竜ヶ峰帝人は、”ちゃんと”平和島静雄が好きだった。
 憧憬を多く含んだ恋ではあったが、確かに恋と呼べる代物ではあった。
”非現実”が、”非日常”が狂おしい程に愛おしいと自覚する前の事であったので、静雄の持つ”非
日常”性だけに恋した訳ではない。
”ちゃんと”、人として平和島静雄に恋をしたのだ。

 切っ掛けは”非日常”でも、育てたのは他愛無い”日常”だった。
 例えば街で見かける度、すれ違う度。ただ歩いている姿を見ただけでも、恋慕の情は募った。
 好きになった理由は説明出来る。けれど、恋した理由は語れなかった。
 本当に、ただ、見ていただけなのだ。
 見惚れるような長身痩躯、綺麗に染め上げた金色の髪、大人しそうな目の色、似合わないサン
グラス、いつも同じバーテン服。
 見ていた、だけだった。それだけだ。他に何もない。
 声を掛けられた事も掛けた事も無い。落し物を拾われた事も拾った事も無く、優しくされた事もし
た事もない。一方的に見ていただけの、一方的な関係だった。
 そう。彼の姿を、ただ見ていただけだった。見ていただけなのに、恋心は育っていた。
 理由のない恋なんてあるんだなぁ、と少し他人事のように思いもした。ドラマや映画には到底使え
ない恋だ。物語の恋には、其れ相応の理由が必要になる。理由のない恋など、見向きもされない。
 皆、何かと理由を欲しがる。
 犯罪が起きれば動機を、間違いが起きれば原因を、不思議な事が起きれば真実を。
 何でもかんでも理由理由理由――
 ならば、理由なき恋は恋ではないと云うのだろうか。見ていただけで育った恋心は、つまらないと
吐き棄てられてしまうのだろうか。
 そう思うと、哀しくもあった。


 叶う訳がないと、知っていた。承知の上の、恋だった。
 彼は確かに沸点が低く、盛大に怒り狂えば街灯を圧し折り、ガードレールを引っこ抜き、自動販売
機を投げるような人であったが、性根はとても大人しく、まともであった。
 同性に恋するなど”有り得ない”と思っているような、普通の人だった。知人が自分に恋をしている
などと夢にも思わないような、極普通の人だった。
 そして同性から好きだと告白されれば、気持ち悪いと思うだろう、至極まともな人であった。
 だから、恋した理由がない事を哀しく思う事はあっても、実らない事を哀しいと思った事はない。最
初から破れて当然の恋に傷付く必要はないだろう。分かっているのだから、何も改めて思い知る必
要もない。
 いつか、静雄の隣に女性が立ち、恋をし、愛し合い、結婚をして子を作り家庭を作る。それが当然
の事で、むしろ自分の恋の方が異常なのだと、帝人は誰よりも理解していたのだ。

 どんな手を使ってでも振り向かせるとか、静雄に恋する他の人間を妨害してやろうとか、そんな事
は思い付きすらしなかった。
 帝人は、自分が何であるか、傍から見てどんな存在であるか、誰よりも分かっていた。
 探せば同じような人間が数えきれないほど居るだろう、平凡な人間。それが竜ヶ峰帝人だ。特殊
な所など、漫画の主人公のように御大層な名前だけである。他は、何ら特出していない。極平凡な
一般人だ。
 首が無い訳でも、情報屋に専業している訳でも、体から日本刀が出て来る訳でも、強靭な肉体と
常識外れの膂力を持っている訳でも――無い。
 人より少しばかりパソコンに明るく、情報社会に溶け込んでいると云うだけだ。そんな人間、そこ
ら中に掃いて棄てるほどいる。
 だから――そんな程度の自分が、どうやって平和島静雄に好きになって貰えると云うのかと、どう
して他人の恋路を邪魔する事など出来ると云うのかと、そう、帝人は思う訳だ。
 いいや、例え帝人が、膨大な財力と絶対的な権力を持っていようとも、”帝人が帝人である限り”
静雄は帝人に振り向きもしないだろうし、他人の邪魔をする権利もない。人より優れていても、人を
邪険に扱っていいと云う事にはならない。そう云う事をする奴は人間の屑と呼ぶのだ。

