オレはなんて云うか。そう、擦れちゃった子供だった。
レルカー生まれ、レルカー育ち。両親は毎日喧嘩ばっかりしていた。
父親はオレを殴りつけて罵倒して唾を吐きかけた。母親はオレを生まなければ良かったってブツ
ブツ云って、他の男の家に行っては何日も帰ってこなかった。
癇癪起こした母親が父親を刺し殺して、自分の首まで掻っ切った時には驚いたけれど、オレは殺
されなくて済んだって、凄く安心した。
別に死んでも悲しくなかった。オレを疎む両親なんて。
オレを引き取ってくれたヴォリガのおっさんには感謝してる。けれど、なんだろう。オレは、恩返し
とか孝行とか、そんな良い事は出来ない子供で、いつも迷惑かけてばっかだった。
おっさんの鉄拳は痛かったけど、懲りなかった。馬鹿野郎って罵られても、ぶん殴られても、父親
の時みたいに嫌だとか死んじまえとか思えなかったのが不思議だった。
あれはきっと、おっさんがオレを疎みながらしたんじゃなくて、オレのためを思ってしてくれたから
だろう。気持ち一つで、同じ行いも随分と変わるものだと思う。
十四歳で街を出た。貴族の娘に手ぇ出したとか、そんなのは建前。と云うか、ついでと云うか。
子供らしい憧れで、街の外へ出たのだ。剣には覚えがあったし、喧嘩も弱くなかったし、大抵の相
手には殺されない自信があった。今思えば、子供の自意識過剰だ。まぁそれでも、今まで死なずに
生きてこれたんだからよしとしよう。
オレが十六になってすぐの頃、当時の陛下が崩御なされた。
オレにとってはどうでもいいって云うか、遠い世界のお話だったけれど。アーメスが攻め込んで来
たとなれば、他人事ではない。オレは自分の体一つと、使い慣れた剣一つで義勇軍に参加した。
国を想ってとか、そんな偉い理由じゃなかった。戦争ってどんなもんなんだろう、オレでも出来るの
かな、オレは人を殺せるのかな、って、そう思ったから参加した。馬鹿な理由だ。
そしてオレはその戦で、自分でも驚くくらいの功績をあげた。初陣で敵将の首を取ってしまったの
だから、子供のオレは相当舞い上がった。その上、フェリド女王騎士長閣下から直々に女王騎士
にならないかと誘われたものだから――もう、有頂天になった。
いきなり女王騎士は無理で、何年か『見習い』として経験を積まなければならない、と云うのには
正直閉口したが。
そんな事しなくても、オレは強いんだと、本当に舞い上がっていた。
*** ***
任命式が終わった後、オレは陛下のお部屋に呼ばれた。
嘘みたいに綺麗な陛下と、物語のように強いフェリド様と三人きりになって、怖い物知らずなオレ
にしては珍しく、かなり緊張していた。
何を云われるんだろうって、ドキドキした。心臓が痛かったの、覚えてる。
「ごめんなさいね、カイル。このように呼び出してしまって」
「い、いいえ! 大丈夫です!」
何が大丈夫なのだろうと、自分でも思うが、オレは背筋をピンと伸ばしてそう云った。
陛下が楽しげにクスクスと笑われるものだから、なんだか恥ずかしくて堪らなかった。
「カイル、お前を呼んだのは他でもない。『見習い』として勤めて欲しい任務がある」
「え? 『見習い』でもう任務ですか?」
見習いと云うからには、正規女王騎士の雑用とか、訓練とか、そんな事だと思っていたのに。
「お前はもう己の型を持っているからな。一から仕込み直すより、その剣を上達させる方がいいだ
ろう。鍛錬は、俺たちと同じものを行う。覚悟しておけよ?」
その言葉だけで、拳をよっしゃと握りたくなった。フェリド様は、ちゃんとオレの事わかってる。
「女王騎士『見習い』には、正規女王騎士には出来ない任務があるのですよ」
何だろう、と首を傾げた。正規の女王騎士には出来なくて、見習いの女王騎士には出来る仕事。
――そんなもの、あるのだろうか?
