「あの子が、消えてしまいました……」
 死霊使いと謳われ、恐れられて来たジェイド・カーティスが嘆く。
 譜陣が刻まれた赤い、赤い、――私の最高傑作の髪に似た血色の瞳から、涙が流れ伝っている。
 これは誰だ。これは――この「人」は。
「探したんです。ずっと。崩れたホドの中を、掘り返したり、呼びかけたりして、探したんです。でも、い
なかったんです。どこにも、あの子は、いなくて」
 泣き言を云うジェイドに、私は覚束ない足取りで近づいた。
 これは、本当にジェイドなのか。いつだって、無感情に物事を見据えて、周囲を見下ろして、神のよ
うに、私を支配していた、ジェイドなのか。
 泣いている。私の前で。散々、見下し、罵倒し、蔑んだ私の前で、ジェイドが、泣く。
「どこに行ってしまったんですか? あの子、あの子は、ルーク、は、どこに、行って」
 近づく私に、ジェイドがすがり付いてくる。有り得ない、こんな事。神が、矮小な人間に縋りつくなど。
 そんな事、あっては、いけないのに。
 嗚呼、私は、失望している。私の神に。私を支配し続けてきた神が、無様な醜態をさらすから、失
望している。
 なのに。どうしてだろう。この、震えるほどの、歓喜が沸き起こるのは。
 何故。
「きっと、泣いてます。あの子、泣き虫なんです。それを、我慢して。きっと、今、泣いて、私たちを、探
して」
 縋りつく手が、私の頬に触れた。ジェイドの目が、私の目を見ている。私に問うている。レプリカルー
クの所在を。私の、最高傑作の行方を。
 赤い虹彩の中にある、瞳孔は開ききっていて。嗚呼、今、ジェイドは狂っていると、私は悟った。
 レプリカルークを失って、狂ってしまった。
 私の、最高傑作を失って――
「―――っ」
 スゥと、心が冷えた。なんだ。此れは。此れは。――誰だ?
 私の――私のジェイドは、私の神は。いつだって私の作品を貶し、愚弄して、破壊してきたじゃない
か。それを、今さら。今さら。
 今さら!
 一瞬で頭に血が上り、顔が熱くなった。だが、体の芯は、驚くほどに冷えている。
「――レプリカルークは消えたんです」
 自分でも驚くくらいに、冷酷な声が出た。嗚呼、この声は、ジェイドのそれに似ている。
 ジェイドはぽかんとして、私の顔を見つめた。なんてあどけない顔なのだろう。
「嘘です」
 震えた声だ。情けない、声だ。

「本当です。レプリカルークを作った、この私が云うのですから」

 その瞬間、ジェイドが悲鳴を上げた。あのジェイドが、悲鳴を、上げた。
 悲鳴は、レプリカルークを呼ぶ声だった。ルーク、ルーク、と、切り裂くような声が、叫ぶ。
 泣き叫ぶ姿は、――昔の私と、重なった。

 ああ、此れは私だ。

 ジェイドを失って、絶望した、私の姿だ。
 なんて事だろう。
「ジェイド」
 無意識に、名を呼ぶ。すると、濁った赤い目が、私を捉えた。
 あまりに濁り、淀んだ目に、腹の底から体が冷えた。
 ジェイドはまた、私の顔に手を伸ばた。頬に爪を立てられる。痛い。多分、傷がついた。血が出る
に違いない。
「返してくださいっ!」
「ジェイド……?」
「返して……返してください! 貴方が、貴方が作ったならば、あの子を、貴方が作ったのならば」
 ギギギギと、指が私の頬を引っかく。ああ、確実に傷が出来た。肉が軋む痛みと、血が流れる感
触がする。


「あの子の神様が貴方だと云うのならば、私にあの子を返してくださいっ!」


 嗚呼!

 なんて事だろうか。
 こんな事が許されるのだろうか?
 私は悟ってしまった。知ってしまった。自分の知らなかった世界を、知覚してしまった!
 ジェイドは神ではなかった。
 ただの人間だったのだ!
 私と同じ、矮小で卑怯で臆病で、どうしようもなくみっともない、醜悪で無様で惨めな――人間だっ
たのだ!
 私は愕然とする。
 今まで、私を支配してきたのは、神ではなくただの――人間だった事に。
 ジェイドは私の思いなど露とも知らず、返してください返してくださいと、私に縋りつく。
 私は何も云えなかった。出来ないとも、はいとも云えなかった。
 私の神。私のジェイド。貴方は、零落してしまった。
 様々な想いが脳を駆け巡る。
 ――人間になってしまった神への憎悪。
 ――神が私と同じだったと云う事実への狂喜。
 ――私の最高傑作が神を堕落させたのだと云う嘆きと歓喜。
 そして。
 ――消えてしまった、私の『ルーク』への言葉に出来ぬ想い。
 泣き喚くジェイドを見て、実感した。
 私の最高傑作は――消えてしまったのだ。跡形もなく。それこそ、何も残さないで。
 嗚呼、私の作品は、何も知らなかったに違いない。私が製作者だった事も、製作者が作品をどう
思っていたかも、私が今、どんな気持ちなのかも。何も、何も知らず。
 消えてしまった――
「あ」
 目頭が熱くなる。なんだ。なんだ此れは。何故、私が泣くのだ。
「あ、あああ、ああ――」
 私が泣く必要がどこにある。
 神が堕落してしまったからか? 私の幻想が砕かれたからか? ジェイドが私を傷つけるからか?
違う。嗚呼、そうか、私は。
 泣いて、当たり前だ。だって、私の、作品が。


 私の事など何も知らないまま、『私のルーク』がいなくなってしまったのだから。


「あああああ、あああ、ああああああっ!」
 泣き喚きながら、私はジェイドを抱きしめた。ジェイドは私以外の何かに縋りつくように、両手を
天へ向けて伸ばしていた。



 − わたしのかみさま。



 了


 加筆修正 2010/02/07