 だから帝人は、最初から諦めていた。同じ街に居るだけで、知人と云うカテゴリーに居るだけで満
足していた。
 いや、正直な所、それだけではない。
 平和島静雄が――『ダラーズ』のメンバーだから、満足出来ていたのだ。


 一握りの人間しか知らない事だが、竜ヶ峰帝人は『ダラーズ』と呼ばれる”保護色”カラーギャング
の創始者でありボスであった。
 だからと云って、チームを支配している訳ではなかった。ただ創始者だからとサイトを管理して、
ボスだからと他のメンバーより容易に情報収集が出来ていただけだ。それだけだった。
 けれど帝人にとって『ダラーズ』とは己の”延長”だった。『ダラーズ』イコール『自分』とまでは”寸
での所で”行かないが、心の底で『ダラーズ』は自分の物だと云う意識はあった。そしてその意識を
「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てる冷静な脳みそも持っていた。
 空想で、遊んでいるようなものだった。幼い頃、誰もが空を飛ぶ事を夢想するように、自分の頭の
中だけで遊んでいたのだ。
 平和島静雄が『ダラーズ』に所属している限り、彼は自分も物なのだと、空想した。
 勘違いや思い込みや妄想ではない。ただの、空想。夢想。想像で遊んでいるだけの、ままごと以
下の行いだった。
 そんな理屈ある訳が無いと、帝人が誰よりも一番分かっていたからだ。
 自分すら騙せない、そんなくだらない幻想だった。けれど満足だった。それだけで、満足だった。
 満足だった、のに。


「俺、ダラーズ抜けるから、よろしくな」


 幻想は、強力な現実を前に、いとも簡単に壊されてしまった。
 たった一言。静雄からすれば何でも無い、箸にも棒にも引っかからない、どうでもいい出来事。胸
糞悪いからとっとと忘れちまおう、と云う、下らない出来事。
 けれど帝人にとっては、自分の根底を粉々に打ち砕かれるような大事件だった。
 そこでようやく、帝人は気付いた。
 自分で思っていた以上に、「平和島静雄が『ダラーズ』に所属している」と云う事実が大切だったと
云う事と、下らない幻想が自分の根本を支えていたと云う現実に。
 気付いてしまった。
 知ってしまった。
 認識してしまった。
 自分は、”欠片も諦めていなかった”と云う事を、帝人は知覚した。
 最初から諦めていた訳ではなかった。そんな生ぬるい気持ちではなかった。
 恋をしていたのではない。
”愛していたのだ。”
 だから、”満足出来ていた”のだ。
 あんまりにも愛しいから、自分の延長である『ダラーズ』にいてくれるだけで、満足だったのだ。
 夢想でも幻想でも無い。空想でもない。自分の物だなんて、勘違いもしていない。

 静雄がただそこに居て、生きて、『ダラーズ』にいてくれるだけで、良いと思えたのだ。
 どこまでも深く、許容と慈愛に満ちた、愛だったのだ。


 人は恋をしたり愛を抱くようになると、貪欲になると云う。
 相手の全てが欲しくなる。独占したくなる。自分だけが相手にとっての特別になりたいと願う。
 それは極一般的な感情らしく、誰にでも理解出来る恋愛の構造であった。
 だが、帝人には当て嵌まらなかった。その点において、帝人はどこまでも”逸脱していた”。