陛下は一度目を伏せて、それから、真っ直ぐオレを見て云った。
「我が王子の専属護衛です」
あぁ、とオレは思った。平民出のオレでも、なんとなくわかる。
この国にとって、男の王族である王子の存在は軽い。王位継承権がないから、政治的価値も薄
い。そんな王子に、正規の女王騎士を専属の護衛にするのは「勿体無い」のだろう。だから、『見習
い』にそれを勤めさせるのだと。
今思えば、なんて失礼な納得の仕方だろうと、オレは自分で自分を刺したくなる。
陛下がふと、悲しげな顔をした。
「貴方も存じている事でしょう。我がファレナ女王国において、男の王族の立場はとても難しいもの
です」
フェリド様が、軽く俯いた陛下の顔を覗き込んで、「アル……」と小さく呼んだ。アルシュタート
様のアル、なのだろう。
そこで初めて、オレはこの二人が夫婦なのだと実感した。間抜けな話だ。
「王位継承権を持てず、よその国へ国交を深めるために婿入りさせるくらいしか役に立たぬと……
貴族達は影で申している事でしょう。わらわの耳には入って来ませんが……、それくらい、想像はつ
きます。それほどまでに、男の王族は軽んじられているのです」
陛下は、本当に、本当に悲しそうだった。あの時はわからなかったけれど、今ならわかる。
あの悲しげな顔(かんばせ)は、子の不遇を嘆く母親の顔だったのだ。
あの時のオレには、それがどうしてもわからなくて、ただ陛下の綺麗な顔が悲しみに歪むのがとて
も嫌だった。
「そなたに……どうか、我が王子を支えてやって欲しいのです。そなたにならば、それが出来ると、
わらわもフェリドも思うております」
真っ直ぐな瞳で、陛下はオレを見て云った。
綺麗な目だった。フェイタス河の流れのような、深い慈愛に満ちた青い瞳。オレの鈍い青色とは似
ても似つかない、澄んだ瞳だった。
そんな瞳で見つめられた事のないオレはたじろいで、ボソボソと掠れた声で反論するしかなかった。
「……俺、に、そんな、大それた事…」
オレは、薄汚い、市井の出だ。腐った両親の元で育った、どうしようもない子供だ。オレのような
男に、何故そんな事を云ったのか。大切な王子を、オレに託そうとしたのか。それは未だにわから
ない。
陛下は立ち上がると、丁寧な足取りでオレに近づいてきた。
驚いた。
こんな、気安い存在ではないはずだ、女王は。
雲の上、太陽のように、尊いお方なのだから。
「王子は……サキレリーヴァは、今よりも幼い頃から、貴族達の悪意にさらされて来ました。利用価
値のない王子の存在など、貴族達にとっては無駄だとしか取れぬのです。あの子が武芸を学ぶ度、
学問を学ぶ度、余計な事、必要のない事、無駄な事だと、あの子を貶めるのです」
オレはその時、可哀想だと思った。王子なんて存在はオレからしてみれば、なんの苦労もしない、
明日食べるものの心配も必要ない、お気楽な身分なのだと思い込んでいた。
やる事なす事、無駄な事だと罵られるのは、どんな気分なんだろう。
オレは想像して、急に悲しくなった。まだ見ぬ幼い王子を思うと、悲しくて堪らなかった。悲しい
なんて感情、当に忘れていたと思ったのに。
陛下はそっとオレの両手を取って――今まで触れた事のない、すべすべした柔らかい手だった!――
悲しげに微笑んだ。
「わらわはあの子の母であると同時に、我が国の女王です。我が国は今だ不安定、早く世を平定し、
民を安らぎへ導くのがわらわの勤め。サキレリーヴァを守れぬのは……わらわの力不足だと、自覚
しております」
フェリド様がそっと陛下に歩み寄って、その細い肩を抱いた。この細い肩に、この国の全てが圧し
掛かっているのかと思うと、また悲しくなった。
