− 獣の愛情。


 チーグルの森に住み着いたライガ族を説得しに来たはずなのに。
 何故かティアもイオンも彼らを始末する気満々で、ルークは厭だと喚いた。戦う事も怖かったけれど、
相手が子供を守る母親だったのも厭だった。生まれてくるだろう子供を殺すのも厭だった。
 ライガクイーンは一族のために此処に来ただけだ。悪いのはチーグルで、自分たちは交渉を頼まれ
たけれど始末を頼まれたわけではない。だから厭だと云ったのに、甘ったれた事を云うなと一蹴され
前衛に押し出された。
 怖い、厭だ、なんで俺がと喚き、殺したくないと叫んだ瞬間、ティアは云ったのだ。
「此処で仕留めなければ被害が広がるわ! 貴方、エンゲーブを見捨てる気なの?!」
「――知るか! こいつら何も悪くねぇだろ! 悪いのはチーグルじゃんか! なんで俺が戦うんだよ?!
それにチーグルは交渉しろって云ったじゃねぇか! エンゲーブからも始末してくれなんて頼まれてねぇ
し、俺は関係ねぇ!」
「ルークッッ! 貴方、最低だわ!」
 そうティアが云った一拍後、

「……最低なのはどっちだ」

 絶対零度の声が響き渡り、ティアが吹っ飛んだ。紙切れのように吹っ飛ぶティアを、ルークは呆然
と見送った。
「あはは! ……人の母親に、何武器なんて向けちゃってんの? ギャグのつもり?」
 氷の譜術でティアを吹っ飛ばした少年が云う。笑ってはいるが、吊りあがったアーモンド型の眸は
ギラギラと獣のように輝いていた。

 *** ***

 タイガはマルクト帝国カミヤ侯爵家の三男だった。だった、と過去形で話してはいるが、現在もカ
ミヤ家の三男ではある。しかし、彼のカミヤ家での立場は非常に難しいものだった。
 彼は三つの時、行方不明になった。五年の長きに渡り、カミヤ家の歴史から姿を消していた。
 タイガは当時三歳だったため、どう云った経緯で自分が行方不明になったか知らない。だが、無
力だった自分を五年の間、育ててくれた存在は知っている。タイガにとって母となった、ライガクイー
ンだ。
 何故人肉を好むライガの女王が人の子を育ててくれたのか、余人には知れないしタイガとて不思
議に思っている。だがライガクイーンがタイガを息子と思い、大切にしてくれたのは事実だ。
 だからタイガは、発見され家に連れ戻された後でもライガクイーンを母と慕い、定期的に会いに来
ていた。お陰でカミヤ家三男としての立場が微妙になっているが、そんな事はどうでもいい。タイガに
とってライガ族は家族であり、カミヤ家は家族と自分を引き離した連中に他ならないのだ。
 この前訪ねた時、タイガの故郷であるライガの森は真っ黒に燃え尽きていた。何があったのかと当
時身重だった母に問えば、チーグルが森を燃やしたのだと云う。当然怒り狂ったタイガはチーグル族
へ兄弟と共に殴り込みをかけ、ライガ族の移住を認めさせた他、母と一族を危険にさらした賠償とし
て食料の献上を云い付けた。
 被害者側としては当然の要求だった。幸い、チーグルの森は食べ物が豊富だ。ライガ族は雑食であ
るから木の実でも他の魔物でも食めばいいし、子育てが待っている母にはチーグルに持ってこさせた
食料を与えれば良いとタイガは考えた。母にそう伝えれば、彼女は酷く安堵して落ち着ける場所で卵
を産んだ。
 生まれた卵を撫でながら、タイガは元気に生まれて来いと心から思った。生まれたての仔は成体以
上に人肉を好むが、母には絶対に逆らわない。近くにエンゲーブがあるがそこを襲えば人間達がこち
らに牙を剥くと母には話しておいたから、生まれてきた弟妹たちは馬鹿な真似などしないだろう。その
ためにもチーグルに食料を要求しておいたのだから。
 チーグルが多少の空腹を我慢すれば事足りたが、彼らは聖獣として保護されてきた立場の連中だ。
脅しを含め、何匹かを兄弟に食わせた。そうしなければ奴らは、あの木から出て食料を集めようとも
しなかったのだから!
 二度目になるが、チーグルが多少の空腹を我慢して必死になって自分たちの森から食料を集めれ
ばそれで良かったのだ。なのに彼らはとんでもない事をしでかしてくれた。
 人間の里から、食料を盗ってきたと云うのだ。
 それを伝え聞いた時のタイガが受けた衝撃は計り知れない。すぐ移住できるようにと新たな森を見
繕って、居候のリキヤ・ガオウを引っ張ってチーグルの森へ急行した。
 チーグルは草食だ。その彼らが人間の食料を盗って行ったとなれば、何事か起きたと勘繰る人間
が出てくるに違いない。結果、森に人の手が入りライガ族の移住が露見してしまう。先に述べたよう
にライガ族は人を食う人間の天敵だ。卵を抱えた親が居ると知られれば皆が殺されてしまう!
 そして案の定――母は人間に狙われていた。
 飛び出そうとしたタイガを引き止めたのは、念のためにと連れて来たガオウだった。
「なにす……っ! 放せ馬鹿! 母さんが……!」
「落ち着け。……少し様子見るぞ」
 ガオウは身体も大きく顔つきも粗野だが、その実思慮深く博識だ。彼がそう云うなら少しくらい我
慢してもいいかも知れないと思い、木の根の影に身を隠す。
 どうやら、チーグル族はライガにこの森から立ち去るようにと要求しているらしい。……自分たち
のした事を棚上げしてやがる。
「人の故郷燃やしやがったくせに、調子いい事云っちゃってんなぁ……」
「あの連中に始末を依頼したわけじゃないようだな……」
「はぁ? ……あはは! そんな事してみろよ。――俺がこの森ごと、チーグル焼き尽くしちゃうよ?」
 紛う事なき本音だ。チーグルがローレライ教団の聖獣だろうがなんだろうが関係ない。自分の家
族をこれ以上危険にさらすと云うなら、消し炭にしてやる。
「まぁ、交渉なら手を出すまでも――」
 ない。そう続けただろうガオウの言葉は、途中で消えた。
 交渉人たちの声が、聞こえる。