 帝人は、”愛した人に対してどこまでも寛容になれる”人間だった。
 自分を見ていなくても構わない。
 自分以外の人間と恋に落ちても構わない。
 いや、そこに存在してくれるだけで満足だった。
 帝人は、親が子に注ぐ”無償の愛”を、他人へ向けられる人間だったのだ。
 見返りを必要としない、一方的な愛情。理性を持って押さえ込まれ、ただ密かに注ぐだけだった愛
は誰にも知られる事は無く、”本人すら気付かないままで育ちに育ち切っていた”。

 自分が静雄へと向ける愛情の莫迦みたいな大きさにようやく気付いた帝人は、頭を抱えた。
 そんな物に、今さら気付いてどうしろと云うのか。自分で抱えきれない愛など、迷惑以外何物でもな
いではないか!
 内包しきれないならば、破裂するだけだ。
 自分ですら御せない愛が暴走したら――どうなるのか。
 勿論、帝人が静雄をどうにか出来るなど、有り得ない。物理的にも精神的にも傷付ける事など不可
能だろう。ならばこの愛は、帝人へ跳ね返ってくるに違いない。
 それは困る。どうやら帝人は生まれつき、自己保身が強い人間だ。自傷や自殺など論外である。痛
いのは大嫌いだ。死ぬのも御免だ。かと云って他人を傷付けるのもまた論外だ。そんな恐ろしい事出
来る訳がないし、そもそもやりたくなどない。

 だから帝人は――急いで、静雄を”取り戻す”事にした。
 単純な話だ。
 彼が『ダラーズ』でなくなったなら、また別の繋がりを持てばいいと開き直ったのだ。あわよくば親しく
なり、自分経由で『ダラーズ』に復帰してくれないかと、下心を抱いて、

 帝人は、平和島静雄と友人になろうと決意したのだ。

 無関係になった事で愛情が破綻しそうだと云うならば、何でもいいから関係を持ってしまえと云うあ
る意味突飛な結論へ達した。
 一応は顔見知りで、お互いの名前も知っている。まともに会話をしたのはあの時が初めてだが、す
れ違えば挨拶程度はしていた。そうだ、少しずつでいい。擦れ違う度に挨拶をして、そのついでに他
愛無い世間話をしよう。どうやら”彼ら側”から見て自分は、”平穏の象徴”らしいのだから、平穏を求
める静雄は帝人を邪険にはしないだろう。何も焦らなくてもいい。欲張らなくてもいい。恋人になりたい
なんておこがましいにも程がある。いや、友人でも贅沢な話だが、親友になりたいとまでは云っていな
いのだ。大目に見て貰おう。誰に? 自分にだ。静雄のような”特別な人間”の友人になりたいなどと、
自分でも大それた事を考えているとは思う。でも、だけど、
 好きなのだ。どうしようもなく。愛しているから。どこまでも深く。

 だから、せめて――友人に。


 ちゃんと、好きだった。竜ヶ峰帝人は、”ちゃんと”平和島静雄が好きだった。
 好きだったから、多くは望まなかった。静雄に迷惑を掛ける事も、不快な思いをさせる事もしたくなかっ
た。
 いじましい程の恋心と愛情を持って、帝人は、静雄の友人になりたいと望んだのだ。

 結論から云えば――驚くほどに、上手く行った。
 元々帝人に対して悪感情を抱いていなかったのが功を奏したのだろうか。一月経つ頃には、静雄か
ら挨拶して来てくれるまでになった。
 その上、大層な言葉まで頂いてしまった。

「お前みたいにフツーの奴と話せると……なんか、俺までまともになれたみてぇで嬉しいな。俺の馬鹿力
にも怯えねーし。お前、マジいい奴だよな。……あ、そう云えば下の名前なんつーんだ? いや、その、
りゅうがみねってなげーしよびづれーし。……みかど、か。みかどな。なんつーか、カッコいい名前だよ
な、おま……みかどってよ。ま、その、なんだ。今度一緒に飯でも食おうぜ。俺が奢るからさ――」

 嬉しいはずだ。挨拶程度しかしなかった知人から、ご飯を奢ってもらえるような、しかも名前で呼び合
えるような親しい関係になれたのだから。
 喜ぶべきだと云うのに、帝人は、