「サキレリーヴァは、自分の存在がどのような物であるかをよく知っています。だから、わらわ達に
助けを求める事もしません。恥ずかしい事に、わらわは、あの子の泣いてる姿すら見た事がないの
ですよ? 物心つく頃には、あの子は泣かない子供になってしまいました。我が侭も云わないのです。
仕事にかまけるわらわ達に構って欲しいとも云わないのです。貴族の悪意にさらされても、泣きつい
て来ないのです」
ふと、自分の子供の頃を思い出した。自分も、そうだった。我が侭なんて云えなかったし、泣き喚
いたりもしなかった。
平民の自分と、王族の子供が同じだった事が、なんだか不思議だった。
違う点は、子供を想ってくれる両親がいたかいないか、だろうか。
「本来ならばわらわとフェリドが守り、慈しみ、育てなければならないと云うのに、……そなたに頼む
のは間違っているでしょう。けれど、どうか……どうか、サキレリーヴァを……」
ポロリと、陛下の瞳から涙が流れた。子を想う、母の涙だった。
そんな涙を流してもらえる王子が、羨ましかった。
「あの子を、守って欲しい……」
泣き出してしまった陛下を、フェリド様がそっと抱きしめた。ああ、夫婦っぽいなぁと、また間抜け
にも思った。
フェリド様は陛下の背中をぽんぽんと優しく撫ぜながら、オレに向かって云った。
「王子の専属護衛には、女王騎士『見習い』しかなれない。……頼めるか?」
真っ直ぐ目を見て云うフェリド様に、オレは大きく頷いて、「はい」と返事をした。
フェリド様も陛下も、女王騎士『見習い』であるオレを、必要だと思ってくれたのだ。生まなければ
良かったと云われたオレに、大事に大事に思っている王子の護衛を頼んでくれた。
人に必要とされるって、こんなに嬉しい事だっただろうか。
フェリド様も嬉しそうに笑うと、オレの頭をぐしゃぐしゃ撫でながら云った。
「皆の前では云えんが、俺はお前が、サキにとって兄のようになってくれればと思う。あいつは他人
に頼らん子供だ。アルが云ったように、我が侭も駄々もこねん。……引き出して見せろよ?」
楽しみにしてるからな、と云われては、ご期待に沿うしかないだろう。
まだ見ぬ王子がどんな子供かわからないが、オレのようになっては可哀想だ。こんなに、その子
は愛されているのだから。
気付かせてあげよう。思い知らせてあげよう。こんな素敵な人たちに、君は、大切に思われてい
るのだと。
愛されているのだと。
思わず泣き出してしまうくらい、わからせてあげよう。
− 痛む訳さえ分からずに。
初めて会った途端、胸の奥で何かが弾けた。
フェイタス河の輝きを思わせる鮮やかな銀髪も、フェイタス河の流れを思わせる蒼い瞳も、陛下
と同じだったのに、何故か違うと思った。
嗚呼、この子はオレにとって「特別」になるんじゃないかって、そんな予感までした。
深い深い、青い瞳を見つめていると、何もかも奪われるように感じた。
いいや、違う。何もかも与えられ、返してもらったのだ。
幼い頃に忘れ去った優しさや、慈しむ想い、誰かを愛しく想う心、幸せを願う気持ちを。
そんな、人間の心を、王子はオレに返してくれたんだ。
奇跡のようなその存在が、周囲の反応に怯え、ただ『王子』として生きている事が、勿体無くて堪
らなかった。胸がズクズクと痛んだ。
どうしてだろう。オレはその時、胸が痛む理由さえ分からずにいた。
ただ目の前の小さな子供を抱きしめてやりたくて仕方がなくて、でもそれは出来なくて。
王子を前にしても、胸の痛みをやり過ごすので精一杯だったんだ。
了
加筆修正 2011/04/10 お題「3.痛む訳さえ分からずに」
