはいかない。
先に云った通り、「デビルバッツ」は「ホワイトナイツ」に勝利した戦闘集団なのだ。もし此処で
警戒を解いて主人に何かあったなら――そんな事、許せはしない。
「この者たちは傭兵部隊「デビルバッツ」。我ら「ホワイトナイツ」に敗北を与えた者達です。彼ら
を前に剣を収める事は出来ません」
「……お前の気持ちは、わかってるつもりだけどな……」
ばりばりと、頭をかく音がした。いつものように貴族らしからぬ、親しみやすい粗野な仕草をしてい
るのだろう。叱責するナタリアの声がしたが、ルークは答えずにさらにシンへ言葉を続けた。
「そいつら「デビルバッツ」は和平のために来たんだ。バチカルまでの道中、俺が世話になった恩人
だ」
それは初耳であり驚いたが、それと同時にガイ・セシルへの怒りも募った。主人の側にいながら、
傭兵如きにルークの世話をさせたのか、と。
「もう一度云うぞ、セイジューロー。剣を下ろせ。そいつは俺の恩人だ。無礼な行いは許さない。俺の
騎士だと云うなら――弁えろ」
「……はっ」
しばしの沈黙後、シンは剣を収めた。だが警戒は解かない。彼らが不審な行動を少しでもとれば切
り捨てられるように。
剣を外されたセナは安堵の息をついて、咽喉を撫でた。すぐにクリタが近寄って優しく声をかけてい
る。
「悪かったなヒルマ。俺の騎士が」
「いいえ、構いませんよルーク様。シン様のお立場を考えれば当然の事でしょう」
丁寧な言葉に、シンは思わず声の主――ヒルマを振り返った。戦場で憎たらしい笑みを浮かべ、自
分たちを散々翻弄し陥れた悪魔がシンの主に礼を払っている。それは、己の正気を疑うような光景だっ
た。
そこでシンは、先ほど牢屋に放り込んだ不敬者を思い出す。
ダアトの正規軍人でありながら、キムラスカ王室に連なる尊い方へ頭の中身を疑うような不敬の数々
を犯した愚かな女。主人を誘拐したと云うだけで殺してやりたいくらいだったが、ダアトから横槍が入っ
てそれは不可能だった。
尤も。せっかく誘拐の罪を国王命令で流してやったと云うのに、王城での不敬罪で拘束されていれば
世話は無い。愚かな女。それ以外の感想はない。
だが、その愚か者のせいか、ヒルマが厭に真っ当に見える。
シンは頭を左右に振ってから、セナに目をやった。びくりと怯える少女は、戦場で鬼神のような戦いぶ
りを見せた剣士だ。
だが、潤んだ瞳は年相応の幼く、可憐な少女のそれで。シンは急に申し訳ない気持ちになった。
外見に惑わされるなどあってはならない事だが、何故かその時シンは、それでもいいと思った。
セナに向かって、深々と頭を下げる。
「すまなかった」
「え……」
「遺恨があるとは云え、貴殿は我が主ルーク様の恩人。礼を欠いた行いをした事、謝罪しよう」
「あ、えっと……」
心からの謝罪にセナは途惑ったような声を上げた。
「その、頭を上げて、下さい……」
云われ、素直にシンは頭を上げた。自分よりずっと小柄な少女が、こちらを見上げている。
戦場で相対した時より、ずっと小さく見えた。あの時はゴーグルで隠されていた目は大きく、かすかに
潤みを帯びている。
背筋が凍るような戦いぶりを思い出すと演技ではないかと疑いたくなってしまうが、澄んだ瞳に嘘は見
えなかった。ずっと見つめていたくなるような美しさで、シンはまたもや礼儀を忘れ見入ってしまう。セナ
もまた弱弱しいながらどこか一本筋が通ったような、そんな瞳でシンを見つめた。
しばし見詰め合っていると、
「……何見詰め合ってんだよ!」
ルークが突然間に割って入ってきた。驚くセナとシンを交互に見て、ルークはさらに云う。
「謝罪が終わったならもういいだろ! ――母上に顔見せに行くから、同行しろセイジューロー!」
「御心のままに」
何故か憤慨している主人の後へ付き従う。途中ルークが執事に指示を出しており、それは「デビルバッ
ツ」を客人としてもてなす様にとの命令であったが、シンは特に不快な気分にはならなかった。
しばらく滞在するのなら、話す機会があるだろうかと無意識に期待しながら、シンは主人の後に付い
て歩き出した。
肩越しに振り返れば、セナがきょとんとした顔で自分達を見送っていた。
了
加筆修正 2009/08/23