「導師イオン。ミュウと一緒にお下がりください」
「お、おい、ここで戦ったら卵が割れちまうんじゃ!」
「残酷かも知れないけど、その方が好都合よ。卵を残してもし孵化したら、エンゲーブを襲って消滅
させてしまうでしょうから」

 その言葉を聞いた瞬間、タイガは飛び出していた。ガオウももう、止めはしなかった。

 *** ***

 ルークは混乱していた。
 突然現れた少年はティアを吹き飛ばした上、ライガクイーンを「母さん」と呼び駆け寄って行く。
母と呼ばれたライガクイーンは少年の登場と共に殺気を消し、大人しくなった。ティアは生きてはい
るが、重症だろう。イオンは顔色を無くしているし、ミュウは目をぱちくりさせている。そして背後
からのっそりと現れたのは、身長二メートルはあろうかと云う大男。
 状況がまったくつかめなくて、ルークは混乱し声も上げられない。
「母さん……良かった、怪我ないよな?」
 云えばライガクイーンは優しい声をあげて、少年の頬を舐めた。少年はホッと息を吐くと、柔らか
くしていた目元をまたキリキリと吊り上げイオンを睨み付けた。
「……お前、何のつもり?」
「え……?」
「交渉に来たんじゃないのか。なんで母さんを殺そうとした!」
「それは……交渉に応じてもらえなかったので仕方なく……」
「仕方なくぅ……?!」
 少年の額に青筋が走った。
「仕方なくで殺すのか?! 卵を抱えた母親を?! ――大体、あれのどこが交渉だ! 一方的に
出てけって云ってただけじゃないか! 人の故郷燃やしておいて、何様のつもりだ!」
「それはこっちの台詞よ」
 驚いて、ルークは振り向いた。ティアが立ち上がっている。側にいる大男に礼を云ったのを見ると、
どうやら彼がティアの傷を治したらしい。グミを与えたのかティアと同じ第七譜術士なのかは見てい
なかったので分からないが。
「……何勝手な事しちゃってんのガオウ!」
「こちらさんの云い分くらい、聞いておいて損はないだろ」
 少年の怒りを、ガオウと呼ばれた大男はさらっと流した。別に好意でティアを治したわけではない
ようだ。
「いきなり背後から攻撃するなんて……信じられないわ。貴方、どう云う教育をされてきたの」
 その言葉をそっくりそのままお前に云ってやりたい、とこっそりルークはため息をつく。
「人の母親を殺そうとした人間に云われる筋合いないっての、この人でなし!」
 少年の言葉に、ティアが怪訝な顔をする。
「母親? 何を云っているの。貴方、人間でしょう? ライガは危険な魔物よ、この場で始末しなけ
れば被害が――」
 云った瞬間。ナイフがティアに向かって投げつけられた。それを叩き落したティアは、憤怒の表情
で少年に向かって叫ぶ。
「何をするの?!」
「あははっ! 本気でわかってないわけ? ……俺の母親だって云ってんだろ」
「まさか……」
 少年に責められ黙りこんでいたイオンが、ふいに声を上げる。
「貴方はアリエッタの……?」
「……俺の妹、知ってんの?」
 やはり、とイオンが呟く。ルークがどう云う事なのかと聞くと、イオンは途惑いながら答えた。
「ダアトの六神将『妖獣のアリエッタ』は魔物に育てられた少女なのですが、その彼女と共に育てら
れたと云う少年がマルクトに居ると聞きました」
「では、彼の言葉は……」
「本当の事、なのでしょう。ライガクイーンが彼のお母上なのです」
 ルークは驚いて少年を見た。少年は鋭い眼差しでイオンとティアを睨んでいた。
 よく見れば、中々整った顔立ちをした少年である。顔の真ん中、鼻の上横一筋傷がついていて粗
暴な印象を与えるが、悪人には見えない。気が強く跳ねっ返りだとは想像させるが。
「……お前、誰なわけ?」
「申し遅れました。僕はイオン。ローレライ教団の導師です」
 云った瞬間。少年の怒りが爆発したのを、ルークは感じた。
「導師、だと……?」
 ぶるぶると、少年の両手が震えている。怒りを押さえ込もうとして、失敗していた。イオンもティ
アも訝しげな顔で少年を見ていた。
「あ、あはは、あはは……! 導師イオン? アリエッタが云ってた、優しいイオン様がお前だって