「よう帝人! 学校帰りか?」

「聞いてくれよ、昨日トムさんがさー」

「喉かわいてねぇか? ジュースでも奢ってやるよ」

「あー、今から仕事だ……。今日は暴れずに済めばいいんだけどよぉ」

「なぁ、帝人。あのな」

「帝人、俺さぁ」

「帝人!」

「帝人――」

 帝人は、
 辛くて、仕方がなかった。


”どうして今更”――そんな気持ちが募って行く。
 勝手な感情が、溢れて行く。

 『ダラーズ』に居た頃は相手になんてしてくれなかったのに。

 自分でも理不尽な思考だとは思った。静雄が『ダラーズ』に所属していた頃、只の知人に過ぎなかっ
たのは当然の事だからだ。
 帝人はその時、何もしていなかった。今のように、積極的に声をかける事もせず、ただ見ていただ
けだったのだ。
 ただ見ているだけの存在に、好意を抱く人間が居る訳がない。むしろ不気味がるだろう。

 だから、今帝人が抱いている感情は、至極理不尽なものなのだ。此処はむしろ、親しくなれた事を
素直に喜ぶべきなのだ。喜ぶべき、だと云うのに。

 破綻した愛情が、心臓へ圧力を掛ける。
 平穏の象徴と云われた心が、重みで歪んでいく。
 自分に向かって笑いかける静雄を見る度に、楽しげに語る静雄を見る度に、どこぞへと誘ってくれ
る嬉しげな静雄を見る度に、胸が軋んでひび割れていく。

 確かに愛しているのに。
”ちゃんと愛しているのに。”
 悪魔が、胸のひび割れから這い出て来た悪い物が、帝人へ囁いたのだ。


『そんなに気に入らないのならば――壊してしまえば良い』


 その囁きを”自覚”した時、確かに帝人は笑った。微笑んだ。
 そうだ。愛していた。”ちゃんと愛していた。”
 ただ見て居ただけで恋慕の情は募って行き、恋心は行き場を無くし、愛情は破綻した。
 壊れた心臓の残骸からは、本能が現れた。

 愛していた。”ちゃんと、愛していた”。
 竜ヶ峰帝人は平和島静雄を”ちゃんと愛していた”。
 愛していたからこそ――それが歪んだ時に発露した物は、単純な破壊衝動だった。そしてその破
壊衝動は恐らく、”ただの人として好きになった平和島静雄”へ向けた物では無く、”化け物としての
平和島静雄”へと向けられた物だった。

 強い強い化け物が、ナイフで刺されても銃で撃たれても死なない生き物が、ただの人間によって
壊されたら――


 それはとても、”愉しい事”だ。


 そうだ。そうだ、壊してしまおう。
 だってあの人は、帝人を壊してしまったのだ。
 なら壊し返してしまえばお相子だ。
 そうすればようやく、ようやっと――


 この浅ましい感情から、解放されるのだから。



 − 人の本能発露して、獣の理性が破綻した。



 了


 色々破綻してしまった帝人様。
 なんというか、私の抱く帝静帝の根本、みたいな感じで……。上手くまとまりませんでしたが、勿
体ない精神であげてみました。

 本当にもう六巻インパクトが強すぎて……。
 六巻までまともに会話した事のない帝人と静雄が、初めて交わした会話があれって、もう成田て
んてー鬼畜すぐる。(濡れ衣)
 お陰さまで私の抱く帝静帝、帝静、静帝観は、帝人の片想いから始まる歪んだ恋の物語ですよ。
片想いから始まり、一度フラれ、そこから帝人様が本気出す感じでお願いしたい。(願望)

 あ、ちなみにこのお話、今書いている帝静帝シリーズとは関係ないです。根本は近いかも知れま
せんが、お話としては全くの別物です。はい。


 執筆 2010/11/25