の?! ――何それ、冗談? ギャグ? 笑っちゃうね!」
「なっ……! なんて失礼なの貴方! 導師イオンになんて事を……!」
「これが笑わずにいられるか! アリエッタが……あいつが優しいって云った奴が、大好きだって慕っ
てる奴が、俺らの母親殺そうとしたんだぞ! ……アリエッタがどんだけ傷つくか考えなかったのか
よ導師!」
「……すみません。知らなかったとは云え……」
「知らなかったで済むか!」
 イオンの言葉を遮って、少年は怒鳴った。続けて怒鳴ろうとしていたのだろう、大きく口を開いたが
突然、だらんと両手を弛緩させ俯いてしまう。どうしたのだろうとルークは側へ行こうとしたが、それ
より早くガオウが少年の隣へ立った。
「……がっかりだ」
「え……?」
「アリエッタが好きだって云うから、どんな奴なんだろうって楽しみにしてたけど……」
 半眼の目が、イオンを捕らえる。その鋭い眼差しに、イオンがびくりと震えた。
「あんたには失望したよ。……最低だ」
「あ……」
 イオンが何か云おうとして、項垂れる。ティアが怒鳴り声を上げ、声高々に少年を責め立てたが彼
は全く気にしていなかった。相手にする価値もない、と判断したのだろう。
 少年が何事かをライガクイーンに云っている。それは獣の声で、ルークには何を云っているか全く
わからない。
 その間にガオウが卵に近づき、木の枝で出来たベッドごと持ち上げた。
「……おい。そこのチーグル」
「は、はいですの!」
「俺たちは移動する。此処に居ては一族が危ないからな。それと……」
 少年の瞳孔がキュウと閉まる。それはまさに、獣の目で、
「ライガ族はチーグル族を敵と認識した。発見次第、ライガ族はチーグル族を殺す」
「……っ」
「同じ魔物とは認めない。人間に下った愚かな獣。――俺達の面汚しが」
 そう吐き棄て、少年は歩き出した。少年の後にライガクイーンが続き、さらに後ろから卵を抱えた
ガオウが追う。
 ティアが待ちなさいと怒鳴ったが、イオンが止めた。
「しかしイオン様……!」
「……元々、僕らはこの森から出て欲しいと交渉していたのです。止める必要は、ありません……」
「……イオン様がそう仰るなら」
 先ほど、此処で始末しなければと声高々に云っていたくせに。ルークはどうにも胸がすっきりせず、
腹いせに足元に居たミュウを踏んだ。踏んだとは云っても、軽く足を頭に乗せてやっただけだ。少年
の言葉にしょんぼりしているから、蹴り飛ばすまではしてやらなかった。
 去ろうとした少年が、急に立ち止まった。ルークの側まで駆け寄ってくるものだから、びくりとしてし
まう。
「な、なんだよ……」
 身構えるルークに、少年はニヤッと笑った。嫌味でも馬鹿にするでもない笑みは、悪戯っ子な子供
を連想させ、ルークは思わずきょとんとしてしまう。
「ありがとうな」
「え」
「お前は母さんと卵を庇ってくれただろ。だからライガ族を代表して礼を云う。……ありがとう」
「べ、別に礼なんて云われる筋合いねぇよ!」
「あはは! 素直じゃないやつ!」
 照れくさくてそっぽを向くルークに、少年はまた笑った。けどやっぱりそれは、腹が立たない笑みだっ
た。
「俺はタイガ。お前は?」
「る、ルーク」
「ルークか。わかった。……ライガ族は人間ルークに敬意を表する。決して攻撃をせず、脅威から守
ろう。困った事があったら云え」
 驚いて目を見開くルークにまた笑って、少年――タイガは今度こそ、立ち去った。

 *** ***

「あはは! あいつ、わかってない顔しちゃってたな」
「そりゃぁな。突然魔物が味方だって云ったら驚くだろう」
「……」
「珍しいな。お前が人間に恩感じるなんて」
「……嬉しかったから」
「……」
「人間がライガ庇うなんて、有り得ないじゃん?」
「そうだな。魔物なんて殺して当たり前、卵は潰して当然、が人間の”常識”だ」
「だろ? だから、……いい奴だったから、味方してやる。ライガ族の誇りにかけて」



 了


 加筆修正 2009/08/23